igomasの部屋

どうも、igomasです。ウルトラマンファン。ヒーローより怪獣、悪役が好き。今日も今日とて「悪役」考察♪

ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀 Chapter2 感想

 

【注意】本記事は現在YouTubeで展開中の番組、ウルトラギャラクシーファイトの酷評記事です。普段はオブラート100枚くらい包んで批判することもありますが、今回はオブラート10枚くらいの批判です。そのため、不快に思われる方もいらっしゃるかもしれません。それでもいいよという方のみお読みくださいませ。

 

 はい、始まりました(笑) いや、もう何から手を付けていいか分かりません。ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀 Chapter2、感想記事です。

 前回は、坂本浩一監督の描く「オマージュ」がたくさんの問題を抱えている、なんて話をしておりました。前回記事で紹介した通り、坂本監督は、「オマージュといえばこの人」と言われるくらいに神格化されている人ですが、私igomasの見解としては、坂本監督は「オマージュが苦手で、自分から何かを作り出す方が得意」というイメージで固まっているんですよね。もちろん、細かいことを何も気にせず見られる視聴者の方々には気にならないかもしれませんが、よくよく作品を見てみれば、粗はごまんとあることは、前回記事でもわかっていただけたかと思います。

 

igomas.hatenablog.com

 

 私igomasも、坂本監督がオマージュをさほど得意としていないことは重々理解していましたから、まぁ多少(というには色々やらかしていますが)の粗は仕方がないと割り切って見ていました。しかしながら、今回は坂本浩一監督自身が生み出したキャラ、ベリアルの物語。さすがにここは外してこないだろう、ちゃんと描いてくれるだろうと思って信じて見てみたら

 

な ん だ こ の あ り さ ま は

 

 まぁEpisode5はいつもの雑オマージュ駄作って感じでしたし、Episode6に関してはむしろウルトラ6兄弟の戦いの見せ方は悪くない部分も多かったので、さほど強烈な批判にはならないとは思いますが(それでも批判自体はしますが)、やはりEpisode4が酷い。今回はEpisode4にかなりの尺を割きながら、思ったことをつらつらと述べていこうと思います。

 

 

Episode4

 ウルトラ大戦争がショボい。まぁ前半はただただこれに尽きると思います。ウルトラマンウルトラマン80ウルトラマンメビウスと、長きにわたって綴られた光の国の歴史の中で、最も大規模な戦争として描かれる、ウルトラ大戦争。エンペラ星人と、当時の光の国の精鋭が雌雄を決し、ウルトラの父とエンペラ星人の決闘で幕を閉じた大戦争。それだけのエンペラ星人の脅威も、大規模感も、戦いの重みも、なにひとつ1ミリもまったくもって伝わってこない。グリーンバックで小規模な(それこそそこらの遊園地のヒーローショーより小規模な)軽い戦いを見せられるだけ。まさにウルトラの歴史の冒涜ともいえる絵面のチープさでありました。

 なぜこんなにチープな絵になったか、というのは単純な話で、カメラが終始近すぎる。あちこちで戦いが起こっている、あちこちで怪獣や宇宙人が暴れまわっている、そんな絶望的な様子はみじんもなくて、家族写真を撮るときのグリーンバックくらいの大きさの小さなグリーンバックの中で、キャラクターがわちゃわちゃしている様子を、近くから撮りました、みたいな、そんなカットになってしまっているんですよね。また、グリーンバックの背景も、まさにボイスドラマのそれで、背景自体がとても安っぽい。

 かつて坂本監督が低予算ながらも全力をかけたベリアルの乱。立体的なCGで光の国を描き、ウルトラマンと怪獣の大戦争をかろうじて描き切った。その画を撮った監督と同じとは思えないくらいに、今回の手抜き具合は非常に残念でした。そりゃ予算もない、スーツもない円谷の今の現状なら、あまりに無理がありすぎたのかもしれない。だったらこんな作品作るなよと、そう言いたい。ウルトラ大戦争を撮ることになんの覚悟もなく、ただ低予算の中でウルトラの父とエンペラ星人を戦わせておけばいいという、志の低さが見え見えです。こんなことは言いたくありませんが、Episode4はとんだ恥さらしです。自分は志の低い監督だと書いた大きな看板を背負って街を闊歩するようなものです。反省していただきたい。

