igomasの部屋

どうも、igomasです。ウルトラマンファン。ヒーローより怪獣、悪役が好き。今日も今日とて「悪役」考察♪

ウルトラマンゼロに学ぶデザイン論

 

 私のパソコンには、書きかけの記事が山のように溜まっておりまして、書き始めようと思ったものの続きを考えあぐねて出していない記事や、そもそも記事を書くまでの作業量の多さに疲弊して途中でリタイアした記事など、その内容は様々ですが、最近時折そうした記事を掘り起こしては、少しずつ書き足すということをしています。今回はその一つ。

 以前、ウルトラマンゼロについて触れ、彼がいかに「設定」の優れたウルトラマンであるか、という記事を出したことがありました。今回はその第二弾。ウルトラマンゼロの「デザイン」の素晴らしさについて、語っていきたいと思います。

 

igomas.hatenablog.com

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 なお、私igomasは、特にイラスト関連のプロというわけでもありません。ほんとド素人なので、あまり詳しいことは語れていないとは思いますが、素人目に見ても、ウルトラマンゼロがどれだけ秀逸なデザインかということが伝われば、幸いです。

 ゼロは、時代を変えたウルトラマンの一人、と賞されることが多いですよね。10年以上前の初登場時から、人気はかなりのものでしたが、今現在に至ってもその人気は衰えておらず、日本のみならず中国や、世界でも大人気のウルトラマンの一人です。初代ウルトラマン、平成最初のウルトラマンティガ、という錚々たる「時代の節目を担った大御所」と並んで扱われることも、最近ではたびたびあります。本記事では、この二人のデザインと合わせて見ていきたいと思います。

 初代ウルトラマンは、かの有名な成田亨氏によってデザインされ、原案ではシンプルさを追求した造形となっていました。この原案は、現在我々がよく目にする「ウルトラマン」のそれではなく、カラータイマーや、目の部分のスーツアクター用の覗き穴などは、描かれていませんでした。現在各所で予告編が公開されている、「シン・ウルトラマン」の造形が、現在最もこの原案に近いデザインとなっています。

 先程、原案にカラータイマーや、スーツアクター用の覗き穴はなかった、と言いましたが、これらはスタッフによって追加された要素であります。もちろん、単体作品として見れば、カラータイマーや覗き穴など、シンプルからかけ離れたものを追加するのは野暮だったのかもしれません。しかし、その極限まで追求されたシンプルさに、アクセントとしてのカラータイマー・覗き穴が追加されたことが、ウルトラマンというキャラクターを魅力的にみせたのも確かで、思うにこれがなければ、今ほどのシリーズ化には至っていなかったのではないか、と思えるほどに革新的でありました。

 全ての原点にして頂点。今でもなお魅力を欠かないそのデザインは、後世に多大な影響をもたらしました。大きな要素としては、昭和ウルトラマンの全ての体色が、赤と銀で構成されていることが挙げられます。またゾフィー、ジャック、ウルトラの父ウルトラの母ウルトラマン80などにはモロにそのデザインが参考にされています。

 シリーズが続くにつれ、当初は、ウルトラマンウルトラセブンは、別世界の存在、ということになっていましたが、やがて設定が変わってゆき、各作品のウルトラマンたちは、皆M78星雲ウルトラの国出身の兄弟(先輩後輩みたいな関係)であるということになっていきました。

 この、ウルトラマンに始まる昭和ウルトラシリーズで定着した、「体色は赤・銀からなる」「皆が同じくM78星雲」という二大前提を覆したのが、平成初のウルトラマンウルトラマンティガであります。ティガは、そもそもM78星雲出身のウルトラマンではなく、体色も、赤・銀だけでなく、紫が使われています。また、タイプチェンジ能力を持ち、赤と銀のパワータイプ、紫と銀のスカイタイプへと変化します。ティガは今現在においても、全ウルトラマンの中で最もイケメンと名高いウルトラマンで、昭和ウルトラマンらのフォーマットをやや崩しながらも、その特徴は捉えていますね。頭部の凹凸は一見複雑なようで、シンプルさを保った洗練されたデザインになっています。三色を使えば、二色の場合と異なり、全体的にごちゃっとした印象を与えてしまいがちですが、ティガはそれを実にシンプルな形で、違和感なく落とし込んでいるのが上手いですね。また特筆すべきはカラータイマーのデザインであり、それまでのウルトラマンとは一線を画す斬新かつシンプルなデザインがなされました。また、胸部のプロテクターのデザインも秀逸であります。ここから、ウルトラマンに赤・銀以外の色を使い、出身を独自設定とし、形態変化を行わせるのが主流になっていきました。

 ティガにおいても、その基本は変わっていません。一見どれだけ複雑なように見えても、実はそのデザインは、いたってシンプルなもの。ごちゃごちゃと無駄なパーツを付け加えるのではなく、よりシンプルに、よりスタイリッシュに表現する。これこそが、デザインの極致なのかもしれません。

 さて、本題です。その昭和テイストと、平成テイストを実に巧く融合させて出来上がったのが、そう、ウルトラマンゼロであります。ゼロは、ウルトラセブンの息子であり、彼のデザインはセブンに由来しています。つまり、昭和ウルトラマンの流れをくんでいるわけですね。それでいてまた、体色は赤・銀・青で構成されており、三色構成なあたり、平成ウルトラマンの流れをもくんでいると言えましょう。ゼロが凄いところは、この三色の纏め方で、銀色のラインに新しさを見いだしながらも、あくまで赤と青の配色は、シンプルさを突き詰めたデザインだということ。昭和世代・平成世代どちらにも懐かしさを持たせつつも、どこか新しさもある、そしてその上で全体のバランスはシンプル。まさにウルトラ40年の歴史の集大成とも言えましょう。

 また、セブンのアイスラッガーが、頭に二つついているという、普通にデザインすればかなりダサくなってしまいかねない「ゼロスラッガー」を、本当に上手く落とし込んでいるのも評価が高いですね。飛ばし方も、アイスラッガーの昭和バトル漫画を彷彿とさせる直球アタック、ではなく、回転しながら飛んでくる平成少年漫画チックなものに変更されていますし、時代のニーズに合った戦い方に落とし込んでいるのも、実に素晴らしい。

 他にも、注目すべき点として、初期のゼロには形態変化が登場しないということも挙げられましょう。他の形態を考えれば、ある程度他の形態との兼ね合いもかんがみてデザインしなければなりません。近年のタイプチェンジウルトラマンであるオーブ、ジード、ゼットなどは、他の形態とのバランスを考えなければならず、どうしても他形態との差別化や親和性をもたせるため、諸々の制約が出てきてしまいます。それを、ゼロは基本形態にとどめたことで、真に洗練されたデザインを、とことん突き詰めることができた、というのもあるのかもしれません。

 また、時代が進むにつれデザインが複雑化しているかというと、そういうわけでもありません。ゼロが初代ウルトラマンやティガと異なる点がもう一つ。冒頭で示した、スーツアクター用の覗き穴が、視聴者に見えないように隠されている、ということです。一つ複雑なデザインが足されれば、それまでの複雑なデザインを一つ消す。そうやって突き詰めていき、秀逸なデザインというものは完成していくのかもしれませんね。

 ということで、以上、各時代の転換点となった3人のウルトラマンのデザインを、見ていきました。やはり洗練されたデザインには、「シンプルさ」が大事なようですね。足し算をしていくのではなく、引き算をしていく。その中で、キャラの持つ要素(カラータイマーや体色)を根本から見直し、時には前提を覆すような突飛なアイデアを見出して、それをデザインに落とし込む。これが上手くハマると、とてつもない神デザインになるのでしょうね。

 近年のウルトラマンも、確かにデザインは素晴らしいものばかりです。しかしながら、シンプルさと反対に、色々つけまくったデザイン、細かく走るラインなど、付け足すことで生まれるカッコよさ、が追求されているように感じます。最近は形態変化もたくさんありますから、その兼ね合いも考えねばならず、厳しいところなのでしょう。そういう意味でも、ウルトラマンゼロは、時代に恵まれたデザインであったと言えるかもしれません。

 

ウルトラマンネクサスにおける「カタルシス」論

 皆さんこんにちは、igomasと申します! 普段はウルトラマン考察や、ジャンル問わず悪役考察をしております。今回は、ウルトラマン系の記事です。

 ウルトラマンネクサス。2004年10月に放送開始され、15年以上が経過した今でも一部オカルト的な人気を保ち続ける、数あるウルトラマン作品の中でも伝説の異色作。主人公がウルトラマンに変身しない、防衛隊や怪獣の存在が一般市民に認知されていない、ウルトラマンの変身者(デュナミスト)が途中で変わる、やたら暗い(画面も、話も)などなど、他のウルトラマンにはない要素が沢山あります。

 ネクサスは、この記事だけでなく今後幾つか記事を書いていく中で少しずつ掘り下げたい作品でありますが、取り敢えず今回は手始めに、ずっと前から思っていたネクサスファンに対する指摘を一つご紹介。

 

 ウルトラマンネクサスは、基本的に悲しく、辛く、暗い作風が続きます。後半の千樹 憐編では幾分か作風も明るくなるものの、前半に当たる姫矢 准編は、かーなーり話が暗く、作品の完走にとってかなりの鬼門となっています。ネクサスファンの皆さんも、新規視聴者に魅力を伝え勧誘する際には難儀するのではないでしょうか。

 特に前半では、当時は予算が枯渇していた事もあり、一体の怪獣に4話かけるというスロースタートっぷりで、基本的に、ウルトラマンは怪獣(スペースビースト)に苦戦し続けます。変身者(デュナミスト)もどんどんボロボロになっていきます。ただでさえ戦闘シーンも見ていて辛いのに、日常パートも苦しい展開。主人公の彼女に関するトラウマ的エピソードをクリスマスに放送したり、残酷かつ辛い描写がわんさか出てきたりと、見ていて重いシーンが色々と出てきます。

 しかし、辛いシーンが多い分、より一層、そこからの逆転劇、主人公らが乗り越えていく姿は輝かしく映ります。辛くても、絶望的でも、諦めず立ち向かい、勝つ。辛い思いをした分だけ、勝利の爽快感は凄まじいものです。

 

 それはそうに違いないのですが、ネクサス感想を見ていると時折、この件に関して「ムムッ!?」と思ってしまう記事が多数散見されます。それが、「ウルトラマンネクサスは辛いシーンが多いけれど、そこからの逆転劇は本当に見ていて気持ちがいい。カタルシスがあるから、ネクサスは面白い」という意見。こういったコメントは、ネクサスはシリアスな作風だ、だの、姫矢 准編は暗いが千樹 憐は明るい、だの、そういう類いの記事、ブログ、スレで必ず見ると言っていいほど、良く目にする文言です。

 ここでいう「カタルシス」とはすなわち、辛い状況から脱却した際の爽快感、例えるならば嫌な上司を言い負かしてやったときの「スカッとする感じ」の意味で使っているのだろうと思います。

 

 結論から言いますと、「カタルシス」という言葉の使い方、間違ってるよ、と。

 広辞苑第六版によれば、カタルシスとは、「悲劇を見て涙をながしたり、恐怖を味わったりすることで心の中のしこりを浄化する」ことだそうです。悲劇を見たときの、悲しいなと共感したり、心が締め付けられたりするような思い。その辛い気持ちがそのまま心の中のマイナスの感情を押し流してくれるような心の動き、それが、カタルシスなのです。すなわちカタルシスとは、悲劇そのものを見たときの情動から来るものであり、その悲劇を克服した後の「スカッ」とから来るものではない、ということなんですね。

 というわけで、「超暗い展開からスペースビーストを倒す爽快感! これぞカタルシス! ネクサス最高!」という意見は、残念ながら間違い、ということになってしまいます。かくいう私も、つい最近までカタルシスの言葉の意味をよく知らないまま使っており、危うく誤った用法で使うところでした。皆さんも、特にウルトラマンネクサスを応援するときは、念のため使い方にお気をつけ下さい、という記事でありました。

 皆様も、言葉の正しい用法に注意しながら、楽しい批評・感想ライフを! それでは、また次の記事でお会いしましょう、igomasでした!

ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀 Chapter3 感想

 

嘘だろ、途中で終わりやがった……

 

 皆さんこんにちは、igomasです、はい。YouTubeで展開中のウルトラマン最新作、ウルトラギャラクシーファイト大いなる陰謀Chapter3の感想です。前回本ブログでは、Chapter2を結構ボコボコに叩きましたが、さすがにChapter3は、坂本監督本来の持ち味が戻って、面白い作品になるだろうと思ってました。

 「Chapter2はまぁ確かに酷かったから色々言っちゃったけど、Chapter3は安定の坂本監督作品でしたね。いやぁ、これよこれ、私はこれが見たかったんだよさすが坂本監督面白かったではまた今度~」って言うつもり満々でした。言いたかったよ、私は。

 しかし、まさかの「物語が途中で終わる」というラスト。これが、一作品として大きな盛り上がりを見せ山場が一つ終わったところで「つづく!」なら期待で胸が高鳴るラストで良作ってことになっていたのですが、もはや最終話に何の山場も用意されておらず、言ってしまえば「打ち切りと何ら変わらない」という見るも無残な状態に。いや、厳密にいえば続編ができるらしいので打ち切りってわけじゃないんですけど、感覚としては打ち切られた気分。だってもはや「一つの物語」として成り立っていないんだもん。

 結局この話ってあってもなくても良かったよね、と。本作の内容って要は「アブソリュートタルタロスってやつが並行世界をたくさん作って軍勢を作っているらしい」「やばそうだからゼロもゼロでチームを作らなきゃ」それだけ。それくらいならまとめれば15分くらいで済む話なんじゃないですかね。次回作の最初1話くらいで描けるレベルの話じゃないんですかね。それを98分の大作に引き延ばす必要がどこにあったんですか、これ。

 え、第一部でウルトラマンリブットを深堀りしたかった? それならウルトラマンリブットが主役の物語をしっかり描くべきだったと思います。パワードとグレート二人の先輩に急にボコボコにされて、雑に精神世界みたいなのでなんか覚醒したっぽい演出だけ入れて、武器はパワードグレート両者からもらって終わり。それのどこが「リブットを深堀りした話」なんでしょうか。リブットとは何者なのか。もっとキャラの真髄を描くべきなんじゃないですかね。なんとなく覚醒したような上っ面だけなぞっても、いい話にはなりません。第一部、いらん

 え、第二部でウルトラ大戦争やトレギアの過去を描きたかった? Chapter2の記事に詳しいので読んでみてください。結論、第二部、いらん

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  え、第三部で現代のウルトラマンたちの戦いを描きたかった? いいと思います。正直言って、Chapter3はある程度描きたいことが描けていたと思います。メビウス関連の話、ゼット関連の話、坂本監督が書きたいことは理解できましたし、良いな、と思うカットもたくさんあったと思います。確かに、坂本監督の良さが色々詰まっていた部分もあって、それは本記事で評価していくつもりです。でも、どれだけ頑張っても意味がないんですよね。

だって途中で終わったから

 冒頭でも示した通り、最高の盛り上がりが最後にあるのであれば、すごいね大作だったね未完結だけど90分作品の最後を飾るに足る素晴らしいお話だったね、で終わります。ですが、それがない。なんのために完結を先送りされたのか分からない。アブソリュートタルタロスって、ジョーニアス先輩といい勝負、くらいだったじゃないですか。ゼロと戦って、ゼロのカラータイマー一つ点滅させられないくらいの相手じゃないですか。なにも二作続けて出すほどの敵でもないとは思うのですが、それを、なぜ決着を先延ばしにする必要があったのか。

 正直、最後ゼロにタルタロスが負けて、「タルタロスが負けたか、しかし奴はアブソリューティアンの中でも最弱、尖兵に過ぎない。我々アブソリューティアンの計画は今始まったのだ」とか誰かが言って「つづく」でも全然よかったと思うのですけど。番組を未完結のままぶった切ってまでタルタロスを生き残らせる必然性が今のところ見えないのですけれど。

 第一タルタロスというキャラクターに魅力がなさすぎます。まぁ魅力ポイントを挙げるとすれば「声」くらいなものでしょうか、あとデザイン。そもそも、アブソリュートタルタロスが結局何がしたいのかわからない。Chapter1でリブットの世界で色々暗躍しようとしたけれど、この時代では負けそうだ、と思いChapter2で並行世界から軍勢を束ね、Chapter3で仕向けるも軍勢はあえなく敗退。で、最後にタルタロスが出てきてユリアン王女をさらって退場。え、アブソリュートタルタロス一体でなんとかなるなら最初から過去行く意味なくね?

