igomasの部屋

どうも、igomasです。ウルトラマンファン。ヒーローより怪獣、悪役が好き。今日も今日とて「悪役」考察♪

仮面ライダーって、なんだっけ?

 皆さんこんにちは、igomasです。普段はウルトラマン考察記事を書いている私ですが、今回は、仮面ライダーゼロワン記事となっております。

 ゼロワン、ついに最終回を迎えましたね。なんやかんやあってはや一年。Twitterなど巷で色々と騒がれたゼロワンも、ついにその物語に幕を閉じることとなりました。今回は、そんなゼロワンの良い点、問題点を挙げつつ、総括記事としたいと思います。

 なお、ちゃんとマイナスなことも言いますので、あまり否定的な意見を聞きたくないという方は良い点だけ見ていって下さいな。

 それでは、見ていきましょう!

 

 

《良い点》

 そもそも、普段ライダーを見ない私が久しぶりに仮面ライダーを見ようと思ったきっかけは、そのデザインにあります。黄色という、やや奇抜な色ではありますが、近年の平成2期ライダーにありがちな「盛りすぎておりややダサい造形」と異なっている点で、好感が持てました。平成ライダーの奇妙なデザインは、話題性を呼び新規参入者も呼び込みやすい、バズりやすい、という商業戦略の一種ではあるものの、やはり仮面ライダーには「格好良さ」を追求して欲しいという思いがある以上、あまり気乗り出来ませんでした。しかしながら今回の発表で、すんなり飲めるゼロワンのデザインは印象が良く、また2号、3号ライダーであるところのバルカン、バルキリーも好印象でありました。

 また、ウルトラマンの話を持ち出すのもなんですが、令和初のウルトラマンである『タイガ』は、ニュージェネレーション完結作としての側面が強く、あまり令和初感を感じられていなかったというのもあり、「特撮で令和初感」を感じたい、と思って見始めたんですよね。結果としてその判断は正解だったと確信したのが、第一話。ヒーローの立ち上がりとしての完璧な第一話は、令和初の重みを背負うだけの意気込みが感じられましたし、かなり好感をもって見られました。ああいう第一話は、見習うべきところが沢山つまっていると言えましょう。

 戦闘シーンも、中盤以降はややグダってはいましたが、前半では特に、全ての変身が劇的に描かれており、それぞれのライダーの変身がまぁ格好いい。とにかく戦闘が見ていて心地よく、アクションが爽快。CGは安定の仮面ライダークオリティでしたが、爽快さはやはり敵わないな、と思うほど感銘を受けました。

 敵キャラも、特に序盤の大量放出は目を見張るものがあり、毎話新怪人が登場し、仮面ライダーの新フォームも登場するという大盤振る舞いで、この豪快さはかなり楽しめましたね。なんやかんやで中盤でも、所々仮面ライダーの新フォームが出る回もちらほらあり、まぁここまで新規造形スーツを作るというのは素直に評価できましょう。

 変身フォームを役者自身が考えるなど、精力的に作品作りに参加する役者陣の努力は素晴らしいものですし、今後の活躍を応援したいと思えましたね。まぁ、良い点といえばこれくらいでしょうか。

 

《問題点》

 さて、本編です(笑) これだけは言っておきますが、上記のように、ゼロワンは素晴らしい点もかなりあり、素材自体は結構良い物が揃っていたりはします。しかしながら、その調理というか、処理が滅茶苦茶な方向に進んでしまった部分も多く、作品作りとしてやってはいけないことが沢山詰まった作品となっております。

 「なんとなく」ゼロワンを批判してしまう方々に、どうやってゼロワンの問題点を考えていったら良いのか、かみ砕いて説明できていければと思います。また、作品を作りたいと思っている方はもちろん、感想記事や、ちょっとした1、2行のレビューを書きたいと思っている方にも必見の、物語の構造的な見方も少々紹介しています。ぜひお楽しみください。

 