 まぁ前置きはこのくらいにして、本編を見ていきましょう。今作Episode4は、ウルトラマンベリアルが闇の力で邪悪な存在になる前の物語、とのこと(参照:『ウルトラギャラクシーファイト』最新作、坂本浩一監督が語る大いなる陰謀「歴代ウルトラマンたちの魅力を再発見してほしい」 (3) (mynavi.jp))。 本ブログでも何度も紹介していますが、悪役において「過去」を描くことは、キャラ付けにおいてなくてはならない要素です。監督によれば、「ウルトラマンベリアルの魅力をさらに高めていくにはどうしたらいいか……と考えて、ベリアルがレイブラッドと同化した状態ではなく、若きウルトラの父(ケン)や母(マリー)と共に怪獣軍団と戦っていた"過去"の姿を描こうという話になった」とのことで、たしかにベリアルという悪役を描いていくにあたって、これまであまり描写されてこなかった「過去」を描こうというアイデア自体は、納得するところがあります。また監督はこうもおっしゃっています、「現在のベリアルを思わせるような描写もあったり」と。大いなる力を得た時、人は二種類に分かれます。その力を善のために使うのか、悪のために使うのか。どちらの道を選ぶにしても、その道を選んだ背景がどこかにあるはずです。その人が育った環境、教わってきた価値観、自分が世界をどのように見ているのか。その一つ一つが積み重なってゆき、最後に善か悪かどちらかの道を選ぶことになる。だからこそ、ただ「今現在の悪役」を描くのではなく、その背景となるような過去を示し、そこに「悪としての道を選んでしまいそうな危険な価値観」や「歪んだ環境で育った背景」みたいなものが見え隠れすると、悪役の魅力が十二分に化けることは間違いありません。このインタビューに書いてあることをもしちゃんと実行できていれば、今作は素晴らしい作品になっていたのかもしれませんね。ちゃんと実行できていれば……

 冒頭、ウルトラの父に許しを請う宇宙人。そこへベリアルが現れ、「お前らはおとりだったってわけかどけ」とウルトラの父を押しのけ……ウルトラの父を押しのけ、宇宙人を焼却します。このシーン、たしかに無抵抗な宇宙人を惨殺するのも大きな問題点ですが、それ以上に問題なのが、同僚を邪魔だと言って押しのける姿。「なぜ撃った。彼らは戦意を失っていた」と意見するウルトラの父に対し、「何を甘いこと言ってやがる」とどつくベリアル。ほーーーーーーーーー、そう描くのか。へーーーーーーーーーーーーーーーーーー(怒りゲージ40%)

 さて、エンペラ星人が光の国に降臨。エンペラ星人とウルトラの父、ベリアルとが戦います。エンペラ星人は、マントがない分やはり貫禄がなくなってしまうので、戦いをかっこよく見せるのにやや難儀したのであろうなと思われます。やはり威厳がそがれる分、エンペラ星人のファイトスタイルに魅力がなくなってしまっている感は否めませんでしたね。まぁ「ただのおとり」しかエンペラ星人軍が描かれていない時点で魅力も何もありませんが。

 ウルトラの父(今更ですが「ケン」よりこちらの方が書きやすいのでこちらで統一しています。厳密にはまだ子供が生まれていないゆえ、「父」と呼ぶのは正しくなかったりしますが)とベリアルは、エンペラ星人の攻撃を受け倒れる女性を逃がし、これがウルトラの父ウルトラの母の出会いだったのだ、ということらしいのですが、え、ウルトラ大戦争で負傷したウルトラの父ウルトラの母が看護したのが二人の出会いじゃなかったんですか(唐突な歴史改変その1)

 ベリアルもこのときウルトラの母と初めて会ったそうで、その時に放った言葉が「いい女だ。俺にふさわしい」。ひっどいセリフだ。まずもってダサい。絶妙にダサい。ウルトラの母ってただ単にエンペラ星人の攻撃で倒れていて、ウルトラの父との会話もほとんどなし。その状態で「いい女だ」って、それ顔しか見てないですよね、べリアルさん。顔だけで判断しましたよね。ここが一番ダサい。第二に、俺にふさわしいって、何様ですかあんた(怒りゲージ60%)。自己中心的で独りよがり、まさに今のベリアルそのものです。闇に落ちるもなにも、もとから悪じゃないですか。それも実にショボい悪。これについては後でまとめて触れます。第三に、そんな素っ頓狂なセリフを入れたことで、エンペラ星人との大決戦前の緊迫感がまったくもってどこかへ消し飛んだこと。これもまた酷い。このセリフを入れたことによるプラス要素が皆無です。