 そもそもアブソリュートタルタロスって、なんのために過去へ行ったかって、ウルトラマンレジェンドには敵わないと思ったからなんですよね。それでベリアルとトレギアを連れて、あとバット星人を連れて現代に戻ってきた。まぁ結局バット星人の作った宇宙凶魔人ゼットはタイガにあっさり倒されたわけですが。その程度の戦力を引き連れて戻ってきて、で、レジェンドに勝てそうですかタルタロスさん? 絶対勝てないよタルタロスさん。過去行った意味ないよタルタロスさん

 ベリアルとトレギアを軍勢に加えたものの、初登場時に通常形態のゼロが互角に渡り合ってしまっているんですよね。これまた何のために勧誘したか分からないくらいの微妙な強さ。この程度の戦力で本当にレジェンドに勝てるようになるとでも思ったのでしょうか。

 で最後に、大いなる陰謀なんて銘打っていますが本作、タルタロスがやった価値あることといえばただ一つ「ユリアン王女を人質にした」これだけ。しかもユリアンである必要は一切なく、ただ人質としてさらっただけという。そんなことならもうChapter1の時点で出来てたんじゃないですかね、タルタロスさん。

 こうやってタルタロスの行動を見ると、Chapter2の動向はまったくもって「無駄」の一言。ただユリアン王女をさらって光の国に宣戦布告、これだけでいいんじゃなかろうか。内容としてはほんと、15分レベルの話を薄く薄く延ばして描いてみたい戦闘シーンを入れただけ。しかも完結すらしない。これはもはや作品ではない

 いや、もしかしたらこの作品は我々が完結しないと思っているだけで、本当は完結しているのかもしれません。大いなる陰謀のラスボスは、タルタロスではない人物なのかもしれません。じゃあ誰か。え、最終回で死んだゼットさんですか?

 と考えた時にこれまた宇宙凶魔人ゼットさんに魅力がない。なにせ初登場時に丹精込めて作ったゼットン軍団をゼロとゆかいな仲間たちにあっさり倒され、ゼット自身も、タイガの中間強化形態であるところのフォトンアースに押されるレベル。はっきりいって、作品一つ支えるほどのキャラクターは、凶魔人ゼットにはありません。途中の時点でもうタイガに押されていますし、最終話でも終始タイガとゼットに圧倒されていますから(しかもこの時のゼットは地球に向かう前の1/3人前の状態)、これはもう、なんというか、悲惨。

 まぁ本作は最後さえしっかり完結していれば、他作品に比べて抜きんでて駄作ということにはならなかったとは思います。これから色々褒めていきますが、坂本監督の持ち味は幾分かしっかり味わえました。でも完結しなかったら意味がない。完結しなくても仕方がないくらいタルタロスは強い敵だ、という説得力がどこにもない。ゼロならなんとなく倒せそうだけどなんか話の都合で負けた、タルタロス逃げた、え、終わり?みたいな空虚感。もっとタルタロスを魅力的な「敵」として描く作業を一つでもしていれば、納得の終わり方でしたが、もはやこれを作品と呼ぶことができない現状です。

 そもそもウルティメイトシャイニングゼロなんていうものすごい形態が登場したわけですが、どれくらい強いのか視聴者ですら想像もつかないくらいものすごい形態なわけで、負けるビジョンがどこにも見えないわけです。だって時間も空間も思いのままなわけですから。それが、ふたを開けてみればなんだかゼロが吹き飛ばされて「あいつ強ぇぞ」。頭に?が百個くらい出てきました。

 今までのニュージェネレーション作品群の描写を見れば皆さんもお分かりかとは思いますが、ウルティメイトゼロの空間移動ってほんと体力をかなり消耗する力で、ジードの時はブレスレットが壊れ、テレビ本編中一度も使えないほど。シャイニングの力もものすごいエネルギーを使い、ゼロ本人も使いたくないと思うくらい体力消費の激しい形態です。その両者を使ったゼロが、タルタロスに吹き飛ばされた後も、カラータイマーは元気なまま。

 ポッと出のベリアルトレギアに光線を打たれてウルトラマンが全員吹き飛ばされるみたいなカットが入るも、次のシーンでは普通にみんな立ってますし、全員カラータイマーは元気なまま。ピンピンしてます。

 それで「タルタロスは強い。次作に続く!」なんて言われても、う~ん、タルタロス全然魅力なかったよなぁ、弱かったよなぁって言葉しか出てきません。最後の終わらせ方はご都合主義がすぎます。もう、変にウルティメイトシャイニングゼロとか出さなくてよかったのではなかろうか。なんのために出したんですかね。ゼロは強い、タルタロスの方がもっと強い、ゼロが強化形態になったからもっと強い、いやタルタロスの方がもっと強いしーみたいな、「小学生の自慢大会」みたいなのがやりたかったのか。あれが出たことで、余計になぜゼロが負けたことになってるのか不満な視聴者がごまんと増えた気がしますよ。

 自分の中で今までのウルトラマン作品の中でワーストはウルトラマンルーブだったんですけれど、ここにきて更新されました。しかもルーブとは大きく差をつけて断トツの駄作。いやむしろ、「作品」と呼びたくないくらい断トツ最下位。だって作品じゃないんだもんこれ。どうした坂本浩一監督。どうした円谷。

ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀 最終的にやっぱりウルトラマン史上最低の駄作だった

 

 Chapter2の批判には、多少なりとも個人的な趣味趣向が入っていたことは認めます。しかしながら、「ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀」が駄作であることは私の「感想」「評価」ではありません、「事実」です。いやぁ、ショックだったなぁ。

 まぁとはいえ、Chapter3では色々と坂本浩一監督の持ち味が生かされている部分も多数見受けられました。ここからは、それぞれのEpisodeに触れていきたいと思います。

 

 

Episode7

 冒頭。フューチャーアースにてレイバトスが、かつてハイパーゼットンを生み出しサーガと戦ったバット星人を復活させます(用語が多すぎるw)。バット星人はタルタロスに、「その命、ザキングダムに捧げてみないか」と言われたとたん「うぉぉ分かった。試してみたかったプランがある」と、圧倒的物分かりの良さ。このセリフがまた突っ込みどころ満載で、まずザキングダムってなんだよって。バット星人からすれば、サーガと戦っていたつもり(実際には死んでる)が気づいたら知らない巨人の前にいて、急に拘束された状態。見ず知らずのタルタロスから「その命、ザキングダムに捧げてみないか」と言われても、「は、何?」と返すのが正常な反応。見ず知らずのタルタロスを見た瞬間「この人は究極生命体アブソリューティアンの戦士アブソリュートタルタロスで、その本拠地がザキングダム。この人はウルトラマンを倒そうとしていて私に協力させてウルトラマンを倒す手段を模索しているんだな、よしサーガには殺されちゃったしサーガのことはさっさとあきらめちゃお。ウルトラマンを倒すのか、そうだ前から試してみたかったプランがあるから提案してみよう」と判断したということになり、なぜ分かった&なんでそんなに物分かりが良いんだ状態。しかもこの一連の思考過程を「うぉぉ分かった」の「うぉぉ」の部分で考えていると思うと、なんだか笑えてきます。

 そもそもこのバット星人は一映画のラスボスだったわけですが、ベリアル、トレギア含め、ことごとく「これまでの映画で活躍した魅力的な悪役」を、「タルタロスに付き従うだけの三下」に貶めたのは、やはり本作の駄目な部分だなと。バット星人、ベリアル、トレギア。それぞれがそれぞれの持ち味を十分に持っているはずなのですが、兵士A、兵士Bくらいの扱いでしかない。それぞれの特技をもっとフルに生かして、「悪役を魅力的に見せる」ということを一から学びなおしていただきたいなぁ、と。

 バット星人は、「ゼットンに心がなかったから」ゼットンウルトラマンに負けた、とのこと。まぁこれはウルフェスライブステージからそのまま台詞を持ってきているというのはわかるものの、そもそもゼットンに心がなかったからゼットンウルトラマンに負けた」が原因理由の関係になっていない件。なんで心がないから負けると思ったのか、これもまた雑な台詞。

 惑星マイジーにて、トライスクワッドの特訓シーン。タイガに尻に蹴りを入れられて「感じるぞ、マッスルマッスル」と言っているタイタスが、もう真剣に特訓していないというか正直キモいというか、酷すぎるカット。特訓しているのか特訓しているふりをしているだけなのか、なんというか、雑なアクション。最後に背中合わせに腕を組む?シーンも、スーツアクターが「あれ、ちゃんと腕の位置あってるかな、ずれてないかな」と確認しながらやっているのが見え見えで、全然真剣に特訓をやっていないように見えてしまいます。

 トライスクワッドのもとへゼットが現れ交戦。数の暴力で劣勢に立たされます。

 一方綾香市ではグリージョが、ザンドリアスとノイズラーと戦い、の、ノイズラー!!たぶん今作で一番テンションが上がったのはこの時です(笑) ノイズラーは、ザンドリアスと同様、クラウドファンディング企画でスーツが製作された怪獣で、ザンドリアスとともに怪獣娘のミュージックビデオに登場しました。この時のMV製作の時に、かなりの爆薬をつかって爆発シーンが入れられたのですが、それがあまりに大迫力で歌手もかなり怖かった、とのこと。せっかくスーツが作られたということで、ザンドリアスはウルトラマンジード本編に出ていましたが、しかしノイズラーはテレビに登場しなかったんですよね。てっきりこのMV製作の際の爆発でスーツが焼けこげるなどして出せなかったのではなかろうか、などと思っていたのですが、全然そんなことはなく、スーツは無事だったようです。良かった。いや、だったらテレビ本編にも出してあげようよって話ではあるんですけどねw ゼットとかは特に、過去怪獣の使いまわしが過ぎたので、出してあげても良かったのではないかな、なんて思いましたが。まぁともかく、このシーンにはアツくなりましたね。

 さてグリージョはこの二体の怪獣と対峙します。台詞からも、前作でのゼロとの話を踏襲しており好印象。グリージョの戦い方だったり、怪獣にとどめを刺さないで「もう悪さしちゃだめですよ」というあたりのグリージョらしさが光る良いシーン。いや、普通にChapter1の主人公(笑)だったはずのリブットの描写の5000倍くらいよくできているシーンで、グリージョのキャラも見えてきて、このシーンはほんと良かったです

 このあたりのゼロとの絡みも素晴らしく、「見てたなら手伝ってくれてもいいじゃないですか~」「なんとかプリンの捜索ですか?」「デビルスプリンターな」のくだりや、湊兄弟を彷彿とさせるハンドサイン。このあたりの見せ方は、本当にうまかった。もう、ウルトラグリージョファイトでいいんじゃなかろうか。

 さて次のシーン、U40にてタルタロス視察中、ジョーニアスと交戦。まぁいつもの主題歌背景のバトルシーンですが、結構このシーンはよさげ。構えや戦闘スタイルが厳密には原作のそれと全然違うのは相変わらずの雑クオリティですが、まぁそれにしても結構濃密な格闘シーンだったんじゃないでしょうか。不意打ち攻撃くらいしかできないタルタロス、これまで全くいいとこなしだったのですが、この描写をもってようやく、「そこそこ格闘しっかりできる」敵だと見て取ることができて、ここは純粋にタルタロスの描き方として良かったですね。思いのほかU40の背景もかなり頑張っていましたね、ウルトラ大戦争の時よりは断然。

 しかし、ここで「ジョーニアスと互角くらい」という認識が視聴者の中に植え付けられてしまったことで、のちのウルティメイトシャイニングゼロ敗北が余計にわけがわからないということになってしまうのは、痛いところ。

 今作は、強さの描写が割に合わない、というのが多々あり、たとえばChapter1の80とルーゴサイトの力関係もそうでしたよね。初戦ではかなり有利な80でしたが、次に対峙した時には全然敵わないみたいな描写になっている、とか。強さ、というものをちゃんと考えていないんでしょうか、ご都合主義でいいと思ってるんですかね。そこのところどうなんでしょう。

 トライスクワッドがゼットン軍団に苦戦しているところへ、アンドロメロスとリブットが登場! そして自己紹介! いや、自己紹介してる暇があったら助けろよ、というお決まりのパターン。名乗らなきゃ気が済まないんでしょうか、彼らw 作品のテンポ感も悪くなってしまいますし、こういうのはあまり好きじゃないですね。

 それからトライスクワッドの面々が「あなたたちは」「助っ人か」「ありがたい」とそれぞれカットを変えて言っているのも、「キャラから出た自然な言葉」ではなく「言わされた台詞」の感じが強くなってしまっていますね。一文を無理に3つに分けてカットを変えて言わせている不自然さのなせるわざなのでしょう、ひどい。

 

Episode8

 冒頭から、アンドロメロスとリブットが、ゼットンを相手に大暴れ。このシーンはかなり好きですね。それぞれの技をしっかり使い、変な主題歌BGMも流さず、戦闘BGMを流している、これだけで「ファンサービス」ではなく「戦っている」感が出ますから、作品として見られるというものです。

 坂本監督ならではの、リブットの、ちょっと大げさなワイヤーアクションも決まり良い見せ方。やはり坂本浩一監督はこういう大げさ目の戦闘があってこそ、って感じがしますね。最近の大げさ感をオミットした戦闘はそれはそれでよいのですが、広いフィールドで戦う際には、やや大げさ目の戦闘をしても全体のバランスとしてちょうどよい見せ方になっていますし、全然気になりません。これよこれ、これが見たかった坂本特撮!

