皆さんこんにちは、igomasです! リアルが忙しくなり、少々記事をお休みしておりました。リアルがまた落ち着いてきたので、サクッと10~12話、そして総集編の13話を、まとめて感想を書いていきたいと思います!
↓前回のデッカー感想はこちら
【10~12話のテーマ】
感想を書く前に、まず述べておきたいことがあります。
デッカー10~12話で監督を務めたのは、越 知靖監督。タイガの総集編など、ちょっと面白い感じに撮っていて最近注目している監督。まだまだ荒削りな印象で、所々気になる部分はあるものの、やりたいことをもって作品を撮っている、そんな印象を受ける監督です。今回10~12話は、「ウルトラマンに頼らず、怪獣から人類をどのようにして守っていくか」に焦点を当てた3部作の形を取っており、この辺りも踏まえて感想を書いていきたいと思います。
それでは、10話から感想、進めて参りましょう!
【10話感想】
第10話では、カイザキ副隊長の大学時代の恩師である、シゲナガ博士が登場。怪獣やスフィアの脅威に対抗するため、クローン怪獣兵器、ネオメガスを生み出していました。怪獣やスフィアといった未知の敵に対し、何者かも分からないウルトラマンに頼るのではいけない。怪獣を制御し兵器として使うことで、スフィアへの対抗手段とするべき、という博士の意見はなるほど筋が通っており、テーマとしては面白いものとなっています。
そしてそれに対して、怪獣に若干の愛着を持つカイザキ副隊長は、怪獣を管理することを否定。人間も怪獣も、一つでも多くの命を救うという信念のもと、シゲナガ博士に真っ向から対峙します。
怪獣を兵器として管理するか、ひとつのかけがえのない命とみるか。このように2つの対立軸を示し、視聴者に疑問を投げかけることが、制作陣の狙いであったのでしょう。しかし、残念ながらこの試み、実は大失敗しているのです。
だって「怪獣博士」カイザキ副隊長が制御装置を壊して、ネオメガスを暴走させてしまったから。
シゲナガ博士は、制御装置を用いて、ネオメガスを完全に制御していると言っていました。そして制御装置なしでは、ネオメガスは凶暴な怪獣であるということも述べていました。にもかかわらず、怪獣の専門家であるはずのカイザキ副隊長が、その場のノリで、考えなしに制御装置を破壊したことで、ネオメガスが暴走してしまったのです。怪獣博士じゃなくても普通、怪獣の制御装置壊したら暴走するかもしれないってことくらい簡単に予想つくでしょうに。怪獣から人間を守る事が役目の防衛隊の、しかも中でもあろうことか怪獣の専門家が、考えなしに暴走怪獣を解き放つなんて。なんてことをしてくれてるんでしょう。
結果、明らかカイザキ副隊長が100悪い、ただそれだけの回になってしまいました。
今回のように、2つの思想の対立軸を設けて、視聴者に問うような作品では、一方のキャラクターを強引に下げるようなことをしてはいけません。一気に説得力がなくなるからです。
たとえば、MCUの『キャプテンアメリカ:シビルウォー』では、ヒーローは自由であるべきとの考えを持つキャプテンアメリカと、ヒーローは危険性をはらんでいる以上国に管理されるべきとの考えを持つアイアンマンが、対立します。この作品では、どちらの意見も一理あると視聴者に思わせるよう、緻密なストーリー展開、徹底したセリフ選びが行われています。どちらか一方を下げることなく、絶妙なバランスの上で成り立たせた上で、両者を戦わせているのです。だからこそ、視聴者が自由に、「自分はこっちの方が正しいと思った」と議論し合うことができるのです。視聴者が自分で考えることができるのです。
翻ってデッカー10話、ただカイザキ副隊長が大ポカやらかしただけの回です。考えなしに制御装置を破壊して怪獣を暴走させた「怪獣博士」に、もはや発言権などありません。何が「人間も怪獣の命も守りたい」なんでしょう。説得力ゼロです。怪獣博士として、防衛隊としてプロ意識に欠けるあるまじき行為です。あまりに酷い展開と言わざるをえません。