 さてウルトラの父、ベリアル、エンペラ星人の戦い。ウルトラの母が剣を持って現れますが、なんともチープな絵面。先ほども書きましたが、ほんと小さな画角で全部やろうとするので、なんとも「広さ」が足りなさすぎるんですよね。背景はボイスドラマのそれだし、本当に酷い出来。

 ウルトラの父が剣を持つと、角が伸び、髭が生えます(笑) これはメビウス放送時、ウルトラの父とエンペラ星人との決戦を描いたカットが、当時のスーツの関係上、髭が生え角の長いスーツで撮られたことと、ベリアルの乱まで髭の生えていない状態だったという事実とに整合性をもたせるためにやったことなのでしょう。まぁそこに整合性を持たせようとしたという努力は純粋に評価すべきでありましょう。とはいえ一瞬で髭が生えるってのは少し滑稽でもあるのですけれど。

 剣を持って姿が変わったウルトラの父を見てベリアルが一言、「これがケンに秘められた力だと」え、ダジャレですか、だったら面白くないです。まぁそれはさておき、見事ウルトラの父はエンペラ星人に勝利し、平和が訪れるのでした。

 ベリアルはすぐさまウルトラの母のところへ行き、「俺は必ずこの光の国を治めるにふさわしい大物になってやる。そしたら、俺と……」とすぐさま口説きに行くスタイル。だっさーーーーーーーーーーーーーーーーーーい。ウルトラの父が宇宙警備隊隊長に任命されると知ると、ベリアルは「馬鹿な、俺の方が実力は上のはず。力がいる、誰にも負けない力が」と言うのですが、本当に実力がケンよりベリアルの方が上なら、力をそこまで欲することもなかろうに。力を欲している時点で、自分の方がウルトラの父より実力において劣っていると認めているようなもので、発言が自己矛盾。また、力がいる、と思ったベリアルがまっさきにエンペラ星人を思い出すわけですが、まっさきに思い出されるほどの脅威ではなかったぞ、エンペラ星人。もう一度言っておくと、今作ではウルトラ大戦争などと銘打っておきながら、出てきたエンペラ星人の部下は「自称おとり」の雑魚3人のみ。戦いもチープな絵面でボイスドラマ程度の迫力。光の国壊滅の危機と言葉では言っていながらも、さして脅威に映っていませんし、なんならベリアルがそこら辺に倒れていた女性の「顔」だけ見てうつつを抜かす始末。こんなに雑に扱われたエンペラ星人が、「力」の代表格としてベリアルからあこがれを抱かれるというのはさすがに無理がありすぎる。エンペラ星人の悪役としての魅力をめった刺しにし、ウルトラの歴史をコケにした代償がここでまわってきましたよ、監督。

 そしてここでアブソリュートタルタロスが介入。あぁ、ベリアルのオリジンにまで介入するのか。せめてベリアルは自分の意志で悪の道を選ぶくらいにはやる男だと思っていたのですが、全部タルタロスのいいなりに動く始末。陳腐な悪役になり下がりました。ベリアルはその後もウルトラの父との確執に悩まされ、訓練場でも「俺の方が強いはずなのに~」と暴れまわる始末。単純に見ていて、ダサいなって。なんでも自分の思い通りにならないと気が済まなくて、とにかくなんでも自分のものにしたがる。自己中の塊。そんなキャラクターに誰が魅力を感じるのでしょう。否。今作でベリアルの株は地に落ちたといっていいほど、扱いが酷いと言えるでしょう(怒りゲージ70%)

 暴れ狂うベリアルに、強大な力は欲しくないか、と語り掛けるタルタロス。ベリアルはプラズマスパークに手を出します。その後彼はゾフィーウルトラマンたちと戦い……え?……そして自分の足で光の国から立ち去り……え?(唐突な歴史改変その2・怒りゲージ80%)……そのまま転げ落ちるかのように真っ逆さまに岩場に落ちるダサいカット。ええと、本来の歴史ならプラズマスパークの力に侵され苦しんだ状態のまま、光の国を追放されたはずなのですが。なんでここ変えたんですか、なにか変える意味があったんですか。え、坂本監督、あなたが作った設定ですよ? なんで自分が作った設定自分で忘れてるんですか、え?しかもウル銀なら、追放され岩場に墜落した際、ザーっと地面に体を引きずって不時着したような跡があるのですが、どうして今回真っ逆さまに落下するダサいカットに変えたんですか。ウル銀なら、プラズマスパークの力に苦しみながら、追放されているわけですから、地面に体を引きずらせ墜落するのも納得できますが、なんで自分の力で光の国を脱出できるくらい体の制御ができる人が足滑らせて真っ逆さまに落ちた人みたいに岩場に叩きつけられているんですか。なんでこんな雑に撮って満足してるんですか!(意味不明な歴史改変その3・怒りゲージ100%)

