igomasの部屋

どうも、igomasです。ウルトラマンファン。ヒーローより怪獣、悪役が好き。今日も今日とて「悪役」考察♪

SSSS.GRIDMANの惜しいポイント

 皆さんこんにちは、igomasと申します。普段は、ウルトラマン考察、悪役考察を中心に活動している者です。今回は、最新作SSSS.DYNAZENON公開により人気が再燃している、アニメ、SSSS.GRIDMANについて、触れていこうかと思います。

 本作は、1993年に放送された特撮作品、電光超人グリッドマンの続編に当たるアニメ作品であり、特撮の世界観をアニメーションで描く、という異色作。ビルの倒れ方、怪獣の暴れる様はまさに特撮のそれで、アニメ界、特撮界ともに新たな可能性を示してくれた作品でもありました。

 さて本作、ウルトラマンファン界隈では、名作として多方面から絶賛されている作品ではありますが、では手放しに褒められる作品かと問われれば、私は違うと考えています。無論、心に響くような巧みなカットや、アツい展開はたくさんありました。しかし、それを考慮してもなお覆い隠せない、改善すべき部分が何点かあるのもまた事実。自分からの評価としては、名作の一歩手前、優良作、といった評価です。

 今回は、SSSS.GRIDMANのどこが素晴らしく、そしてどこが惜しいポイントなのか、について述べていきたいと思います。まぁ、惜しいポイント、と言っても、ある程度個人の好みや価値観を大いに含んだ内容となっておりますので、「そういう意見もあるのか」くらいの気持ちで見ていっていただけると幸いです。

 なお、本記事はかなりのネタバレを含むため、ネタバレが嫌だよという方は、一旦全話視聴してから読むのもよいかと。というかウルトラマンファンで本作未視聴の方は、是非とも一周しておきましょう!

 それでは、SSSS.GRIDMANの良い点、悪い点を、順に見ていきましょう!

 

 

・特撮をアニメーションに組み込む秀逸さ

 今作、SSSS.GRIDMANでは、先にも述べましたが、特撮作品のビルの倒れ方、車の飛び散る様子などが忠実に再現され、実にリアリティのある絵面になっています。また、怪獣の造形等も、中に人が入る着ぐるみを想定したものになっており、特撮作品らしい絵作りを意識したものとなっています。

 一方で、アニメーションならではの表現法も巧く取り入れられており、ロボットの合体シーン、戦闘時のカメラのアングル等は、往年の名作をオマージュしたものになっています。特撮作品の持つずっしりとした重さと、アニメーションの持つ軽快な場面転換とが、うまくかみ合っているのが、今作の光る部分であります。

 

・新規怪獣の大盤振る舞い

 今作の怪獣は、3DCGで制作されています。恐らくは、実写特撮作品にて着ぐるみで新規スーツを制作するよりも、3DCGの方が予算はかからないのではないかと思われ、毎回のように新怪獣が登場していました。これは、近年のウルトラマン作品のスーツ事情からすれば(たとえば、新作ウルトラマンZの新怪獣は25話中4体だけ)、破格の大盤振る舞いと言えるでしょう。この怪獣大量放出は、非常にアツくなりましたね。やはり、既存の怪獣の着ぐるみを何度も何度も使い回していると、絵面として飽きてきてしまいますし、予算カツカツでやってるんだなと、見てるこっちが悲しくなってきてしまいますから、この大盤振る舞いには本当に大満足です。

 新怪獣はどれも個性的でかつ魅力的であり、毎回「今日はどんな怪獣が出てくるんだろう」とワクワクする懐かしい感覚を思い出させてくれたのは、今作の大きな功績でありましょう。円谷は、怪獣特撮をテレビで見られるようにしたい、という理念で設立されたことを鑑みるに、本音を言うと、ニュージェネレーションが始まった今でも、毎回新怪獣を出すくらいのことはしてほしいとずっと思っていました。私の好みにマッチした、神采配だったなと感激しています。

 

・新条アカネは悪役か

 しかしながら、SSSS.GRIDMANの最大の問題点として挙げられるのが、これら怪獣を統率するメインヴィラン新条アカネの描き方です。私igomasが、一番もの申したいのはこの部分。彼女は、本作で、本当に「悪役」であったのか、ということ。