とはいえ、ヒーローものである以上、どこかで一方を下げる必要があります。2つの対立軸を提示して、「終わりのない問い」を視聴者に投げかけるという展開にするとしても、最終的には両者を戦わせなければなりません。最終的には悪役の側を少し落として、「終わりのない問いではあるけれど、取り敢えず今の時点ではヒーロー側に若干の理がある」とした上で、ヒーローと悪役の戦いに持って行く、というのが自然な流れになります。
ところがどっこい、あろうことかデッカー第10話は、主人公側を下げてしまっているのです。ヒーロー側であるはずの防衛隊が怪獣を暴走させてしまう。完全にカイザキ副隊長が悪者じゃないですか。こんなこと、前代未聞です。どうしてこんな展開にしてしまったのでしょう。
たとえば、カイザキ副隊長と一緒に調査にやってきた(または、カイザキ副隊長の通報を受けて駆けつけた)TPUのモブ隊員が、カイザキ副隊長とシゲナガ博士との口論中に、誤ってボタンを押してしまい、結果制御装置が切れ怪獣が暴走してしまった、とかであれば、まだいいんです。怪獣の専門家であるカイザキ副隊長が、自らの意思でやらかしをしているから大問題なのです。もはやカイザキ副隊長を擁護することなど出来なくなっているのです。
監督陣のやりたいことは分かるだけに、なんでこんなダメダメな展開にしてしまったのかな、と残念でなりません。
ということで10話感想でした。カイザキ副隊長がデッカーの手に乗っているところとか、普通は興奮するところなのでしょうが、上記のダメダメな展開がノイズとなって全然楽しめませんでした。
で、こうなるとデッカー5話のエレキング回がネックになってくるんですよね。あれも、ガッツセレクト側が大ポカをやらかして怪獣が暴走してしまう話でした。幸い、辻本監督の手腕によって、5話単体で見ると、上手い落としどころに仕上がっていました。
↓第5話についてはこちら
が、今回カイザキ副隊長が怪獣博士としてあるまじきミスをしていることから、第5話の展開も含め、カイザキ副隊長の評価が、かなり地に落ちてきているのです。5話は、カイザキ副隊長がいれば防げた怪獣災害として描かれていますが、正直カイザキ副隊長がいたところで、やっぱりエレキング暴走していたんじゃないでしょうか。カイザキ副隊長、怪獣博士としてたいした人物じゃないんじゃないでしょうか。と、ここにきて5話の展開が怪しくなってきており、こういうことになるからあんまり5話みたいな展開はして欲しくなかったんですよね。辻本監督は後続の監督陣をやや過信しすぎではないでしょうか。
そもそもガッツセレクトの評価も微妙です。5話で隊員がエレキングを暴走させた一件もそうですが、1話では一般市民に対して怒鳴り散らすし当たりは悪いし、9話では宇宙人とのプロレスを続行して怪獣退治を放棄するし(ちなみにこの怪獣退治を放棄する判断も、「怪獣の専門家」たるカイザキ副隊長が許可済み)、防衛隊としてあまり好ましくない側面が多くないでしょうか。
ガッツセレクト、ひいては主人公らの評価が若干下がった10話になってしまいました。
【11話感想】
11話は、10話と比べて話がだいぶ薄味なので、あまり触れるところはなかった印象です。お話としても、ただテラフェイザーを起動する、それだけの話ですからね。
11話の見所は、ハネジローをラグビーボールのようにパスしあうガッツセレクトの絵面の面白さでしょうか。あのシーンはなかなか楽しめました。
冒頭、ガゾートが登場するのですが、あの飛び方にしてくれて、本当に良かったです。トリガー3話の棒立ちみたいな飛び方があまりに不自然すぎて、違和感しかなかったので、修整していただけて、本当に感謝です。これだけでもかなり好感を持った回でした。
テラフェイザーですが、デザインはあまり好きではありません。オマージュ元となっているダイナの怪獣、デスフェイザーに比べると、見た目の玩具感がどうしても気になってしまいます。なにより肩の、シール(正確には水転写デカール)を貼り付けたような感じが好きではありません。塗装も少なく、ほんと玩具って感じです。あまり怪獣としては見られないですね、現状。
まぁそんなわけで、あっさり11話でした。
【12話感想】