 さて、タルタロスから未来の自分の姿を見せられ、自分の息子に討たれる最期とは、とんだお笑い草だとあきれるベリアルに、タルタロスは、お前の運命を変えてやる、共に来いと誘います。ベリアルは「おもしれぇ」と言って、タルタロスの下につくことを決めたのでした。(怒りゲージ120%)

はっ

お笑い草なのはベリアルの人生じゃなくてEpisode4のすべてだ!

 Episode4の何が一番悪いって、坂本浩一監督自身が、自身の生み出したキャラであるベリアルを、ことごとく無味乾燥なキャラに貶めたということです。いかにしてベリアルが魅力のない陳腐な悪役になってしまったのか。3点に分けて説明したいと思います。

一点目、本作Episode4は、「ウルトラマンベリアルが闇の力で邪悪な存在になる前の物語」だったはずです。しかしふたを開けてみるとどうでしょう。ベリアルはプラズマスパークの力を得る以前から、レイブラット星人の遺伝子を受け継ぐ以前から、ただの「悪」でしかなかったのです。悪役になる、ではなく、最初から悪だった者がより悪になった話、でしかないのです。つまりなんですか、結局のところEpisode4が伝えたかったのはつまり、悪は生まれつき悪ってことですか。犯罪者は生まれつき犯罪者。聖人は生まれつき聖人ってことですか。ベリアルは犯罪者の遺伝子を持って生まれたから犯罪者で、ウルトラの父は聖人の遺伝子を持って生まれたから聖人と、そう言いたいわけですか?ウルトラマンは聖人君子の遺伝子を持って生まれた宇宙人だから宇宙の平和を守るのだ。ウルトラマンは生まれつきいい遺伝子を持った「光の使者」なのだ、生まれつき犯罪者のベリアルはみんなで追い出せ、そういうことなんですか?反吐が出るね!

 え、じゃあジードが「運命を覆した」ってのは単純に、「犯罪者の遺伝子だから犯罪者になるしかないけど意外にも良いことをしたから運命を覆した」って、そんな陳腐なレベルの話だったってことですか?そうだとしたら非常に悲しいですね。

 ウルトラの長い長い歴史の中で汚点となることは間違いないですし、ウルトラマンという存在そのものを愚弄しているかのよう。坂本浩一監督にとってウルトラマンってのは、遺伝子的にたまたまいい人の遺伝子がたくさん含まれているラッキー集団程度の認識なわけでしょうか。もしそうだとしたら悲しくて仕方ありません。その人が善か悪か、というのはその人がどう生き、どんな人と同じ時を過ごしてきたのか、環境や価値観によって大きく左右されるものだと思っています。生まれつき善悪が決まっているなんて価値観をウルトラマンに持ち込まれること自体が不愉快です。

 この点に関してですが、まぁさすがに坂本浩一氏も「生まれつき善悪が決まっている」なんて危険思想の持ち主ではないでしょう。単純に悪役の過去を描く力量がなかった、ただそれだけのことなのでしょう。悪役の過去を描けないにも関わらず、無理してベリアルの過去をストーリーに組み込んでしまった。これが大きな失敗でしたね。大失敗・無理をしたのはもう一つあって、それが二点目。

 二点目、坂本監督は「現在のベリアルを思わせるような描写もあったり」とおっしゃっています。「現在のベリアルを思わせる描写」をところどころにスパイスとして入れることで、「これから悪役になってしまうであろう心の不安定さ」だったり、「悪の道を歩みだす予兆」といったものを表現したいと思ったのでしょう。

 しかし、実際の映像を見ると、「現在のベリアルを思わせるような描写もあったり」ではなく「現在のベリアルを思わせるような描写」しかありません。もはや最初から最後まで現在のベリアルそのもの。まったくもって作品のスパイスとして機能していない。とにかく坂本監督は中庸を知らなさすぎる。「現在のベリアルを思わせる描写」は0でも100でもなく、ちょうどいい塩梅で入れなければならない要素なのです。それが今回全くできていない。端的に言えば