作品の独特の世界観

 仮面ライダーゼロワンは、「人工知能搭載人型ロボ、ヒューマギアが、様々な仕事をサポートする新時代」を舞台に繰り広げられる物語。第一話冒頭あたりで、人工知能が既に世間一般に流通している、近未来的な世界観は、非常にワクワクしましたし、本作の魅力でもありました。しかしながら、こうした「独特の世界観」を描く際には、一つ、注意しておかねばならないことがあります。それは、現実世界ならではの価値観を、持ち出さないこと。作品世界の価値観と、現実世界の価値観は、時には相容れないものになってしまいますから、注意が必要です。

 ゼロワンは、そもそも「ヒューマギアが社会一般に受け入れられた」時点からのスタートであり、「ロボットを導入したら、人間の仕事が奪われる」といった「現代社会の問題点」は既にクリアされた世界観からのスタートなのです。ZAIAとのお仕事対決最終盤において、政治家が主張した上記の意見は、あくまで「現実世界」の話。一気に作品の近未来感が吹き飛んでしまいます。自分で独自の世界観を出しておいて、現実世界とごっちゃになっているようでは、お粗末としか言いようがありません。

 また、こうした独自の世界観が面白い理由の一つとして、「現実世界ではありえないトンデモな世界にリアリティを持たせることで、まるでそんな夢の世界が存在するかのようなワクワク感を与える」という効果があります。本作では、「ヒューマギア」という人型ロボットの存在が、近未来的かつワクワクする設定だな、と強く感じました。終盤のアルトによれば、「人型にこだわる必要は無い」とのことですが、「人型にこだわる」からこそ、斬新な世界観になり、物語に面白味が出てきているのであり、結局人型にこだわらないのであれば、過去に存在した有象無象の作品と大差なく、世界観も一気につまらなくなってしまいます。

 「人工知能搭載人型ロボ、ヒューマギアが、様々な仕事をサポートする新時代」という主軸がブレブレな時点で、どんな物語にしようが上手くまとまるはずはありません。

 結局、ゼロワンは「ファンタジックな独特の世界観」を持ちながら、その近未的な世界観とは相容れない、手垢のついた現代的な問題を持ち出し、さらには世界観をありきたりでチープなものに落とす、という愚行を犯しているわけです。下地からしてかなり不安定という……この時点で、大丈夫か。

 

ヒューマギアに、好感など持てない

 本作において大きな存在となる、ヒューマギア。率直に言って、本作を見て「ヒューマギアっていいなぁ」なんて感情は微塵も起きませんでした。

 そもそもヒューマギアは前提として、人間社会を豊かにするロボットなはず。そのロボットが人間に危害を加えている時点で、破棄は免れません。一般に、家電が勝手に暴走し、人間に危害を加えているのに、開発企業が何の対策も示さない、となれば、破棄しよう、という流れになるはずです。滅亡迅雷ネットによりアークに強制接続され暴走する1クール目はまだしも(正直テロ組織に軽々と暴走させられている時点で破棄レベルではありますが)、2クール目以降は、自分で勝手にアークに接続して暴走しており、どこにもフォローの余地がないレベルで破棄確定です。いつ勝手に暴走するか分からない殺人予備軍ロボットとの共存など不可能です。ラッパーヒューマギアしかり、最終回あたりのデモヒューマギアしかり、人間の善意も悪意もラーニングする時点で、人間の手でいかようにもできるわけで、「悪意さえラーニングさせればいつでも暴れさせることの出来る武器」となりうるので、あまりに危険。

 

ZAIAスペックって、何?

 そんなヒューマギアの対立項として描かれるのが、人型に頼らないAIサポート、ZAIAスペック。結局のところ、「なんか凄い道具」程度の説明しかなく、ZAIAスペックが実際どんな道具なのか、ほとんど描写されないまま終わってしまいましたね。

 ZAIAスペックがどんな道具なのか分からないので、中盤のお仕事対決も、全然乗れないという。まぁそもそもお仕事対決をすることに何の意味も無く、ZAIAスペックの方が優秀だからヒューマギアを破棄しようとか、ロボットの方が人間より優秀だからZAIAスペックを破棄しようとか、そういう話ではないはずです。人に寄り添うのがヒューマギアなら、人とヒューマギアを戦わせること自体に意味が無いわけで、お仕事対決編の存在意義も、うやむやになってしまいましたね。

