igomasの部屋

どうも、igomasです。ウルトラマンファン。ヒーローより怪獣、悪役が好き。今日も今日とて「悪役」考察♪

SSSS.DYNAZENON……惜しかったなぁ

 皆さんこんにちは、igomasと申します!普段はウルトラマン考察、悪役考察を中心に活動しています。さて今回、ついにSSSS.DYNAZENON、最終回を迎えましたね!色々と世間で話題を呼んだあのSSSS.GRIDMANの続編ということもあり、私もしっかりチェックしておりました。SSSS.GRIDMANの感想記事については、以下をご覧ください。

 

igomas.hatenablog.com

 

 さてそんな最新作、SSSS.DYNAZENONについて、満を持して私も感想記事を書かせていただきたいと思います。とはいえ本作、毎話毎話じっくり賞味して、感想記事をあげるほどの作品でもありませんでしたから、今回、全話まとめて一つの記事でご紹介します。

 先に総括として書いておくと、前作は、かなり危うい部分をたくさん含みながらも、絶対に抑えておくべきポイントはしっかり抑えた作品になっていた一方、今作は、前作以上に描き切れていない部分が多く目立ち、惜しい部分の多い作品だったなという印象です。一言で言ってしまえば、

 

何がしたいのかわからない

 

 主人公らや敵組織、怪獣などなど、それぞれのキャラクターにどれだけ共感できるか、というのが、作品の中では一つの大きな指標になってきます。しかし今作、どうも感情移入しがたい状況が多く、視聴者側としても、うむむ、と首を捻ってしまうカットが多々ありました。それだけに、危うい部分の目立つ作品になってしまったのは、惜しいところ。

 今回は、そういったポイントに絞って、やや箇条書きぎみに、私が思ったことを書き連ねていきました。少しでも共感していただけると、幸いです。それでは早速、各話見て参りましょう!

 

 

第1話

 待ち合わせをしておきながら、待ちぼうけを喰らわせるヒロインに感情移入できない。寝坊とか、遅刻とか、忘れていたとかなら分かるけれど、待ち合わせ場所にちゃんと来て、それでいて会わないってのが理解できない。

第2話

 そんな滅茶苦茶なヒロインが急に、心変わりして「練習」に来るようになるのが分からない、あまりに唐突。
 ヒロインが主人公に興味を持ち始めるのもとても唐突であり、なんで1日でここまで話し掛けるようになったのか、謎。

第3話

 第2話であれだけ街が壊れて人々を守らなきゃって話をしていたのに、街を壊した張本人である怪獣優生思想と対峙した時に主人公らが、怒るでもなくただぼけーっと突っ立っているのかが分からない。
 主人公、なんで怪獣優生思想の人と普通に雑談できるのかも分からない。感情移入ムリ。
 「体育とホームルームだから怪獣倒しに行ってもロス少ないか」という感覚で怪獣倒しに行くのも、本当に理解できない。先程も言ったが、第二話であれだけ街の損害の甚大さの話をしたばかり。話のノリが軽すぎる。
 戦いの最中、怪獣の攻撃でいつ死ぬかわからないリスキーな状況下で、ガウマの独白タイムを敵そっちのけ・棒立ちで求める主人公、理解できない。そしてガウマに「会いたい女の人がいる」と言われて、あっさり納得して信頼できる主人公陣にも共感できない。


第4話

 主人公がいつの間にかヒロインのことを好きになっていて、かなり唐突気味。
 5000年前から5人生き返った話を一瞬で信じてしまう上、さも当たり前かのように振る舞う主人公たち。
 (街を破壊し人殺しをするような)敵組織が転校してきても、「ガウマさんに伝える?」「学校に乗り込んでくるしやめとこ」レベルの冷めた会話。
 「怪獣優生思想がいなくても怪獣は現れる」みたいなことを言っているが、彼らがいなければ怪獣が巨大化したり好戦的になったりすることもないので、どちらにせよ怪獣優生思想が悪い。それを棚に上げて議論しているのも意味不明。

第5話

 ヨモギらが敵をプールに招き入れる意味が分からない。

 また、ガウマの作戦もよく分からない。敵がヨモギと南を恋人同士だと思っているからといって、恋人同士に振る舞うことが敵を「油断させる」ことにはならないでしょ。
 「怪獣を操る敵」をプールで素手で捕まえようとするが上手くいかないガウマ、の図があまりにも間抜けすぎてコメディとしても上手くいっていない印象。怪獣を操る、というのは相当スケールのでかい相手。それに対して素手というのはいくらなんでも馬鹿すぎて、思慮が足りなさすぎるという印象を与えてしまう。
 あと、これは別に欠点というほどでもないですが、バランスの取りづらい合体形態の解決の仕方が、踏ん張るってのは、少し芸がないのではと思ってしまいました。
 あまり褒めないのもなんなので一点褒めるとするならば、第5話の最後のEDの入り方、ブツ切りのタイミングは秀逸


第6話

 怪獣優生思想の中でも、ムジナさんは最も消極的。山中氏と会ったのも、コンビニで出くわすという偶然によるものだったし、自然な流れ。山中氏は殺されるのではないかと警戒しながらも、「奢るから」と強引に誘われ飲みに行く。警戒しながらも、先の一件で夫婦仲を見せつけられた鬱憤が溜まっていたのか、酔って心の内を吐露。ムジナもまた自分も同じであると言い、二人は相手に理解を見せる、ような描写。酔っている中では山中氏は警戒心を保っていた方だし、またムジナも、しっかり怪獣優生思想として敵の武器を奪う、という活躍を見せ、特に行動原理がおかしいということもない。最終的にこの一件は、山中氏は街を守る原動力、ムジナは街を破壊する原動力になる。まぁさすがにムジナのキャラ変が唐突すぎる感はあるが……
 一方で南は、姉の死について調べていくうちに、少しずつ心が動いてゆく。
 各キャラの心の動き方の描写に力は入れており、他の話に比べれば抜きん出てしっかり出来ている話。と思ったが、後の話を見ていく限りやはりムジナさんの豹変ぶりの理由がさっぱりだったので、この話でしっかりそこを描けていなかったのは全体として見るとかなり痛手であった。

第7話

 前回の一件があったものの、結局ムジナさんには、まだ戦うための目的がない。にもかかわらず、「全人類を殺す」と豪語するオニジャに「目的は任せた」との発言、さすがに冷めすぎでは?

 そして、あれほどまでに戦う意思のなかったムジナが、人類全滅でもまぁいいやと思うほど破壊衝動に目覚めるには、あまりに飛躍しすぎていて理解に苦しむ。
 ナイトの「あんな風にバラバラになるとはな」からガウマの「バラバラだからこそ、俺達は出会えたんだ」へとセリフが展開するのがよく分からない。ナイトが言ってるのはあくまで機能の話であって、発想が飛躍しすぎ。

 バラバラだから俺達は出会えたって言葉自体もよく分からない。全然原因と結果の関係になっていないし、この状況で「だから何?」って話。ここのセリフは雰囲気を出すためにあまり考えず取って付けたのだと思われる。

 意味の分からないセリフだった。

第8話

 全12話中の第8話にもなって「怪獣にも心があるのでは?」は今更感が過ぎる。Zのように「子を守るために戦う」など、怪獣に人間らしい感情を実際に見たのならまだしも、ナイトさんの話から一気に話を飛躍させて「怪獣にも感情があるのでは?」とか急に言われても困る。
 どんなに小さく無害でも怪獣優生思想に操られれば50m級に巨大化し暴れるのを飽きるほど見てきた主人公らが、小さいから殺さなくてもいいや、と考えるのはあまりに楽天家過ぎる。

 怪獣という存在を真には理解しておらず、今まで大暴れする怪獣しか見てこなかったのに、「怪獣にも心があるかもしれないし、ないかもしれない。取り敢えず大暴れするまでは監視しとく程度でいいや」で済ませてしまえる主人公らに何一つ共感できない。
 そりゃ我々はピグモンカネゴンブースカなど友好的な怪獣を沢山見ているが、この物語世界の住民はそうではない。この世界の人間に出てくる発想では到底ない。
 あまりに唐突かつ触れるのが遅すぎなテーマ、かつ話の展開も杜撰ゆえ、この話まるごといらないのでは?と思った一話。

 

第9話

 ちせがゴルドバーンにあれほど肩入れする意味がよく分からない。朝起きたシーン以外ちせとゴルドバーンの話を一切せず「私の友達」とか言われても納得しがたい。
 やや総括気味になるが、今作の怪獣はすべて、「街で暴れるだけ暴れ、ダイナゼノンのターンになって倒される」という、ターン性バトルしかしていない。怪獣の能力もミサイル無効化など一辺倒なものばかりで、どんな怪獣でもさして変わりないし、物語ともほぼ関係ないものばかり(第八話以外)。よって怪獣に魅力が全くないし、話の都合でただ倒されるだけの存在に成り下がっている。
 戦いの最中にガウマとヨモギが話すシーンがあまりに怪獣そっちのけすぎるし、こういった場違い感も怪獣の魅力減退に拍車をかけている。今作通して、怪獣が街で大暴れしているのを放って話すシーンが多すぎる、怪獣特撮特有の緊張感は皆無。
 カイゼルグリッドナイトに合体するのはいいけれど、怪獣放り出して雲の上まで行く必要があったかどうかも疑問。少なくとも自分は見ていて微妙なシーンと感じてしまった。

第10話

 なんというか、ここに来て突然絵柄が変わり困惑、そういう演出だとしても困惑。なんなら作画崩壊レベルで輪郭変わっていて困惑。
 様々な登場人物を絡め、過去を探る重要な回にもかかわらず、全員の作画が変わってしまったら、余計なところに気がいってストーリーどころではない。

 怪獣への対処の仕方が、あまりになんの根拠もなさすぎる。口から入れば大丈夫とか、怪獣が消えれば街が元通りになるだろうとか、結構その場のノリで決めているように思える。
 ヨモギがバイトリーダーを一目で分かるには無理がありそう、さすがに顔違いすぎるし。
 ガウマが忠誠を誓う姫の治める国と怪獣優生思想との関係が、「利用して排除しようとした」とあまりに抽象的。具体性に欠け、何も分からないので、過去の掘り下げ回なのにガウマに何も感情移入できない。
 やはりカイゼルグリッドナイトに変形するためにいちいち雲の上に上がるのが無駄の極み。合体しながら怪獣の方へと向かっていけば良いものを、なぜ一度撤退して合体してから戻ってくるのか。さも格好いいでしょと言わんばかりに流れるBGM。申し訳ないが、ここまでくるともう、ちょっとダサく見えてきた。

 ちなみに本作、ほぼ全話において、怪獣とのターン性バトルになってしまっていることは先にも書いたが、いわゆる「ダイナゼノンのターン」になると決まって主題歌が流れる一辺倒な作風はいかがなものか。普通BGMというのはここぞという時に作品をグッと盛り上げるため使うもののはずなのに、何の考えもなしに毎話毎話流されては、非常に気分が乗らない。ここに関してはギャラファイ2の主題歌取り敢えず流しておけ主義とは比べものにならないくらいの悪手。前作もそうであったが、今作はさらに顕著になった。音楽一つで作品の評価は天地の差。もう少し慎重に扱って欲しかった。

第11話

 山中氏に「ムジナさんはムジナさんの仕事をしてただけ」と言わせて済ませてしまうのは非常に淡泊。少なくとも後半戦はムジナは「自分の仕事をしていた」というよりかはノリノリで街を破壊していたし、自分の役目を果たしていたから恨みっこない、はさすがに人生甘すぎるというか、制裁なしはあまりに酷い。
 怪獣優生思想、そもそもどういう思想を持っているかも分からなければ悪役としての魅力もない(怪獣を強化し操っているが、怪獣を分析し特性をよく理解した上で戦略を練り戦いに望んでいるというわけでもないので、ただただ怪獣を強化して攻撃を放つだけのポジションに成り下がっている。怪獣が単体で暴れているのでなく操られているからこそ出てくる魅力とかは一切ないし、初めから怪獣の能力だより。いるいらないで言うと物語上まったくいらないポジション)、その上制裁も描かれないとあっては、彼らが負けても特に可哀想とか、やったとか、そういう感情は何も起きてこない。やはり怪獣優生思想、いらなかったんじゃなかろうか。

第12話

 結局怪獣優生思想は怪獣に人間を殺させて、それで何がしたいのか。

 カイゼルグリッドナイトは1人と5人とで何が違うのかよく分からない。結局これまでダイナゼノンになるために4人必要だったのも、(少なくとも合体時には)頭数というだけの話だったし、人数が多いから強くなるという描写はほぼなし。ナイトさんだけのカイゼルグリッドナイトと、4人+ナイトさんのカイゼルグリッドナイトとで操作法がどう違うのかとか全然分からないし、1人だろうが5人だろうが大差ないんじゃないかとも思える。5人揃っても全然盛り上がらない。
 またも合体するときにわざわざ雲の上まで一旦逃げる始末。
 ちせとゴルドバーンの関係は、結局のところゴルドバーンが目覚めた朝のダイジェストのみで、殆ど描かれず、なにゆえこれほどまでに、ちせがゴルドバーンに肩入れするのかは分からずじまい。
 ムジナさんにはなぜ「怪獣しかない」のかもさっぱり分からない。
 黒幕っぽく登場したシズムも、最終決戦で話さないため真意も不明。
 結局怪獣の中に入った怪獣優生思想ごと倒すなら、もういっそのこと最初の方で人間態倒しても全く問題なかったんじゃなかろうか。作者の都合で生かされたってことなのかな。

登場人物全員揃いも揃って何がしたいかわからない

 と思ったら唐突に最後の最後でシズムが「怪獣は時間も空間も超える、自由だ、死なない」って言い出しましたね。でも今までの怪獣を思い出すと、怪獣優生思想に操られ、ダイナゼノンやグリッドナイトに殺され続け……え、自由?死なない?時空を超える?そんな存在だったっけ?もう、わけが分からない。

 そしてガウマの、守らなきゃならない大切なモノ三つは分からずじまい……

 一応公式サイトでは登場人物一覧の一番上に出てきているし、超主要キャラだとは思うのですが、キャラクターの根幹をなす、そのキャラが一番大事にしている「価値観」を結局提示しないまま、終わってしまいましたとさ……

 う~ん、やはり総括としては、登場人物の行動原理、ダイナゼノンをどう操作しているのかとかそういう基礎設定、キャラクターの心情の変化をダイジェストで描いてしまうがゆえの感情移入しがたさ、怪獣がどれも似たような役割で終わってしまった点、などが最初から最後まで惜しかったなという印象の作品でありました。

 

 


 で、結局最終回になっても南さんは約束すっぽかすのかよ、分かんなっ!