下手

 三点目、無駄な歴史改変が多い。ベリアルが初登場したウル銀は坂本監督自身が手掛けたのにもかかわらず、なぜここまで描写が異なるのか、理解できません。ベリアルの行動そのものが変わっているほか、タルタロスにあっさり従い服従したり、レイバドスやジュダといった悪役たちと和気藹々とチームを組んでいるあたり、単身光の国に乗り込み銀河帝国を作り多くの部下に慕われたかつてのカリスマ性はどこにも見当たらず、魅力を大きくそいでしまったのは問題であったと思います。なぜベリアルの魅力をここまで下げ、自己中心的かつダサくて陳腐な悪役になってしまったのか。ただ一つ考えられることは、アブソリュートタルタロスのやってきたこの宇宙はパラレルであって、正史の時間軸とは異なる時間軸であるから、キャラクターの性格も行動原理も何から何まで違うということ。すなわち今作のベリアルはこれまで我々が見てきたベリアルと全く別の存在であるから、過去も現在も未来も、なにもかもが正史と異なる存在と、そう考えでもしなければ微塵も納得できません。せめてアーリーベリアルを一度でも、たった一度でも一瞬でも、かっこいいと思いたかった。ウルトラの父と肩を並べるほどの戦士じゃなかったんですか。今作で描かれたベリアルは、ただのダサいおっさんです。正直、ベリアル関連については改悪しかなかった。

 以上三点。他者のオマージュ下手に飽き足らず、自身が作り上げた人気キャラクターですら、その魅力を加速度的に急降下させ、歴史改変を通して大いに改悪し、「悪は生まれつき悪だ」と言わんばかりに愛のない悪役描写、バランスのなっていない「現在のベリアルを思わせる描写」、雑でチープなウルトラ大戦争、なにより、志の低さが見え見えの作劇。間違いなくウルトラマン史上最低最悪の駄作です。

 私は、坂本浩一監督のアンチではありません、信者でもありません。良いと思えば褒め、悪いと思えばけなす、ただそれだけです。坂本監督は、ちゃんと全身全霊をかけて取り組めば、いい画を撮れるポテンシャルは十分に持っている方だとは思っています。そう思っているからこそ、なんでこんな駄作を世に出したのか、残念でなりません。無能な人間に、できないことを強制するほど私は馬鹿ではありません。坂本監督ならできたと思います。他人のオマージュならまだしも、自分が作り出したキャラくらい、まともに描ける人だと思っていました。それすら手を抜くなんて、いやむしろ手を抜くより酷い出来になっているなんて、ほんと心底がっかりです。あきれました。

 ということでEpisode4感想でした。まぁなんというか、こんなに何一つ褒めるところがない作品ってのも珍しいなと。記憶から消したい、正史から消したい、そんな一作でした。

 

Episode5

 さて、ここからは平常運転です。再びオブラート100枚仕立てで感想記事を書いていくと致しましょう。Episode5は、トレギアの過去に関する話。冒頭から、アーリートレギアが現れ、おなじみ構えのカット。このカットを見て、スーツアクターの方がChapter1のコスモスの人と同じだと思ったのは私だけでしょうか。前傾姿勢かつ重心が右に傾いており、やはり体幹がぶれているように見えます。コスモスのフォームとこうも変わらないとなると、やはりウルトラマンの無個性化につながりますし、もう少しトレギアのファイティングスタイルは試行錯誤してほしかったですね。というか、そもそもトレギアにファイティングスタイルがあるのが違和感。トレギアの戦い方なら、そのファイティングスタイルは取らないんじゃないか、と思うのですが、まぁこれは「宇宙警備隊に入るのに失敗した時のフォーム」と取っておきましょう(笑)

 トレギアがのちの「タイガスパーク」の設計図を眺めているところへ、ヒカリ長官が現れ、素晴らしい発想だとほめたたえたのち、「まさに絆をつなぐアイテムだな」というのに対し、「ものを開発することしかできない自分が情けないです」と悩みを吐露。ヒカリはそれに対し、「自分ができることに誇りを持てばいい」と語り掛けます。今回に限らず近年のウルトラマンは、実に「絆の安売りバーゲンセール」が広く行われており、都合のいい単語として「絆」を多用しがち。かたい絆を結んでいく過程をすっとばして、「俺達には絆がある」発言が唐突に飛び交う作品ばかり。「絆」というそれっぽい単語をいれておけばなんとなく視聴者が自己保管して感動してくれるだろう、という考えが見え見えで、あまり好きな言葉ではありません。「絆」というのは近年ウルトラマン界隈においてある種のキーワードとなることが多く、たった一度でもいいからせめてどこかで定義づけして欲しい言葉であります。粗雑に「絆」という言葉を使い、(絆なんてないのに)「絆があればなんでもできる」理論で、ストーリー上描かなければならない最低限の描写をあれこれ飛ばしまくっているのは、はっきりいって雑な作劇です。今回も、なにかしらの説明を一言でも入れてほしかったですね。