 本作の世界観は、物語後半にて明かされるのですが、コンピュータの中にあるデジタルな世界。登場人物も、コンピュータ内のデータでしかありません。アカネの作ったデジタル世界で生きる住人、それが、六花たちなのです。

 新条アカネは、現実世界にて登校拒否をして、自らの作ったこの世界、この街で、一般人として暮らしていました。しかし、自らの作ったデジタル世界の中ですら、クラスメイトや住人たちとのわだかまりがやがてストレスとなって爆発し、その衝動が、怪獣を生み出し、暴れさせていました。

 主人公らは、新条アカネは酷いと揶揄します。自分の気分次第で、怪獣を暴れさせ人を殺すなんて、許せないと団結し、立ち向かうわけです。新条アカネは許すことの出来ない巨悪だと、誰もがそう決めつけているのです。

 しかし、そもそも新条アカネを、そう悪役と決めつけてよいのでしょうか。いや、人間悪いところもあるけど良いところもあるとかそういう話ではなくて、根本的に悪役なのか、ということです。

 主人公らデジタル世界に生きる人間は、いってしまえばデータでしかありません。言ってしまえば、マリオでいうクリボーのような存在。皆さんはマリオのゲームをプレイしているときに、クリボーを倒すたび、罪悪感に苛まれるでしょうか。ほとんどの方はそうは思わないはずです。別にデータとしてのクリボーが倒れようがなんとも思わないし、なんなら「やったー倒した」と喜ぶはず。

 無論、主人公らはクリボーではありません。悪意を持ってプレイヤーに攻撃を仕掛けてくるわけでもありません。しかし、根本的な部分はそう違わないはずです。デジタル世界のデータ、という意味で、両者は同じ存在とも言えましょう。

 特に、アカネはこのデジタル世界を作った人間です。ゲーム製作者が、いらないと思ったキャラを没にする、だとか、テストプレイがてら雑魚敵を倒す、とか、そんなことは日常茶飯事。それが、果たして疑いなく悪だと決めつけられるでしょうか。そんなはずはありません。

 クリボーではよくて、デジタル世界の住民では駄目。その境はどこにあるのでしょう。思うにそれは、デジタル世界の住人が、「自律的に行動している」点にあると思われます。彼らは、決してコンピュータのプログラムによってNPCの如く動く存在ではなく、一人一人が考え、自分の意思をもって動く存在、なのでしょう。だからこそ、ただのデータとして扱ってはいけない。新しい「命」として扱わねばならないのだ、というのが、今作の製作陣の伝えたいことなのでしょうね。でもそれを描けていない。描かなくてはならない。

 デジタル世界の住人をその世界の創造主が殺害することは、ごく普通の行為なのか、それとも大いなる過ちなのか、どう感じるかは、人によって様々だと考えています。データがまるで自分の意思で活動しているように見えても、実際は高度なプログラムで動いているだけだった、ということも往々にしてありますから、外の世界の者からすれば、そのデータが自分の「意思で」行動しているのかなんて分かったものではありません。クリボーみたいな存在だと思ってそのデータを削除したとしても、特に責められる必要はないのではないか、というのが、私の意見です。このように、主人公たちデジタル世界の住人は、絶対に守られるべきだ、と考える人もいれば、そうアカネのしていることが悪いことではないのでは、と思う人もいるでしょう。

 それを、作品の方向性として、アカネを悪役に描きたいのであれば、たとえデータ上の存在であったとしても彼らを「人間」のように扱うべきだ、ということを、作中一度でも、たった一度でも、描いておくべきでありましょう。

 しかし、この点について、まったく作り手は触れていません。作り手は、暗黙の了解として、主人公らデジタル世界のデータは、守られるべきだ、新条アカネは許されざる悪役だ、としています。そして、当たり前のようにアカネが劇中にて責められ、視聴者からも悪として、サイコパスな女として認識されているのです。

 ここで最大の違和感を発揮するのが、最後にアカネが六花に「ごめんなさい」と謝るシーン。アカネが当たり前のように謝っているこのシーンが、どうもスッと納得できない。「アカネがしたことって、そんな酷いことなのかな」と一抹の疑念がよぎって、離れない。