             (完)

新作ウルトラマントリガーについて不安はないって話

 皆さんこんにちは、igomasと申します!普段はウルトラマン、悪役考察等をしています。さて、昨今ウルトラマン新作、ウルトラマントリガーの情報が飛び交っていますね。登場キャラクターが少しずつ公開されてゆき、ネットでは賛否両論の嵐でありました。期待の声と不安の声、どちらもTwitterを賑わせています。本編公開前にこれだけ意見の飛び交う作品ってのも、珍しいことですね。

 それもそのはず、新作ウルトラマントリガーの代名詞は「令和版ティガ」。平成一作目を飾る超人気作、ウルトラマンティガのオマージュとあってか、ウルトラマン平成世代は触れずにはいられない話題であります。当時のファンがティガを懐かしんだり、新作を楽しく待ち望んだり、また一方でティガを愛する人たちが、低予算でオマージュを作ることでティガを汚して欲しくない、と懸念するのは当然のことでありましょう。

 賛否両論あるトリガー。折角ですので私igomasも、予告編などを通しての所感を述べたいなと思いまして、本記事執筆にあたりました。一意見として読んでいただけると、幸いです。

 

 

“ティガ” の影響力

 先も述べましたが、ティガの影響力は凄まじいものです。ティガは、全ての原点ウルトラマンや、新時代を担う戦士ウルトラマンゼロと並び、円谷の顔とも言えるウルトラマンでありましょう。平成一作目として製作されていたティガは、それまでの「ウルトラマンが皆M78星雲出身である」「色は赤と銀」というお約束を初めて破った作品でした。ティガ自体はM78星雲にルーツのない、まったく新たな出自を持つキャラクターでした。M78星雲の昭和ウルトラマンの世界とは隔絶された、新しい世界の到来に、ウルトラマンファンは期待に胸を膨らませたことでしょう。しかも体色は赤と、銀と、そして紫。この配色は画期的なものでありました。カラータイマーの形が個性的になったのもここからですね。造形の大きな変化とは裏腹に、全体としてはとてもシンプルなデザインになっており、バランスが秀逸だということは、以前の記事でも述べたとおりです。

 

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  怪獣の造形も大きく変化し、よりシャープなものになっていきました。丸山浩氏のデザインの秀逸さは、ご存じの通り。また、初のタイプチェンジや、「ウルトラマンは人類を導く神なのか?」という問いかけをしたという意味でも、斬新であったと言えましょう。とにかくウルトラマンの歴史において、パラダイムシフト的な作品であったことは確かです。

 ティガは、円谷という企業を、ウルトラマンという作品を大きく変える転換点だったといえましょう。旧概念を打破し新たな価値観を打ち立てる、というのは並大抵の覚悟では不可能です。それが見事に成功したからこそ、ティガはこれほどまでに愛される作品になったのでしょう。

 

トリガーへの不安はない

 さて、そんな偉大なるティガをオマージュするというのは、これまた並大抵の覚悟でできるものではありません。低予算の現代で、視聴者の期待に足るだけの「令和版ティガ」を作れるかどうか、不安に思う方がいらっしゃるのも十分理解しています。

 しかし、先に言ってしまえば、私igomasは、新作ウルトラマントリガーに、まったく不安を抱いていません。これっぽっちも。

なぜならば、トリガーが「令和版ティガ」にはなりえないと確定しているからです。

 製作陣は、並大抵の覚悟ですませてしまいましたとさ、残念!

 

不純物の多さ

 言うまでもなく、トリガーにはティガとは全く関係のない不純物があまりに多すぎます。ティガ要素は1/3以下と言っても良いかもしれません。これでは、そもそもティガとは呼べないでしょう。なぜ令和版ティガと謳っているのか、分からないレベル。

 先にも述べたとおり、ティガの魅力の一つとして、他作品とは隔絶された、独自の世界観が展開された点が挙げられましょう。しかし、昨今のウルトラマン製作予算事情とスーツ事情を鑑みるに、ティガらしい怪獣で全話揃えるのは、はっきり言って難しいでしょう。もちろん、ティガらしい作品を作るなら、M78星雲世界の昭和怪獣が出るのはもっての他ですが、仕方ありません。そこまで頑張る覚悟と予算は今の円谷にはないので、ここは目をつぶって仕方がないと皆諦めましょう。登場怪獣がティガらしくないのは、まぁ仕方がない……としても、その他の要素にまでM78星雲要素を無理矢理入れる必要は、全くありません。

 まず、主人公らの戦闘艇、ナースデッセイ号。これは言うまでもなく、ウルトラセブンの怪獣ナースをモチーフとしているのですが、え、セブン要素、いる?

 次に、主人公らをサポートしてくれる宇宙人として、メトロン星人マルゥルが登場。メトロン星人は、これまたウルトラセブンの有名なキャラですが、え、セブン要素、いる?(2回目)

 そして、なんとびっくり、細貝 圭氏演じる、謎のトレジャーハンターイグニスが登場。これは、もはやウルトラマンは全然関係なくて、なんとスーパー戦隊シリーズゴーカイジャーに登場した宇宙海賊バスコ・タ・ジョロキアのオマージュ(演者も一緒)となっています。いやそこのオマージュは絶対いらなかったでしょっ!

 また予告映像では、ウルトラマン80の怪獣ギマイラとの戦闘シーンに尺が多く取られています。いや見たいのそれじゃないんだよね、感。

 予算の関係でティガらしからぬ不純物が仕方なく入ってしまう、というのは仕方がありませんが、こうもティガ以外の要素をいらないところで無理に入れられると、それはもはやティガではありません。少しティガ要素が混じった全く別の何か、です。

 

「シャープさ」の消失

 予告映像に登場した怪獣は、ギマイラ以外にもいて、ティガ一話に登場したゴルザとメルバを何のひねりもなく合体させた「ゴルバー」、ティガ劇場版に登場した敵、カミーラ・ダーラム・ヒュドラをモチーフとした「カルミラ」「ダーゴン」「ヒュドラム」などが登場しています。

 あくまで個人の価値観も多分に含まれるとは思いますが、私は初見では、「これティガ怪獣ではないよね」と思ってしまいました。ゴルバーのただくっつけただけ感はかつてのティガ怪獣のスタイリッシュさとはまるで別物。また、カルミラ、ダーゴンに関してはまだティガ怪獣らしさをとどめてはいるものの、ヒュドラムに関してはまったくティガらしからぬ、ヒュドラらしからぬモッサリとした造形。

 少なくとも、丸山氏ほどの洗練された造形とは言えません。

 また、ティガといえば、な戦闘機GUTSファルコンも、平成版のそれとは違ってシンプルさを欠くデザインに仕上げた上、ティガとは異なり、機体が変形して怪獣に挑むハイパーモードが設定されています。ティガをやるなら全くいらない要素ではとも思えるのですが、前作Zの特空機がウケたことに乗じてなのか、戦闘機にいらぬ変形機能を追加してしまいました。その上変形したハイパーモードは、特に怪獣然としたかっこいい造形かと言われると別にそうでもなく、良い意味でも悪い意味でも「ありきたりなロボット」感の強い造形になってしまっています。少なくとも時代の先を行こうとしたあのティガのオマージュに、「ありきたり」な造形はやはり似合わないでしょう。こういうところで点数を落としてしまうのは、非常につらいところ。

 造形物として、少なくとも私は「ティガらしさ」を感じることはできませんでした。

 

シェパードンセイバーの頃から抱く違和感

 これはギンガSにて、シェパードンセイバーが登場した頃からずっと思っていることなのですが、どうもウルトラマンの武器がチープすぎて、玩具をふりまわしている子供にしか見えない、という点。そして前作のZでは、ゼットライザーの背面を塗装しておらず、あえて玩具にみせる、チープにみせる努力をしていることが判明しましたw これだけは本当に無理で、耐えられません。どれだけ特撮が見事でも、そこで戦っているウルトラマンが、玩具で遊んでいる子供にしか見えないのですから、これはもう駄目です笑ってしまいます。今作でもトリガーは、見るからに玩具な武器を手に戦うそうですが、武器を持たないティガのオマージュ作として、これはいらなかったのではなかろうかと思われます。

 

最近の坂本浩一監督

 オマージュの神様として崇められることの多い坂本浩一監督ですが、直近の仕事であるウルトラギャラクシーファイト大いなる陰謀が目を覆うような出来であったことは、皆さんご承知の通りです(詳しくは下の記事にて)。

 

igomas.hatenablog.com

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 今の状況で、坂本浩一監督が、何かをオマージュして作品を作る、というのがいかに危険かは言うまでもありません。もちろん私自身、坂本浩一監督の回で好きな回はたくさんありますし、決して彼のアンチというわけではありません。坂本浩一作品は駄目だと頭ごなしに言っているわけではありません。ただ、今の坂本浩一監督は確実に衰弱しています。ティガのオマージュともなると、ほころびが出てくるのは必至。令和版ティガとしての成功は、十中八九ないと言っていいでしょう。

 

ともかくいえることは

 以上から、少なくとも視聴者がトリガーに、「令和版ティガ」を期待するのはお門違いです。公式は「令和版ティガ」と謳っていますが、関係ありません。「令和版ティガが成功するか」で作品を判断したら、きっと痛い目にあうことでしょう。最後には絶対製作陣に裏切られ、悲しい思いをすることでしょう。それはオススメしません。

 「家族の物語」と謳っておきながら最終回で「やっぱり家族の物語じゃなかった」と言ってみせたルーブとは異なり、今作は「ティガって言ってるけどティガじゃないよ」と放送前から製作陣がアピールしてくれています。今のうちから、ティガの呪縛から逃れ、トリガーの違う部分を楽しんでおくのが得策でしょう。

↓ルーブのあれこれはこちら

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  今我々視聴者がなすべきことは、「令和版ティガ」への展望を諦め、それ以外の部分の「トリガー」を楽しむことではないでしょうか。私が真に提案したいのは、新しい「トリガー」の楽しみ方です。もちろん、良い意味での。

 

予算はありそう

 YouTubeにて展開された、ウルトラギャラクシーファイト大いなる陰謀は、絵面のチープさから予算不足が各所でささやかれ、円谷にもうお金は残っていないんじゃなかろうか、なんて声も散見されましたが、今作の予告を見る限り予算はそこそこ使えているようです。第一話の舞台である火星や、シズマ財団、遺跡などなど、ロケ地かセットかは分かりませんが、とにかく色々な「場所」が出てきます。まったく同じ画角、同じ背景で物語が進むよりかは、マンネリ化が防げ、画としても良いものになるでしょう。これだけでもかなり期待できます。

 また、第一話放送前に既に新怪獣(闇の巨人含む)が4体発表されているというのは近年では珍しく、他にも新規怪獣が続々と追加されれば、タイガ以上に新規怪獣を拝める作品になるやもしれません。正直「毎回新しい怪獣が登場するのが当たり前」な時代から生きていた自分としては、新規怪獣はせめて多くあれと思っていますから、期待大です。

 

特撮技術・CGの進化

 ストーリー構成の面で色々とやらかしそうな坂本監督ですが、他方で本人の特撮技術はかなり高いレベルと言えるでしょう。Zでも様々な撮り方に挑んでいましたから、毎度特撮シーンでは、まったく新しい絵作りをしてくれるやもしれません。

 それからCG技術の進歩もまた、近年凄まじいように感じます。先程ティガらしさの欠片もないと批判したナースデッセイ号ですが、予告映像では格好良く映っており、期待が持てます。GUTSファルコンの発進シーンも、かなり作り込まれていそう。

 

俳優陣のコメントがどれも頼もしい

 以前、特撮俳優陣のコメントには、あまり愛のないコメントが多い、という内容の記事を書いたことがあります。どこか他人事のように語っているものや、定型文をそのまま貼り付けたようなものが多い印象です。

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  しかし今回、公式サイトの俳優陣のコメントを見ていくと、なんと愛のあるコメントの多いことか。自分の中に生きている、実体験なウルトラマンとの思い出の数々を、俳優陣が語ってくださっており、非常に読んでいて楽しいものでした。彼らのこの作品に向ける情熱は、他作品以上のものでしょう。

 

懸念事項

 さて、「令和版ティガ」ということにこだわりさえしなければ、案外面白そうなトリガーですが、とはいえ色々と懸念点は残ります。以下箇条書きで、今作が陥ってしまいそうな残念ポイントを列挙します。最終回まで見終えて複数チェックがついているようでは、単発作品としても問題ありかも……?

 

□主人公マナカケンゴの口癖、スマイル、スマイル♪ が絶妙にスベりそう。変身時の掛け声、「未来を切り開く、希望の光!」も、毎回言っているとあまりに自尊心が高い人みたいになりむしろ悪印象にならないか心配。

□GUTSハイパーキーは怪獣、ウルトラマンどちらの力も使えることになっている。キーはTPUが開発したもののはず。なぜウルトラマンの力がキーに対応しているのか。「超自然的な力でそうなった」とかだったら幻滅。だったらキーとか出さずに、原典ティガどおりタイプチェンジすればいいだけのこと。オマージュを徹底しなかった事への理由付けをしてほしい。

□ヒジリアキトが、どこにでもいそうなただの研究員みたいなキャラで終わってしまわないか心配

□サクマテッシンを演じる水野 直さんの演技が、あまりに大袈裟なものになりすぎて全くリアリティのない人間像に仕上がってしまわないか心配。

□ナナセヒマリは普段はクールビューティーで、操縦席に座ると性格が豹変するとのことだが、「クールビューティー」も「性格が豹変」も、どちらも中途半端、なキャラになりそうで心配。やるならとことんやってほしい。

□シズマミツクニ、公式サイトでは「そんな彼の過去には大いなる秘密が隠されていた!」と書かれているが、散々引っ張って物語中盤で「大いなる秘密」を暴露して、たいしたことないどうでもいい過去だった、みたいな展開だけはご勘弁。

□あえてティガオマージュを破って、わざわざメトロン星人マルゥルをレギュラーメンバーに入れておきながら、結局いてもいなくてもどうでもいいようなキャラだった、で終わるのは勘弁。

□「トレジャーハンターイグニス」と「闇の巨人」。メインヴィランを2勢力置いているようにも思えるが、これがあだとならないか心配。最終回まで見た後で、「メインヴィランを闇の巨人に一本化してイグニスを登場させなければもう少しまとまりのある話になったな」と視聴者に思わせたらダメ。

 

 以上、他にも色々思うところはありますが、本質的な懸念ポイントは以上。いや、ウルトラマントリガーに対して不安だらけじゃないかって思ったそこのあなた、それは言わないお約束(笑)

 

まとめ

 ということで、ウルトラマントリガーについて私が思うことまとめ、でした!