 

主人公の心の支えがグラグラ

 アルトの思想の大部分を形成している父ヒューマギア、飛電其雄の描写が皆無に等しいというのも、重大な欠陥。飛電其雄の描写といえば、「心から笑うことの出来ない飛電其雄を笑わせるために、アルトがお笑い芸人になった」「デイブレイクの日、死にゆく飛電其雄を見てアルトが悲しんだ」程度であり、まったくもって希薄。主人公の、行動指針の多大な部分に影響を与えた人物の描写が、たったこれだけ。開いた口がふさがりません。

 また、祖父の飛電是之助については何の掘り下げもなく(ワズとの会話程度)、存在が虚無。ヒューマギアの生みの親たる人物の描写が全くないのは、もはや物語を作る気がないとしか言いようがありません。飛電是之助がしたことと言えば、人間の悪意をラーニングし暴れ回る狂気のマシン、ヒューマギアを世に普及させ、滅亡迅雷ネットによるヒューマギア暴走の可能性を知った上で、デイブレイクの秘密を隠蔽し、ヒューマギア事業を拡大した、などなど、悪印象のオンパレード。飛電是之助に関する描写が皆無ゆえ、ほんとなんだったんだ、しか言えない人物になってしまいました。

 彼らに代わり、劇中で主人公の心の支えとなったのが、イズでした。個人的には、コミカルな描写とか、割と好みではあったのですが、全体的なヒロイン力が足りなさすぎた印象ですね。終始アルトのイエスマンであり続けたことも、かなり作品を苦しめてしまっている印象。

 主人公の心の支えとなる上記3名の描写がもう少ししっかりしたものであれば、また印象も変わったのかもしれません。

 

テーマがバラバラ

 今作は、1クール、2クール、3クールそれぞれに別々のテーマを設けています。1クールは「笑い」、2クールは「善意・悪意」、3クールは「夢」。この詰め込み感がどうも良くなかったのでは、と考えています。やはり作品の主軸となるテーマは一つに絞るべきで、サブテーマが沢山あるのは良しとしても、メインテーマがこうも乱立していると、話がブレブレになってしまいますよね。

 1クール目の「笑い」をテーマにした作風は割と好みではあり、第一話の、「笑い」というテーマをヒーローの発現に繋げる流れなどは、非常にアツかったですし、唯一の飛電其雄の描写である「心から笑うことの出来ない飛電其雄を笑わせるために、アルトがお笑い芸人になった」を活かすことも出来たので、この路線で進めて良かったのではないかなぁ。後半になると「笑い」というテーマはなりを潜めてしまったのは、苦しいところ。

 2クール目の「善意・悪意」は、そもそも言葉の定義があやふやなため、なんとなくの感情論で進むだけの愚鈍な展開になってしまいましたね。「善意・悪意」を描くために、人間の悪意を描き、人間の側を下げることで相対的にヒューマギアの方を善玉に見せる、という手法がとられており、あまりに強引。それでヒューマギアの評価が上がったかと言えば、ヒューマギアはヒューマギアで自我が芽生え勝手に暴れているので、成果も芳しくないという……

 3クール目の「夢」の酷さは錚々たるものでした。アルト自身は「ヒューマギアだって夢を持っていい」と言いますが、やっていることは「強制的に夢を持たせる」ことに他ならず、その夢の内容は、「そのヒューマギアがどうして作られたか」という製造目的に依拠したものであり、つまりヒューマギアの意思に関係なく「製造理由を強引に夢として押しつける」作業でしかなく、アルトに対し激しい憎悪を抱かざるを得ない作劇。テニスヒューマギアは嫌がる使用者を強引にプロの道に進ませようとし、アルトは滅に「夢があるはずだ」と言ったうえで、その夢が、製造目的であるところの「父親」だと決めつける。かなり「夢」というテーマの扱いを見誤った感がありますね。

 2クール目、3クール目のテーマがまったくもって描けていない故に、中盤の物語がぐちゃぐちゃになってしまっているのは必然の理。テーマは一貫して、ちゃんと描きましょう。