 まぁここから、ゼットンが、ウルトラマンに攻撃されるのを待って突っ立っている典型的な「ウルトラマンショーの怪獣」の動きに成り下がっているのが良くないところなのですが、まぁ複製怪獣なんて所詮そんなもの。このシーンは「ゼットンの魅力が下がっている」と各地で批判がありましたね。まぁ棒立ちなんだから、そういわれても仕方がないか。

 本記事冒頭でも述べましたが、ゼット、タイガの中間形態のフォトンアースに一方的にやられます。ゼットさんは、「邪魔が入った」と言って逃げていくのですが、いやそうじゃなくて単純に「襲い掛かった相手に一方的に負けた」だけの図なんですが、ゼットさん(笑)初陣から一方的に負けてるので、最終話の戦いも「一度勝った勝てる相手をただいじめるだけの図」になっているので盛り上がらない、盛り上がらない戦いで最終話を迎えてしまったので面白くない、と負の連鎖が起きてしまったわけですね。別に中盤でフォトンアースが凶魔人ゼットを圧倒しようがそれは凶魔人ゼットの魅力を単体で落としているだけなので全然問題ないのですが、これが作品全体に響くとなるとこの采配はかなりBadでしたね。

 タイガらは光の国に帰還。ウルトラの父ウルトラの母、タロウ、タイガの和気藹々とした光景が描かれます。タイガと光の国を絡める以上、ここは外せないシーンでしたから、あって良かったシーン。SNS各所では、ウルトラの父ウルトラの母のイメージが崩れるなんて批判意見も散見されましたが、自分は結構納得してます。実家に帰ったときの祖父・祖母・父・子のいかにもありそうな会話が自然で、上手く作っていると思いましたね。

 一方で、ゾフィーアンドロメロスとの絡みも、必要不可欠なシーンでしたが、もうちょっとこの絡みは見たかったですかね。形式上シーンだけ入れた、レベルの薄味だったので。

 平行同位体のトレギアが現れたことを知って、驚くトライスクワッド。来るべき戦いのために、修練に励めと言うタロウに対し、タイガらはそれぞれの故郷の星に返り、各自特訓することに。正直、このシーンの意図が全く分からないんですよね。なぜ一旦集合した彼らを分散させて話運びを悪くしてしまうのか。根本的な問題というわけでもないのですが、意味のない助長はあまり好まないたちなので。タイガ・タイタス・フーマがそれぞれの故郷にいるシーンが撮りたかったというのなら、それはそれでもっと自然な話運びはいくらでもあったでしょうし。

 ウルトラコロセウムでは、メビウスとゼットが特訓中。もうメビウスの弟子で良いんじゃなかろうか、ゼット(笑) まぁこのシーンも突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるところ。例えば、両者が組み手の最中に腕を組み合って力を拮抗させている時、とか、距離をとって構えている時、なら分かるのですが、組み手中その態勢になったときに「無駄な動きが多い、それじゃあゼロの弟子になれないぞ」「メビウス兄さん、やっぱりウルトラ凄いですね。でも俺は必ずゼロ師匠の弟子になります。なってみせます」なんて悠長な会話をしているのはさすがに絵面が間抜けすぎるでしょ、とか。自然に台詞がシーンに溶け込んでいないというか、この辺りも撮り方をもう少し工夫できそうなところ。

 さてメビウス、タイガ、ゼットが一堂に会するわけですが、メビウスとタイガのシーンはなかなかに良かったですね。セブン・レオ・ゼロ・ゼットと続く師匠弟子の関係や、タロウ・メビウス・タイガと続く教官教え子の関係に触れ、「ウルトラの絆」について言及するシーン。正直今までニュージェネレーションウルトラマンシリーズにて「絆」という言葉だけが安売りのごとく一人歩きして、なんの言及もされてこなかったので、ここで納得できる「絆」の形をようやく提示してくれたのは多少なりとも進展があって良かったです。オーブもジードもルーブもタイガも絆絆の一辺倒でその実なんの強固たる絆もないことが多かったですから、説得力に欠けていたのですが、連綿と受け継がれるセブン一門とタロウ一門、この二組を示されれば納得か。

 そういえば、タイガ組は特にそうなのですが、いちいち「はい」と頷くときに身体全体を上下させるのはなんなのか。監督の手癖なのかは分かりかねますが、あまりに不自然極まりないので修正希望。

 最後にグリージョとフーマの合流を描くわけですが、なんか、フーマが女子と話せないオタク男子になってる……どもっているというかキョドっているというか。何分フーマが逆に気持ち悪く見えてしまうので、あまりこういう見せ方は好かないですね。キョドるフーマもフーマですが、キョドられるグリージョの方も、変な方向でのアイドル化により株を下げている印象。

 

Episode9

 冒頭、惑星カノンへ向かう宇宙艇が墜落し、80、ユリアン以外の4人のウルトラマンが死亡します。ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ(困惑)

 坂本浩一監督、ウルトラマン4人を殺害

 いやぁ、腹抱えて笑いましたね、このシーン。不謹慎ではありますけれど。いやはや、これまで長きにわたりウルトラマンは描かれてきましたが、復活も何もなく、ただ「ウルトラマンが死んだ」描写をしたのは初めてではないでしょうか。人知をこえた存在、ウルトラマンの最期なんて、涙なしには語れないくらい重大で心震えるシーンのはず。にもかかわらず驚くほどアッサリ亡くなりましたし、起こっていることの重大さと80らの反応のギャップがあまりに不自然すぎて、笑わずにはいられませんでした。本作屈指のギャグシーンですね、これは。

 ちなみに、少し戻って冒頭の台詞にもダメ出しするとすれば、「ユリアン王女。まもなく、銀河連邦平和会議が開かれる、惑星カノンに到着します」これがあまりに説明口調過ぎます。なにより「これから銀河連邦平和会議が開かれますよ」部分がいらない。いや、ユリアン王女これから何するか予定知らずに宇宙艇に乗ってたのかよ、と。もうすぐ目的地に着くその段になってようやく次の予定を聞く様子が、なんとも不自然な絵面。あまりに視聴者に対して説明しよう説明しようとして、劇中の描写として実に不自然になってしまっている。例えるならば、「○○大学に合格するぞ」と一年間勉強していた受験生が試験会場に友だちの親の車で送ってもらって、もうすぐ着くときに「もうすぐ受験が開かれる○○大学に着くよ」と言われるくらいの違和感、といえば分かりやすいでしょうか。

 この「説明口調過ぎる」部分が、本作至る所に垣間見られ、セリフとして不自然極まりないものが多いです。それをあからさまな説明口調にしないためにも、物語の流れ、キャラの動きをブラッシュアップして、より自然なキャラの移動、より自然な台詞回しをさせなおかつ視聴者に状況を分からせる、それが「物語をつくる」ということです。続編を作るのであれば、より自然な台詞回し、そして台詞を自然にさせるためのキャラの動かし方を徹底して欲しいところ。

 80とユリアンのピンチに、光の国で修行していたメビウス、タイガが救援に向かおうとします。ゼットもまた、自分も参戦する、と言いメビウスに静止されますが、ゼットの熱意を感じたのか、メビウスは「無茶はするな」と言い同行を認め、3人のウルトラマンが出動します。この辺りも少し台詞回し、ウルトラマンの挙動がもっさりしており(というかほぼキャラが直立不動で)、一刻を争う緊急事態感が出ていないような気もしますが、やや細かい部分なのであまり触れないでおきましょうか。

 ゼットン軍団を率いて80らを襲った凶魔人ゼットの狙いはユリアン王女だったわけですが、なぜユリアン王女でなければならなかったのか、は本作にて全く明かされていません。次作に引っ張る必要もあまりないですし、次作にて真に納得できる巧妙な理由が示されるともほぼ期待できないのですが、是非とも続編にて万人が心の底から納得する理由付けが欲しいところ。でなければ、本作にてタルタロスが90分かけて、時間を越えて平行同位体を作り出して、大規模な軍隊を作り様々に暗躍して成し遂げたことが、「誰でも良いけどとりあえずウルトラマン側の人質を一人手に入れることだった」ではあまりにスケールが小さすぎますからね(笑) そんなことそこら辺の小悪党宇宙人でも出来ますから。

 凶魔人ゼットとウルトラマンゼットの初対面。ゼットは「ウルトラマンゼロの弟子だ」と自己紹介しますが、そもそも敵はウルトラマンゼロを知っているのか、とか何も考えず自己紹介しているんですかね、ゼット君は。まぁ、お決まりの不自然な「自己紹介」。

 80とユリアンのもとへ、メビウス、タイガらが到着し、各自ゼットンを討伐。まぁゼットンとはいえ弱々しい複製体ですから、これくらいサクサク倒されても仕方ないですかね。だってウルトラマンが必殺技ためてる時、まるで倒されるのを待っているがごとく棒立ちだもん(笑)

 さて、ゼットは、自分一人で十分やれると意気込んでゼットン軍団と戦うわけですが、まだまだ未熟な彼にはどうにもできず、苦戦。そこへ、新星チームウルトラリーグを率いてゼロが到着。救援に駆けつけます。

 ゼロはゼットに「いいか、ゼット。一人で何でも出来る気でいるうちは、大事なことが分かってないって事だ」と言い放ち、タイガと共闘。続いて各人が協力してゼットン軍団と戦っていきます。互いを信じて戦う姿に心打たれるゼット。一人で何でも出来るなんて思い上がっていては何も始まらない。なんだかんだでゼットに目をかけ育てようとするゼロの師匠ぶりが光るシーンでしたね。

 まぁ、グリージョとユリアン、フーマとリブットみたいなほぼ初対面タッグらを見て、「絆を築いた」と感想が出てくるゼットもゼットですが(笑) もう少し説得力のあるコンビだと良かったな、それこそゾフィーアンドロメロスとか。

 さて、タルタロスはユリアンをさらい、そこへ「させるか!」とウルティメイトシャイニングゼロに変身。どうなる!?というところで続く。

 

Episode10

 さて、一応最終話ということらしいEpisode10。

 前回「一人で何でも出来る気でいるうちは、大事なことが分かってないって事だ」とゼットに言っておきながら一人アブソリュートタルタロスの空間に飛び込むゼロですが、どうやらシャイニングとウルティメイトの力を掛け合わせると体力消費が激しいようで、またタルタロスの生み出すタルタロスのための空間内での戦いということもあり苦戦の様子。結局タルタロスの光線にあっさり負けて吹っ飛ばされてしまいます。本記事冒頭でもう話し尽くしてしまいましたが、やはりこのシーンが今作の終着点として非常にまずい部分。

 まずもって、なんのために新フォームを出したのかが分からない。新たな敵のかませにするためだけに新フォームを出すというのが、ゼロになんの恨みがあるんですかレベルの案件。今までも坂本監督はやたらと新フォームを出すことにこだわっていますが(前作の黄金に輝くゼロビヨンドや、今作の虹色に輝くタイガトライストリウム)、他の新フォームと比べてなぜにここまで抜きん出て不遇な扱いなのか。

 それから、今作はあくまで建前上は「過去ウルトラマンを魅力的に描こう」って作品だった気がするのですが。一番人気のゼロをこんな扱いにしてしまっては、まったくもって本末転倒です。完全に見せ方が自己矛盾極まりなく、困惑しっぱなしです。

 最後に、ではこれだけ大人気のゼロをかませにしてなにか得があったのかというと、特にそうでもないというのが一番の難点。Episode10話分かけて、タルタロスに魅力があるのかといわれれば、皆無としか言いようがありません。結局、今作だけ見れば、やったことは「ウルトラの国側の人質を取った」という、別段過去にいかなくとも平行同位体を作らずとも、そこら辺の小悪党宇宙人にでも出来る悪事。強さはレジェンドを見るやいなや逃げ出し、ジョーニアスと互角のレベル。到底ウルトラの国全体を敵に回せるほどのカリスマ性もない。ウルティメイトシャイニングゼロを倒してさも勝ち誇ったような顔をしているが、その実ゼロのカラータイマーを点滅させてすらいない。こんな敵に魅力を感じることは、できません。

 もしゼロをかませにしてまでタルタロスを脅威として見せたいのであれば、それだけの覚悟が必要です。これだけ薄味の話を90分に引き延ばしてタルタロスの暗躍を描くのであれば、それだけタルタロスの行動原理や所作に魅力を持たせる覚悟が必要です。過去作品のウルトラマンを大量に出すのであれば、その分視聴者を魅せるための覚悟が必要です。覚悟が足りない。そんな人が作ったかませフォームは、誰の心にも響きません。

 さて、一方タイガトライストリウムと凶魔人ゼットとの戦い。え、トライストリウムってタイガとタイタスとフーマ、そしてヒロユキがいないと変身できないんじゃなかったっけ?クワトロスクワッドの「絆」の証なんじゃなかったっけ?と思ったそこのあなた。どうやらこの件について、公式がTwitterにて説明しているようです。「地球でヒロユキとの日々を過ごしたことにより、かつて『メビウスと地球人の絆』について真の意味で理解を深め、それを胸に厳しい修行を重ねたことで、ヒロユキがいない状態での変身が可能になった。クワトロスクワッドブラスター以外の全ての技を使うことができ、さらに力を解放した、虹色に輝く新パワーも身につけた。」とのこと(円谷プロダクション公式Twitterより引用)。なんとも分かったような分からないような説明。「厳しい修行を重ねたことで」という文言もだいぶぼかしていて、具体的なことは何も考えていないんだろうな、と。しかもこのくだりを本編ではなくTwitterで紹介するというのがまた惜しいところ。タイガらがヒロユキなしにトライスクワッドに変身できる、それだけでタイガというキャラクターにとっては大きな変化・成長でありますし、そこに本作含め近年のウルトラマンのテーマである「絆」や、本作登場のメビウスも関連しているのであればなおさら、その部分は魅力的なシーンとなったはずですし、描くべきシーンのはずなのですが。キャラクターの大きなターニングポイントとなる話は、ダイジェスト形式で言葉で説明するのではなく、きっちり作品として撮るべきところ。というかそもそもそれを描くのが「物語」なんですけどね~文字に起こしておけばいいや、と思うなら、特撮を撮る意味がありません。

 タイガがメビウスと80に、「後は任せてください」と言うと、一瞬メビウスと80は応援に向かおうとするも、何を思ったか立ち止まり、「まぁ、僕たちが助太刀すれば凶魔人ゼットを楽に倒せるには違いないが、トライストリウムだけで十分倒せそうだから、放っておいても大丈夫そうだな。一人で戦わせた方が本人の経験値にもなるし、ここは後輩に任せるとするか。いやぁ良い後輩を持ったなあ」とメビウス80が棒立ちで漫談する始末。いや、あの、タイガに任せて良いと思うならさっさとユリアン助けに行ったら良いんじゃないですかね?「頼もしくなったな、タイガ。最後まで諦めず、不可能を可能にする。それがウルトラマンだ」なんてかっこつけてる暇があったら、さっさとユリアン助けに行け、メビウスよ(笑)

 さて、凶魔人ゼットとタイガ、ウルトラマンゼットとの戦いが繰り広げられます。本作主題歌とともにタイガ、ゼットが立て続けに必殺技を放っていきますね。あ、フーマ烈火斬とタイガブラストアタックの間に剣の持ち方が非常にもたついていたの、見逃しませんよ。いや、あまりのもたつきようで、よくこれをOK出したなというレベル。

 そして凶魔人ゼット、ゼットンの複製体を出すも、トライストリウムの一撃であっさり退場です。

 とそこへ、ゼロが吹っ飛ばされてきて、心配する一同。「あいつ、強え」と言っているゼロが、カラータイマー一つ点滅していないことはもう何度も触れましたから省略。タルタロスは自ら計画を暴露。ウルトラの星を第二の母星とするのが、主な計画だったそうです。

 そこへ現れるトレギアとベリアル。ベリアル、「別にお前の手駒になったわけじゃねぇけどなぁ」と言っていますが、今作を通してベリアルはどう見ても飼い主に従順な子犬そのものです(笑)

 タルタロスに人質を取られ逃げられ、一方光の国が急襲されゼットライザーが強奪されます。自分の名前が冠された武器ということもあってか、まっさきに飛び出していくゼット。なんだかんだで心配するゼロは、リブットやグリージョに後押しされゼットを追い地球へ。残った彼らはアブソリューティアンへの対抗策を模索する、でつづく。

 いや全然終わってないじゃん。う~ん、なにもかも中途半端でなんの物語としての区切りもないまま、ゼットテレビ本編に続くという……タルタロスの一件は一刻を争う事態のはずなのに、ゼット本編期間という長い空白を挟んでの続編ということに。次回作が面白くなければそれこそ本作の価値がさらに貶められることになるので、せめて次回作は面白くあってくれと願う所存。

 

〈まとめ〉

 結局Chapter3ってタイトル「明かされし野望」なんですけど、結局タルタロスが自分の口であれこれしゃべってますよね。タイトルの意味が「ウルトラマンたちの活躍によって明らかになった野望」ではなく「タルタロスに教えてもらって明かされた野望」なのがまたなんとも、ダサいというかなんというか。

 あ、そういえばChapter1でコスモスとかジャスティスとか、グレートとかパワードとか、出してましたけど結局どうなったんですかね彼ら。グクルシーサーとか完全になにもしてないんですけどなんで出てきたんですかね。沖縄の守り神がなんでChapter1に出てきたんですかね。風呂敷を広げるだけ広げて、キャラを出すだけ出して畳み方が雑だなぁ、というのは一言付け加えておきましょう。