 予告映像を見るに、単体作品としてだけ見れば、良い出来になっているような気もします。良作・駄作どちらに転ぶか、しっかり見定めていかねばなりませんね。少なくとも上のチェックリスト全部にチェックが入ることがないようにだけ祈っておきます。

 それでは、また次の記事でお会いしましょう!igomasでした!

ウルバトのイベントクエスト、まとめてみた2

 皆さんこんにちは、igomasです。普段はウルトラマン考察や悪役考察を中心に記事を書いている者です。今回は、怪獣を育て戦わせるスマートフォンゲーム、ウルトラ怪獣バトルブリーダーズ、通称ウルバトのイベントクエストを、振り返っていきたいと思います。

 この記事を書き始めた当初は、記事をシリーズ化する予定だったのですが、残念ながら、ウルバトのサービス終了が発表されたことにより、ウルバト関連の記事は今回が最後ということになってしまいそうです。長らく応援してきたゲームでしたが、あっという間の終了で、いやはや本当に寂しいものです。

 前回、1.5周年の際にまとめ記事を出したので、今回はその後に更新されたイベントクエストを見ていきたいと思います。前回記事はこちらから。

 

igomas.hatenablog.com

 

 それでは、懐かしいウルバトイベントクエストの数々、見てまいりましょう!

 

 

ウルトラマン降臨系

ウルトラマンジードプリミティブ降臨

ウルトラマンゼット アルファエッジ降臨

ウルトラマンメビウス降臨

ウルトラマンレオ降臨

ウルトラマンガイア&ティガ・ダイナ降臨

ウルトラマンエックス降臨

 

 1.5周年が終わり、新たにウルトラマン降臨系として追加されたのが、ジードプリミティブ。ゼロが助けに来る、というオーソドックスな内容となっています。ベリアルをリーダーにすると高難易度クエストに変わるという仕様もありましたね。

 続いて、現行放送作品として、ウルトラマンゼットが参戦。オリジナルではなく、アルファエッジの姿での参戦でした。特空機一号セブンガーも登場し、ゼットらしいクエストになっていましたね。なにげにゼットよりもこのセブンガーが厄介で、必殺技がかなり強く、どういなすかが勝敗を分けましたね。

 メビウス降臨では、GUYSの戦闘機、ガンフェニックストライカーが参戦。やはりメビウスにはGUYSがよく似合います。スキル名が「俺達の翼」なのはアツい。ファイヤーウインダムも参戦したのは、やや意外でしたね。どうせならミクラスも見たかった感はありますが(笑)

 昭和ウルトラマンから、皆さんお待ちかねのレオ降臨。レオといえば、敗北からの特訓、そして再戦での勝利でありますが、今作でも、一度レオを倒した後、レオが再戦を挑んでくる、という原作再現が見事でしたね。エキスパートでは、アストラとのタッグで、ブリーダーたちに立ちはだかります。ウルトラダブルフラッシャーをいかにいなすかが大事になってくるクエストでありました。

 年が明けての正月イベント、ガイア&ティガ・ダイナ降臨がやってきました。BGMにはガイアのエンディングテーマであるBeat on Dream on が使われていましたね。これまでは戦闘BGMやオープニングでしたが、エンディングは使われていなかったことと思います。エンディングにも色々と名曲はあるのになぁと思っていた矢先だったので、非常に嬉しかったですね。お正月イベントはいつも、新年お祝い、というよりかはブリーダーを潰しに来る勢いの高難易度で、このクエストもかなり苦戦した思い出があります。ティガをさっさと倒して、ダイナをタイプチェンジさせる余裕なく早めに倒して、ガイアを能力ダウンでなんとか仕留める、というのが非常に難しかったです。当時、レジェンド怪獣はグリーザくらいしか持っていなかったので、グリーザが避けるかどうかの勝負、みたいなところはありましたね(笑) かなり苦戦したので、今でも良く覚えているクエストです。

 ウルトラマンエックス降臨では、エックスとサイバーゴモラが共闘。エックスは怪獣以外で攻撃するとほとんどダメージがないため、怪獣艦隊で挑むと毎ターン1500ダメージを喰らい毎ターン味方の怪獣が倒れていくという、攻略法を知らなければ力技でもまったく勝てないレベルの強敵。まぁここまでは、怪獣・宇宙人の混成パーティーで挑めば良い、という簡単な話なのですが、問題はサイバーゴモラ。この怪獣、ロボット怪獣で挑まなければほとんどダメージが出ないのです。が、私igomas、一体もロボット怪獣を持っておらず、まったくもってサイバーゴモラに歯が立たない事態に。エックスに傷ひとつ付けられないまま、サイバーゴモラの前に散っていきました。最終的にはフレンドさんの怪獣とサイバーゴモラを相打ちに持って行き、残りの怪獣でエックスと戦うことに。エックス対策として連れて行ったグリーザも一ターン目以外はまったく攻撃を避けることなく早々と散る始末。悩みに悩んだ末いわゆるハメ技を見つけ、パワードバルタン星人に頑張ってもらいました。

 

・怪獣降臨系

暗躍する無幻魔人-猛攻の大魔王獣-

マガグランドキング(マガ一閃)降臨

恐嚇の超時空魔神

無法なる怪獣惑星 大怪獣バトル開幕!?

強化ケルビム襲来

宇宙恐竜の系譜

終焉を呼ぶ稲妻

強化イカルス星人襲来

堅牢なる超合体怪獣

決戦!殲滅機甲獣デストルドス

ベリアル銀河帝国の幻影ふたたび

灼熱と極寒の戦い

強化サラマンドラ襲来

リターンオブデストルドス 文明自滅ゲーム

さらばバトルブリーダーズ

 

 1.5周年を彩ったのは、オーブ関連のクエストでしたね。歴代イベントクエストの中でもトップレベルの完成度を誇るオーブオリジン降臨や、前回記事でも書いた通り、私igomasが魔王獣の完璧な連携に翻弄され死闘を繰り広げた暗躍する無幻魔人―魔王獣ふたたび―。これらさまざまなクエストが展開されたわけですが、1.5周年の後半に出たクエストが、この暗躍する無限魔人-猛攻の大魔王獣-であります。このクエストの目玉は、なんといってもマガオロチ。環境をぶっ壊しに来た強力な魔王獣の参戦は、結構話題になりましたね。しかしクエストとしては、さほど難易度は高くなく、サクッとクリアできたことを覚えています。むしろ暗躍する無幻魔人―魔王獣ふたたび―の方が難しかったのではなかろうか。

 続いてマガグランドキングが降臨。魔王獣の技違いとは、なかなかにコアなチョイス。マガグランドキングの技違いがあるなら、マガジャッパの技違いも欲しいなぁ、なんて、この時期は思っていましたね。サ終が悲しい。

 後夜祭も終わり、新たな第一歩を踏み出したウルバト。新レジェンド怪獣、超時空魔人エタルガーが参戦します。エタルガーは、エタルダミーを召喚。ブリーダーの使う怪獣に合わせて出現する敵怪獣が、タイラント、キングオブモンス、ファイブキングと変化するクエストでしたね。いかにもエタルガーらしいクエストでありました。エタルガーは本編でも「堅い」ことで有名ですが、堅さを重視したステータスになっていましたね。

 無法なる怪獣惑星 大怪獣バトル開幕!?は、この半年の中でも最高のイベントクエストでしたね。怪獣三体を使役し戦う大怪獣バトルの世界観を堪能させてくれる、素晴らしいクエストでありました。イベントクエスト中は、ミニゲームが挟まり、かつてのスピードバトル、アタックバトルを再現!これにはシビれましたねぇ。ハードではケイトのパーティ、エキスパートではレイのパーティと熱い戦いが繰り広げられます。本来ならば、スピードバトル、アタックバトルの再現は、テレビ本編よりアーケード版を彷彿とさせるため、当時のストーリーモードの怪獣とも戦ってみたかったですね。常設化してほしいレベルの、非常に良いクエストでした。

 久しぶりの強化クエスト、強化ケルビム襲来。ケルビム、ゲランダ、メルバという、珍しいトリオとの戦いでした。私igomasは、力属性の怪獣を主に育成しているため、ゲランダ、メルバの速属性コンビに苦戦したのを覚えています。三体の連携は、かなりのものでしたね。強化クエストも、少しずつ難しくなっていきました。

 宇宙恐竜の系譜では、ゼットン軍団が参戦。ゼットン、イマーゴ、デスサイス、マガ、EXと、思い返せば相当な数のゼットン族が、ウルバトに参戦していましたね。エキスパートではゼッパンドンにペダニウムゼットンなどの融合獣も参戦。世代を超えて愛されるゼットンを、実に堪能できたクエストでした。

 そして、ついに終焉を呼ぶ稲妻にて、グリーザ第二形態が参戦します。いやぁ、これはアツかったですね。私igomasも、このグリーザ参戦には熱狂せざるを得ませんでした。このクエストが、他と一線を画す点は、これまでその殆どが、ナヴィの作ったデータとの戦いであった一方で、このクエストに登場したグリーザは、正真正銘ホンモノのグリーザだという点。サイバー空間において、無を有に変換する(その対価として、サイバー空間そのものが消滅する恐れのある)プログラムをあらかじめ作っていたナヴィが、このプログラムをグリーザに適用したことで、グリーザは実体化。ブリーダーらによってなんとか倒されます。惑星ウルバトが消えかけたのは後にも先にもこの一回で、さすがはグリーザといったところでしょうか。

 さてクエストの内容ですが、こちらは特筆することもない、割とオーソドックスなものでしたね(笑) 力・技・速三属性の怪獣が揃っていれば、グリーザの回避率がアップするため、倒す順番さえ注意すればよい、というクエストでした。とはいえ、このクエストで、ダークサンダーエナジーを浴びた怪獣やグリーザが、ウルバトに大量参戦したという意味では、重要なクエストだったといえましょう。その後、無事グリーザがウルバトに参戦。その優秀すぎる回避率はウルバトの歴史を大きく変えることとなりました。ちなみに私igomas、グリーザ最速購入を見事勝ち取りました! やったね!

 強化イカルス星人襲来では、次元にちなんだ一癖も二癖もある怪獣・超獣たちが登場しました。難易度としてはかなり易しめでしたね。フィールドをバタバタ動き回っているバキシムが可愛くてそして厄介だった(笑)

 堅牢なる超合体怪獣にて、グランドキングが参戦。なにかと不遇気味であった昭和怪獣を救わんと、ウルバト界に現れました。防御力の高い堅牢なこの怪獣を倒すべく、立ち向かうブリーダー。クエスト中にはウルトラ6兄弟が応援にかけつけ、彼らとともにグランドキングと戦っていきます。

 二周年に登場したバランスブレイカー、デストルドス。デストルドス一体でほとんどのクエストがクリアできてしまうほどのぶっ壊れ性能で、デストルドスの参戦はウルバトにとっても大きな一つの節目でありました。さて、決戦!殲滅機甲獣デストルドスですが、デストルドスに加え、ゲネガーグ、ブルトン、ケルビム、ベリアル融合獣といった、セレブロにちなんだ怪獣が多数登場しました。エキスパートでは、スカルゴモラ、サンダーキラー、ペダニウムゼットンそれぞれを攻撃することで、特定の属性の能力がアップする、という仕様がありました。この性質を利用し、キリエロイドIIの属性チェンジと掛け合わせて、キリエロイドIIをあっという間に超強化し、1ターンでデストルドスを周回する、というプレイングが流行りましたね。バグを使わず正攻法での楽々攻略法ということで、当時話題になりました。

 ベリアル銀河帝国の幻影ふたたびは、アークベリアルの参戦クエスト。時空揚陸舟艇 デルストから放たれるダークロプス部隊をかいくぐり、アークベリアルを倒すというこのクエスト、アークベリアルの必殺技範囲が広くてまぁ苦戦しましたね。とにかく力こそパワー、殴って殴って殴りまくれ、みたいなクエストで、なぜクリアできたのかもあまり良く覚えていません(笑) 必殺技範囲からいかに離れるか、がポイントでした。

 灼熱と極寒の戦いは、属性が炎と氷の怪獣が大量に登場するクエストで、火炎、凍結の状態異常が苦しいクエストでありました。また味方が状態異常になると相手が強化されるというシステムでした。マガパンドンの脅威を身をもって感じたクエストでした。それからレイキュバスの活躍が見られたのは嬉しかったですね、好きな怪獣なもので。

 強化サラマンドラが襲来は、とにかくサラマンドラの復活が面倒くさかった、ただそれだけ、みたいなクエスト。味方5体で何度沈めても何ターンもの間復活され続けて、このクエストいつ終わるんだと戦々恐々した思い出があります。

 リターンオブデストルドス 文明自滅ゲームでは、ゲネガーグにベリアル融合獣、ファイブキングにデストルドスと、セレブロが操ってきた怪獣らとの連戦でありました。ブルトンも現れ、ウルトラマンZの物語を振り返るようなクエストでしたね。

 そして、あっという間のサービス終了。さらばバトルブリーダーズ!では、ナヴィの統括者が現れ、ギャラクトロン部隊を召喚。またハードではニセウルトラマン軍団、エキスパートではレジェンド軍団と、怒濤の大決戦。ノーマルの時点でかなり難易度が高く、さすがは最後のクエスト。むしろこれ以上ウルバトが続いていたら、クリアできる気が微塵もしないくらい無理難題なクエストになっていたのではないでしょうか(笑)

 

・その他のクエスト 

・防衛クエス

特空機1号セブンガーを守れ!

