igomasの部屋

どうも、igomasです。ウルトラマンファン。ヒーローより怪獣、悪役が好き。今日も今日とて「悪役」考察♪

ウルトラマンの「設定」について

 ブログやTwitterを始める前は、周りにそうそうウルトラマンファンがいることもありませんから、ウルトラ作品に対する考えは、まぁスレとか感想記事とかレビューとか、せいぜいその程度を参考にするしかなく、意見を交わす機会がないゆえ、自分の考えはある程度固定化されたものでありました。しかしTwitterでは四六時中誰かが何かウルトラマンについて呟いているわけですから、多種多様な価値観を理解した上で、自分の考えを持つことが出来るわけです。また、スレ、感想記事、レビューが、ある程度似通った意見の人々が集まるのと異なり、Twitterはマイノリティでも発言がしやすいというのもあります。非常に有り難いサービスですね。
 さて、Twitterを始めて、ウルトラマンに関する様々な事柄において、なるほど自分とは価値観が違う人がたくさんいるのだな、と思ったわけですが、その中でも特に驚いたのが、ウルトラマンファンには「設定」で一喜一憂する人も多い、ということであります。
 新作ウルトラマンが発表されると、Twitterは「設定」話でごった返します。ルーブであれば、「兄弟ウルトラマンなんだってさ」「冷やし中華みたいなノリでウルトラマン始めるな~w」とか、タイガであれば「タロウの息子か、ウルトラの父がウルトラの祖父になるな」とか。一番反響があったのは、ジードのときではないでしょうか。「えっ、ベリアルに息子が出来たの!?」とかなり呟かれていた印象です。しかしながら、私igomasは、正直言って、ウルトラマンの設定が発表されたところで、へぇ~、くらいの感情しか起きないわけであります。あのジードの時ですら、「ふ~ん、ベリアルの息子ね」くらいのノリであり、そこまで設定で興奮することがないのですよね。
 まぁ私がどちらかといえば怪獣好き、というのも一つあるかもですが、一番の理由は、「設定だけでは意味がない。設定をどう活かすかに意味がある」と思っているからでしょう。設定というのは、いわばただの点です。その点をつないで線にしてゆき、その線を束ねて絵にしていく。それが、作品作りに他なりません。
 自分は作品を視聴する際、どちらかと言えば作り手の側から作品を見てしまいます。テーマ、構造、セリフ選びの善し悪し、そういった、作り手なら考えるようなことを考えながら見ているわけです。設定を考える、というのは、その中のほんの一粒の要素でしかありません。むしろ設定を活かすのに費やす労力は、その5000倍以上であります。作り手の苦労を考えれば、設定ではなく、その設定の活かし方に、何倍も注目してしまうのは、自然な流れと言えましょう。とはいえ、当たり前ですが、ウルトラマンを見る人の大半は、視聴者の側から作品を見るわけですけどね。そういう見方だと、見る上で最も分かりやすいアイデンティティの部分は、情報として重要なのでありましょう。
 作り手の側から見ると、どのように作品は見えてくるのか、というのは、このブログの読者の多くと異なる部分なので、楽しんでいただきたい部分。

 

 さて、そんなわけで、私igomasは、「設定」の活かし方に注目しているわけですが、この設定論を語るにおいて非常に有用なのが、かのウルトラマンゼロであります。彼は、様々な要素を持ったウルトラマンでありますから、語りがいもあるかと。
 というわけで、今後、ウルトラマンゼロに学ぶ設定論シリーズを投稿しようかと考えております。ゼロや他のウルトラマンを見ながら、設定について考えてみるのも、良い機会でありましょう。今後のigomasに、ご期待ください。それでは今回はこの辺で、また次の記事でお会いしましょう。igomasでした!