 アカネがしたことは本当に悪なのか、について、まったく触れられていないため、気になる人には無性に気になる、そういうシーンになっているのです。

 

・原作要素の回収の巧みさ

 ところどころの描写不足な部分や、個人の好みによって差が出る部分の多い作品ではあるものの、今作の優れた点は、「作品において絶対にこれだけは外せない2点」をしっかり押さえているところ。

 原作にあたるところの、電光超人グリッドマンにて物語が展開されるのは、あくまで現実世界です。機械の中で怪獣が暴れることによって、その電子機器が異常をきたし、現実世界に実害をもたらす、という物語でありました。本作でも、この、現実世界とコンピュータ世界との関係が描かれています。他ならぬ新条アカネが、現実世界の住民として登場し、コンピュータ世界を作った張本人として自由気ままに世界を作り替えます。新条アカネは、なにゆえ街を作り出したのか。その理由は、彼女が現実世界において、心に傷を負ったからでした。心の傷の原因は、劇中では明らかにされません。とにかく、新条アカネは、不登校になり、家に閉じこもっていたのです。

 そして、悪役であり、創造者であるところのこの新条アカネの心が救われるというのが、最終的な物語の流れでした。主人公らのいるコンピュータ世界は無事今後も存続し、新条アカネも、コンピュータ世界に残り現実逃避することをやめ、前を向いて現実世界へと帰って行く。これが今作の終着点でありました。

 この終着点を描いた以上、絶対に作品として書かねばならないのが、「アカネの社会復帰」でした。本作の真の主人公とは、新条アカネに他なりません。この作品が全話かけて描いたのは、響裕太の成長物語ではなく、アカネの心の変化なのですから。だからこそ、アカネの終着点は描かねばならなかった。そして、原作グリッドマンとの関わり合いとして、どうしても構造上「実写」の映像が必要不可欠でありました。原作が実写作品で、物語の終着点が「現実世界」ならば、実写映像を入れない方が不自然というもの。無論、アニメに実写映像を入れ込むというのは製作陣も多少難儀した点はあったでしょうが、最後の実写シーンは名采配であったというか、なくてはならない要素をきちんと押さえたな、という点で評価の高いところ。

 もう一つ、SSSS.GRIDMANの優れている点が、原作の戦闘シーンをアニメで見事再現した、という点。本作は、電光超人グリッドマンの続編を謳いながらも、グリッドマンの造形は、プロテクターに包まれ、よりシャープになっており、原作とは雰囲気もかなり異なったものとなっていました。それが最後、彼はプロテクターを解き、かつてのグリッドマンとして大地に降り立ちます。アレクシスケリヴとの最終決戦では街が破壊され、電光超人グリッドマンで登場したコンピューターワールドが開けます。この最後の展開は、非常に素晴らしいものでしたね。当時の、平成初期を彷彿とさせるキャラの動き、手描きの作画、すべてが上手くかみ合っており、これぞ電光超人グリッドマンの正統続編、と呼ぶにふさわしい魅せ方をしてくれましたね。

 

・SSSS.GRIDMANは、グリッドマンなのか

 ここまで説明したとおり、今作が、グリッドマン続編として絶対に外せない2ポイントだけはしっかり抑えているのですが、逆に言えば、その2ポイント以外はさしてグリッドマンぽくないというのがある種の難点。

 原作、電光超人グリッドマンの何が一番素晴らしいかって、それまでの怪獣特撮が、「街に怪獣が現れた。ヒーローに変身して立ち向かえ」といった一辺倒なものであった中、「現実世界に怪獣は現れないが、怪獣がコンピュータ内で暴れれば現実世界にも影響が出てしまう」とした上で、「誰も知り得ないようなコンピュータ世界で密かに繰り広げられる少年少女らの激闘」を描く点にあるのではないでしょうか。それまであった怪獣特撮作品の前提をがらりと変えたその作風が、受けたのではないでしょうか。