 特空機1号セブンガーを守れ! は、目がバッテンになったセブンガー(かわいい)を守るため、ブリーダーが迫りくる怪獣を撃退する、というクエスト。ゼット本編に登場した怪獣らが襲いかかってきましたね。特空機2号ウインダムも応援に駆けつけ、ブリーダーをサポートしました。

 

・連戦クエス

ニュージェネ編

連戦クエストも、細々と更新。ニュージェネ編では、第一話の怪獣が登場。ギンガSからもしっかりEXレッドキングが登場していましたね。

 

・共闘ミッション・ランキング

暗躍する無幻魔人-猛攻の大魔王獣-ジャグラスジャグラーに最大ダメージを与えよ!

エタルダミーを撃退せよ!

迫りくる怪獣を撃退せよ!(特空機1号セブンガーを守れ!)

食欲の秋!怒涛のツインテールざんまい

最大ダメージランキング「ハイパーゼットン(イマーゴ)を倒せ!」

共闘ミッション「カボチャを収穫せよ!2020」

共闘ミッション「黒き稲妻の束縛から怪獣たちを救え!」

2周年記念ランキング グランドキングを撃退せよ!

共闘ミッション「ガイア&ティガ・ダイナに全力で挑め!」

討伐ポイントランキング「灼熱と極寒を超越せよ!」

共闘ミッション「愛と善意のチョコを獲得せよ!」

討伐ポイントランキング「エタルダミーを撃退せよ!」

 共闘ミッション・ランキングも、色々となされてきました。リリース当初に比べ、今年は復刻クエストが多かった印象ですが、ランキングの方はずっと新しいものが開かれ続けていました。ブリーダーの我々も、ランキングがあったからこそ、既にクリアしたことのあるイベントでも、また新たな気持ちで取り組めたのではないかなと思います。常に色々とイベントを模索してくださった運営さんには、感謝です。

 

・まとめ

 ということで、以上、ウルバトイベントクエスト総振り返りでありました!

 ウルバトは、自分の中でもかなり思い入れのあるゲームでした。リリース当初、相棒怪獣に悩んでいた私が、少しばかり興味のあったマガジャッパを使ったのが、すべての始まり。あっという間にマガジャッパの魅力に引き込まれ、Twitterの方でもマガジャッパ関連のツイートをたくさんするようになったのはいい思い出です。

 マガジャッパがいたからこそ、Twitter等のメディアにて、ウルトラマン関連の話をするのが自分の中でとても楽しくなっていましたし、そしてその思いが、このブログを生んだのも事実です。マガジャッパとの出会いと、ブログ創設に至る重要な転換点を担ったのが、このウルバトでありました。

 ウルバトは、ジオラマ怪獣図鑑を残しそれ以外はすべて撤去されてしまいます。サービス終了までの短い期間ではありますが、ウルバトというゲームをめいいっぱい楽しんでいけたらと思っています。

 ウルバトのサービス終了に伴い、Twitterや本ブログも、新たな転換点に立たされたと言えましょう。これからも本ブログを、温かい目で応援していただければ、幸いです。それでは、また次の記事でお会いしましょう、igomasでした!

SSSS.GRIDMANの惜しいポイント

 皆さんこんにちは、igomasと申します。普段は、ウルトラマン考察、悪役考察を中心に活動している者です。今回は、最新作SSSS.DYNAZENON公開により人気が再燃している、アニメ、SSSS.GRIDMANについて、触れていこうかと思います。

 本作は、1993年に放送された特撮作品、電光超人グリッドマンの続編に当たるアニメ作品であり、特撮の世界観をアニメーションで描く、という異色作。ビルの倒れ方、怪獣の暴れる様はまさに特撮のそれで、アニメ界、特撮界ともに新たな可能性を示してくれた作品でもありました。

 さて本作、ウルトラマンファン界隈では、名作として多方面から絶賛されている作品ではありますが、では手放しに褒められる作品かと問われれば、私は違うと考えています。無論、心に響くような巧みなカットや、アツい展開はたくさんありました。しかし、それを考慮してもなお覆い隠せない、改善すべき部分が何点かあるのもまた事実。自分からの評価としては、名作の一歩手前、優良作、といった評価です。

 今回は、SSSS.GRIDMANのどこが素晴らしく、そしてどこが惜しいポイントなのか、について述べていきたいと思います。まぁ、惜しいポイント、と言っても、ある程度個人の好みや価値観を大いに含んだ内容となっておりますので、「そういう意見もあるのか」くらいの気持ちで見ていっていただけると幸いです。

 なお、本記事はかなりのネタバレを含むため、ネタバレが嫌だよという方は、一旦全話視聴してから読むのもよいかと。というかウルトラマンファンで本作未視聴の方は、是非とも一周しておきましょう!

 それでは、SSSS.GRIDMANの良い点、悪い点を、順に見ていきましょう!

 

 

・特撮をアニメーションに組み込む秀逸さ

 今作、SSSS.GRIDMANでは、先にも述べましたが、特撮作品のビルの倒れ方、車の飛び散る様子などが忠実に再現され、実にリアリティのある絵面になっています。また、怪獣の造形等も、中に人が入る着ぐるみを想定したものになっており、特撮作品らしい絵作りを意識したものとなっています。

 一方で、アニメーションならではの表現法も巧く取り入れられており、ロボットの合体シーン、戦闘時のカメラのアングル等は、往年の名作をオマージュしたものになっています。特撮作品の持つずっしりとした重さと、アニメーションの持つ軽快な場面転換とが、うまくかみ合っているのが、今作の光る部分であります。

 

・新規怪獣の大盤振る舞い

 今作の怪獣は、3DCGで制作されています。恐らくは、実写特撮作品にて着ぐるみで新規スーツを制作するよりも、3DCGの方が予算はかからないのではないかと思われ、毎回のように新怪獣が登場していました。これは、近年のウルトラマン作品のスーツ事情からすれば(たとえば、新作ウルトラマンZの新怪獣は25話中4体だけ)、破格の大盤振る舞いと言えるでしょう。この怪獣大量放出は、非常にアツくなりましたね。やはり、既存の怪獣の着ぐるみを何度も何度も使い回していると、絵面として飽きてきてしまいますし、予算カツカツでやってるんだなと、見てるこっちが悲しくなってきてしまいますから、この大盤振る舞いには本当に大満足です。

 新怪獣はどれも個性的でかつ魅力的であり、毎回「今日はどんな怪獣が出てくるんだろう」とワクワクする懐かしい感覚を思い出させてくれたのは、今作の大きな功績でありましょう。円谷は、怪獣特撮をテレビで見られるようにしたい、という理念で設立されたことを鑑みるに、本音を言うと、ニュージェネレーションが始まった今でも、毎回新怪獣を出すくらいのことはしてほしいとずっと思っていました。私の好みにマッチした、神采配だったなと感激しています。

 

・新条アカネは悪役か

 しかしながら、SSSS.GRIDMANの最大の問題点として挙げられるのが、これら怪獣を統率するメインヴィラン新条アカネの描き方です。私igomasが、一番もの申したいのはこの部分。彼女は、本作で、本当に「悪役」であったのか、ということ。

 本作の世界観は、物語後半にて明かされるのですが、コンピュータの中にあるデジタルな世界。登場人物も、コンピュータ内のデータでしかありません。アカネの作ったデジタル世界で生きる住人、それが、六花たちなのです。

 新条アカネは、現実世界にて登校拒否をして、自らの作ったこの世界、この街で、一般人として暮らしていました。しかし、自らの作ったデジタル世界の中ですら、クラスメイトや住人たちとのわだかまりがやがてストレスとなって爆発し、その衝動が、怪獣を生み出し、暴れさせていました。

 主人公らは、新条アカネは酷いと揶揄します。自分の気分次第で、怪獣を暴れさせ人を殺すなんて、許せないと団結し、立ち向かうわけです。新条アカネは許すことの出来ない巨悪だと、誰もがそう決めつけているのです。

 しかし、そもそも新条アカネを、そう悪役と決めつけてよいのでしょうか。いや、人間悪いところもあるけど良いところもあるとかそういう話ではなくて、根本的に悪役なのか、ということです。

 主人公らデジタル世界に生きる人間は、いってしまえばデータでしかありません。言ってしまえば、マリオでいうクリボーのような存在。皆さんはマリオのゲームをプレイしているときに、クリボーを倒すたび、罪悪感に苛まれるでしょうか。ほとんどの方はそうは思わないはずです。別にデータとしてのクリボーが倒れようがなんとも思わないし、なんなら「やったー倒した」と喜ぶはず。

 無論、主人公らはクリボーではありません。悪意を持ってプレイヤーに攻撃を仕掛けてくるわけでもありません。しかし、根本的な部分はそう違わないはずです。デジタル世界のデータ、という意味で、両者は同じ存在とも言えましょう。

 特に、アカネはこのデジタル世界を作った人間です。ゲーム製作者が、いらないと思ったキャラを没にする、だとか、テストプレイがてら雑魚敵を倒す、とか、そんなことは日常茶飯事。それが、果たして疑いなく悪だと決めつけられるでしょうか。そんなはずはありません。

 クリボーではよくて、デジタル世界の住民では駄目。その境はどこにあるのでしょう。思うにそれは、デジタル世界の住人が、「自律的に行動している」点にあると思われます。彼らは、決してコンピュータのプログラムによってNPCの如く動く存在ではなく、一人一人が考え、自分の意思をもって動く存在、なのでしょう。だからこそ、ただのデータとして扱ってはいけない。新しい「命」として扱わねばならないのだ、というのが、今作の製作陣の伝えたいことなのでしょうね。でもそれを描けていない。描かなくてはならない。

 デジタル世界の住人をその世界の創造主が殺害することは、ごく普通の行為なのか、それとも大いなる過ちなのか、どう感じるかは、人によって様々だと考えています。データがまるで自分の意思で活動しているように見えても、実際は高度なプログラムで動いているだけだった、ということも往々にしてありますから、外の世界の者からすれば、そのデータが自分の「意思で」行動しているのかなんて分かったものではありません。クリボーみたいな存在だと思ってそのデータを削除したとしても、特に責められる必要はないのではないか、というのが、私の意見です。このように、主人公たちデジタル世界の住人は、絶対に守られるべきだ、と考える人もいれば、そうアカネのしていることが悪いことではないのでは、と思う人もいるでしょう。

 それを、作品の方向性として、アカネを悪役に描きたいのであれば、たとえデータ上の存在であったとしても彼らを「人間」のように扱うべきだ、ということを、作中一度でも、たった一度でも、描いておくべきでありましょう。

 しかし、この点について、まったく作り手は触れていません。作り手は、暗黙の了解として、主人公らデジタル世界のデータは、守られるべきだ、新条アカネは許されざる悪役だ、としています。そして、当たり前のようにアカネが劇中にて責められ、視聴者からも悪として、サイコパスな女として認識されているのです。

 ここで最大の違和感を発揮するのが、最後にアカネが六花に「ごめんなさい」と謝るシーン。アカネが当たり前のように謝っているこのシーンが、どうもスッと納得できない。「アカネがしたことって、そんな酷いことなのかな」と一抹の疑念がよぎって、離れない。

 アカネがしたことは本当に悪なのか、について、まったく触れられていないため、気になる人には無性に気になる、そういうシーンになっているのです。

 

・原作要素の回収の巧みさ

 ところどころの描写不足な部分や、個人の好みによって差が出る部分の多い作品ではあるものの、今作の優れた点は、「作品において絶対にこれだけは外せない2点」をしっかり押さえているところ。

 原作にあたるところの、電光超人グリッドマンにて物語が展開されるのは、あくまで現実世界です。機械の中で怪獣が暴れることによって、その電子機器が異常をきたし、現実世界に実害をもたらす、という物語でありました。本作でも、この、現実世界とコンピュータ世界との関係が描かれています。他ならぬ新条アカネが、現実世界の住民として登場し、コンピュータ世界を作った張本人として自由気ままに世界を作り替えます。新条アカネは、なにゆえ街を作り出したのか。その理由は、彼女が現実世界において、心に傷を負ったからでした。心の傷の原因は、劇中では明らかにされません。とにかく、新条アカネは、不登校になり、家に閉じこもっていたのです。

 そして、悪役であり、創造者であるところのこの新条アカネの心が救われるというのが、最終的な物語の流れでした。主人公らのいるコンピュータ世界は無事今後も存続し、新条アカネも、コンピュータ世界に残り現実逃避することをやめ、前を向いて現実世界へと帰って行く。これが今作の終着点でありました。

 この終着点を描いた以上、絶対に作品として書かねばならないのが、「アカネの社会復帰」でした。本作の真の主人公とは、新条アカネに他なりません。この作品が全話かけて描いたのは、響裕太の成長物語ではなく、アカネの心の変化なのですから。だからこそ、アカネの終着点は描かねばならなかった。そして、原作グリッドマンとの関わり合いとして、どうしても構造上「実写」の映像が必要不可欠でありました。原作が実写作品で、物語の終着点が「現実世界」ならば、実写映像を入れない方が不自然というもの。無論、アニメに実写映像を入れ込むというのは製作陣も多少難儀した点はあったでしょうが、最後の実写シーンは名采配であったというか、なくてはならない要素をきちんと押さえたな、という点で評価の高いところ。

 もう一つ、SSSS.GRIDMANの優れている点が、原作の戦闘シーンをアニメで見事再現した、という点。本作は、電光超人グリッドマンの続編を謳いながらも、グリッドマンの造形は、プロテクターに包まれ、よりシャープになっており、原作とは雰囲気もかなり異なったものとなっていました。それが最後、彼はプロテクターを解き、かつてのグリッドマンとして大地に降り立ちます。アレクシスケリヴとの最終決戦では街が破壊され、電光超人グリッドマンで登場したコンピューターワールドが開けます。この最後の展開は、非常に素晴らしいものでしたね。当時の、平成初期を彷彿とさせるキャラの動き、手描きの作画、すべてが上手くかみ合っており、これぞ電光超人グリッドマンの正統続編、と呼ぶにふさわしい魅せ方をしてくれましたね。

 

・SSSS.GRIDMANは、グリッドマンなのか

 ここまで説明したとおり、今作が、グリッドマン続編として絶対に外せない2ポイントだけはしっかり抑えているのですが、逆に言えば、その2ポイント以外はさしてグリッドマンぽくないというのがある種の難点。