冒頭、アサカゲ博士に「戦った先にあるもの」と言わせることで、トリガー編で、まるでカナタが「戦う理由なしに戦うキャラ」に改変されたように描かれ言葉足らずだったあのシーンを補完。しっかり監督間での連携がとれていた上で、坂本浩一監督が単純に言葉足らずなシーンにしてしまったのか、そもそも監督間での連携がとれていなかったのか定かではありませんが、全体的に8話は描写が悪かったのは事実です。ここでしっかりあのシーンの説明が入ることで、トリガー編で崩れかかった屋台骨がまたしっかりしてきました。
↓第8話についてはこちら
「あてのない善意というものは、逆に人を傷つける結果になることもある」というアサカゲ博士の言葉は、今後しっかりと回収されるのでしょうか。まぁ14,15話の展開を見ると、何があったかは容易に想像は出来るので、別に今後描かれなくたっていいといえばいいのですが、いかにも伏線と言わんばかりに登場したセリフなので、しっかりこの「あてのない善意」の言及がなされると、嬉しいなとは思います。
ネオメガスの死骸にスフィアが群がり、スフィアネオメガスが誕生。スフィアソルジャーによって角がすぐ再生したり、スフィアザウルスの腕が生えたり、腕が鎌状になったり、こういう形態変化は結構好み。一方で、そもそもネオメガスの死体が出たのってカイザキ副隊長が考えなしに暴走させたからなんだよなぁ、と10話がただただノイズでしかないのが残念なところではあります。
さて強化されたスフィアネオメガスに、デッカーは敗北。カナタは今できる精一杯のことをと、筋トレを始めます。そこにリュウモンやイチカも加わります。3人の関係を描くという意味では、良いシーンですね。
一方、スフィアネオメガスという勝てない相手が出てきた時に、やることが筋トレ止まりというのは今後のデッカーにとって足枷となりそうです。もちろん、前の自分より少しでも強い自分を目指す、という意味では、トレーニングは重要と言えば重要です。しかし、それで伸びるステータスは微々たるものです。
筋トレしたからといってどうにかなる相手とは思えないくらい強い相手を今後相手にしたときに、カナタがすべきは戦略を立て、次の戦いをしっかりと見据えることです。「怪獣博士」こと副隊長に丸投げするのではなく、デッカーだからこそ出来る作戦立案とか、そういうのも多少出来るようになるといいな、とは思いますね。このまま行くと脳筋一直線になりそうで、少し不安であり、それと同時に、カナタの後半戦の伸びしろと思うと期待もしています。
さてスフィアネオメガスとの再戦。テラフェイザーとの共闘がかなりはまっていましたね。さすがはカナタ、ハネジロータッグなだけはあります。
11話と同じく、やはりテラフェイザーの見た目は終始玩具っぽいなぁと思ってしまいました。が、それでもTRメガバスターの描写だけは良かったなぁと思います。胸のコアが開くメカメカしい描写だけは、好きですね。
さて11話、ハネジローがかなり無茶をやりすぎて、これは流石に正体バレるだろうと思ったら案の定、アサカゲ博士にデッカーの正体、バレましたね。ということで12話でした。
【10~12話のテーマは描けていたのか】
10話では、「怪獣から人類をどのようにして守っていくか」という問いに対して、怪獣を操作して兵器として用いる、という一つの答えが提示されました。最終的には、主人公ら新生ガッツセレクトとしては、怪獣を兵器として使ってはいけない、という結論に至りました。
そして11話で、「怪獣から人類をどのようにして守っていくか」のもう一つの答えとして、新型ロボットテラフェイザーという答えが提示されます。しかしながら、11話では、地球に生じた遺物を排除するのが怪獣の本能という仮説から、スフィアもテラフェイザーも怪獣にとっては同種なのではないか、と、テラフェイザー運用について懐疑的な一面が見られます。
上記を総合すると、怪獣を兵器として使うのもダメ、ロボットもダメ、ということになり、結局ウルトラマンだより、という結論になってしまうのではないでしょうか。ウルトラマン以外の手段として、「怪獣から人類をどのようにして守っていくか」という問いを立てたのに、結局「怪獣には戦闘機で対処し、それでも無理ならウルトラマンに頼る」というのが一番無難な着地点になってしまっている現状が、非常に不安です。問いを立てたのに、問いを立てていないのと同じ結論になってどうする、といわざるを得ません。