 

 ということで、ウルトラギャラクシーファイト大いなる陰謀 感想でありました。う~ん、坂本浩一監督の絵面自体は好きなんだけどなぁ、ナックル星人バンデロ回とか最高に好きなんだけどなぁ、ウルトラマンZの担当回(スカルゴモラ等の回)も結構好きなんだけどなぁ。なんでこうなっちゃったんだろうなぁ。まぁでも仕方ない。こうなってしまったことは残念だけど仕方ない。

 とりあえず、坂本浩一監督に伝えたい言葉は一つ。

 

疲れたよね、もう、終わりにしよう

ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀 Chapter2 感想

 

【注意】本記事は現在YouTubeで展開中の番組、ウルトラギャラクシーファイトの酷評記事です。普段はオブラート100枚くらい包んで批判することもありますが、今回はオブラート10枚くらいの批判です。そのため、不快に思われる方もいらっしゃるかもしれません。それでもいいよという方のみお読みくださいませ。

 

 はい、始まりました(笑) いや、もう何から手を付けていいか分かりません。ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀 Chapter2、感想記事です。

 前回は、坂本浩一監督の描く「オマージュ」がたくさんの問題を抱えている、なんて話をしておりました。前回記事で紹介した通り、坂本監督は、「オマージュといえばこの人」と言われるくらいに神格化されている人ですが、私igomasの見解としては、坂本監督は「オマージュが苦手で、自分から何かを作り出す方が得意」というイメージで固まっているんですよね。もちろん、細かいことを何も気にせず見られる視聴者の方々には気にならないかもしれませんが、よくよく作品を見てみれば、粗はごまんとあることは、前回記事でもわかっていただけたかと思います。

 

igomas.hatenablog.com

 

 私igomasも、坂本監督がオマージュをさほど得意としていないことは重々理解していましたから、まぁ多少(というには色々やらかしていますが)の粗は仕方がないと割り切って見ていました。しかしながら、今回は坂本浩一監督自身が生み出したキャラ、ベリアルの物語。さすがにここは外してこないだろう、ちゃんと描いてくれるだろうと思って信じて見てみたら

 

な ん だ こ の あ り さ ま は

 

 まぁEpisode5はいつもの雑オマージュ駄作って感じでしたし、Episode6に関してはむしろウルトラ6兄弟の戦いの見せ方は悪くない部分も多かったので、さほど強烈な批判にはならないとは思いますが(それでも批判自体はしますが)、やはりEpisode4が酷い。今回はEpisode4にかなりの尺を割きながら、思ったことをつらつらと述べていこうと思います。

 

 

Episode4

 ウルトラ大戦争がショボい。まぁ前半はただただこれに尽きると思います。ウルトラマンウルトラマン80ウルトラマンメビウスと、長きにわたって綴られた光の国の歴史の中で、最も大規模な戦争として描かれる、ウルトラ大戦争。エンペラ星人と、当時の光の国の精鋭が雌雄を決し、ウルトラの父とエンペラ星人の決闘で幕を閉じた大戦争。それだけのエンペラ星人の脅威も、大規模感も、戦いの重みも、なにひとつ1ミリもまったくもって伝わってこない。グリーンバックで小規模な(それこそそこらの遊園地のヒーローショーより小規模な)軽い戦いを見せられるだけ。まさにウルトラの歴史の冒涜ともいえる絵面のチープさでありました。

 なぜこんなにチープな絵になったか、というのは単純な話で、カメラが終始近すぎる。あちこちで戦いが起こっている、あちこちで怪獣や宇宙人が暴れまわっている、そんな絶望的な様子はみじんもなくて、家族写真を撮るときのグリーンバックくらいの大きさの小さなグリーンバックの中で、キャラクターがわちゃわちゃしている様子を、近くから撮りました、みたいな、そんなカットになってしまっているんですよね。また、グリーンバックの背景も、まさにボイスドラマのそれで、背景自体がとても安っぽい。

 かつて坂本監督が低予算ながらも全力をかけたベリアルの乱。立体的なCGで光の国を描き、ウルトラマンと怪獣の大戦争をかろうじて描き切った。その画を撮った監督と同じとは思えないくらいに、今回の手抜き具合は非常に残念でした。そりゃ予算もない、スーツもない円谷の今の現状なら、あまりに無理がありすぎたのかもしれない。だったらこんな作品作るなよと、そう言いたい。ウルトラ大戦争を撮ることになんの覚悟もなく、ただ低予算の中でウルトラの父とエンペラ星人を戦わせておけばいいという、志の低さが見え見えです。こんなことは言いたくありませんが、Episode4はとんだ恥さらしです。自分は志の低い監督だと書いた大きな看板を背負って街を闊歩するようなものです。反省していただきたい。

 まぁ前置きはこのくらいにして、本編を見ていきましょう。今作Episode4は、ウルトラマンベリアルが闇の力で邪悪な存在になる前の物語、とのこと(参照:『ウルトラギャラクシーファイト』最新作、坂本浩一監督が語る大いなる陰謀「歴代ウルトラマンたちの魅力を再発見してほしい」 (3) (mynavi.jp))。 本ブログでも何度も紹介していますが、悪役において「過去」を描くことは、キャラ付けにおいてなくてはならない要素です。監督によれば、「ウルトラマンベリアルの魅力をさらに高めていくにはどうしたらいいか……と考えて、ベリアルがレイブラッドと同化した状態ではなく、若きウルトラの父(ケン)や母(マリー)と共に怪獣軍団と戦っていた"過去"の姿を描こうという話になった」とのことで、たしかにベリアルという悪役を描いていくにあたって、これまであまり描写されてこなかった「過去」を描こうというアイデア自体は、納得するところがあります。また監督はこうもおっしゃっています、「現在のベリアルを思わせるような描写もあったり」と。大いなる力を得た時、人は二種類に分かれます。その力を善のために使うのか、悪のために使うのか。どちらの道を選ぶにしても、その道を選んだ背景がどこかにあるはずです。その人が育った環境、教わってきた価値観、自分が世界をどのように見ているのか。その一つ一つが積み重なってゆき、最後に善か悪かどちらかの道を選ぶことになる。だからこそ、ただ「今現在の悪役」を描くのではなく、その背景となるような過去を示し、そこに「悪としての道を選んでしまいそうな危険な価値観」や「歪んだ環境で育った背景」みたいなものが見え隠れすると、悪役の魅力が十二分に化けることは間違いありません。このインタビューに書いてあることをもしちゃんと実行できていれば、今作は素晴らしい作品になっていたのかもしれませんね。ちゃんと実行できていれば……

 冒頭、ウルトラの父に許しを請う宇宙人。そこへベリアルが現れ、「お前らはおとりだったってわけかどけ」とウルトラの父を押しのけ……ウルトラの父を押しのけ、宇宙人を焼却します。このシーン、たしかに無抵抗な宇宙人を惨殺するのも大きな問題点ですが、それ以上に問題なのが、同僚を邪魔だと言って押しのける姿。「なぜ撃った。彼らは戦意を失っていた」と意見するウルトラの父に対し、「何を甘いこと言ってやがる」とどつくベリアル。ほーーーーーーーーー、そう描くのか。へーーーーーーーーーーーーーーーーーー(怒りゲージ40%)

 さて、エンペラ星人が光の国に降臨。エンペラ星人とウルトラの父、ベリアルとが戦います。エンペラ星人は、マントがない分やはり貫禄がなくなってしまうので、戦いをかっこよく見せるのにやや難儀したのであろうなと思われます。やはり威厳がそがれる分、エンペラ星人のファイトスタイルに魅力がなくなってしまっている感は否めませんでしたね。まぁ「ただのおとり」しかエンペラ星人軍が描かれていない時点で魅力も何もありませんが。

 ウルトラの父(今更ですが「ケン」よりこちらの方が書きやすいのでこちらで統一しています。厳密にはまだ子供が生まれていないゆえ、「父」と呼ぶのは正しくなかったりしますが)とベリアルは、エンペラ星人の攻撃を受け倒れる女性を逃がし、これがウルトラの父ウルトラの母の出会いだったのだ、ということらしいのですが、え、ウルトラ大戦争で負傷したウルトラの父ウルトラの母が看護したのが二人の出会いじゃなかったんですか(唐突な歴史改変その1)

 ベリアルもこのときウルトラの母と初めて会ったそうで、その時に放った言葉が「いい女だ。俺にふさわしい」。ひっどいセリフだ。まずもってダサい。絶妙にダサい。ウルトラの母ってただ単にエンペラ星人の攻撃で倒れていて、ウルトラの父との会話もほとんどなし。その状態で「いい女だ」って、それ顔しか見てないですよね、べリアルさん。顔だけで判断しましたよね。ここが一番ダサい。第二に、俺にふさわしいって、何様ですかあんた(怒りゲージ60%)。自己中心的で独りよがり、まさに今のベリアルそのものです。闇に落ちるもなにも、もとから悪じゃないですか。それも実にショボい悪。これについては後でまとめて触れます。第三に、そんな素っ頓狂なセリフを入れたことで、エンペラ星人との大決戦前の緊迫感がまったくもってどこかへ消し飛んだこと。これもまた酷い。このセリフを入れたことによるプラス要素が皆無です。

 さてウルトラの父、ベリアル、エンペラ星人の戦い。ウルトラの母が剣を持って現れますが、なんともチープな絵面。先ほども書きましたが、ほんと小さな画角で全部やろうとするので、なんとも「広さ」が足りなさすぎるんですよね。背景はボイスドラマのそれだし、本当に酷い出来。

 ウルトラの父が剣を持つと、角が伸び、髭が生えます(笑) これはメビウス放送時、ウルトラの父とエンペラ星人との決戦を描いたカットが、当時のスーツの関係上、髭が生え角の長いスーツで撮られたことと、ベリアルの乱まで髭の生えていない状態だったという事実とに整合性をもたせるためにやったことなのでしょう。まぁそこに整合性を持たせようとしたという努力は純粋に評価すべきでありましょう。とはいえ一瞬で髭が生えるってのは少し滑稽でもあるのですけれど。

 剣を持って姿が変わったウルトラの父を見てベリアルが一言、「これがケンに秘められた力だと」え、ダジャレですか、だったら面白くないです。まぁそれはさておき、見事ウルトラの父はエンペラ星人に勝利し、平和が訪れるのでした。

 ベリアルはすぐさまウルトラの母のところへ行き、「俺は必ずこの光の国を治めるにふさわしい大物になってやる。そしたら、俺と……」とすぐさま口説きに行くスタイル。だっさーーーーーーーーーーーーーーーーーーい。ウルトラの父が宇宙警備隊隊長に任命されると知ると、ベリアルは「馬鹿な、俺の方が実力は上のはず。力がいる、誰にも負けない力が」と言うのですが、本当に実力がケンよりベリアルの方が上なら、力をそこまで欲することもなかろうに。力を欲している時点で、自分の方がウルトラの父より実力において劣っていると認めているようなもので、発言が自己矛盾。また、力がいる、と思ったベリアルがまっさきにエンペラ星人を思い出すわけですが、まっさきに思い出されるほどの脅威ではなかったぞ、エンペラ星人。もう一度言っておくと、今作ではウルトラ大戦争などと銘打っておきながら、出てきたエンペラ星人の部下は「自称おとり」の雑魚3人のみ。戦いもチープな絵面でボイスドラマ程度の迫力。光の国壊滅の危機と言葉では言っていながらも、さして脅威に映っていませんし、なんならベリアルがそこら辺に倒れていた女性の「顔」だけ見てうつつを抜かす始末。こんなに雑に扱われたエンペラ星人が、「力」の代表格としてベリアルからあこがれを抱かれるというのはさすがに無理がありすぎる。エンペラ星人の悪役としての魅力をめった刺しにし、ウルトラの歴史をコケにした代償がここでまわってきましたよ、監督。

 そしてここでアブソリュートタルタロスが介入。あぁ、ベリアルのオリジンにまで介入するのか。せめてベリアルは自分の意志で悪の道を選ぶくらいにはやる男だと思っていたのですが、全部タルタロスのいいなりに動く始末。陳腐な悪役になり下がりました。ベリアルはその後もウルトラの父との確執に悩まされ、訓練場でも「俺の方が強いはずなのに~」と暴れまわる始末。単純に見ていて、ダサいなって。なんでも自分の思い通りにならないと気が済まなくて、とにかくなんでも自分のものにしたがる。自己中の塊。そんなキャラクターに誰が魅力を感じるのでしょう。否。今作でベリアルの株は地に落ちたといっていいほど、扱いが酷いと言えるでしょう(怒りゲージ70%)

 暴れ狂うベリアルに、強大な力は欲しくないか、と語り掛けるタルタロス。ベリアルはプラズマスパークに手を出します。その後彼はゾフィーウルトラマンたちと戦い……え?……そして自分の足で光の国から立ち去り……え?(唐突な歴史改変その2・怒りゲージ80%)……そのまま転げ落ちるかのように真っ逆さまに岩場に落ちるダサいカット。ええと、本来の歴史ならプラズマスパークの力に侵され苦しんだ状態のまま、光の国を追放されたはずなのですが。なんでここ変えたんですか、なにか変える意味があったんですか。え、坂本監督、あなたが作った設定ですよ? なんで自分が作った設定自分で忘れてるんですか、え?しかもウル銀なら、追放され岩場に墜落した際、ザーっと地面に体を引きずって不時着したような跡があるのですが、どうして今回真っ逆さまに落下するダサいカットに変えたんですか。ウル銀なら、プラズマスパークの力に苦しみながら、追放されているわけですから、地面に体を引きずらせ墜落するのも納得できますが、なんで自分の力で光の国を脱出できるくらい体の制御ができる人が足滑らせて真っ逆さまに落ちた人みたいに岩場に叩きつけられているんですか。なんでこんな雑に撮って満足してるんですか!(意味不明な歴史改変その3・怒りゲージ100%)

 さて、タルタロスから未来の自分の姿を見せられ、自分の息子に討たれる最期とは、とんだお笑い草だとあきれるベリアルに、タルタロスは、お前の運命を変えてやる、共に来いと誘います。ベリアルは「おもしれぇ」と言って、タルタロスの下につくことを決めたのでした。(怒りゲージ120%)

はっ

お笑い草なのはベリアルの人生じゃなくてEpisode4のすべてだ!

 Episode4の何が一番悪いって、坂本浩一監督自身が、自身の生み出したキャラであるベリアルを、ことごとく無味乾燥なキャラに貶めたということです。いかにしてベリアルが魅力のない陳腐な悪役になってしまったのか。3点に分けて説明したいと思います。

一点目、本作Episode4は、「ウルトラマンベリアルが闇の力で邪悪な存在になる前の物語」だったはずです。しかしふたを開けてみるとどうでしょう。ベリアルはプラズマスパークの力を得る以前から、レイブラット星人の遺伝子を受け継ぐ以前から、ただの「悪」でしかなかったのです。悪役になる、ではなく、最初から悪だった者がより悪になった話、でしかないのです。つまりなんですか、結局のところEpisode4が伝えたかったのはつまり、悪は生まれつき悪ってことですか。犯罪者は生まれつき犯罪者。聖人は生まれつき聖人ってことですか。ベリアルは犯罪者の遺伝子を持って生まれたから犯罪者で、ウルトラの父は聖人の遺伝子を持って生まれたから聖人と、そう言いたいわけですか?ウルトラマンは聖人君子の遺伝子を持って生まれた宇宙人だから宇宙の平和を守るのだ。ウルトラマンは生まれつきいい遺伝子を持った「光の使者」なのだ、生まれつき犯罪者のベリアルはみんなで追い出せ、そういうことなんですか?反吐が出るね!