 原作、電光超人グリッドマンの何が一番素晴らしいかって、それまでの怪獣特撮が、「街に怪獣が現れた。ヒーローに変身して立ち向かえ」といった一辺倒なものであった中、「現実世界に怪獣は現れないが、怪獣がコンピュータ内で暴れれば現実世界にも影響が出てしまう」とした上で、「誰も知り得ないようなコンピュータ世界で密かに繰り広げられる少年少女らの激闘」を描く点にあるのではないでしょうか。それまであった怪獣特撮作品の前提をがらりと変えたその作風が、受けたのではないでしょうか。

 本作にその魅力があるかと言われれば、正直言ってそんなものはありません。作りとしてはとてもシンプルで、まさに「街に怪獣が現れた。ヒーローに変身して立ち向かえ」といった一辺倒なもの。もちろん、原作要素が引き継がれている点は多少あるものの、原作のもっとも魅力的であった要素がこうも廃絶されてしまうと、果たしてこれは本当に「電光超人グリッドマンの続編」と呼んでしまっていいのだろうか、と疑問を抱かざるを得ません。

 

・ナナシの秀逸さとタイミングの悪さ

 今作に登場した怪獣のデザインや設定が、かなり魅力的であることは先に述べたとおりですが、その代表格が、ナナシ。このナナシという怪獣は、初登場時にはナナシAの形態で登場します。これがまた、不抜けたアトラク用の着ぐるみのような見た目をしているんですよね。あまりのやる気のない戦いぶりが逆に恐怖心を煽りました。倒されて後も消滅することなくその死体が街に転がったまま、というのも不気味でしたね。

 そして夜になると、ナナシAの中から着ぐるみを脱ぐかのように出てきたのが、ナナシBであります。その針金で出来たような尖ったデザインは、まさに「ナナシAの骨格」。見てはいけないものを見てしまったような気分にさせてくれます。ナナシBは、もう手とか足とかそういうの関係ないよと言うが如く、ふらふらひょろひょろ回転しながら街中を飛び跳ね跋扈します。えぇとても、不気味な絵面です。この独特の動きは、怪獣としてもかなり珍しく、本来ならそのインパクトで後世語り継がれる怪獣となっていたでしょう。

 しかし、ここで惜しかったのは、数年前に「独特の動き」をする怪獣が登場していたこと。皆さんご存じ、ウルトラマンエックス最終話登場の、虚空怪獣グリーザです。この怪獣については、ウルトラマンZの記事でも触れていましたね。

 

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 このグリーザ、かなり奇怪な動きをします。つねにふらふら前後左右に揺れているような動きで、よたよた歩いているように見えますが、いざ敵の攻撃が来れば素早くかわし、反撃。地面に倒れても予備動作なくふらりと立ち上がり、背中からわけの分からない光線も放ちます。この、「明らかにこの世に存在してはいけない、異形のもの」感が、どうもグリーザとナナシBとで似ているのが、難点であったなと。もちろん、こと細かく見れば、両者の動きは全然違いますし、なんとなくふらふらよたよた歩いている、捉えどころがない、という点を除いては、両者の怪獣としての性質は異なります。しかし、そうだとしてもやはり初見で「あ、グリーザだ」と思ってしまうほどに、両者をはっきりと分ける描写の違いが薄かった。そして制作陣が思っている以上に、グリーザの影響力が高すぎた。

 ナナシBという怪獣は、たしかに魅力的かも知れませんが、グリーザ登場からほんの数年しか経っていない時に出したことで、「グリーザの二番煎じ」的なイメージがどうもついて離れず、惜しかったな、というポイント。どうもこの怪獣に関しては、ただただタイミングが悪かったとしか言えません。グリーザの影響力の大きさを考慮し、適材適所で怪獣を運用していれば、もう少し怪獣の総じての魅力アップに繋がっていたやもしれません。

 

・商業展開の巧さ《ヒロインとロボット》

 私がその作品を評価する際には、その作品が商業展開においてどのように成功しているか、も参照することが多いです。例えば、ウルトラマンの作品を考慮する際、その作品放送時に販売されていたソフビ人形の出来なども加味して評価しています。さて今作でありますが、その「商業展開」においては、概ね大成功したと言えましょう。

 第一に、ヒロイン2人体制が非常に上手くマッチしていた点。今作では、六花とアカネの二大ヒロインを据え、ファンを分散させたのがお見事でした。六花とアカネ、それぞれのキャラの持つ身体的特徴、魅力を完全に分けることで、それぞれのファン(まぁ有り体に言ってしまえば、フェチ)の方々に、関連商品が売れるようにしていたのです。ヒロインの特徴を2分したことで、ファンの棲み分けを巧みに行った、と言えましょうか。正直、やや行き過ぎな感はあったといいますか、オタクに媚びる感じが受け付けないという人にはとことん駄目な商業路線ではありましたが、一部のファンには盛大にウケたのですから、これはこれで一つの商業のあり方ということなのでしょう。

 第二に、ロボットファンにも巧みに商業展開していた、という点。発売されたフィギュアでは、アシストウェポンとの合体ギミックが見事に再現されていましたね。グリッドマンとアシストウェポン4人とが合体したフルパワーグリッドマンや、アシストウェポン4人のみの合体ロボ、パワードゼノンへの変形も可能と、てんこ盛りの充実度でありました。ほとんど余分なパーツを出さず、通常形態、フルパワーグリッドマン、パワードゼノンの3形態変形を可能にし、またその3形態それぞれが秀逸なデザインにまとまっている、というまさに神業。このギミック自体は原作、電光超人グリッドマンで原型ができていたものの、本作でさらにブラッシュアップされたと言えましょう。この緻密な合体構造は、ロボットファンにはかなりウケたのだろうと思います。

 二大ヒロイン構造と、3形態変形の合体構造。この二点において、本作SSSS.GRIDMANは、他作品に比べ商業展開として頭一つ抜きん出ていたと言えましょう。

 

・脚本がネクサス

 最後に、どうもやはり気になってしまうのが、SSSS.GRIDMANの話運びが、どうもウルトラマンネクサスと似通ってしまっている、ということ。どちらの作品も長谷川圭一氏が脚本を務めているということからも、物語の流れが似ているというのは、多少は仕方のないことではありますが、それにしても似すぎているぞ、と言いたい。

 物語には様々なパターンが存在しますが、本作はいわゆる「謎だらけの世界の物語」と言えましょう。謎、と言っても、推理小説のようなメジャーなタイプの「ごく普通の世界で事件が起こり、それを解決していくうちに、主人公が重大な真実を見つけ出す」タイプではなく、「最初からなにもかもが謎だらけ、なんの情報も提示されない謎の世界に主人公が放り出され、そもそもこの世界はなんなのか、今現在いったい何が起こっているのかも分からないまま主人公らが悪戦苦闘し、その真実を、最終的にすべてを知っている神視点の他者から教えてもらう」というタイプのストーリーになっています。謎を解くタイプの作品ではややマイナーと言っても良いくらい稀有なパターンなのですが、ネクサスもSSSS.GRIDMANも、同じ話運びのパターンになっています。

 また、ネクサスは、「ノアがザギに負け本来の姿を失い、弱体化した姿で怪獣と戦っていたが、最終的に本来の姿を取り戻しザギに勝利する」物語であったのに対し、SSSS.GRIDMANは、「グリッドマンがアレクシスケリヴに負け本来の姿を失い、弱体化した姿で怪獣と戦っていたが、最終的に本来の姿を取り戻しアレクシスケリヴに勝利する」物語です。文字化するとそっくりそのままトレースしたかのような物語だと分かるでしょう。また、両作品のラスボスであるところのザギとアレクシスケリヴは、どちらも自身を不死身と謳っていることや、怪獣を生み出す力を持っている点、人の心の闇につけ込もうとする態度など、設定上非常に似通った点の多いキャラクターとなっています。またキャラクターの動きなど、SSSS.GRIDMANがネクサスを明らかにオマージュしているような描写も見受けられました。

 もちろん、自分の作品をセルフオマージュする、というのはよくある話ですし、同じ脚本家だから話が似る、というのも分かります。しかし、こうも細かいところまでまったく一致するとなると、今作が一から作り上げられた完全新作、とはとても言えないな、とどこか思ってしまうのです。

 

・まとめ

 ということで、私igomasがSSSS.GRIDMANについて感じたことを、つらつらと書いてみました。こうしてみると、本作がいかに「抜きん出て素晴らしい良ポイント」と「うーんと首を捻ってしまう残念ポイント」をどちらも多分に含んだ作品かということがおわかりいただけたでしょうか。

 私としては、良い点も悪い点もない平凡な作品よりかは、良い点も沢山あるが残念ポイントも沢山ある両極端な作品の方が好みなので、まぁこれでも近年の円谷作品の中では指折りで好きな作品ではあります。ただ、冒頭にも述べたとおり、やはり手放しに褒められる作品ではないかな、と思ったので、今回記事にした次第であります。

 それでは、また次の記事でお会いしましょう!igomasでした!

ウルトラマンゼロに学ぶデザイン論

 

 私のパソコンには、書きかけの記事が山のように溜まっておりまして、書き始めようと思ったものの続きを考えあぐねて出していない記事や、そもそも記事を書くまでの作業量の多さに疲弊して途中でリタイアした記事など、その内容は様々ですが、最近時折そうした記事を掘り起こしては、少しずつ書き足すということをしています。今回はその一つ。

 以前、ウルトラマンゼロについて触れ、彼がいかに「設定」の優れたウルトラマンであるか、という記事を出したことがありました。今回はその第二弾。ウルトラマンゼロの「デザイン」の素晴らしさについて、語っていきたいと思います。

 

igomas.hatenablog.com

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 なお、私igomasは、特にイラスト関連のプロというわけでもありません。ほんとド素人なので、あまり詳しいことは語れていないとは思いますが、素人目に見ても、ウルトラマンゼロがどれだけ秀逸なデザインかということが伝われば、幸いです。

 ゼロは、時代を変えたウルトラマンの一人、と賞されることが多いですよね。10年以上前の初登場時から、人気はかなりのものでしたが、今現在に至ってもその人気は衰えておらず、日本のみならず中国や、世界でも大人気のウルトラマンの一人です。初代ウルトラマン、平成最初のウルトラマンティガ、という錚々たる「時代の節目を担った大御所」と並んで扱われることも、最近ではたびたびあります。本記事では、この二人のデザインと合わせて見ていきたいと思います。

 初代ウルトラマンは、かの有名な成田亨氏によってデザインされ、原案ではシンプルさを追求した造形となっていました。この原案は、現在我々がよく目にする「ウルトラマン」のそれではなく、カラータイマーや、目の部分のスーツアクター用の覗き穴などは、描かれていませんでした。現在各所で予告編が公開されている、「シン・ウルトラマン」の造形が、現在最もこの原案に近いデザインとなっています。

 先程、原案にカラータイマーや、スーツアクター用の覗き穴はなかった、と言いましたが、これらはスタッフによって追加された要素であります。もちろん、単体作品として見れば、カラータイマーや覗き穴など、シンプルからかけ離れたものを追加するのは野暮だったのかもしれません。しかし、その極限まで追求されたシンプルさに、アクセントとしてのカラータイマー・覗き穴が追加されたことが、ウルトラマンというキャラクターを魅力的にみせたのも確かで、思うにこれがなければ、今ほどのシリーズ化には至っていなかったのではないか、と思えるほどに革新的でありました。

 全ての原点にして頂点。今でもなお魅力を欠かないそのデザインは、後世に多大な影響をもたらしました。大きな要素としては、昭和ウルトラマンの全ての体色が、赤と銀で構成されていることが挙げられます。またゾフィー、ジャック、ウルトラの父ウルトラの母ウルトラマン80などにはモロにそのデザインが参考にされています。

 シリーズが続くにつれ、当初は、ウルトラマンウルトラセブンは、別世界の存在、ということになっていましたが、やがて設定が変わってゆき、各作品のウルトラマンたちは、皆M78星雲ウルトラの国出身の兄弟(先輩後輩みたいな関係)であるということになっていきました。

 この、ウルトラマンに始まる昭和ウルトラシリーズで定着した、「体色は赤・銀からなる」「皆が同じくM78星雲」という二大前提を覆したのが、平成初のウルトラマンウルトラマンティガであります。ティガは、そもそもM78星雲出身のウルトラマンではなく、体色も、赤・銀だけでなく、紫が使われています。また、タイプチェンジ能力を持ち、赤と銀のパワータイプ、紫と銀のスカイタイプへと変化します。ティガは今現在においても、全ウルトラマンの中で最もイケメンと名高いウルトラマンで、昭和ウルトラマンらのフォーマットをやや崩しながらも、その特徴は捉えていますね。頭部の凹凸は一見複雑なようで、シンプルさを保った洗練されたデザインになっています。三色を使えば、二色の場合と異なり、全体的にごちゃっとした印象を与えてしまいがちですが、ティガはそれを実にシンプルな形で、違和感なく落とし込んでいるのが上手いですね。また特筆すべきはカラータイマーのデザインであり、それまでのウルトラマンとは一線を画す斬新かつシンプルなデザインがなされました。また、胸部のプロテクターのデザインも秀逸であります。ここから、ウルトラマンに赤・銀以外の色を使い、出身を独自設定とし、形態変化を行わせるのが主流になっていきました。

 ティガにおいても、その基本は変わっていません。一見どれだけ複雑なように見えても、実はそのデザインは、いたってシンプルなもの。ごちゃごちゃと無駄なパーツを付け加えるのではなく、よりシンプルに、よりスタイリッシュに表現する。これこそが、デザインの極致なのかもしれません。

 さて、本題です。その昭和テイストと、平成テイストを実に巧く融合させて出来上がったのが、そう、ウルトラマンゼロであります。ゼロは、ウルトラセブンの息子であり、彼のデザインはセブンに由来しています。つまり、昭和ウルトラマンの流れをくんでいるわけですね。それでいてまた、体色は赤・銀・青で構成されており、三色構成なあたり、平成ウルトラマンの流れをもくんでいると言えましょう。ゼロが凄いところは、この三色の纏め方で、銀色のラインに新しさを見いだしながらも、あくまで赤と青の配色は、シンプルさを突き詰めたデザインだということ。昭和世代・平成世代どちらにも懐かしさを持たせつつも、どこか新しさもある、そしてその上で全体のバランスはシンプル。まさにウルトラ40年の歴史の集大成とも言えましょう。