 本作にその魅力があるかと言われれば、正直言ってそんなものはありません。作りとしてはとてもシンプルで、まさに「街に怪獣が現れた。ヒーローに変身して立ち向かえ」といった一辺倒なもの。もちろん、原作要素が引き継がれている点は多少あるものの、原作のもっとも魅力的であった要素がこうも廃絶されてしまうと、果たしてこれは本当に「電光超人グリッドマンの続編」と呼んでしまっていいのだろうか、と疑問を抱かざるを得ません。

 

・ナナシの秀逸さとタイミングの悪さ

 今作に登場した怪獣のデザインや設定が、かなり魅力的であることは先に述べたとおりですが、その代表格が、ナナシ。このナナシという怪獣は、初登場時にはナナシAの形態で登場します。これがまた、不抜けたアトラク用の着ぐるみのような見た目をしているんですよね。あまりのやる気のない戦いぶりが逆に恐怖心を煽りました。倒されて後も消滅することなくその死体が街に転がったまま、というのも不気味でしたね。

 そして夜になると、ナナシAの中から着ぐるみを脱ぐかのように出てきたのが、ナナシBであります。その針金で出来たような尖ったデザインは、まさに「ナナシAの骨格」。見てはいけないものを見てしまったような気分にさせてくれます。ナナシBは、もう手とか足とかそういうの関係ないよと言うが如く、ふらふらひょろひょろ回転しながら街中を飛び跳ね跋扈します。えぇとても、不気味な絵面です。この独特の動きは、怪獣としてもかなり珍しく、本来ならそのインパクトで後世語り継がれる怪獣となっていたでしょう。

 しかし、ここで惜しかったのは、数年前に「独特の動き」をする怪獣が登場していたこと。皆さんご存じ、ウルトラマンエックス最終話登場の、虚空怪獣グリーザです。この怪獣については、ウルトラマンZの記事でも触れていましたね。

 

igomas.hatenablog.com

 

 このグリーザ、かなり奇怪な動きをします。つねにふらふら前後左右に揺れているような動きで、よたよた歩いているように見えますが、いざ敵の攻撃が来れば素早くかわし、反撃。地面に倒れても予備動作なくふらりと立ち上がり、背中からわけの分からない光線も放ちます。この、「明らかにこの世に存在してはいけない、異形のもの」感が、どうもグリーザとナナシBとで似ているのが、難点であったなと。もちろん、こと細かく見れば、両者の動きは全然違いますし、なんとなくふらふらよたよた歩いている、捉えどころがない、という点を除いては、両者の怪獣としての性質は異なります。しかし、そうだとしてもやはり初見で「あ、グリーザだ」と思ってしまうほどに、両者をはっきりと分ける描写の違いが薄かった。そして制作陣が思っている以上に、グリーザの影響力が高すぎた。

 ナナシBという怪獣は、たしかに魅力的かも知れませんが、グリーザ登場からほんの数年しか経っていない時に出したことで、「グリーザの二番煎じ」的なイメージがどうもついて離れず、惜しかったな、というポイント。どうもこの怪獣に関しては、ただただタイミングが悪かったとしか言えません。グリーザの影響力の大きさを考慮し、適材適所で怪獣を運用していれば、もう少し怪獣の総じての魅力アップに繋がっていたやもしれません。

 

・商業展開の巧さ《ヒロインとロボット》

 私がその作品を評価する際には、その作品が商業展開においてどのように成功しているか、も参照することが多いです。例えば、ウルトラマンの作品を考慮する際、その作品放送時に販売されていたソフビ人形の出来なども加味して評価しています。さて今作でありますが、その「商業展開」においては、概ね大成功したと言えましょう。

 第一に、ヒロイン2人体制が非常に上手くマッチしていた点。今作では、六花とアカネの二大ヒロインを据え、ファンを分散させたのがお見事でした。六花とアカネ、それぞれのキャラの持つ身体的特徴、魅力を完全に分けることで、それぞれのファン(まぁ有り体に言ってしまえば、フェチ)の方々に、関連商品が売れるようにしていたのです。ヒロインの特徴を2分したことで、ファンの棲み分けを巧みに行った、と言えましょうか。正直、やや行き過ぎな感はあったといいますか、オタクに媚びる感じが受け付けないという人にはとことん駄目な商業路線ではありましたが、一部のファンには盛大にウケたのですから、これはこれで一つの商業のあり方ということなのでしょう。