 つづいてタロウとヒカリのシーンに入ります。タロウが「光の使者としての任務完了」とガッツポーズを見せます。この「光の使者」というのも今作のキーワードとしてたびたび登場するのですが、この言葉ももう少し慎重に使ってほしいですね。まるで「いつだって自分たちが正しい光の化身だ」と言わんばかりの自己肯定的な言葉。とてつもなく押しつけがましい言葉であり、非常に不愉快。そもそもベリアルのような悪がすでに誕生しているわけで、ウルトラマンは光の使者、という考えそのものが既に揺らいでいるはずなのですが、そんな発言をさせてしまっていいのか。発言しているタロウ自身が、トレギアに悪を振りまいている時点で、「光の使者」なんて大層な台詞言わせて言い訳がありません。もう少し言葉は慎重に扱ってほしいなと思いました。

 トレギアはタロウに言われ、のちの「タイガスパーク」の設計図を見せ、「絆に関するデータが足りない」と言います。え、絆に関するデータって、何?「絆」に関して何の定義づけもないゆえに、どんなデータか皆目見当もつきません。というか絆って、データ化できるような、数値化できるようなそんな陳腐なものなんでしょうか。だとしたら個人的には嫌ですね。

 タロウは「このデバイスに名前をつけよう」と言い出し、「タイガスパークなんてのはどうだ?僕たちの絆の証だ」と、押しつけがましくも人様の発明品に勝手に名前をつけます。ちなみに、今作以前に発表された、トレギアが主人公の小説では、タイガスパークの名はトレギアが考えたもの。トレギアが悪に堕ちてからもなおもタロウは親友トレギアのことを思い続け、自分の子の名前をつける際に、トレギアの考えた名である「タイガ」を名づけた、という展開になっています。タロウが、闇に堕ちたトレギアをなおも親友として慕っていたという結構粋な裏設定だと思っていたのですが、どうして改変してしまったのか。改変したことで、タロウはただの「人様の発明品に名前をつける出しゃばり」になってしまい、せっかくのいい話が台無し。別にここを変える必要は全くなかったんじゃないかな、と思うのですが、どういう意図があったのか、謎。

 つづいてヒカリの失踪。ちなみにこのヒカリの失踪理由についても、今回改変があった模様。細かい話になるので説明は省きますが。細かいことを言うと「ヒカリ」という名はメビウスの時代に地球で名づけられ、この時代にはヒカリ、という名ではなかったのではないか、とか突っ込みたいのですが、まぁそんなこと言っていたらキリがないのでここも省略。

 ヒカリ失踪の連絡を受け、惑星アーブに向かうトレギア。え……ヒカリサーガにはいなかったんですけれども。じゃあなんですか、ヒカリサーガではトレギアが消されてたってことですか。わざわざ過去作を改変してまでこのシーンを描く理由がまったくもって皆無で、ほんとオマージュ下手だなぁと痛感させられます。

 ボガールを倒すため、ヒカリは怨念を身にまといハンターナイトツルギになるのですが、ハンターナイトツルギになった瞬間、「邪魔をするならば、お前とて切る」と言ってトレギアに襲い掛かるツルギ。いや、邪魔してないじゃん。これではただただ他人に見境なく襲い掛かる野蛮人にすぎません。トレギアがヒカリ長官と呼びかけると、「今の私は復讐のために生きる、ハンターナイトツルギだぁ」とツルギは答えるわけですが、じゃあ見境なく暴れるんじゃなくて、ちゃんと復讐に生きてくださいよ。