せめて何かしらの方向性だけでも、示せていたならなぁと思いましたね。ちなみに先に言っておくと、14話、15話の展開は、「ウルトラマンに頼らず、怪獣から人類をどのようにして守っていくか」とは別の論点です。なので10話~12話の展開は、直近で解答が示されているわけではありません。
リアルが忙しくまだ最終話までは追いついていないのですが、もし、「怪獣から人類をどのようにして守っていくか」という問いに、たいした結論を残さず最終話を迎えるとしたら、この10話~12話の展開はただのノイズで終わってしまいます。折角デッカー本編の重大イベント、テラフェイザー誕生に深く絡むような問いなのに、あってもなくてもたいして変わりないエピソードになったらもったいなさ過ぎます。監督がやりたいエピソードを無理矢理ねじ込んだだけ、に今後ならないことを祈りながら、視聴を続けていこうと思います。
ということで、3話かけた割にはさして満足感は感じられない10~12話でした。やりたいテーマがある、というのはちゃんと伝わってきますし、惜しいなと思う点は幾つもありはしたのですが……全体としてはあまり乗れなかったですね。
【13話感想】
総集編の13話です。こちらはなかなか、上手くやっていたなと思いました。デッカーの3形態を紹介して終わり、みたいな突貫工事の「ザ・総集編」といった話ではなく、しっかり一つの日常回として作っており好感が持てました。
日常回らしく、隊員達の和気藹々とした会話が差し込まれているのもいいですね。カード入れを絆創膏入れと言ってごまかすくだり、自然で良い。ウルトラマンという作品は、50メートル級の怪獣と巨人が街に現れるという、一見して結構無理のあるSFドラマですから、そこにリアリティを持たせることでバランスを取っている節があります。こういう僅かな配慮があるのとないのとで、グッと広い視聴者層に受け入れられやすくなります。日常回の一セリフとしてさっと入れることで、リアリティ保ってますよアピールになっていないのも巧いですね。
中盤、マルゥルがちゃんとカナタの正体を知っていて良き理解者として語る展開もグッド。トリガーから地続きの世界観であることがフルに活かしています。カナタも1人で抱え込みがちなタイプなので、腹を割って話せる相手がいるというのは良いことでしょう。
ナースデッセイ号の停電トラブルに始まる一連の騒動とその解決、日常の単体エピソードとしてよく纏まった回でした。
【1~13話評価】
さて、一端一区切りということで、ここでザックリではありますが、デッカー1~13話の個人的な評価を紹介したいと思います。だいたい4段階評価で、◎(かなり良い回。十年後くらいに列伝形式で再放送されるとしたら、また見たいエピソード)、○(まぁ良い回)、△(粗が少し目立つ回)、×(ダメダメ回)の4つで表しています。
普段私は感想記事を書くときは、それなりに熱量を持って書いているが故に、監督によって多少なりとも贔屓することもあります。まぁ、贔屓している監督ほど記事が長くなるので、それだけダメ出しが多くなるのですが。一方この4段階評価は、作品の良し悪しを、よりフラットな観点から見たものになっています。
批評なんて大それたものではなく、あくまで個人の一感想の域を出ないものではありますが、物語の構造的な観点や、描写の巧拙をもとに、かなり公平な目線で見ているものなので、参考になればと思います。
第1話 :△
第2話 :○
第3話 :◎
第4話 :△
第5話 :○
第6話 :○
第7話 :×
第8話 :××
第9話 :△
第10話:×
第11話:△
第12話:△
第13話:○
全体としては、×がついた回が3つだけなので、結構順調な前半だったのではないでしょうか。後半もデッカー、駆け抜けて参りましょう。それではまた、次の記事でお会いしましょう、igomasでした!