 第二に、ロボットファンにも巧みに商業展開していた、という点。発売されたフィギュアでは、アシストウェポンとの合体ギミックが見事に再現されていましたね。グリッドマンとアシストウェポン4人とが合体したフルパワーグリッドマンや、アシストウェポン4人のみの合体ロボ、パワードゼノンへの変形も可能と、てんこ盛りの充実度でありました。ほとんど余分なパーツを出さず、通常形態、フルパワーグリッドマン、パワードゼノンの3形態変形を可能にし、またその3形態それぞれが秀逸なデザインにまとまっている、というまさに神業。このギミック自体は原作、電光超人グリッドマンで原型ができていたものの、本作でさらにブラッシュアップされたと言えましょう。この緻密な合体構造は、ロボットファンにはかなりウケたのだろうと思います。

 二大ヒロイン構造と、3形態変形の合体構造。この二点において、本作SSSS.GRIDMANは、他作品に比べ商業展開として頭一つ抜きん出ていたと言えましょう。

 

・脚本がネクサス

 最後に、どうもやはり気になってしまうのが、SSSS.GRIDMANの話運びが、どうもウルトラマンネクサスと似通ってしまっている、ということ。どちらの作品も長谷川圭一氏が脚本を務めているということからも、物語の流れが似ているというのは、多少は仕方のないことではありますが、それにしても似すぎているぞ、と言いたい。

 物語には様々なパターンが存在しますが、本作はいわゆる「謎だらけの世界の物語」と言えましょう。謎、と言っても、推理小説のようなメジャーなタイプの「ごく普通の世界で事件が起こり、それを解決していくうちに、主人公が重大な真実を見つけ出す」タイプではなく、「最初からなにもかもが謎だらけ、なんの情報も提示されない謎の世界に主人公が放り出され、そもそもこの世界はなんなのか、今現在いったい何が起こっているのかも分からないまま主人公らが悪戦苦闘し、その真実を、最終的にすべてを知っている神視点の他者から教えてもらう」というタイプのストーリーになっています。謎を解くタイプの作品ではややマイナーと言っても良いくらい稀有なパターンなのですが、ネクサスもSSSS.GRIDMANも、同じ話運びのパターンになっています。

 また、ネクサスは、「ノアがザギに負け本来の姿を失い、弱体化した姿で怪獣と戦っていたが、最終的に本来の姿を取り戻しザギに勝利する」物語であったのに対し、SSSS.GRIDMANは、「グリッドマンがアレクシスケリヴに負け本来の姿を失い、弱体化した姿で怪獣と戦っていたが、最終的に本来の姿を取り戻しアレクシスケリヴに勝利する」物語です。文字化するとそっくりそのままトレースしたかのような物語だと分かるでしょう。また、両作品のラスボスであるところのザギとアレクシスケリヴは、どちらも自身を不死身と謳っていることや、怪獣を生み出す力を持っている点、人の心の闇につけ込もうとする態度など、設定上非常に似通った点の多いキャラクターとなっています。またキャラクターの動きなど、SSSS.GRIDMANがネクサスを明らかにオマージュしているような描写も見受けられました。

 もちろん、自分の作品をセルフオマージュする、というのはよくある話ですし、同じ脚本家だから話が似る、というのも分かります。しかし、こうも細かいところまでまったく一致するとなると、今作が一から作り上げられた完全新作、とはとても言えないな、とどこか思ってしまうのです。

 

・まとめ

 ということで、私igomasがSSSS.GRIDMANについて感じたことを、つらつらと書いてみました。こうしてみると、本作がいかに「抜きん出て素晴らしい良ポイント」と「うーんと首を捻ってしまう残念ポイント」をどちらも多分に含んだ作品かということがおわかりいただけたでしょうか。

 私としては、良い点も悪い点もない平凡な作品よりかは、良い点も沢山あるが残念ポイントも沢山ある両極端な作品の方が好みなので、まぁこれでも近年の円谷作品の中では指折りで好きな作品ではあります。ただ、冒頭にも述べたとおり、やはり手放しに褒められる作品ではないかな、と思ったので、今回記事にした次第であります。

 それでは、また次の記事でお会いしましょう!igomasでした!