 

雑なオマージュ

 3クール目のテーマが「夢」なこともあってか、唯阿のZAIA退職回では非常に露骨な「ファイズオマージュ」がなされました。えっと、正直そこまで作品全体としては問題にすることではないのかもしれませんけども、ファイズファンとしては、かーなーりー不愉快でありました。

 「思いはテクノロジーを越える…らしいぞ」という、ファイズオマージュ台詞。え、これそんな話だったっけ? まずこの「思いはテクノロジーを越える」ってのが意味不明ですし、仮に1万歩譲ってこのセリフが何かしらの良い意味を持っていたとしても、それと「ゴリライズすれば脳内のチップなんてへっちゃら」とは別の話でしょうに。それから、脳内チップをテクノロジーと言ってしまっていいのか。なんというか、こじつけが過ぎます。

 そもそも、本作における「夢」の扱いが酷いというか、定義自体が曖昧という話は先程しましたが、それに加え、刃唯阿の扱いの雑さも、このオマージュのチープさを高めています。

 刃唯阿は、A.I.M.S.の技術顧問として登場したキャラで、本人もZAIA退職回で、「技術者としての信念」という発言をしているわけですが、本編においてまったくもって技術者としての描写が皆無。刃唯阿というキャラクターの根幹が存在しないために、なんというか、とてもふわふわ浮いたキャラになってしまいました。故に、この「思い」という言葉(技術者としての信念)もよく分からないことになってしまい、結果、全く中身のない、ただの悪ノリオマージュに成り下がってしまったというわけです。

 この回がオマージュしている元セリフは、ファイズ最高傑作と名高い第8話の非常に大事なセリフであり、作品の根幹ともなる重要な言葉。その台詞を、雑なオマージュに悪ノリで使われてしまっては、ファイズファンとして黙ってはいられません。

 

1話ごとに別作品

 本作、主人公が、ヒューマギアに自我を認め、ヒューマギアは代替不可能な、心を持った存在だ、と言っておきながら、ヒューマギアが破壊されたら即データ復元で満足しきっています。最終回では、あろうことか、イズとは全く異なる普通のヒューマギアをイズと同じ見た目に作り、自我を否定しイズの記憶を植え付けようとするなど、主人公の言ってることとやってることがあまりにちぐはぐ。

 先の「思いはテクノロジーを越える」もそうですが、前話までまったくそんな話微塵もなかったのに、さも今まで掘り下げてきましたと言わんばかりに唐突な展開が多く、もはや毎話毎話別作品レベル。作品なんですから、せめて話は一貫させて書いてもらわなければこまります。

 

悪役の描き方が史上最底辺レベル

 本作は主人公が社長ということもあり、社長対社長という対立構図を作りたかったのか、敵対社長ポジションとして登場したのが、天津垓。しかしその実態は、「主人公対器物損壊犯」の構図でしかありませんでした。

 天津垓は、さもカリスマ社長めいたポジションに描かれ、ラッパー編では、さくらを使った大衆迎合、マスコミを使った策略によりアルトを窮地に追い詰めた冷静沈着な策士、かのように扱われていますが、全くもってそんなことはありません

 アルトやイズ、他の多くの関係者の前で、器物損壊・殺人未遂を延々と繰り返し、証拠は十分すぎるほどあるというのに(関係者の言質・イズらヒューマギアによる映像データ)、なんのお咎めもないままお仕事対決編が進んでゆき、天津垓は策士でもなんでもなく、「誰でもわかるくらい大手を振って暴れているのに、製作陣の話の都合によりどういうわけか生かされているだけのお粗末なキャラ」でしかなかったわけです。天津の罪に対し、アルトが「善意・悪意」「夢」だかなんだか色々と言っていますが、それ以前の問題として、天津がやっていることはただの他社製品の器物損壊、営業妨害、殺人未遂でしかなく、ただの犯罪者。