 え、じゃあジードが「運命を覆した」ってのは単純に、「犯罪者の遺伝子だから犯罪者になるしかないけど意外にも良いことをしたから運命を覆した」って、そんな陳腐なレベルの話だったってことですか?そうだとしたら非常に悲しいですね。

 ウルトラの長い長い歴史の中で汚点となることは間違いないですし、ウルトラマンという存在そのものを愚弄しているかのよう。坂本浩一監督にとってウルトラマンってのは、遺伝子的にたまたまいい人の遺伝子がたくさん含まれているラッキー集団程度の認識なわけでしょうか。もしそうだとしたら悲しくて仕方ありません。その人が善か悪か、というのはその人がどう生き、どんな人と同じ時を過ごしてきたのか、環境や価値観によって大きく左右されるものだと思っています。生まれつき善悪が決まっているなんて価値観をウルトラマンに持ち込まれること自体が不愉快です。

 この点に関してですが、まぁさすがに坂本浩一氏も「生まれつき善悪が決まっている」なんて危険思想の持ち主ではないでしょう。単純に悪役の過去を描く力量がなかった、ただそれだけのことなのでしょう。悪役の過去を描けないにも関わらず、無理してベリアルの過去をストーリーに組み込んでしまった。これが大きな失敗でしたね。大失敗・無理をしたのはもう一つあって、それが二点目。

 二点目、坂本監督は「現在のベリアルを思わせるような描写もあったり」とおっしゃっています。「現在のベリアルを思わせる描写」をところどころにスパイスとして入れることで、「これから悪役になってしまうであろう心の不安定さ」だったり、「悪の道を歩みだす予兆」といったものを表現したいと思ったのでしょう。

 しかし、実際の映像を見ると、「現在のベリアルを思わせるような描写もあったり」ではなく「現在のベリアルを思わせるような描写」しかありません。もはや最初から最後まで現在のベリアルそのもの。まったくもって作品のスパイスとして機能していない。とにかく坂本監督は中庸を知らなさすぎる。「現在のベリアルを思わせる描写」は0でも100でもなく、ちょうどいい塩梅で入れなければならない要素なのです。それが今回全くできていない。端的に言えば

下手

 三点目、無駄な歴史改変が多い。ベリアルが初登場したウル銀は坂本監督自身が手掛けたのにもかかわらず、なぜここまで描写が異なるのか、理解できません。ベリアルの行動そのものが変わっているほか、タルタロスにあっさり従い服従したり、レイバドスやジュダといった悪役たちと和気藹々とチームを組んでいるあたり、単身光の国に乗り込み銀河帝国を作り多くの部下に慕われたかつてのカリスマ性はどこにも見当たらず、魅力を大きくそいでしまったのは問題であったと思います。なぜベリアルの魅力をここまで下げ、自己中心的かつダサくて陳腐な悪役になってしまったのか。ただ一つ考えられることは、アブソリュートタルタロスのやってきたこの宇宙はパラレルであって、正史の時間軸とは異なる時間軸であるから、キャラクターの性格も行動原理も何から何まで違うということ。すなわち今作のベリアルはこれまで我々が見てきたベリアルと全く別の存在であるから、過去も現在も未来も、なにもかもが正史と異なる存在と、そう考えでもしなければ微塵も納得できません。せめてアーリーベリアルを一度でも、たった一度でも一瞬でも、かっこいいと思いたかった。ウルトラの父と肩を並べるほどの戦士じゃなかったんですか。今作で描かれたベリアルは、ただのダサいおっさんです。正直、ベリアル関連については改悪しかなかった。

 以上三点。他者のオマージュ下手に飽き足らず、自身が作り上げた人気キャラクターですら、その魅力を加速度的に急降下させ、歴史改変を通して大いに改悪し、「悪は生まれつき悪だ」と言わんばかりに愛のない悪役描写、バランスのなっていない「現在のベリアルを思わせる描写」、雑でチープなウルトラ大戦争、なにより、志の低さが見え見えの作劇。間違いなくウルトラマン史上最低最悪の駄作です。

 私は、坂本浩一監督のアンチではありません、信者でもありません。良いと思えば褒め、悪いと思えばけなす、ただそれだけです。坂本監督は、ちゃんと全身全霊をかけて取り組めば、いい画を撮れるポテンシャルは十分に持っている方だとは思っています。そう思っているからこそ、なんでこんな駄作を世に出したのか、残念でなりません。無能な人間に、できないことを強制するほど私は馬鹿ではありません。坂本監督ならできたと思います。他人のオマージュならまだしも、自分が作り出したキャラくらい、まともに描ける人だと思っていました。それすら手を抜くなんて、いやむしろ手を抜くより酷い出来になっているなんて、ほんと心底がっかりです。あきれました。

 ということでEpisode4感想でした。まぁなんというか、こんなに何一つ褒めるところがない作品ってのも珍しいなと。記憶から消したい、正史から消したい、そんな一作でした。

 

Episode5

 さて、ここからは平常運転です。再びオブラート100枚仕立てで感想記事を書いていくと致しましょう。Episode5は、トレギアの過去に関する話。冒頭から、アーリートレギアが現れ、おなじみ構えのカット。このカットを見て、スーツアクターの方がChapter1のコスモスの人と同じだと思ったのは私だけでしょうか。前傾姿勢かつ重心が右に傾いており、やはり体幹がぶれているように見えます。コスモスのフォームとこうも変わらないとなると、やはりウルトラマンの無個性化につながりますし、もう少しトレギアのファイティングスタイルは試行錯誤してほしかったですね。というか、そもそもトレギアにファイティングスタイルがあるのが違和感。トレギアの戦い方なら、そのファイティングスタイルは取らないんじゃないか、と思うのですが、まぁこれは「宇宙警備隊に入るのに失敗した時のフォーム」と取っておきましょう(笑)

 トレギアがのちの「タイガスパーク」の設計図を眺めているところへ、ヒカリ長官が現れ、素晴らしい発想だとほめたたえたのち、「まさに絆をつなぐアイテムだな」というのに対し、「ものを開発することしかできない自分が情けないです」と悩みを吐露。ヒカリはそれに対し、「自分ができることに誇りを持てばいい」と語り掛けます。今回に限らず近年のウルトラマンは、実に「絆の安売りバーゲンセール」が広く行われており、都合のいい単語として「絆」を多用しがち。かたい絆を結んでいく過程をすっとばして、「俺達には絆がある」発言が唐突に飛び交う作品ばかり。「絆」というそれっぽい単語をいれておけばなんとなく視聴者が自己保管して感動してくれるだろう、という考えが見え見えで、あまり好きな言葉ではありません。「絆」というのは近年ウルトラマン界隈においてある種のキーワードとなることが多く、たった一度でもいいからせめてどこかで定義づけして欲しい言葉であります。粗雑に「絆」という言葉を使い、(絆なんてないのに)「絆があればなんでもできる」理論で、ストーリー上描かなければならない最低限の描写をあれこれ飛ばしまくっているのは、はっきりいって雑な作劇です。今回も、なにかしらの説明を一言でも入れてほしかったですね。

 つづいてタロウとヒカリのシーンに入ります。タロウが「光の使者としての任務完了」とガッツポーズを見せます。この「光の使者」というのも今作のキーワードとしてたびたび登場するのですが、この言葉ももう少し慎重に使ってほしいですね。まるで「いつだって自分たちが正しい光の化身だ」と言わんばかりの自己肯定的な言葉。とてつもなく押しつけがましい言葉であり、非常に不愉快。そもそもベリアルのような悪がすでに誕生しているわけで、ウルトラマンは光の使者、という考えそのものが既に揺らいでいるはずなのですが、そんな発言をさせてしまっていいのか。発言しているタロウ自身が、トレギアに悪を振りまいている時点で、「光の使者」なんて大層な台詞言わせて言い訳がありません。もう少し言葉は慎重に扱ってほしいなと思いました。

 トレギアはタロウに言われ、のちの「タイガスパーク」の設計図を見せ、「絆に関するデータが足りない」と言います。え、絆に関するデータって、何?「絆」に関して何の定義づけもないゆえに、どんなデータか皆目見当もつきません。というか絆って、データ化できるような、数値化できるようなそんな陳腐なものなんでしょうか。だとしたら個人的には嫌ですね。

 タロウは「このデバイスに名前をつけよう」と言い出し、「タイガスパークなんてのはどうだ?僕たちの絆の証だ」と、押しつけがましくも人様の発明品に勝手に名前をつけます。ちなみに、今作以前に発表された、トレギアが主人公の小説では、タイガスパークの名はトレギアが考えたもの。トレギアが悪に堕ちてからもなおもタロウは親友トレギアのことを思い続け、自分の子の名前をつける際に、トレギアの考えた名である「タイガ」を名づけた、という展開になっています。タロウが、闇に堕ちたトレギアをなおも親友として慕っていたという結構粋な裏設定だと思っていたのですが、どうして改変してしまったのか。改変したことで、タロウはただの「人様の発明品に名前をつける出しゃばり」になってしまい、せっかくのいい話が台無し。別にここを変える必要は全くなかったんじゃないかな、と思うのですが、どういう意図があったのか、謎。

 つづいてヒカリの失踪。ちなみにこのヒカリの失踪理由についても、今回改変があった模様。細かい話になるので説明は省きますが。細かいことを言うと「ヒカリ」という名はメビウスの時代に地球で名づけられ、この時代にはヒカリ、という名ではなかったのではないか、とか突っ込みたいのですが、まぁそんなこと言っていたらキリがないのでここも省略。

 ヒカリ失踪の連絡を受け、惑星アーブに向かうトレギア。え……ヒカリサーガにはいなかったんですけれども。じゃあなんですか、ヒカリサーガではトレギアが消されてたってことですか。わざわざ過去作を改変してまでこのシーンを描く理由がまったくもって皆無で、ほんとオマージュ下手だなぁと痛感させられます。

 ボガールを倒すため、ヒカリは怨念を身にまといハンターナイトツルギになるのですが、ハンターナイトツルギになった瞬間、「邪魔をするならば、お前とて切る」と言ってトレギアに襲い掛かるツルギ。いや、邪魔してないじゃん。これではただただ他人に見境なく襲い掛かる野蛮人にすぎません。トレギアがヒカリ長官と呼びかけると、「今の私は復讐のために生きる、ハンターナイトツルギだぁ」とツルギは答えるわけですが、じゃあ見境なく暴れるんじゃなくて、ちゃんと復讐に生きてくださいよ。

 ハンターナイトツルギって、悪のウルトラマン、とはまた違う存在だと思うんですよね。実際悪のウルトラマンという認識は円谷にもないでしょうし。ツルギは、あくまで惑星アーブを救えなかった自分の無力さを呪い、アーブを滅ぼしたボガールを追う復讐の鬼となりました。確かに、ボガールを倒すためには手段を選ばない、そんな残忍な性格をも持ち合わせていましたが、その行動原理はただ一つ。ボガールへの復讐。そしてそのボガールは、言わずもがな星を滅ぼす絶対悪。目的は正しくとも手段は正しくない、それこそが、ダークヒーローとしてのツルギの魅力なのではないでしょうか。それが、今回、ツルギは怨念を取り込んでからは右も左もわからないくらい見境なく暴れる暴徒と化しており、まったくもって魅力がなくなってしまいました。

 飛び立つツルギを見て出てきたトレギアの感想が、「ヒカリ長官でも、闇の力には抗えないというのか」。え、そんな話だったっけ?まぁ、ヒカリ長官のような聖人でも、闇に堕ちてしまう危険性を誰しもはらんでいる、みたいなことが言いたいんでしょうが、そうだとしてもこのセリフがあまりよくないなと。言葉だけ聞いていれば、「闇の力と戦ったヒカリ長官が負けて闇の力に堕ちた」みたいに聞こえるのですが、別にそうでもなかろうに。劇中描写だけ見れば、ヒカリは全く持って怨念だったりそういう力に抗おうとして負けて闇の姿になったのではなく、自分の意志でそうなっているわけで。なんというか、セリフの言葉選びがあまり気に入りませんでした。本作では特に重要な、テーマにかかわる台詞なので、細かいところですがもう少し吟味してほしかったかな。あぁそれから、あまりに描写不足すぎて、トレギアがどれくらいヒカリ長官に信頼を寄せていたか分かりませんし。なにせトレギアは「ものを開発することしかできない自分が情けないです」などと「ものを開発する」ことを軽く見ているような発言をしているわけで、そんな奴が果たして科学技術局長官としてのヒカリをどれほど尊敬していたかははなはだ疑問ですw

 光の国に戻ってからも、悩むトレギアに対し、馬鹿の一つ覚えみたいに「光の使者」を連呼するタロウもタロウで、やはり「光の使者」という言葉の持つ重みをまったくもって理解していないのではないかと疑いたくもなります。トレギアの去り際に「心配するな、僕が君を闇から守る」と、無意識のうちにまるで自分の方が立場が上で、守ってやると言わんばかりのデリカシーのない発言は、普通にタロウの評判を落としているなと。

 タロウとともに調査に向かったトレギアは、アブソリュートタルタロスから自分の未来を見せられます。今回これはあくまで私自身の価値観なのですが、トレギアほどの人物ならば少しくらい、「今見せられているのは偽の未来かもしれない。タルタロスの都合のいいように偽の未来を見せられているだけかもしれない」だとか何かしら一瞬でも疑うそぶりを見せるものではないかとも思うのですが、なぜこうも誰もかれもホイホイ、タルタロスの部下になることを志願するのか。それこそトレギアは、他者を操り思いのままにすることを喜びとしていたはずが、タルタロスにいいように使われるだけの「都合のいい手下」に成り下がっているのが、まったくもって残念だな、と。それはレイバドスにも言えるしジュダにも言えるし、前作のルギエルやエタルガーにも言えること。坂本監督がやっていることは悪役の魅力を高めることではなく、むしろ悪役の魅力を地に貶めていることだとそろそろ気付いてほしい所存。

 タロウがトレギアを引き留めようと発した言葉「この世に闇がある限り、我々ウルトラ族が闇を消し去る光となり、照らし続けるんだ」も実に独善的でチープな発言。とてつもなく押しつけがましく、今作ヒカリに限らずタロウもかなり株を落としましたね。

 ということでEpisode5感想でした。翻って今回見直してみると、トレギアの魅力はさほど半減していませんが(それもそのはずトレギアについて全く描けていないから)、一方でハンターナイトツルギの魅力がガタ落ちしてしまったな、という印象。トレギアの過去を描こうとしたら、ヒカリが風評被害にあった。ただそれだけのEpisode5であったな、と感じました。Episode4に続き、褒めるところが一つもない話でしたね。

 

Episode6

 ウルトラ6兄弟とジュダ兄弟が面と向かって話しているところからスタート。面と向かっているところからスタートなのに、会話の途中で「モルド、ジュダ!」と驚くタロウはやはりワンテンポ遅れているというか、なんというか(苦笑) せめて惑星に着地するや否やジュダの姿を認め、「モルド、ジュダ!」と驚くならまだしも、とりあえず言わせてみた感の強い台詞でありました。台詞回しがもう少しナチュラルなものになるといいですね、坂本監督。

 ここから、ウルトラ6兄弟とジュダ兄弟との戦い。この戦い自体はテンポ感も良くよかったですね。細かい動きを一つ一つ見ていけば賛否両論分かれそうなものですが、自分は割と見ていていいなと思った戦闘シーンですね。無難ではありますが、いい具合に合体光線や技が連発され、熟練のウルトラ兄弟とジュダの戦いは、これはこれで見る価値あり。ジュダとモルドがわりかししっかり動けるのも、かっこよかったです。