 ハンターナイトツルギって、悪のウルトラマン、とはまた違う存在だと思うんですよね。実際悪のウルトラマンという認識は円谷にもないでしょうし。ツルギは、あくまで惑星アーブを救えなかった自分の無力さを呪い、アーブを滅ぼしたボガールを追う復讐の鬼となりました。確かに、ボガールを倒すためには手段を選ばない、そんな残忍な性格をも持ち合わせていましたが、その行動原理はただ一つ。ボガールへの復讐。そしてそのボガールは、言わずもがな星を滅ぼす絶対悪。目的は正しくとも手段は正しくない、それこそが、ダークヒーローとしてのツルギの魅力なのではないでしょうか。それが、今回、ツルギは怨念を取り込んでからは右も左もわからないくらい見境なく暴れる暴徒と化しており、まったくもって魅力がなくなってしまいました。

 飛び立つツルギを見て出てきたトレギアの感想が、「ヒカリ長官でも、闇の力には抗えないというのか」。え、そんな話だったっけ?まぁ、ヒカリ長官のような聖人でも、闇に堕ちてしまう危険性を誰しもはらんでいる、みたいなことが言いたいんでしょうが、そうだとしてもこのセリフがあまりよくないなと。言葉だけ聞いていれば、「闇の力と戦ったヒカリ長官が負けて闇の力に堕ちた」みたいに聞こえるのですが、別にそうでもなかろうに。劇中描写だけ見れば、ヒカリは全く持って怨念だったりそういう力に抗おうとして負けて闇の姿になったのではなく、自分の意志でそうなっているわけで。なんというか、セリフの言葉選びがあまり気に入りませんでした。本作では特に重要な、テーマにかかわる台詞なので、細かいところですがもう少し吟味してほしかったかな。あぁそれから、あまりに描写不足すぎて、トレギアがどれくらいヒカリ長官に信頼を寄せていたか分かりませんし。なにせトレギアは「ものを開発することしかできない自分が情けないです」などと「ものを開発する」ことを軽く見ているような発言をしているわけで、そんな奴が果たして科学技術局長官としてのヒカリをどれほど尊敬していたかははなはだ疑問ですw

 光の国に戻ってからも、悩むトレギアに対し、馬鹿の一つ覚えみたいに「光の使者」を連呼するタロウもタロウで、やはり「光の使者」という言葉の持つ重みをまったくもって理解していないのではないかと疑いたくもなります。トレギアの去り際に「心配するな、僕が君を闇から守る」と、無意識のうちにまるで自分の方が立場が上で、守ってやると言わんばかりのデリカシーのない発言は、普通にタロウの評判を落としているなと。

 タロウとともに調査に向かったトレギアは、アブソリュートタルタロスから自分の未来を見せられます。今回これはあくまで私自身の価値観なのですが、トレギアほどの人物ならば少しくらい、「今見せられているのは偽の未来かもしれない。タルタロスの都合のいいように偽の未来を見せられているだけかもしれない」だとか何かしら一瞬でも疑うそぶりを見せるものではないかとも思うのですが、なぜこうも誰もかれもホイホイ、タルタロスの部下になることを志願するのか。それこそトレギアは、他者を操り思いのままにすることを喜びとしていたはずが、タルタロスにいいように使われるだけの「都合のいい手下」に成り下がっているのが、まったくもって残念だな、と。それはレイバドスにも言えるしジュダにも言えるし、前作のルギエルやエタルガーにも言えること。坂本監督がやっていることは悪役の魅力を高めることではなく、むしろ悪役の魅力を地に貶めていることだとそろそろ気付いてほしい所存。

 タロウがトレギアを引き留めようと発した言葉「この世に闇がある限り、我々ウルトラ族が闇を消し去る光となり、照らし続けるんだ」も実に独善的でチープな発言。とてつもなく押しつけがましく、今作ヒカリに限らずタロウもかなり株を落としましたね。

 ということでEpisode5感想でした。翻って今回見直してみると、トレギアの魅力はさほど半減していませんが(それもそのはずトレギアについて全く描けていないから)、一方でハンターナイトツルギの魅力がガタ落ちしてしまったな、という印象。トレギアの過去を描こうとしたら、ヒカリが風評被害にあった。ただそれだけのEpisode5であったな、と感じました。Episode4に続き、褒めるところが一つもない話でしたね。

 

Episode6

 ウルトラ6兄弟とジュダ兄弟が面と向かって話しているところからスタート。面と向かっているところからスタートなのに、会話の途中で「モルド、ジュダ!」と驚くタロウはやはりワンテンポ遅れているというか、なんというか(苦笑) せめて惑星に着地するや否やジュダの姿を認め、「モルド、ジュダ!」と驚くならまだしも、とりあえず言わせてみた感の強い台詞でありました。台詞回しがもう少しナチュラルなものになるといいですね、坂本監督。