 さらに酷いのは、悪役としての去り方。悪役に魅力を持たせるには、劇中の活躍だけでなく、散り際の展開も、大変重要になってきます。それが、もう、酷かった。まず、アルトがプログライズホッパーブレードを入手し、メタルクラストホッパーの悪意から脱却してからの展開。それまでは、確かに悪事の証拠なんてたんまりあったしいつ起訴されてもおかしくなかったけれど、主人公に力では勝っていたため、存在理由が多少なりとも残っていたわけですが、これ以降は存在意義が皆無。「証拠まみれなのに製作陣の都合で生きながらえる」部分がさらに顕著になり、見ていて耐えられるものではありません。またその後は、毎回のように天津が爆発四散する映像を見せられる始末。主人公が、勝てる相手をボコボコにするだけの映像が流れ、見ていて何もハラハラしないし、人によってはただ不快になるような演出。

 天津の悪事を考えれば、これくらいボロボロにさせて制裁するのが当然、と製作陣は考えたのかもしれませんが、きついことを言いますが、たかだか爆発四散させた程度で悪役の散り際を描けたなどと思うのは傲慢極まりない。

 天津の散り際に関していえば、まったくもって散り際のパンチが足りません。何度も何度も負け戦に繰り出しては爆発する天津を見るよりも、もっとパンチのある敗北を、たった一回で描ききる。それでこそ作品として天津をきっちり制裁したことになるのではないでしょうか。

 結局最後には主人公に負け、自ら飛電インテリジェンス社長を退任し、ZAIAでも立場を失い、アルトやフワ、唯阿に謝罪するわけですが、あまりにやってきたことと釣り合いが合わなさすぎます。何度も言いますが、天津のやってきたことは、器物損壊営業妨害殺人未遂。社長退陣謝罪どころでは済まされません。少なくとも、警察に連行されるくらいのことはしていただかなければならないのに、それどころかむしろ味方として戦い始める始末。Twitterでも天津の味方化が一部で絶賛されていましたが、これには軽く絶望しましたね。あぁ、この人たち、人をいじめていじめた事実をすぐ忘れる人なんだろうなぁ、って。天津のしたことは、立派な犯罪です。味方になろうが何をしようが、それが制裁されない以上、悪役の散り際は到底描けておりません。

 また、彼はアークを作り、ヒューマギアを暴走させた事件の黒幕であり、この作品における全責任は彼にあるわけですが、その責任転嫁が無茶苦茶。本作では、それ以前から、ヒューマギア暴走の責任を、「アルト→滅亡迅雷ネット→天津→アーク」とたらい回しにしているわけですが、「ヒューマギアが好きだった」の一言で全ての責任をアークに押しつけられる作品のご都合主義には大変感服します。

 天津味方化回では、まるで彼の父の教育方針が彼を歪ませてしまった、かのように描かれ、Twitterでは「天津垓は悪くない。この作品の黒幕は天津垓の父親だ」なんて呟かれる始末。いやいや、ちゃんと見たら分かりますが、天津の父が何か悪いことをしたでしょうか。ただ彼の父親が、「99点でも許さない、最低でも100点を目指させる完璧主義」という教育方針をとっただけのことであり、「1000%を目指せ」というのも自分の子供に大きく期待している、ということに他なりません。「サウザーを捨てられた」ことが天津の人格形成に大きな影響を与えたかのように描かれていますが、天津垓自身、昔とはまったく姿もデータも異なる犬型ロボットをサウザー扱いするほどに(そして最終回ではサウザーを量産するほどに)愛着がなく、別に人格形成にさほど影響を与えているとは思えません。天津垓の父親が、児童虐待だとか、そういう明らか「悪」な行為をしているならまだ理解できますが、父親の教育方針によって、天津垓が器物損壊・殺人未遂をしたことに正当性を持たせるというのは無理がありすぎます。ましてや、「天津垓は悪くない。この作品の黒幕は天津垓の父親だ」という意見などもってのほか。殺人犯の親を死刑にしろと言わんばかりの歪曲した意見には、開いた口が塞がりません。

 これが「思想的対立をもった社長の対立」であれば、社長ライダーとして上手くハマってくれましたが、主人公を善玉に見せるために、あえて対立する社長を犯罪者にまで貶める、という作風を取ってしまったあたり、社長ライダーとしても失敗であります。