 戦いの途中でタロウはウルトラ兄弟に、「こうなったら兄さんたち、コスモミラクル光線を使います」と進言します。え、「こうなったら」って、何?「こうなったら」とはすなわちコスモミラクル光線を使わなければ勝てないようなそんな状況だから、ということでしょうか?どう見てもコスモミラクル光線使うような脅威じゃないんですけれども。わざわざ合体するまでもなく優勢なのですが。とりあえずテキトーに流れで合体させておけばファンは喜ぶだろう、という考えの甘さを前面に押し出したコスモミラクル光線は、見ていてなにもワクワクしませんでしたね。熱い展開とは、熱い展開に至るまでの過程をしっかり描いてこそワクワクするのです。過程をすっとばして結果だけ見せられても、それはチープなファンサービス。「コスモミラクル光線を放つほどの脅威」くらいやろうと思えば簡単に描写できるでしょうに、まったく。

 ジュダとモルドが倒れたら、次はベリアルとトレギア。タルタロスに与えられたと思しき力を使い、ウルトラ兄弟を圧倒。そこへ、満を持してのゼロ登場。ベリアルの姿を見るや否や、驚いた反応を見せ、ダメ押しとばかりにゼロの「ムカつく性格は持って生まれたものらしいな」発言。Episode4で触れた、「悪は生まれつき悪」ともとれるひっどい作品観がここにも顔を出しています。ゼロはベリアル、トレギア相手にも善戦し(タルタロスに力を与えられたとはいえ、なんの鍛錬も積んでいない頃の経験薄弱な二人ですから、もっと善戦してもいいくらいなのですが)、最後にタルタロスに吹き飛ばされます。タルタロスの必殺技を受けてもなお、ウルトラ兄弟とは異なりカラータイマーが点滅すらしないゼロはさすがだなと感心しますが、それはそれでやはりChapter1でレジェンドに変身するほどの脅威ではなかったのではないかとも思ったり。

 タルタロスに、ザ・キングダムに向かうぞと言われ去るベリアルとトレギア。去り際、ベリアルがタルタロスに、「タルタロス、お前のくれたこの力、感謝するぜ」と、まるで飼い主に従順な飼い犬のようになついているのですが、ベリアルよ、あのカリスマ性はいったいどこへ行った。

 ということでEpisode6の感想でありました。ウルトラ6兄弟の戦い自体はスピーディーでテンポ感も良く、かっこいいバトルだとは思ったものの、締めのコスモミラクル光線にいたる過程がてんで駄目だったな、という印象。

 

まとめ

 以上、Chapter2の感想でした。まぁ、一言でまとめると、Chapter1が様々なキャラをたくさん出してそれぞれのキャラに小さな傷をたくさんつけていったのに対し、Chapater2はピンポイントで人気キャラの魅力を大胆に削いでいっただけの話だったな、と。特にベリアルなんかは大爆死。ヒカリ、タロウ、エンペラ星人あたりも大きく格を落とし、はっきりいって全くいらなかったChapter2。全体的に過去世界の描写が雑で、ダイジェスト形式なのは大問題。少なくともたかだか100分前後の番組の中の10数分で話すような話ではないでしょうに。だれか、ちゃんと描ける監督、10年後とかでいいのでウルトラ大戦争まともに描きなおしてください。

 言うまでもなく、坂本監督史上一番の駄作でしょうし、ウルトラマンの歴史においても最低レベルの駄作。練るべきところは、冗談抜きで五万とあったはず。こんな作品ばかり作っていたら、数年後には円谷死に体になりますよ、気を引き締めていただきたい。Chapter3は、とりあえずタルタロスをサクッと倒すだけですから、さほど大爆死もしないでしょうし、頑張っていただきたいですね。それでは、また次の記事でお会いしましょう、igomasでした!

2021年の抱負

皆様、明けましておめでとうございます!

 どうも、igomasと申します。ブログを始めてはや8か月ほど。2021年になってしまいました。いやはや、時の流れははやいものですね。今年もよろしくお願いします。

 

 思い返せば昨年は、なんだかんだで様々な記事を投稿した一年でありました。ブログ開設当初は、ニュージェネレーションウルトラマンの考察記事を書き進めていましたね。個人的にはウルトラマンXの記事における「相性」論がお気に入りだったりします。ブログ記事なんて書いたこともありませんでしたから、初期はほんと文章力がなさすぎる記事が多かったのですが、その中でも割とコンパクトに纏まっていてくどくないのが好き。

 

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 ニュージェネレーション記事を一通り書いてからは、いろいろと小ネタをまた書いていきましたが、中でも思い出深いのは、ウルバト1.5周年記念の記事。過去実施されたすべてのイベントクエストをまとめた本記事は、我ながらなかなかの力作で、相当骨が折れました。本ブログ始まって以来の大型記事ということもあり、かなり張り切っていたのを覚えています。

 

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 ウルトラマン系の記事がいったん落ち着き、続いて始まったのが悪役考察シリーズ。ウルトラマンの悪役はもちろん、ペーパーマリオオリガミキングや、ウルトラマンZ(のメインヴィランセレブロ)といった、未公開作品の悪役を、事前に考察するシリーズなんかは、書いていて非常に楽しかったです。このあたりの記事は多く反響をいただきましたね。

 

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 以降は、記事内容を考えあぐねいろいろと迷走した時期もありましたが、ちょうど夏ごろに、ウルトラマンゼット放送開始にあわせて、各話記事を書くことを決意。それからは、本ブログもとりあえずメインとなる軸が決まったように思えます。ウルトラマンZ、既に最終回を迎えていますが、書くべき記事はまだまだ残っており、急いでかき上げねばと焦る日々。既に2話分くらいはだいたいの構想が固まっておりますので、もうじきサクッと投稿できるかと。ウルトラマンZ感想記事シリーズは、それはそれで十分思い出深いのですが、アルファエッジとゲネガーグ(ゲネちゃん)のソフビ雑談記事とか、ゲネガーグは次世代のハンドスピナーであるとか、ところどころぶっ飛んだサブ記事もお気に入りだったりします。特にゲネガーグは次世代の(略)については、自身のソフビ観を交えながらコミカルかつ真剣に書かせていただいた記事であり、お気に入りの一作。

 

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 さていろいろ書き進めたウルトラマンZ記事ですが、中でも好きな記事は第9話。今作は、初期の物語はすべて円谷のベテラン監督陣が撮り進めており、ここにきていきなりの新人監督を投下。結論から言いますと、私はこの中川監督、なかなかに好みで、見ていても良いシーンがたくさんあったのですよね。一方で、メインキャラクターの解釈や動かし方に少々難ありな描き方も見受けられました。この、「褒めるべきところは褒め、ダメなところはダメと言う」のバランスが程よくできたかな、と思ったのが本記事。

 

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 ウルトラマンZの記事を書きながら、同時並行でウルトラマンマックスや、ウルトラマングレートの感想記事も更新。これがなかなかのハードワークで、現在もやや停滞気味なのですが、グレート感想はサクッと終わるとして、マックス記事はゼットがひと段落ついてからかな、と思ったり。まぁこの辺りはリアルの忙しさとの兼ね合いで調整していく所存です。

 後半になるとどんどん大型記事が増えてきて、結構なハードワークの連続でありました。結構な反響をいただいたのが、仮面ライダーゼロワンの総括記事。まぁかなり作品(作品?)批判していますので、興味のある方は見てみてください(笑)

 

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 ウルトラマンの大型記事で言えば、最近だとウルトラギャラクシーファイトの記事ですかね。やはりChapterひとつ分の内容量が多いので、触れるところ、突っ込みどころが満載で、書いていて記事が終わる気配が一向にないという、なかなかの修羅の道でありました。またすぐChapter2の感想記事が出ますので、お楽しみに。

 今年全体で言えば、2019悪役グランプリは自分の中でも一番時間をかけた記事ですし、一つのキャラに一番字数をかけた記事でもあります。なにせ一位の解説には約1万字使ってますからねw もう、魂が抜け落ちるくらい全力で書いた記事であります。というかそれ以前になんで今頃2019年だって話ですが(笑)

 もともと、この2019悪役グランプリを書くつもりで本ブログを書き始めたんですよね。書きたい記事がたくさんあったり、なにせ文章量がとんでもないことになっていましたから、あれよあれよと引きずって、ついに2020年の年末に投稿することに。2020悪役グランプリは、全体でも2019版の4分の1にも満たない分量になりそうなので、割とサクッと更新できるかと思います。ぜひそちらもお楽しみに。

 

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 ということで、サクッと2020年を振り返ってみました。サクッと、といっても結構な分量になりましたが。

 タイトルにもある「2021年の抱負」、すなわち今年やりたいこととしては、まずもってZの各話感想記事を完走させること。それからウルトラギャラクシーファイトも早々に感想を書ききっておきたいですね。マックス、グレートもしかり。

 そのうえで、2020年悪役グランプリだったり、ウルバト2周年、2.5周年を祝う記事であったり、ウルトラマン初心者に向けてのウルトラマン解説記事だったりも書いていきたいですね。

 そして本ブログにおいて、今年最も重きを置きたい新企画が一つあります。かなり大規模な企画となっておりますので、そちらもお楽しみいただければ幸いです。

 さて前置きはこのくらいにして(前置き長っ)、こうやって過去記事を振り返っていったわけですが、私igomas、どの記事が良い記事だったのか全然わからない

 いや、もちろん自分ではこの記事が良かったなぁと思う記事はありますし(そういう記事を上に紹介したつもりですし)、ほとんどの記事に全身全霊で当たっていっているわけですが、翻って見るに、読者の皆様の視点から、どの記事が良かったのか、というのはイマイチピンと来ていないんですよね。

 たしかに、はてなブログには、その日にどれくらいのアクセス数があったのかがわかる機能がついており、その日どれだけ記事が見られたのかはわかりますから、書いた記事にどれくらいの反響があったのかは知ることができます。しかしながら、反響があるイコール良い記事、とは必ずしもならないわけであって、果たして読者にとって最も読みたい記事ってどんなものだろう、というのは気になるわけです。

 またこれは、2021年記事を書き進めていくにあたって、どういったところに注目して記事を書いていくか、ということにも大きく直結する部分でありますから、読者の皆さんに聞いておきたいことなのです。

 ということで、読者の皆さん、もしお時間がありましたら、コメントに、2020年の本ブログの記事で、どういう記事が面白かったかとか、どういうところが面白かったかとか、いろいろ意見くださるとありがたいです。

 それから記事のネタも順次募集しておりますので、記事にしてほしい、考察してほしいことがありましたらこちらもコメントへお書きくだされば幸いです。必ず記事になる、という保証はしかねますが、もしかしたら記事になるかもしれません。

 ということで、今年も読者の皆さんにはお世話になります。なにとぞ今年も、よろしくお願いします、igomasでした!

2019年悪役グランプリ

 皆さんこんにちは、igomasです。今回は、2019悪役グランプリと題しまして、2019年、igomasが出会った『作品』(映画、ドラマ、アニメ、漫画、ゲーム等)全ての悪役を振り返る企画です。また最後には、心にぐっときた上位3名をランキング形式で表彰したいと思います。

 毎年igomasは、個人でランキングを作っているのですが、昨年は本当に大収穫の年で、ぐっときた悪役が多すぎてランキングをトップ10まで拡張して作りました(しかも、愛染マコト、美剣サキ、新条アカネの三大円谷悪役はランク外という激戦ぶり)。トップはほとんどマーベル勢がしめ、参考までに1位はエージェントオブシールドシーズン4フレームワーク内のレオポルドフィッツ博士(長い)でした。かのサノスが4位であることからも、いかに厳しい戦いか理解していただけると思います。

 なお、各悪役の評価、ランキングは、ある程度客観的考察に基づくものの、あくまで個人の感想です。ご承知ください。また、悪役に触れるということは多少なりともネタバレはありますので、ネタバレが嫌な方は適宜、段落を飛ばして読むなどしてください。

 

 

 《2019年を振り返って》

 2019年初期から、「電光超人グリッドマン」のカーンデジファー&藤堂武史をはじめとして、多くの悪役が乱立していました。映画「スパイダーバース」は、悪役一人一人に重きを置くストーリー構成ではなかったものの、とても個性あふれる悪役軍団が見られました。作品全体の完成度としても、かなり高かったと思います。また、漫画「ストロボエッジ」は、悪役がいないながらも面白い作品で、悪役のない作品の可能性を見せてくれました。

 さて、そんな初期、具体的には3月の末頃まで、トップの座をキープし続けていたのは、「スターウォーズ・ローグワン」のオーソン=クレニック。労働者階級出身の悪役で、指揮官としてのカリスマ性を持ちながらも、主人公らの攻撃・上司の裏切り・ベイダー卿のお叱り・雨にうたれて倒れているシーンなどなど、数々のシーンから溢れ出るヘタレ感をも併せ持つ、実に素晴らしい王道悪役でした。

 他に良かった悪役は、「ウルトラマンガイア」のアグル。キャラづけや人間関係、誕生の描写などもしっかりしており、主人公ガイアの対立項として、悪役としてすばらしい活躍を見せてくれました。最終的にサブウルトラマンとして活躍しましたが、人間を見捨てようとしても見捨てきれない、葛藤しながら戦う悪役としての姿もなかなかよいものだな、と。

 東京ディズニーシージーニーのマジックシアター」のシャバーン。とても魅力がある悪役だったのですが、さすがディズニースタッフというべきか、あまりにも人が良すぎて、「憎めない悪役」を通り越して「もはや悪人とは思えない」まで行ってしまった感。むしろ、やってることはジーニーの方がひどいw

 「キャプテンマーベル」は本当にいい映画でしたね。スプリームインテリジェンスは王道で好き。ヨンロッグの絶妙なヘタレ感も好き。でも一番魅力的なキャラクターはスクラル人のタロス。演技力もあいまって、非常にいいキャラクターでしたね。ちなみに俳優のベン・メンデルソーンは先述のローグワンのオーソンクレニックも演じています。……すげぇな、このままだと今年の上位ほぼベン・メンデルソーンになるぞ、と危機感を覚えた春でした笑

 さて、この辺りでついに、3月末までの大本命である、「レイトン ミステリー探偵社~カトリーのナゾトキファイル~」より、ルーファス=アルデバランが登場します。レイトン教授シリーズの悪役というのは、悪役となったその理由や立ち居振る舞いからして、非常に魅力的なキャラクターが多いのですが、さてルーファス=アルデバラン、実に初登場時の掴みが完璧な悪役でありました。探偵でありながら、富豪の犯罪を見破ったうえで、その富豪と取引してその犯罪を隠蔽し、多大な見返りを受け取る。非常に洗練された悪役像で、これは今年の優勝候補か、と思われたものの、秘宝レリクスの一件ではそれほど強敵という感じはなく、動機も劇的なものではなく、良くも悪くも「レイトンっぽい」止まりだったのは少々難点。論破のされ方、敗北の仕方はレイトンっぽさではなくしっかりカトリーらしさを追求した展開で素晴らしい見せ方でしたが、飛び抜けた面白さまでは至りませんでした。確かにとても好きな悪役に違いありませんが、惜しくも上位は逃したという感じですね。

 仮面ライダージオウには、様々な思惑の敵が登場しましたが、中でもお気に入りは白ウォズ。黒ウォズとの役し分けが巧く決まり、差別化ができているとともに、行動原理もしっかり分かるので、色々悪巧みをするたびに「この人何がしたいんだ」みたいな詰まりがなかったのも、スムーズに視聴できて良いポイント。衣装も近未来的で興味深いキャラでした。白ウォズの一番惜しいところは悔しがる描写。芝居がかりすぎていた印象がありましたね。悔しがり方は悪役の大きな見せ場。