 また、セブンのアイスラッガーが、頭に二つついているという、普通にデザインすればかなりダサくなってしまいかねない「ゼロスラッガー」を、本当に上手く落とし込んでいるのも評価が高いですね。飛ばし方も、アイスラッガーの昭和バトル漫画を彷彿とさせる直球アタック、ではなく、回転しながら飛んでくる平成少年漫画チックなものに変更されていますし、時代のニーズに合った戦い方に落とし込んでいるのも、実に素晴らしい。

 他にも、注目すべき点として、初期のゼロには形態変化が登場しないということも挙げられましょう。他の形態を考えれば、ある程度他の形態との兼ね合いもかんがみてデザインしなければなりません。近年のタイプチェンジウルトラマンであるオーブ、ジード、ゼットなどは、他の形態とのバランスを考えなければならず、どうしても他形態との差別化や親和性をもたせるため、諸々の制約が出てきてしまいます。それを、ゼロは基本形態にとどめたことで、真に洗練されたデザインを、とことん突き詰めることができた、というのもあるのかもしれません。

 また、時代が進むにつれデザインが複雑化しているかというと、そういうわけでもありません。ゼロが初代ウルトラマンやティガと異なる点がもう一つ。冒頭で示した、スーツアクター用の覗き穴が、視聴者に見えないように隠されている、ということです。一つ複雑なデザインが足されれば、それまでの複雑なデザインを一つ消す。そうやって突き詰めていき、秀逸なデザインというものは完成していくのかもしれませんね。

 ということで、以上、各時代の転換点となった3人のウルトラマンのデザインを、見ていきました。やはり洗練されたデザインには、「シンプルさ」が大事なようですね。足し算をしていくのではなく、引き算をしていく。その中で、キャラの持つ要素(カラータイマーや体色)を根本から見直し、時には前提を覆すような突飛なアイデアを見出して、それをデザインに落とし込む。これが上手くハマると、とてつもない神デザインになるのでしょうね。

 近年のウルトラマンも、確かにデザインは素晴らしいものばかりです。しかしながら、シンプルさと反対に、色々つけまくったデザイン、細かく走るラインなど、付け足すことで生まれるカッコよさ、が追求されているように感じます。最近は形態変化もたくさんありますから、その兼ね合いも考えねばならず、厳しいところなのでしょう。そういう意味でも、ウルトラマンゼロは、時代に恵まれたデザインであったと言えるかもしれません。

 

ウルトラマンネクサスにおける「カタルシス」論

 皆さんこんにちは、igomasと申します! 普段はウルトラマン考察や、ジャンル問わず悪役考察をしております。今回は、ウルトラマン系の記事です。

 ウルトラマンネクサス。2004年10月に放送開始され、15年以上が経過した今でも一部オカルト的な人気を保ち続ける、数あるウルトラマン作品の中でも伝説の異色作。主人公がウルトラマンに変身しない、防衛隊や怪獣の存在が一般市民に認知されていない、ウルトラマンの変身者(デュナミスト)が途中で変わる、やたら暗い(画面も、話も)などなど、他のウルトラマンにはない要素が沢山あります。

 ネクサスは、この記事だけでなく今後幾つか記事を書いていく中で少しずつ掘り下げたい作品でありますが、取り敢えず今回は手始めに、ずっと前から思っていたネクサスファンに対する指摘を一つご紹介。

 

 ウルトラマンネクサスは、基本的に悲しく、辛く、暗い作風が続きます。後半の千樹 憐編では幾分か作風も明るくなるものの、前半に当たる姫矢 准編は、かーなーり話が暗く、作品の完走にとってかなりの鬼門となっています。ネクサスファンの皆さんも、新規視聴者に魅力を伝え勧誘する際には難儀するのではないでしょうか。

 特に前半では、当時は予算が枯渇していた事もあり、一体の怪獣に4話かけるというスロースタートっぷりで、基本的に、ウルトラマンは怪獣(スペースビースト)に苦戦し続けます。変身者(デュナミスト)もどんどんボロボロになっていきます。ただでさえ戦闘シーンも見ていて辛いのに、日常パートも苦しい展開。主人公の彼女に関するトラウマ的エピソードをクリスマスに放送したり、残酷かつ辛い描写がわんさか出てきたりと、見ていて重いシーンが色々と出てきます。

 しかし、辛いシーンが多い分、より一層、そこからの逆転劇、主人公らが乗り越えていく姿は輝かしく映ります。辛くても、絶望的でも、諦めず立ち向かい、勝つ。辛い思いをした分だけ、勝利の爽快感は凄まじいものです。

 

 それはそうに違いないのですが、ネクサス感想を見ていると時折、この件に関して「ムムッ!?」と思ってしまう記事が多数散見されます。それが、「ウルトラマンネクサスは辛いシーンが多いけれど、そこからの逆転劇は本当に見ていて気持ちがいい。カタルシスがあるから、ネクサスは面白い」という意見。こういったコメントは、ネクサスはシリアスな作風だ、だの、姫矢 准編は暗いが千樹 憐は明るい、だの、そういう類いの記事、ブログ、スレで必ず見ると言っていいほど、良く目にする文言です。

 ここでいう「カタルシス」とはすなわち、辛い状況から脱却した際の爽快感、例えるならば嫌な上司を言い負かしてやったときの「スカッとする感じ」の意味で使っているのだろうと思います。

 

 結論から言いますと、「カタルシス」という言葉の使い方、間違ってるよ、と。

 広辞苑第六版によれば、カタルシスとは、「悲劇を見て涙をながしたり、恐怖を味わったりすることで心の中のしこりを浄化する」ことだそうです。悲劇を見たときの、悲しいなと共感したり、心が締め付けられたりするような思い。その辛い気持ちがそのまま心の中のマイナスの感情を押し流してくれるような心の動き、それが、カタルシスなのです。すなわちカタルシスとは、悲劇そのものを見たときの情動から来るものであり、その悲劇を克服した後の「スカッ」とから来るものではない、ということなんですね。

 というわけで、「超暗い展開からスペースビーストを倒す爽快感! これぞカタルシス! ネクサス最高!」という意見は、残念ながら間違い、ということになってしまいます。かくいう私も、つい最近までカタルシスの言葉の意味をよく知らないまま使っており、危うく誤った用法で使うところでした。皆さんも、特にウルトラマンネクサスを応援するときは、念のため使い方にお気をつけ下さい、という記事でありました。

 皆様も、言葉の正しい用法に注意しながら、楽しい批評・感想ライフを! それでは、また次の記事でお会いしましょう、igomasでした!

ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀 Chapter3 感想

 

嘘だろ、途中で終わりやがった……

 

 皆さんこんにちは、igomasです、はい。YouTubeで展開中のウルトラマン最新作、ウルトラギャラクシーファイト大いなる陰謀Chapter3の感想です。前回本ブログでは、Chapter2を結構ボコボコに叩きましたが、さすがにChapter3は、坂本監督本来の持ち味が戻って、面白い作品になるだろうと思ってました。

 「Chapter2はまぁ確かに酷かったから色々言っちゃったけど、Chapter3は安定の坂本監督作品でしたね。いやぁ、これよこれ、私はこれが見たかったんだよさすが坂本監督面白かったではまた今度~」って言うつもり満々でした。言いたかったよ、私は。

 しかし、まさかの「物語が途中で終わる」というラスト。これが、一作品として大きな盛り上がりを見せ山場が一つ終わったところで「つづく!」なら期待で胸が高鳴るラストで良作ってことになっていたのですが、もはや最終話に何の山場も用意されておらず、言ってしまえば「打ち切りと何ら変わらない」という見るも無残な状態に。いや、厳密にいえば続編ができるらしいので打ち切りってわけじゃないんですけど、感覚としては打ち切られた気分。だってもはや「一つの物語」として成り立っていないんだもん。

 結局この話ってあってもなくても良かったよね、と。本作の内容って要は「アブソリュートタルタロスってやつが並行世界をたくさん作って軍勢を作っているらしい」「やばそうだからゼロもゼロでチームを作らなきゃ」それだけ。それくらいならまとめれば15分くらいで済む話なんじゃないですかね。次回作の最初1話くらいで描けるレベルの話じゃないんですかね。それを98分の大作に引き延ばす必要がどこにあったんですか、これ。

 え、第一部でウルトラマンリブットを深堀りしたかった? それならウルトラマンリブットが主役の物語をしっかり描くべきだったと思います。パワードとグレート二人の先輩に急にボコボコにされて、雑に精神世界みたいなのでなんか覚醒したっぽい演出だけ入れて、武器はパワードグレート両者からもらって終わり。それのどこが「リブットを深堀りした話」なんでしょうか。リブットとは何者なのか。もっとキャラの真髄を描くべきなんじゃないですかね。なんとなく覚醒したような上っ面だけなぞっても、いい話にはなりません。第一部、いらん

 え、第二部でウルトラ大戦争やトレギアの過去を描きたかった? Chapter2の記事に詳しいので読んでみてください。結論、第二部、いらん

igomas.hatenablog.com

  え、第三部で現代のウルトラマンたちの戦いを描きたかった? いいと思います。正直言って、Chapter3はある程度描きたいことが描けていたと思います。メビウス関連の話、ゼット関連の話、坂本監督が書きたいことは理解できましたし、良いな、と思うカットもたくさんあったと思います。確かに、坂本監督の良さが色々詰まっていた部分もあって、それは本記事で評価していくつもりです。でも、どれだけ頑張っても意味がないんですよね。

だって途中で終わったから

 冒頭でも示した通り、最高の盛り上がりが最後にあるのであれば、すごいね大作だったね未完結だけど90分作品の最後を飾るに足る素晴らしいお話だったね、で終わります。ですが、それがない。なんのために完結を先送りされたのか分からない。アブソリュートタルタロスって、ジョーニアス先輩といい勝負、くらいだったじゃないですか。ゼロと戦って、ゼロのカラータイマー一つ点滅させられないくらいの相手じゃないですか。なにも二作続けて出すほどの敵でもないとは思うのですが、それを、なぜ決着を先延ばしにする必要があったのか。

 正直、最後ゼロにタルタロスが負けて、「タルタロスが負けたか、しかし奴はアブソリューティアンの中でも最弱、尖兵に過ぎない。我々アブソリューティアンの計画は今始まったのだ」とか誰かが言って「つづく」でも全然よかったと思うのですけど。番組を未完結のままぶった切ってまでタルタロスを生き残らせる必然性が今のところ見えないのですけれど。

 第一タルタロスというキャラクターに魅力がなさすぎます。まぁ魅力ポイントを挙げるとすれば「声」くらいなものでしょうか、あとデザイン。そもそも、アブソリュートタルタロスが結局何がしたいのかわからない。Chapter1でリブットの世界で色々暗躍しようとしたけれど、この時代では負けそうだ、と思いChapter2で並行世界から軍勢を束ね、Chapter3で仕向けるも軍勢はあえなく敗退。で、最後にタルタロスが出てきてユリアン王女をさらって退場。え、アブソリュートタルタロス一体でなんとかなるなら最初から過去行く意味なくね?

 そもそもアブソリュートタルタロスって、なんのために過去へ行ったかって、ウルトラマンレジェンドには敵わないと思ったからなんですよね。それでベリアルとトレギアを連れて、あとバット星人を連れて現代に戻ってきた。まぁ結局バット星人の作った宇宙凶魔人ゼットはタイガにあっさり倒されたわけですが。その程度の戦力を引き連れて戻ってきて、で、レジェンドに勝てそうですかタルタロスさん? 絶対勝てないよタルタロスさん。過去行った意味ないよタルタロスさん

 ベリアルとトレギアを軍勢に加えたものの、初登場時に通常形態のゼロが互角に渡り合ってしまっているんですよね。これまた何のために勧誘したか分からないくらいの微妙な強さ。この程度の戦力で本当にレジェンドに勝てるようになるとでも思ったのでしょうか。

 で最後に、大いなる陰謀なんて銘打っていますが本作、タルタロスがやった価値あることといえばただ一つ「ユリアン王女を人質にした」これだけ。しかもユリアンである必要は一切なく、ただ人質としてさらっただけという。そんなことならもうChapter1の時点で出来てたんじゃないですかね、タルタロスさん。

 こうやってタルタロスの行動を見ると、Chapter2の動向はまったくもって「無駄」の一言。ただユリアン王女をさらって光の国に宣戦布告、これだけでいいんじゃなかろうか。内容としてはほんと、15分レベルの話を薄く薄く延ばして描いてみたい戦闘シーンを入れただけ。しかも完結すらしない。これはもはや作品ではない

 いや、もしかしたらこの作品は我々が完結しないと思っているだけで、本当は完結しているのかもしれません。大いなる陰謀のラスボスは、タルタロスではない人物なのかもしれません。じゃあ誰か。え、最終回で死んだゼットさんですか?