 ここから、ウルトラ6兄弟とジュダ兄弟との戦い。この戦い自体はテンポ感も良くよかったですね。細かい動きを一つ一つ見ていけば賛否両論分かれそうなものですが、自分は割と見ていていいなと思った戦闘シーンですね。無難ではありますが、いい具合に合体光線や技が連発され、熟練のウルトラ兄弟とジュダの戦いは、これはこれで見る価値あり。ジュダとモルドがわりかししっかり動けるのも、かっこよかったです。

 戦いの途中でタロウはウルトラ兄弟に、「こうなったら兄さんたち、コスモミラクル光線を使います」と進言します。え、「こうなったら」って、何?「こうなったら」とはすなわちコスモミラクル光線を使わなければ勝てないようなそんな状況だから、ということでしょうか?どう見てもコスモミラクル光線使うような脅威じゃないんですけれども。わざわざ合体するまでもなく優勢なのですが。とりあえずテキトーに流れで合体させておけばファンは喜ぶだろう、という考えの甘さを前面に押し出したコスモミラクル光線は、見ていてなにもワクワクしませんでしたね。熱い展開とは、熱い展開に至るまでの過程をしっかり描いてこそワクワクするのです。過程をすっとばして結果だけ見せられても、それはチープなファンサービス。「コスモミラクル光線を放つほどの脅威」くらいやろうと思えば簡単に描写できるでしょうに、まったく。

 ジュダとモルドが倒れたら、次はベリアルとトレギア。タルタロスに与えられたと思しき力を使い、ウルトラ兄弟を圧倒。そこへ、満を持してのゼロ登場。ベリアルの姿を見るや否や、驚いた反応を見せ、ダメ押しとばかりにゼロの「ムカつく性格は持って生まれたものらしいな」発言。Episode4で触れた、「悪は生まれつき悪」ともとれるひっどい作品観がここにも顔を出しています。ゼロはベリアル、トレギア相手にも善戦し(タルタロスに力を与えられたとはいえ、なんの鍛錬も積んでいない頃の経験薄弱な二人ですから、もっと善戦してもいいくらいなのですが)、最後にタルタロスに吹き飛ばされます。タルタロスの必殺技を受けてもなお、ウルトラ兄弟とは異なりカラータイマーが点滅すらしないゼロはさすがだなと感心しますが、それはそれでやはりChapter1でレジェンドに変身するほどの脅威ではなかったのではないかとも思ったり。

 タルタロスに、ザ・キングダムに向かうぞと言われ去るベリアルとトレギア。去り際、ベリアルがタルタロスに、「タルタロス、お前のくれたこの力、感謝するぜ」と、まるで飼い主に従順な飼い犬のようになついているのですが、ベリアルよ、あのカリスマ性はいったいどこへ行った。

 ということでEpisode6の感想でありました。ウルトラ6兄弟の戦い自体はスピーディーでテンポ感も良く、かっこいいバトルだとは思ったものの、締めのコスモミラクル光線にいたる過程がてんで駄目だったな、という印象。

 

まとめ

 以上、Chapter2の感想でした。まぁ、一言でまとめると、Chapter1が様々なキャラをたくさん出してそれぞれのキャラに小さな傷をたくさんつけていったのに対し、Chapater2はピンポイントで人気キャラの魅力を大胆に削いでいっただけの話だったな、と。特にベリアルなんかは大爆死。ヒカリ、タロウ、エンペラ星人あたりも大きく格を落とし、はっきりいって全くいらなかったChapter2。全体的に過去世界の描写が雑で、ダイジェスト形式なのは大問題。少なくともたかだか100分前後の番組の中の10数分で話すような話ではないでしょうに。だれか、ちゃんと描ける監督、10年後とかでいいのでウルトラ大戦争まともに描きなおしてください。

 言うまでもなく、坂本監督史上一番の駄作でしょうし、ウルトラマンの歴史においても最低レベルの駄作。練るべきところは、冗談抜きで五万とあったはず。こんな作品ばかり作っていたら、数年後には円谷死に体になりますよ、気を引き締めていただきたい。Chapter3は、とりあえずタルタロスをサクッと倒すだけですから、さほど大爆死もしないでしょうし、頑張っていただきたいですね。それでは、また次の記事でお会いしましょう、igomasでした!