 一番酷いのは、天津を演じる桜木那智氏が「草加雅人を参考にしている」と発言したこと。何をどう参考にしたらああなるのか。ごめんなさいね読者の皆さん、ファイズを出されると、触れないわけにはいかないのですよ。

 草加雅人は、主人公と意見・思想の対立はあるものの、一貫して怪人を倒すヒーローであり続けました。思想の対立から、どちらかと言えば悪玉として視聴者の目に映るものの、ヒーローであり続けるという絶妙な立ち位置のキャラでありました。

 一方天津垓は、本作における全ての事件を引き起こした真犯人であり、ヒューマギアによる大規模テロを模索した人物。そもそもその根幹が悪なのです。やっていることも、怪人製造、殺人未遂と悪人の所業であり、フォローの余地など微塵もありません。

 二つのキャラは、似てもいない否なるキャラクターです。参考にしたなどと言われては、頭に百個くらいはてなマークが浮かびますし、もうわけが分かりません。

 えーとにかく、天津垓は、悪役としての役割から、活躍、散り際、参考とするキャラクター像まで、何から何まで一番やってはいけないことを全てこなしており、ぶっちぎりで今年最低の悪役の描き方。作品作りをする方には、是非とも反面教師の金字塔として、参考にしていただきたいですね。

 

仮面ライダーって、なんだっけ?

 本作における「仮面ライダー」が結局なんなのか、まったくもって不明。「仮面ライダーならこうすべき」みたいな価値観が知らぬ間に勝手に出来上がっているのですが、そもそも「仮面ライダー」は本来敵組織の改造人間として誕生したのが始まりであり、その本質は「悪」なはずです。過去にも私利私欲のために仮面ライダーの力を使った人々はごまんといるわけで、「仮面ライダーなら良いことする」というイメージがそもそも間違い。

 それはそれとして、とにかく本作における「仮面ライダー」がどんな存在か、全く描かれないんですよね。本作、「○○○○、それが仮面ライダー□□だ」みたいな台詞回しがかなり多いのですが、結局「○○○○」の中身って各キャラの行動指針でしかなく、本作における「仮面ライダー」という呼称そのものへの定義が皆無なんですよね。

 それが大きな問題として顕在化してくるのが、フワさんの「仮面ライダーという夢」という言葉。いや「仮面ライダーという夢」ってなんだよ。本作における「仮面ライダー」も「夢」もどちらも曖昧なので、結局この言葉の意味は最後まで分からずじまいでした。また、アルトの最終回の「俺たちは仮面ライダーだろ」発言も正直何言ってるかよく分からない、という事態に。

 

 

 

 色々書きましたが、これらはあくまで今作の重大な欠陥でしかありません。もっと突き詰めれば、この5倍くらいの分量の記事になってしまいますが、それでは私も読者の皆様も疲れるので、今回はこの位にしておきます。物語の基盤もグラグラ、内容もぐちゃぐちゃ、テーマもない、作品として作る気が無い、「仮面ライダー」の意味自体あやふや、もはやこの代物を「作品」とか「仮面ライダー」と呼称して良いのか疑うレベルで、反応に困惑する日々でした。

 

《まとめ》

 まぁなんやかんや言いましたが、作品って突き詰めればここまで崩壊させられるのか、と目を見張る演出の数々に、途中からはかなりハマってましたね、私。なにより、こんな作品に新規造形スーツやCGなど、予算をバンバン使える気前のよさが、最高です。

 中盤辺りからの怒濤の展開には正直呆然としておりましたが、終盤になってからは逆になんだか楽しくなってきて、あと5000話くらいはこの苦行を続けたい気分であります。絶対ゼロワンロスになる、それくらいにゼロワンを楽しんだ1年でありました。来年の仮面ライダーはもう見ることはないでしょうが、久しぶりに仮面ライダーを見て、こういうのもありだなと感服しました。令和ライダー最高傑作の名に恥じない素晴らしい出来でしたね(苦笑)

 それでは、また次の記事でお会いしましょう、igomasでした!