 さて、2019年はこの作品の年と言っても過言ではないほど影響力を持つ作品、「アベンジャーズ/エンドゲーム」より、サノス。前作では、全宇宙の生命を半分にすることに対し、曲がりなりにも理屈は通った考えを持ち、自信も多くのものを失いながらも目的を実行しようとするその姿勢に、共感する人もいましたね。まぁテーマや構造を鑑みるに、サノスが悪であることに変わりは無いのですが、それでも前作のサノスはあまり横暴というか、攻撃的な面が多少削がれていた印象がありました。今回のサノスは精神的にまだ成熟していない頃のサノスで、まさに暴君といった暴れぶりでしたね。ガチのスーパーパワー使いという訳ではないけれど、フィジカル、軍事力が圧倒的に強すぎる。キャプテンアメリカがサノス軍を前に一人立ち上がる、その絶望感は、えもいわれぬ最高に研ぎ澄まされた演出でした。これぞ悪役、といえるようなその存在感、絶望感は近年まれに見るカリスマでした。

 今年見た悪役の中でも思い出深いのは、「ペット」より、スノーボール。もうなんていうか、ザ・典型的な悪役、という感じで、何から何までこういう展開になるだろうな、と予想がついて、本当にその通りに行動するほどの典型ぶりだけど、そこに愛着が湧くというか、どこか懐かしさを与えてくれる、素晴らしい悪役でした。なぜ彼が、人間と仲良くするペットを毛嫌いするのかという背景設定、彼が持っている価値観はどんなものか、仲間手下への思いはどういうものか、決して根が悪いという訳ではなく、重要なところで活躍するその正義感、主人公たちが飼い主を慕う気持ちを、悪役ならではのツンデレっぽさがありながらもどう理解していくのか、そしてその後どのような人生を歩んでいくのか。悪役として必要な、あってほしい要素が全部詰まっていて、非常に丁寧な描かれ方をしていました。悪役の初歩の初歩、でもとても大切な部分を思い出させてくれる、良い悪役でした。悪役学を始めたい人はまず今作を見よう。

 「ウルトラマンタイガ」は、非常に不思議な作品で、なんというか、メインヴィランウルトラマントレギアが、変身した後と変身する前の霧崎とで若干別人かと思えるほどキャラ付けが異なっていました。前の記事でも述べましたが私igomasは、トレギアと霧崎を別々に評価することにしていて、霧崎のランキングはまぁまぁ高いですね。とてもキャラや仕草が立っており、タイガ登場人物の中で、彼に最も魅力を感じたというファンが多いのも納得。

 今年の映画界を激震させた作品の一つに、「ジョーカー」がありました。それぞれの映画が絡み合い、影響し合って進んでいくMCUの作品群とは異なり、単発の映画を作るという路線に転換したDCの贈る、素晴らしい一品。観客の心を鷲掴みし、大ヒットを成し遂げました。今年の悪役を語るなら、このジョーカーは絶対外せません。しかし、とても難しいところではあるのですが、私igomasは、こと悪役としての秀逸さという観点で見ると、ランキング上位には来ないのではと判断しました。今作のジョーカーは、他の追随を許さないほど洗練された個性を持っている、というわけではなく、どちらかというとごく普通の一般人って感じなんですよね。悩める一般人が、犯罪者となり、やがてはゴッサムの町を覆いつくさんとする犯罪者たちの王となる。そんな風に映りました。犯罪者に祭られる犯罪者、という印象が強く、カリスマ性を持った悪役、というには足りない印象。作品としてはよく出た作品なんだけど、では果たしてジョーカーが魂を奮わす「悪役」かと言われると、ちょっと違うかなぁと思うわけです。

 今年公開の映画ではありませんが、幸運にも映画「ナイトクローラー」を見る機会がありまして、いやぁ、この映画には震えましたね。主人公のルイス・ブルームを演じるのは、今年だと「スパイダーマンファーフロムホーム」のミステリオ役でも有名な、ジェイク・ギレンホール。彼の怪演が実に見事で、1カット1カットの魅力的な撮り方も相まって、非常に素晴らしい悪役として映っていました。この作品自体が、どれも芸術的センスの光るカットの連続で、ジェイク・ギレンホールが内に秘めたる才能を、これでもかと引き出してくる映像美はほんと素晴らしい。

 エージェントオブシールドシーズン5には、まさかのレオポルドフィッツ博士が再登場。彼が登場したたった一話の物語、「悪魔コンプレックス」は、ドラマとしての完成度が非常に高く、悪役の魅力も、登場人物の苦悩・苦難も、主人公らの関係が少しずつ歪んでゆく不調和も、なにもかも見せ方が見事でありました。もう今年も彼が一位でいいのではないかと何度も思わされたほどに素晴らしい悪役でしたが、さすがにそれではランキングにならないだろうという、私に残ったわずかな理性によってそれはなくなりました(笑) それにしても実に魅力的な悪役でしたね、彼は。

 さて、今年も色々な悪役と出会い、実に楽しい悪役ライフを過ごせたわけですが、しかし、ここで問題が。私の作る悪役ランキングってかなり厳正なもので、「真に心にぐっときた悪役」しか最後のランキングに載せない、ということを徹底してるわけなんですけれども……こんなに良い悪役が沢山いるものの、「真に心にぐっときた」と胸を張っていえるのはたった2人だけであったのです。これはまずい、トップ3が発表できないのは非常にまずい、と思い、年末駆け込みで、悪役好きのための究極の作品を見るという暴挙に走り、滑り込みでトップ3が確定しました。とその前に…

 

<審査員特別賞>

審査員特別賞 「映画 傷だらけの悪魔」より 小田切 詩乃

 今年は、第三位を超えてランキングに入る悪役はいませんでしたが、審査員特別賞と題し、この悪役を称えたいと思います。小田切 詩乃は、非常に気に入った悪役ではあったのですが、登場映画そのものの出来があまり良くなく、惜しくもトップ3を逃しました。せっかく良い悪役なのに、ランキングに載せないのはちょっと申し訳ないなと思い、この賞を特別に設立した次第であります。

 今作、傷だらけの悪魔は、いじめをテーマとした作品です。この小田切 詩乃という人物は、かつて中学生のころ主人公にいじめられており、不登校になり、諸事情で改姓し田舎へ移り住みました。その後主人公が偶然にも同じ田舎へ移り住んできて、転校生として同じ高校にやってきます。小田切はそこで、突如発作気味になりながら中学の頃主人公にいじめられていたと暴露し、結果主人公は、いじめっ子は制裁すべし、とクラス中から攻撃されることに。実際は暴露した際の発作は小田切の演技であり、その後もあらゆる手段を使って、クラスの主人公へのヘイトが高まるように画策。主人公を追い詰めていきます。自分は手を下さず、周りの生徒を巧みに操って主人公に復讐する。それが、小田切という人物の悪役像であります。

 先ほど、主人公にいじめられていたと暴露する際の発作は演技、と言いましたが、だからといって小田切が中学の頃のいじめを克服したかというと全然そんなことはなく、劇中でもマジモンの発作を起こしたり、過去のトラウマに悩まされたりと、かなり病んでいる描写もなされています。演ずる女優の江野沢愛美さんの演技が非常に秀逸で、完全に病んで精神ギリギリの状態で復讐してくる小田切のキャラが、綺麗に確立されていました。一挙手一投足、動きのすべてが洗練され、ぐっときた悪役ですね。

 ただ今回、諸々の話の畳み方がすごく雑で、最後のシーンとか、メッセージ性が非常に浅いというかパンチが弱く、全然鮮やかに決まっていないなぁというのが正直なところ。もっと考えに考え、最後のシーンを制作陣が作っていれば、もっと良い映画に、もっといい悪役になれたのに。まぁ原作の漫画はもっと話も長いし完結もしていないらしいので、この時点で実写化するには無理があったというのもあるのかも。

 以上、審査員特別賞でした。演じられた江野沢愛美さん、おめでとうございます。人を魅了する素晴らしい演技力だったので、今後注目したい女優さんですね。

 

<2019年悪役グランプリ:トップ3>

 さて、ここからトップ3の発表です。これから発表される3名は、2019年の荒れ狂う死闘を制し、狭き門をくぐり抜けた最高の悪役たちです。私igomasが、自信をもって紹介する、後世に残したい至極の悪役。温かい目で迎えてあげてくださいませ。

 

第三位 「ダークナイト」より ジョーカー

 先述の、「滑り込みでトップ3を確定させるために見た映画」というのが、このダークナイト。悪役好きには外せない映画の一つですよね。かのスターウォーズを代表する悪役ダースベイダーに並ぶほどの人気を誇る、悪役界の王、ジョーカー。今作はクリストファー・ノーラン監督の描く、バットマン3部作の二作目にあたる作品です。一作品としての完成度が高く、他のシリーズ作品を未視聴でも十二分に楽しめましたね。

 アメコミのヒーロー映画といえば、スーパーパワーを持ったヒーローと悪役との戦いが描かれることが多いわけですが、今作のヒーローであるバッドマンも、言ってみれば防弾スーツを着た一般人であり、悪役であるところのジョーカーも頭の切れる悪党というだけで、特にスーパーパワーを持っていない、というのは、ヒーロー映画としても斬新でしたし、臨場感もまた素晴らしかったと思います。

 本作に登場するジョーカーは、犯罪界の王として名をとどろかせ、悪役としてのカリスマ性と他を畏怖させる不気味さを兼ね備えた悪役であります。冒頭の銀行強盗のシーンではその悪役としての魅力が存分に発揮されています。小悪党らを操り陰から操る闇の帝王かと思いきや、実行の最終段階、最後の詰めの部分だけは自らの手で行うという周到さには、初見で心をぐっとつかまれること間違いなし。悪役の初登場シーンとしてこれ以上ないくらいに不意打ちで、象徴的なシーンとして今なお語り継がれるシーンですね。

 ジョーカーは他にも魅力的なカットが多数存在し、そのどれもが素晴らしい。札束の山を焼いて金に群がる小悪党どもを鼻で笑うシーンとか、警官に扮して市長のスピーチに参加し発砲した後足早に逃げるカットとか、爆弾のピンを指で示しながら後ろのドアを蹴り開け去っていくシーンとか、パーティーに乱入してサクランボみたいな実をむしゃむしゃ食べるところとか、ヒロインの顔にリンゴの皮むきのようにナイフを突きつけるところとか、バットマンに負けそうになって子分を盾にして足のつま先に常備したナイフでバットマンを蹴り上げる小悪党感満載のカットとか、バットマンにトラックを転倒させられワイヤーを払いのけよろけながらバットマンに俺をやれるもんならやってみろと迫るシーンとか、捕まって自分を逮捕した警官が皆に称賛されているときにジョーカー自身も手をたたいて警官らが不気味がるシーンとか、バットマンに尋問され痛がりながらもバットマンが何もできないことを嘲り笑うシーンとか、病院爆破とか、まぁともかく印象的なカットがこれでもかと詰まっているのがまた魅力でありましょう。

 特に、ジョーカーが最も魅力を発揮するのは、悪事をしているその時ではなく、バットマンと対峙しているシーンというのがまた、素晴らしい。悪役としてただ完結してしまうのではなく、主人公との対比の中で輝くというのは、悪役として素晴らしいスキルであります。中でもバットマンとの尋問シーンは実に愉快軽快爽快で、見ていて大変楽しめましたね。キャラクターとしても画角としても、なるほどジョーカーはバットマンがいるからこそ輝けるのだな、というのが非常に鮮明にわかるよう構築されていましたね。いやはやほんと、素晴らしい。

 本作のジョーカーは、当時恋愛ものだとか、そういうピュアな映画の主人公ばかり演じていたヒース・レジャー氏が演じており、キャスト発表時には原作コミックファンから、「恋愛映画の主人公にジョーカーが務まるわけがないだろう」と多々クレームがあったそうですが、公開するやいなやそんな意見は、まったくもってなりをひそめたとか。その恐ろしいほど鮮烈な演技力は見るものを圧倒し、物語の世界へと引き込んでいきます。ぜひともこのジョーカーの魅力は、実際見て確認していただきたいものですね。

 

第二位 「文豪ストレイドッグス(第三期)」より フョードル・D

 第二位にランクインしたのは、実際の文豪をモチーフとした名の登場人物らが、実際の作品名をモチーフとした能力「異能」を使って戦いを繰り広げるアニメ文豪ストレイドッグス第三期より、フョードル・D。いわずもがな元ネタは、フョードル・ドストエフスキー

 先述の通り、今作は異能を用いたバトルアクションアニメなわけですが、様々な異能を使って各人が戦いを広げる中、フョードル・Dだけはなんの能力を使うこともなく、話術と知略だけで切り抜けているのです。主人公らがどう行動するのかそのすべてを見極め、登場人物らを駒のように動かすその知能は、主人公らを破滅、瓦解させるに十分な脅威でありました。

 初登場時にて、横浜を統べる大組織にして主人公らと敵対するメインの敵組織、ポートマフィアの5大幹部、A(エース)を殺害するという鮮烈なデビューを飾りました。彼はAに自らのもつ情報を賭け、トランプでのハイ&ロー勝負を挑みます。トランプの扱いに長けたAはあっさりとそれを承諾するのですが、無類の知性を誇るフョードルに圧倒され、言葉の幻術や偽の情報に惑わされるうちに、自分は異能を見せられているのだという錯覚に陥ったAは、最終的に「合理的な結論」として、自らの命を絶つのです。Aもまた優れた観察眼を持ち知略に長けた幹部であったものの、彼の信じた情報はフョードル自身によって流された偽の情報であり、すべてフョードルの手のひらで踊らされていただけだった、という悲しい最期でありました。自らは一切手を汚すことなく、ラスボスの一角をさもあっさりと殺害したその手口には、視聴当時度肝を抜かされました。悪役の魅力がこれでもかと詰まった、そんなデビュー作。文豪ストレイドッグス第三期29話はオススメの一作ですね。この一話、たった30分で今年の2位に上り詰めたといっても過言ではないくらいに、完成された一話でありました。

 フョードル・Dはそれ以降も暗躍し(というかそこからが本領発揮なわけですが)、嘘の情報で人を惑わし、翻弄し、横浜のあちこちで戦乱の火種を蒔いたり、また部下の異能力を用いて、主人公組織「異能探偵社」のボスそしてポートマフィアのボスを両方戦闘不能に追いやり横浜に混乱と戦火を巻き起こすなど、その悪行は数知れず。異能探偵社とポートマフィアが手を組みフョードルのアジトへと攻め込んだ最終決戦では、なんとフョードル自身一度もそのアジトに足を運んだことはなく、すべてフェイクだったという大どんでん返し。最終的には太宰治の機転も相まって、内務省異能特務課そしてギルドの力を借りようやく捕縛することができました。しかしながら、一連の事件が終わって後なおも、フョードルのもつ「異能」は結局謎に包まれたままというその不気味さも、悪役の魅力に一役かっています。今後再登場し、さらなる脅威となるやもしれませんから、目が離せないキャラクターですね。

 フョードル・Dを演じられた石田彰さんは、声優界に名をとどろかせる大御所であり、「黒幕の声と言えばこの人」との呼び声も高いわけですが、その魅力的な声が実にこのフョードル・Dの雰囲気とマッチしており、最高の配役だったなとしみじみ。

 

第一位 「スパイダーマンファーフロムホーム」より ミステリオ

 2019年悪役グランプリ、栄えある第一位を獲得したのは、主演にトムホランドを起用し新たに始まったMCUスパイダーマンの2作目、スパイダーマンファーフロムホームより、ミステリオ。

 ミステリオは、原作コミックでも人気のヴィラン。SFX技術やバーチャルリアリティといった技術を駆使し、幻覚を見せるなどして、幾度となくスパイダーマンの前に立ちはだかります。スパイダーマンのクモ糸を酸性溶液で溶かしたり、結構原作でも理知的な戦い方をするヴィランですね。

 ミステリオの代名詞とも言えるのが、金魚鉢のような丸っこいヘルメットで、その独特の風貌も人気の理由ですね。映画に登場したミステリオは、コミック版のそれを踏襲しながらも全体的にブラッシュアップされ、非常に格好いい造形に仕上がっていました。