 と考えた時にこれまた宇宙凶魔人ゼットさんに魅力がない。なにせ初登場時に丹精込めて作ったゼットン軍団をゼロとゆかいな仲間たちにあっさり倒され、ゼット自身も、タイガの中間強化形態であるところのフォトンアースに押されるレベル。はっきりいって、作品一つ支えるほどのキャラクターは、凶魔人ゼットにはありません。途中の時点でもうタイガに押されていますし、最終話でも終始タイガとゼットに圧倒されていますから(しかもこの時のゼットは地球に向かう前の1/3人前の状態)、これはもう、なんというか、悲惨。

 まぁ本作は最後さえしっかり完結していれば、他作品に比べて抜きんでて駄作ということにはならなかったとは思います。これから色々褒めていきますが、坂本監督の持ち味は幾分かしっかり味わえました。でも完結しなかったら意味がない。完結しなくても仕方がないくらいタルタロスは強い敵だ、という説得力がどこにもない。ゼロならなんとなく倒せそうだけどなんか話の都合で負けた、タルタロス逃げた、え、終わり?みたいな空虚感。もっとタルタロスを魅力的な「敵」として描く作業を一つでもしていれば、納得の終わり方でしたが、もはやこれを作品と呼ぶことができない現状です。

 そもそもウルティメイトシャイニングゼロなんていうものすごい形態が登場したわけですが、どれくらい強いのか視聴者ですら想像もつかないくらいものすごい形態なわけで、負けるビジョンがどこにも見えないわけです。だって時間も空間も思いのままなわけですから。それが、ふたを開けてみればなんだかゼロが吹き飛ばされて「あいつ強ぇぞ」。頭に?が百個くらい出てきました。

 今までのニュージェネレーション作品群の描写を見れば皆さんもお分かりかとは思いますが、ウルティメイトゼロの空間移動ってほんと体力をかなり消耗する力で、ジードの時はブレスレットが壊れ、テレビ本編中一度も使えないほど。シャイニングの力もものすごいエネルギーを使い、ゼロ本人も使いたくないと思うくらい体力消費の激しい形態です。その両者を使ったゼロが、タルタロスに吹き飛ばされた後も、カラータイマーは元気なまま。

 ポッと出のベリアルトレギアに光線を打たれてウルトラマンが全員吹き飛ばされるみたいなカットが入るも、次のシーンでは普通にみんな立ってますし、全員カラータイマーは元気なまま。ピンピンしてます。

 それで「タルタロスは強い。次作に続く!」なんて言われても、う~ん、タルタロス全然魅力なかったよなぁ、弱かったよなぁって言葉しか出てきません。最後の終わらせ方はご都合主義がすぎます。もう、変にウルティメイトシャイニングゼロとか出さなくてよかったのではなかろうか。なんのために出したんですかね。ゼロは強い、タルタロスの方がもっと強い、ゼロが強化形態になったからもっと強い、いやタルタロスの方がもっと強いしーみたいな、「小学生の自慢大会」みたいなのがやりたかったのか。あれが出たことで、余計になぜゼロが負けたことになってるのか不満な視聴者がごまんと増えた気がしますよ。

 自分の中で今までのウルトラマン作品の中でワーストはウルトラマンルーブだったんですけれど、ここにきて更新されました。しかもルーブとは大きく差をつけて断トツの駄作。いやむしろ、「作品」と呼びたくないくらい断トツ最下位。だって作品じゃないんだもんこれ。どうした坂本浩一監督。どうした円谷。

ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀 最終的にやっぱりウルトラマン史上最低の駄作だった

 

 Chapter2の批判には、多少なりとも個人的な趣味趣向が入っていたことは認めます。しかしながら、「ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀」が駄作であることは私の「感想」「評価」ではありません、「事実」です。いやぁ、ショックだったなぁ。

 まぁとはいえ、Chapter3では色々と坂本浩一監督の持ち味が生かされている部分も多数見受けられました。ここからは、それぞれのEpisodeに触れていきたいと思います。

 

 

Episode7

 冒頭。フューチャーアースにてレイバトスが、かつてハイパーゼットンを生み出しサーガと戦ったバット星人を復活させます(用語が多すぎるw)。バット星人はタルタロスに、「その命、ザキングダムに捧げてみないか」と言われたとたん「うぉぉ分かった。試してみたかったプランがある」と、圧倒的物分かりの良さ。このセリフがまた突っ込みどころ満載で、まずザキングダムってなんだよって。バット星人からすれば、サーガと戦っていたつもり(実際には死んでる)が気づいたら知らない巨人の前にいて、急に拘束された状態。見ず知らずのタルタロスから「その命、ザキングダムに捧げてみないか」と言われても、「は、何?」と返すのが正常な反応。見ず知らずのタルタロスを見た瞬間「この人は究極生命体アブソリューティアンの戦士アブソリュートタルタロスで、その本拠地がザキングダム。この人はウルトラマンを倒そうとしていて私に協力させてウルトラマンを倒す手段を模索しているんだな、よしサーガには殺されちゃったしサーガのことはさっさとあきらめちゃお。ウルトラマンを倒すのか、そうだ前から試してみたかったプランがあるから提案してみよう」と判断したということになり、なぜ分かった&なんでそんなに物分かりが良いんだ状態。しかもこの一連の思考過程を「うぉぉ分かった」の「うぉぉ」の部分で考えていると思うと、なんだか笑えてきます。

 そもそもこのバット星人は一映画のラスボスだったわけですが、ベリアル、トレギア含め、ことごとく「これまでの映画で活躍した魅力的な悪役」を、「タルタロスに付き従うだけの三下」に貶めたのは、やはり本作の駄目な部分だなと。バット星人、ベリアル、トレギア。それぞれがそれぞれの持ち味を十分に持っているはずなのですが、兵士A、兵士Bくらいの扱いでしかない。それぞれの特技をもっとフルに生かして、「悪役を魅力的に見せる」ということを一から学びなおしていただきたいなぁ、と。

 バット星人は、「ゼットンに心がなかったから」ゼットンウルトラマンに負けた、とのこと。まぁこれはウルフェスライブステージからそのまま台詞を持ってきているというのはわかるものの、そもそもゼットンに心がなかったからゼットンウルトラマンに負けた」が原因理由の関係になっていない件。なんで心がないから負けると思ったのか、これもまた雑な台詞。

 惑星マイジーにて、トライスクワッドの特訓シーン。タイガに尻に蹴りを入れられて「感じるぞ、マッスルマッスル」と言っているタイタスが、もう真剣に特訓していないというか正直キモいというか、酷すぎるカット。特訓しているのか特訓しているふりをしているだけなのか、なんというか、雑なアクション。最後に背中合わせに腕を組む?シーンも、スーツアクターが「あれ、ちゃんと腕の位置あってるかな、ずれてないかな」と確認しながらやっているのが見え見えで、全然真剣に特訓をやっていないように見えてしまいます。

 トライスクワッドのもとへゼットが現れ交戦。数の暴力で劣勢に立たされます。

 一方綾香市ではグリージョが、ザンドリアスとノイズラーと戦い、の、ノイズラー!!たぶん今作で一番テンションが上がったのはこの時です(笑) ノイズラーは、ザンドリアスと同様、クラウドファンディング企画でスーツが製作された怪獣で、ザンドリアスとともに怪獣娘のミュージックビデオに登場しました。この時のMV製作の時に、かなりの爆薬をつかって爆発シーンが入れられたのですが、それがあまりに大迫力で歌手もかなり怖かった、とのこと。せっかくスーツが作られたということで、ザンドリアスはウルトラマンジード本編に出ていましたが、しかしノイズラーはテレビに登場しなかったんですよね。てっきりこのMV製作の際の爆発でスーツが焼けこげるなどして出せなかったのではなかろうか、などと思っていたのですが、全然そんなことはなく、スーツは無事だったようです。良かった。いや、だったらテレビ本編にも出してあげようよって話ではあるんですけどねw ゼットとかは特に、過去怪獣の使いまわしが過ぎたので、出してあげても良かったのではないかな、なんて思いましたが。まぁともかく、このシーンにはアツくなりましたね。

 さてグリージョはこの二体の怪獣と対峙します。台詞からも、前作でのゼロとの話を踏襲しており好印象。グリージョの戦い方だったり、怪獣にとどめを刺さないで「もう悪さしちゃだめですよ」というあたりのグリージョらしさが光る良いシーン。いや、普通にChapter1の主人公(笑)だったはずのリブットの描写の5000倍くらいよくできているシーンで、グリージョのキャラも見えてきて、このシーンはほんと良かったです

 このあたりのゼロとの絡みも素晴らしく、「見てたなら手伝ってくれてもいいじゃないですか~」「なんとかプリンの捜索ですか?」「デビルスプリンターな」のくだりや、湊兄弟を彷彿とさせるハンドサイン。このあたりの見せ方は、本当にうまかった。もう、ウルトラグリージョファイトでいいんじゃなかろうか。

 さて次のシーン、U40にてタルタロス視察中、ジョーニアスと交戦。まぁいつもの主題歌背景のバトルシーンですが、結構このシーンはよさげ。構えや戦闘スタイルが厳密には原作のそれと全然違うのは相変わらずの雑クオリティですが、まぁそれにしても結構濃密な格闘シーンだったんじゃないでしょうか。不意打ち攻撃くらいしかできないタルタロス、これまで全くいいとこなしだったのですが、この描写をもってようやく、「そこそこ格闘しっかりできる」敵だと見て取ることができて、ここは純粋にタルタロスの描き方として良かったですね。思いのほかU40の背景もかなり頑張っていましたね、ウルトラ大戦争の時よりは断然。

 しかし、ここで「ジョーニアスと互角くらい」という認識が視聴者の中に植え付けられてしまったことで、のちのウルティメイトシャイニングゼロ敗北が余計にわけがわからないということになってしまうのは、痛いところ。

 今作は、強さの描写が割に合わない、というのが多々あり、たとえばChapter1の80とルーゴサイトの力関係もそうでしたよね。初戦ではかなり有利な80でしたが、次に対峙した時には全然敵わないみたいな描写になっている、とか。強さ、というものをちゃんと考えていないんでしょうか、ご都合主義でいいと思ってるんですかね。そこのところどうなんでしょう。

 トライスクワッドがゼットン軍団に苦戦しているところへ、アンドロメロスとリブットが登場! そして自己紹介! いや、自己紹介してる暇があったら助けろよ、というお決まりのパターン。名乗らなきゃ気が済まないんでしょうか、彼らw 作品のテンポ感も悪くなってしまいますし、こういうのはあまり好きじゃないですね。

 それからトライスクワッドの面々が「あなたたちは」「助っ人か」「ありがたい」とそれぞれカットを変えて言っているのも、「キャラから出た自然な言葉」ではなく「言わされた台詞」の感じが強くなってしまっていますね。一文を無理に3つに分けてカットを変えて言わせている不自然さのなせるわざなのでしょう、ひどい。

 

Episode8

 冒頭から、アンドロメロスとリブットが、ゼットンを相手に大暴れ。このシーンはかなり好きですね。それぞれの技をしっかり使い、変な主題歌BGMも流さず、戦闘BGMを流している、これだけで「ファンサービス」ではなく「戦っている」感が出ますから、作品として見られるというものです。

 坂本監督ならではの、リブットの、ちょっと大げさなワイヤーアクションも決まり良い見せ方。やはり坂本浩一監督はこういう大げさ目の戦闘があってこそ、って感じがしますね。最近の大げさ感をオミットした戦闘はそれはそれでよいのですが、広いフィールドで戦う際には、やや大げさ目の戦闘をしても全体のバランスとしてちょうどよい見せ方になっていますし、全然気になりません。これよこれ、これが見たかった坂本特撮!

 まぁここから、ゼットンが、ウルトラマンに攻撃されるのを待って突っ立っている典型的な「ウルトラマンショーの怪獣」の動きに成り下がっているのが良くないところなのですが、まぁ複製怪獣なんて所詮そんなもの。このシーンは「ゼットンの魅力が下がっている」と各地で批判がありましたね。まぁ棒立ちなんだから、そういわれても仕方がないか。

 本記事冒頭でも述べましたが、ゼット、タイガの中間形態のフォトンアースに一方的にやられます。ゼットさんは、「邪魔が入った」と言って逃げていくのですが、いやそうじゃなくて単純に「襲い掛かった相手に一方的に負けた」だけの図なんですが、ゼットさん(笑)初陣から一方的に負けてるので、最終話の戦いも「一度勝った勝てる相手をただいじめるだけの図」になっているので盛り上がらない、盛り上がらない戦いで最終話を迎えてしまったので面白くない、と負の連鎖が起きてしまったわけですね。別に中盤でフォトンアースが凶魔人ゼットを圧倒しようがそれは凶魔人ゼットの魅力を単体で落としているだけなので全然問題ないのですが、これが作品全体に響くとなるとこの采配はかなりBadでしたね。

 タイガらは光の国に帰還。ウルトラの父ウルトラの母、タロウ、タイガの和気藹々とした光景が描かれます。タイガと光の国を絡める以上、ここは外せないシーンでしたから、あって良かったシーン。SNS各所では、ウルトラの父ウルトラの母のイメージが崩れるなんて批判意見も散見されましたが、自分は結構納得してます。実家に帰ったときの祖父・祖母・父・子のいかにもありそうな会話が自然で、上手く作っていると思いましたね。

 一方で、ゾフィーアンドロメロスとの絡みも、必要不可欠なシーンでしたが、もうちょっとこの絡みは見たかったですかね。形式上シーンだけ入れた、レベルの薄味だったので。

 平行同位体のトレギアが現れたことを知って、驚くトライスクワッド。来るべき戦いのために、修練に励めと言うタロウに対し、タイガらはそれぞれの故郷の星に返り、各自特訓することに。正直、このシーンの意図が全く分からないんですよね。なぜ一旦集合した彼らを分散させて話運びを悪くしてしまうのか。根本的な問題というわけでもないのですが、意味のない助長はあまり好まないたちなので。タイガ・タイタス・フーマがそれぞれの故郷にいるシーンが撮りたかったというのなら、それはそれでもっと自然な話運びはいくらでもあったでしょうし。

 ウルトラコロセウムでは、メビウスとゼットが特訓中。もうメビウスの弟子で良いんじゃなかろうか、ゼット(笑) まぁこのシーンも突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるところ。例えば、両者が組み手の最中に腕を組み合って力を拮抗させている時、とか、距離をとって構えている時、なら分かるのですが、組み手中その態勢になったときに「無駄な動きが多い、それじゃあゼロの弟子になれないぞ」「メビウス兄さん、やっぱりウルトラ凄いですね。でも俺は必ずゼロ師匠の弟子になります。なってみせます」なんて悠長な会話をしているのはさすがに絵面が間抜けすぎるでしょ、とか。自然に台詞がシーンに溶け込んでいないというか、この辺りも撮り方をもう少し工夫できそうなところ。

 さてメビウス、タイガ、ゼットが一堂に会するわけですが、メビウスとタイガのシーンはなかなかに良かったですね。セブン・レオ・ゼロ・ゼットと続く師匠弟子の関係や、タロウ・メビウス・タイガと続く教官教え子の関係に触れ、「ウルトラの絆」について言及するシーン。正直今までニュージェネレーションウルトラマンシリーズにて「絆」という言葉だけが安売りのごとく一人歩きして、なんの言及もされてこなかったので、ここで納得できる「絆」の形をようやく提示してくれたのは多少なりとも進展があって良かったです。オーブもジードもルーブもタイガも絆絆の一辺倒でその実なんの強固たる絆もないことが多かったですから、説得力に欠けていたのですが、連綿と受け継がれるセブン一門とタロウ一門、この二組を示されれば納得か。

 そういえば、タイガ組は特にそうなのですが、いちいち「はい」と頷くときに身体全体を上下させるのはなんなのか。監督の手癖なのかは分かりかねますが、あまりに不自然極まりないので修正希望。

 最後にグリージョとフーマの合流を描くわけですが、なんか、フーマが女子と話せないオタク男子になってる……どもっているというかキョドっているというか。何分フーマが逆に気持ち悪く見えてしまうので、あまりこういう見せ方は好かないですね。キョドるフーマもフーマですが、キョドられるグリージョの方も、変な方向でのアイドル化により株を下げている印象。

 

Episode9

 冒頭、惑星カノンへ向かう宇宙艇が墜落し、80、ユリアン以外の4人のウルトラマンが死亡します。ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ(困惑)

 坂本浩一監督、ウルトラマン4人を殺害

 いやぁ、腹抱えて笑いましたね、このシーン。不謹慎ではありますけれど。いやはや、これまで長きにわたりウルトラマンは描かれてきましたが、復活も何もなく、ただ「ウルトラマンが死んだ」描写をしたのは初めてではないでしょうか。人知をこえた存在、ウルトラマンの最期なんて、涙なしには語れないくらい重大で心震えるシーンのはず。にもかかわらず驚くほどアッサリ亡くなりましたし、起こっていることの重大さと80らの反応のギャップがあまりに不自然すぎて、笑わずにはいられませんでした。本作屈指のギャグシーンですね、これは。

 ちなみに、少し戻って冒頭の台詞にもダメ出しするとすれば、「ユリアン王女。まもなく、銀河連邦平和会議が開かれる、惑星カノンに到着します」これがあまりに説明口調過ぎます。なにより「これから銀河連邦平和会議が開かれますよ」部分がいらない。いや、ユリアン王女これから何するか予定知らずに宇宙艇に乗ってたのかよ、と。もうすぐ目的地に着くその段になってようやく次の予定を聞く様子が、なんとも不自然な絵面。あまりに視聴者に対して説明しよう説明しようとして、劇中の描写として実に不自然になってしまっている。例えるならば、「○○大学に合格するぞ」と一年間勉強していた受験生が試験会場に友だちの親の車で送ってもらって、もうすぐ着くときに「もうすぐ受験が開かれる○○大学に着くよ」と言われるくらいの違和感、といえば分かりやすいでしょうか。

 この「説明口調過ぎる」部分が、本作至る所に垣間見られ、セリフとして不自然極まりないものが多いです。それをあからさまな説明口調にしないためにも、物語の流れ、キャラの動きをブラッシュアップして、より自然なキャラの移動、より自然な台詞回しをさせなおかつ視聴者に状況を分からせる、それが「物語をつくる」ということです。続編を作るのであれば、より自然な台詞回し、そして台詞を自然にさせるためのキャラの動かし方を徹底して欲しいところ。

 80とユリアンのピンチに、光の国で修行していたメビウス、タイガが救援に向かおうとします。ゼットもまた、自分も参戦する、と言いメビウスに静止されますが、ゼットの熱意を感じたのか、メビウスは「無茶はするな」と言い同行を認め、3人のウルトラマンが出動します。この辺りも少し台詞回し、ウルトラマンの挙動がもっさりしており(というかほぼキャラが直立不動で)、一刻を争う緊急事態感が出ていないような気もしますが、やや細かい部分なのであまり触れないでおきましょうか。

 ゼットン軍団を率いて80らを襲った凶魔人ゼットの狙いはユリアン王女だったわけですが、なぜユリアン王女でなければならなかったのか、は本作にて全く明かされていません。次作に引っ張る必要もあまりないですし、次作にて真に納得できる巧妙な理由が示されるともほぼ期待できないのですが、是非とも続編にて万人が心の底から納得する理由付けが欲しいところ。でなければ、本作にてタルタロスが90分かけて、時間を越えて平行同位体を作り出して、大規模な軍隊を作り様々に暗躍して成し遂げたことが、「誰でも良いけどとりあえずウルトラマン側の人質を一人手に入れることだった」ではあまりにスケールが小さすぎますからね(笑) そんなことそこら辺の小悪党宇宙人でも出来ますから。

 凶魔人ゼットとウルトラマンゼットの初対面。ゼットは「ウルトラマンゼロの弟子だ」と自己紹介しますが、そもそも敵はウルトラマンゼロを知っているのか、とか何も考えず自己紹介しているんですかね、ゼット君は。まぁ、お決まりの不自然な「自己紹介」。

 80とユリアンのもとへ、メビウス、タイガらが到着し、各自ゼットンを討伐。まぁゼットンとはいえ弱々しい複製体ですから、これくらいサクサク倒されても仕方ないですかね。だってウルトラマンが必殺技ためてる時、まるで倒されるのを待っているがごとく棒立ちだもん(笑)

 さて、ゼットは、自分一人で十分やれると意気込んでゼットン軍団と戦うわけですが、まだまだ未熟な彼にはどうにもできず、苦戦。そこへ、新星チームウルトラリーグを率いてゼロが到着。救援に駆けつけます。

 ゼロはゼットに「いいか、ゼット。一人で何でも出来る気でいるうちは、大事なことが分かってないって事だ」と言い放ち、タイガと共闘。続いて各人が協力してゼットン軍団と戦っていきます。互いを信じて戦う姿に心打たれるゼット。一人で何でも出来るなんて思い上がっていては何も始まらない。なんだかんだでゼットに目をかけ育てようとするゼロの師匠ぶりが光るシーンでしたね。

 まぁ、グリージョとユリアン、フーマとリブットみたいなほぼ初対面タッグらを見て、「絆を築いた」と感想が出てくるゼットもゼットですが(笑) もう少し説得力のあるコンビだと良かったな、それこそゾフィーアンドロメロスとか。

 さて、タルタロスはユリアンをさらい、そこへ「させるか!」とウルティメイトシャイニングゼロに変身。どうなる!?というところで続く。

 

Episode10

 さて、一応最終話ということらしいEpisode10。

 前回「一人で何でも出来る気でいるうちは、大事なことが分かってないって事だ」とゼットに言っておきながら一人アブソリュートタルタロスの空間に飛び込むゼロですが、どうやらシャイニングとウルティメイトの力を掛け合わせると体力消費が激しいようで、またタルタロスの生み出すタルタロスのための空間内での戦いということもあり苦戦の様子。結局タルタロスの光線にあっさり負けて吹っ飛ばされてしまいます。本記事冒頭でもう話し尽くしてしまいましたが、やはりこのシーンが今作の終着点として非常にまずい部分。

 まずもって、なんのために新フォームを出したのかが分からない。新たな敵のかませにするためだけに新フォームを出すというのが、ゼロになんの恨みがあるんですかレベルの案件。今までも坂本監督はやたらと新フォームを出すことにこだわっていますが(前作の黄金に輝くゼロビヨンドや、今作の虹色に輝くタイガトライストリウム)、他の新フォームと比べてなぜにここまで抜きん出て不遇な扱いなのか。

 それから、今作はあくまで建前上は「過去ウルトラマンを魅力的に描こう」って作品だった気がするのですが。一番人気のゼロをこんな扱いにしてしまっては、まったくもって本末転倒です。完全に見せ方が自己矛盾極まりなく、困惑しっぱなしです。

 最後に、ではこれだけ大人気のゼロをかませにしてなにか得があったのかというと、特にそうでもないというのが一番の難点。Episode10話分かけて、タルタロスに魅力があるのかといわれれば、皆無としか言いようがありません。結局、今作だけ見れば、やったことは「ウルトラの国側の人質を取った」という、別段過去にいかなくとも平行同位体を作らずとも、そこら辺の小悪党宇宙人にでも出来る悪事。強さはレジェンドを見るやいなや逃げ出し、ジョーニアスと互角のレベル。到底ウルトラの国全体を敵に回せるほどのカリスマ性もない。ウルティメイトシャイニングゼロを倒してさも勝ち誇ったような顔をしているが、その実ゼロのカラータイマーを点滅させてすらいない。こんな敵に魅力を感じることは、できません。

 もしゼロをかませにしてまでタルタロスを脅威として見せたいのであれば、それだけの覚悟が必要です。これだけ薄味の話を90分に引き延ばしてタルタロスの暗躍を描くのであれば、それだけタルタロスの行動原理や所作に魅力を持たせる覚悟が必要です。過去作品のウルトラマンを大量に出すのであれば、その分視聴者を魅せるための覚悟が必要です。覚悟が足りない。そんな人が作ったかませフォームは、誰の心にも響きません。

 さて、一方タイガトライストリウムと凶魔人ゼットとの戦い。え、トライストリウムってタイガとタイタスとフーマ、そしてヒロユキがいないと変身できないんじゃなかったっけ?クワトロスクワッドの「絆」の証なんじゃなかったっけ?と思ったそこのあなた。どうやらこの件について、公式がTwitterにて説明しているようです。「地球でヒロユキとの日々を過ごしたことにより、かつて『メビウスと地球人の絆』について真の意味で理解を深め、それを胸に厳しい修行を重ねたことで、ヒロユキがいない状態での変身が可能になった。クワトロスクワッドブラスター以外の全ての技を使うことができ、さらに力を解放した、虹色に輝く新パワーも身につけた。」とのこと(円谷プロダクション公式Twitterより引用)。なんとも分かったような分からないような説明。「厳しい修行を重ねたことで」という文言もだいぶぼかしていて、具体的なことは何も考えていないんだろうな、と。しかもこのくだりを本編ではなくTwitterで紹介するというのがまた惜しいところ。タイガらがヒロユキなしにトライスクワッドに変身できる、それだけでタイガというキャラクターにとっては大きな変化・成長でありますし、そこに本作含め近年のウルトラマンのテーマである「絆」や、本作登場のメビウスも関連しているのであればなおさら、その部分は魅力的なシーンとなったはずですし、描くべきシーンのはずなのですが。キャラクターの大きなターニングポイントとなる話は、ダイジェスト形式で言葉で説明するのではなく、きっちり作品として撮るべきところ。というかそもそもそれを描くのが「物語」なんですけどね~文字に起こしておけばいいや、と思うなら、特撮を撮る意味がありません。

 タイガがメビウスと80に、「後は任せてください」と言うと、一瞬メビウスと80は応援に向かおうとするも、何を思ったか立ち止まり、「まぁ、僕たちが助太刀すれば凶魔人ゼットを楽に倒せるには違いないが、トライストリウムだけで十分倒せそうだから、放っておいても大丈夫そうだな。一人で戦わせた方が本人の経験値にもなるし、ここは後輩に任せるとするか。いやぁ良い後輩を持ったなあ」とメビウス80が棒立ちで漫談する始末。いや、あの、タイガに任せて良いと思うならさっさとユリアン助けに行ったら良いんじゃないですかね?「頼もしくなったな、タイガ。最後まで諦めず、不可能を可能にする。それがウルトラマンだ」なんてかっこつけてる暇があったら、さっさとユリアン助けに行け、メビウスよ(笑)

 さて、凶魔人ゼットとタイガ、ウルトラマンゼットとの戦いが繰り広げられます。本作主題歌とともにタイガ、ゼットが立て続けに必殺技を放っていきますね。あ、フーマ烈火斬とタイガブラストアタックの間に剣の持ち方が非常にもたついていたの、見逃しませんよ。いや、あまりのもたつきようで、よくこれをOK出したなというレベル。

 そして凶魔人ゼット、ゼットンの複製体を出すも、トライストリウムの一撃であっさり退場です。

 とそこへ、ゼロが吹っ飛ばされてきて、心配する一同。「あいつ、強え」と言っているゼロが、カラータイマー一つ点滅していないことはもう何度も触れましたから省略。タルタロスは自ら計画を暴露。ウルトラの星を第二の母星とするのが、主な計画だったそうです。

 そこへ現れるトレギアとベリアル。ベリアル、「別にお前の手駒になったわけじゃねぇけどなぁ」と言っていますが、今作を通してベリアルはどう見ても飼い主に従順な子犬そのものです(笑)

 タルタロスに人質を取られ逃げられ、一方光の国が急襲されゼットライザーが強奪されます。自分の名前が冠された武器ということもあってか、まっさきに飛び出していくゼット。なんだかんだで心配するゼロは、リブットやグリージョに後押しされゼットを追い地球へ。残った彼らはアブソリューティアンへの対抗策を模索する、でつづく。

 いや全然終わってないじゃん。う~ん、なにもかも中途半端でなんの物語としての区切りもないまま、ゼットテレビ本編に続くという……タルタロスの一件は一刻を争う事態のはずなのに、ゼット本編期間という長い空白を挟んでの続編ということに。次回作が面白くなければそれこそ本作の価値がさらに貶められることになるので、せめて次回作は面白くあってくれと願う所存。

 

〈まとめ〉

 結局Chapter3ってタイトル「明かされし野望」なんですけど、結局タルタロスが自分の口であれこれしゃべってますよね。タイトルの意味が「ウルトラマンたちの活躍によって明らかになった野望」ではなく「タルタロスに教えてもらって明かされた野望」なのがまたなんとも、ダサいというかなんというか。

 あ、そういえばChapter1でコスモスとかジャスティスとか、グレートとかパワードとか、出してましたけど結局どうなったんですかね彼ら。グクルシーサーとか完全になにもしてないんですけどなんで出てきたんですかね。沖縄の守り神がなんでChapter1に出てきたんですかね。風呂敷を広げるだけ広げて、キャラを出すだけ出して畳み方が雑だなぁ、というのは一言付け加えておきましょう。

 

 ということで、ウルトラギャラクシーファイト大いなる陰謀 感想でありました。う~ん、坂本浩一監督の絵面自体は好きなんだけどなぁ、ナックル星人バンデロ回とか最高に好きなんだけどなぁ、ウルトラマンZの担当回(スカルゴモラ等の回)も結構好きなんだけどなぁ。なんでこうなっちゃったんだろうなぁ。まぁでも仕方ない。こうなってしまったことは残念だけど仕方ない。

 とりあえず、坂本浩一監督に伝えたい言葉は一つ。

 

疲れたよね、もう、終わりにしよう