 映画の予告編では、そんな大人気の悪役ミステリオが、今作ではヒーローとして登場するという設定が明かされ、評判を呼びました。ミステリオは本当にヒーローなのか、それともやっぱり悪役なのか。放映前から数々の憶測が飛んでいましたね。

 本編冒頭、「顔のある砂の怪物が暴れた」との報告を受けたニック・フューリーとマリア・ヒルの二人の前に、ミステリオが降り立ちます。ミステリオはMCUで展開された世界とは全く別の異世界マルチバースからやって来たヒーローで、故郷の地球にて、エレメンタルズなる怪物らと戦い、家族を亡くした悲しい戦士でありました。四大元素をモチーフとする怪物、エレメンタルズは次第にその勢力を拡大し、ミステリオことクエンティン・ベックのいた地球は滅んでしまったのです。

 エレメンタルズはなおも進行を続け、次なる宇宙すなわち、MCU世界へとやって来たのでした。ミステリオは故郷の星と家族の無念を晴らすため、そして新たな世界を守るため、日夜戦っていたのです。フューリーとヒルの二人は、ミステリオと協力しエレメンタルズと戦います。ミステリオは魔術師のような技の数々を使い、宙を飛び回り、手から魔方陣を出し強力な攻撃を放ち、エレメンタルズと戦います。そんな折、ヴェネチアの街に水の怪物ハイドロマンが現れます。現場にいたスパイダーマンはそこでミステリオらと出会い、自らもエレメンタルズとの戦いに参戦するのでした。最終的に、二人はエレメンタルズの中でも最も強い強敵、モルテンマンと戦い、辛くも勝利。共闘関係を続けていくうちに、ミステリオはスパイダーマンと師弟関係のようになってゆき、ミステリオをアイアンマン亡き後の地球を任すに足るヒーローだと考えたスパイダーマンことピーターは、とあるバーにて、彼にアイアンマンの形見である超高性能メガネを託すのでした。

 しかし、ピーターが去るやいなや、店の風景は一変。ミステリオことベックはニヤリと微笑み、店にいた客らが歓声を上げ、ここでネタばらしが入るのです。まず、ミステリオなどというヒーローは存在しません。ミステリオというヒーロー、ミステリオの放つ魔術めいたもの、そのすべてが、高性能ホログラムによって映された幻覚だったのです。また、ミステリオことベックの地球が、エレメンタルズによって滅ぼされたという上記の物語はすべて嘘。エレメンタルズもまた、ミステリオの作り出した幻覚に過ぎません。そう、すべてはミステリオの仕組んだ大規模なマッチポンプ計画だったのです。

 クエンティン・ベックは、アイアンマンことトニースタークが社長を務める、スタークインダストリーズの元社員で、高性能ホログラムの開発者でした。トニースタークはこの発明を記者に発表する際、自虐の意味をこめて酷い発明だと言い、この技術を「BARF」(ゲロ)と呼称し、せいぜいセラピーマシンぐらいにしか使えない技術に大金をはたいてしまった、と発表しました。開発者のクエンティンは、自身の発明をコケにされたことに憤慨し、夢の技術であると社長に直訴しますが、トニースタークは彼を狂っていると言って解雇。ベックは路頭に迷うこととなるのです。ベックは同じくトニースタークによって自身の尊厳を否定された被害者らを集め、チームミステリオを結成。各人が作業を分担し、皆で協力して虚構のヒーロー、ミステリオを作り出し、トニースタークへの復讐を図っていたのです。ある人はヒーロー然としたミステリオの衣装をデザインする役目、ある人はニック・フューリーを騙せるような物語(上記の嘘物語)を考える役目、ある人はミステリオの活躍にリアリティを持たせるためのサポートの役目、と各人が各々の役割を担っていました。まさに劇団ミステリオともいえるこのチームが作り上げる虚構のヒーロー、それがミステリオだったのです。

 彼らの目的はただ一つ。アイアンマンの形見である、超高性能メガネを手に入れること。そのメガネは、世界中のありとあるインターネットにアクセスし、どんな情報も意のままに手に入れることが出来るほか、何百もの軍事ドローンを操作できる禁断のアイテムだったのです。このドローン軍団とホログラム技術を使い、大規模な破壊活動をする、さらに強大なヴィランと、それに立ち向かうヒーロー、ミステリオの存在を世界に知らしめ、アイアンマン亡き地球における「次のアイアンマン」になろうとしていたのです。当然、強大なヴィランの破壊活動を再現するため、軍事ドローンを用いた大規模破壊がなされ、大勢の人が死ぬことになります。真相を知ったスパイダーマンはミステリオを止めるため、彼に立ち向かうのでした。

 ミステリオの正体が明かされた中盤のバーのシーンは、未来永劫語り継がれるべき、映画史に名を残す圧巻の出来。スパイダーマンの師匠として数々の困難に立ち向かうヒーロー然とした前半から、私利私欲のため大勢の被害をいとわず破壊活動を行う残忍かつ狂った悪党である後半への、がらりと変わる演技が非常に巧く、当時見たときはその演技力に心底震え上がりましたね。もうなんというか、涙がボロボロボロボロ出てきて、こんなに悪役の登場シーンで感動したのは未だかつてありませんでした。演じたジェイク・ギレンホール氏は、心優しい主人公からイカれた狂人まで、幅広く役をこなすカメレオン俳優で、今作のクエンティン・ベックの持つ二面性をも見事に演じてくださいました。

 ジェイク・ギレンホール氏が、バーの演説のシーンにて、トニースタークの動きを参考にしたというのは有名な話。クエンティン・ベックはチームミステリオを率いるリーダー的存在であり、先導者でありますから、彼は観衆の目を引きつけ、心を掌握するようなそんな魅力的なスピーチをしなければなりません。その際に無意識のうちに、自身の最も憎むトニースタークの演説力を取り入れているという皮肉。シビれます。

 一方で、スパイダーマンを演じたトムホランド氏もまた、演じるに当たってトニースタークの動きを参考にしているのです。スパイダーマンはアイアンマンの意思を受け継ぐヒーローの一人でありましょうから、それを意識してのことなのでしょう。主人公悪役両方が同一人物の動きを参考にし、それぞれにそれぞれのキャラクターの物語性が見えてくるのが、絶妙だなと感心しましたね。

 ミステリオは、ホログラム技術以外にも、大きな武器を一つ持っています。それは、「話術」です。クエンティン・ベックは、フューリーやヒルをその巧みな話術で騙した上、スパイダーマンの心をも掌握し、彼から敬愛と尊敬のまなざしで見られるようなそんなヒーローを見事に演じきり、見事彼からアイアンマンの遺産を手に入れます。正体がばれ、スパイダーマンと対峙するようになってからは、スパイダーマンが心に抱える不安につけいり、自己肯定感を下げさせた上で、心理的に追い詰める。徹底的なまでの話術は、ミステリオの持つホログラム技術の幻覚と相乗効果をなしてスパイダーマンに襲いかかり、大変な脅威となりました。

 スパイダーマンに正体がバレたと判明したシーンの狂人っぷりも、実に素晴らしかった。ウィリアムの不手際でスパイダーマンに自身の悪行の証拠が渡ったと知ったとき、ウィリアムに向かってはなった言葉 “One day, after I’ve had to kill Peter Parker because of this, I hope you remember that his blood is on your hands!” ってめっちゃ最高のセリフじゃないですか? まずもってジェイク・ギレンホールの演技が冴え渡っていましたし、クエンティン・ベックが、ウィリアムのミスに並々ならぬ怒りを持っていること、スパイダーマンを殺すことをやむなしと考えていること、本当ならスパイダーマンは騙し相手というだけで殺したくはなかったこと、そのすべてがこのセリフに詰まっており、絶妙なミステリオの立ち位置を巧みに表しています。

 本作中盤のスパイダーマンとミステリオの戦いは圧巻でありました。ミステリオは、言ってしまえばホログラム技術を見せるだけでなんの攻撃手段も持ち合わせていないわけですが、スパイダーマンに、柱に映し出した幻覚を殴らせ逆に腕を痛めさせたり、幻覚で追い詰め線路の上に誘い出し列車事故に巻き込んだりと、幻覚を使った一種のカウンターアタックが見事でありました。またミステリオの作り出す、右も左も分からなくなるような幻想的な幻覚の数々と、上記カウンターアタックの絶妙なマッチが見事。またミステリオの幻覚の何でもあり感も、見ていて実にすがすがしいものでした。ミステリオが幻覚を使ったときに、マイクを使ってか、ややこもった声でスパイダーマンに囁きかけるのですが、その声が実に魅力的で、ミステリオの世界にのめり込んでしまいます。中でも最後の “I control the truth. Mysterio is the truth!” は、後述の「人は見たいものを信じる」というミステリオの行動原理も相まって、非常に好きなセリフ。

 ミステリオは本作終盤、イギリスロンドンにてスパイダーマンとの最終決戦に挑むのですが、スパイダーマンの持つ能力「スパイダーセンス(攻撃を察知し避ける “第六感”)」が復活したことで、倒されてしまいます。この最終決戦は、前述の幻覚戦闘のシーンとはガラッと異なり、大量の軍事ドローンとの対決とやけにリアリティがあり、良い対比になっていたと思います。 “Fire All The Drones Now!” と鬼気迫った表情もかなり好きなシーン。最終的に、ミステリオはスパイダーマンに敗北し、彼からだまし取ったアイアンマンの形見の高性能メガネを返します。と思いきや、「メガネを返そうとしているベック」もまた幻影であり、隙を見て横からスパイダーマンの頭を銃で撃ち抜こうとしていたベック。スパイダーマンはそれすらもスパイダーセンスによって見破り、ベックは倒れるのでした。最後の最後まで意地でもスパイダーマンを倒そうとする周到な悪役であり、幻覚使いとして申し分ないキャラ造形に唸らされました。

 これでミステリオの暗躍も終わりか、と思いきや、なんとエンドロール後の映像にて再登場。ミステリオは死の間際に一本のビデオテープを残していました。それは、「今回の軍事ドローン騒動はすべてスパイダーマンが仕組んだことであり、自分はそれを止めようとしたヒーローである」という内容。マスコミを使ってこの情報を大々的に報じさせ、死んだ後でさえなおもスパイダーマンを苦しめるその手腕は、恐ろしい物がありました。そしてさらにミステリオは、スパイダーマンの正体を写真付きで明かし、いやはや、どうなってしまうのかというところで映画は終了します。悪役としての存在感が大きく、最後の最後まで手を抜かずスパイダーマンを引きずり落とそうとする、狂気の悪役でしたね。

 ミステリオの魅力を語る上で、MCUの歴史は欠かせません。スパイダーマンファーフロムホームは、23作品に渡る大長編映画シリーズMCUのサーガ1最後を締めくくる物語であり、アベンジャーズエンドゲームの後の世界を描いた物語です。アベンジャーズエンドゲームもまた、MCUシリーズの集大成、というべき作品ですので、まずはさらっとMCUをおさらいしておきましょう。その中で、ミステリオの魅力にも触れていければと思います。

 MCU(マーベルシネマティックユニバース)シリーズの1作目となったのが、アイアンマン。当時からマーベルの中でもビッグ3と呼ばれるくらいには人気でしたが、世界的な認知は(スパイダーマンや、他社のコミックヒーロー:スーパーマンバットマンに比べ)さほどなく、なかなかに奇をてらったキャラクターチョイスでありました。これはおそらく、アイアンマンの持つリアリティによるものが多いのではないか、と思っています。アイアンマンは、米軍の軍需産業を担うスタークインダストリーズの社長トニースタークが、テロの誘拐にあい、テロ組織の基地にて自社のミサイルを多数発見し、自社製品が横流しされテロ活動に使われていることを知ります。自らの手で人々を守るため、彼は自らが戦うヒーローとなるため、装着型のアーマーを作り、自らがそれを着て戦うのです。これが、アイアンマンの誕生です。テロ組織や軍需産業、この辺りの設定は、現代人にもすんなり理解できますし、パワードスーツというフィクション要素を除けば、非常にリアリティある設定となっています。またトニースタークは酒癖や女癖の悪い中年男性といったキャラクター像で、これもまた、一般人により近い立ち位置のヒーローを描いています。マーベルは、超人的な力を持った超越的存在としてのヒーローではなく、人として葛藤を抱え続ける人間味あふれるヒーロー像を確立するため、よりリアリティを求めた設定のアイアンマンから、このシリーズを作り上げたわけですね。そうした下地を作った後で、MCUは視聴者層のもつ「リアリティ」の幅を徐々に拡大していきました。第二次世界大戦を舞台に「時代」の拡張を行ったキャプテンアメリカ、科学技術の失敗により生まれた「怪物」を描いたハルク、宇宙を舞台に「場所」の拡張を行ったマイティーソー、宇宙と地球の大戦争を描いたヒーロー大集合映画アベンジャーズ。そしてそれはどんどんシリーズを進めるごとに加速してゆき、ドクターストレンジのミラー次元やアストラル次元、アントマンの量子世界、サノスの持つインフィニティーストーンと、もはや何でもありの世界。少しずつ視聴者の「リアリティ」を拡張しながら、物語を描いてきたわけです。

 そんな、観客の持つ「リアリティ」観が麻痺したところに登場したのが、このミステリオというヴィランです。結局のところ彼は、キャプチャースーツを着て指示を出すただの中年男性、なんの特殊能力も持たない一般人に過ぎません。しかしながらその卓越した技術と話術で、劇中登場人物だけでなく、観客すらも騙してみせたのです。

 ミステリオことクエンティン・ベックは、スパイダーマンに言います。「人は信じたいものだけを信じる」と。MCU世界の人々からすれば、世界の半分を失ったその空白の5年間という辛い時期は、暗く悲しい期間であったはず。その反動もあってか、「人々を守ってくれる万能のヒーロー」ミステリオが登場すれば、ミステリオという虚構の存在を、自然と信じたくなる、という心理をついた発言です。しかしながらこれにはもう一つの意味があって、それはすなわち、我々観客すらも、「信じたいものを信じる」のだということですね。ミステリオというキャラは、魔術飛行能力なんでもあり。そんなリアリティの欠片もないヒーローだけれども、10年以上にわたりMCUを見、感覚が麻痺しまくった観客にとって、ミステリオは信じたいヒーロー像であり、思わず味方だと騙されてしまうような、そんな造形が、素晴らしい悪役でした。

 ミステリオの魅力の大きな一要素として、それまで作り上げてきた物語を、その根底からひっくり返した、という点が挙げられるでしょう。MCUの立役者、アイアンマンことトニースターク。演者のロバートダウニーJr.についての話は、有名でありましょう。彼は父親の影響で若いうちから薬物に手を染め、刑務所にいたのです。当時彼がトニースターク役として抜擢されたのは出所して間もないころでしたから、周囲は彼を疑問視していました。しかしながら彼は、アイアンマンというキャラを、トニースタークというキャラを見事に演じきり、好評を博すこととなるのです。というのも、トニースタークというキャラ造形が、非常にロバートダウニーJr.自身の生い立ちとよく似ている、というところがありました。トニースタークは、偉大な父親を持ち、その子供ということで周囲からの期待が重圧となって推しかかっているような、そんな人物でありました。自社の武器が横流しされテロ活動に使われる、という大いなる過ちを犯した彼は、更生を誓い、ヒーローとして第二の人生を歩み始めます。時には酒依存やパワードスーツ依存といった依存症に悩まされながらも、成長していく姿が描かれています。一方のロバートダウニーJr.もまた、ロバートダウニーという偉大な父を持つことから来る重圧に苦しめられた人物です。薬物に手を染めたという過ちを正し、俳優という仕事に真摯に向き合い始め、薬物依存や酒依存にも悩まされながらも、役を通して成長していったわけです。アイアンマンとは、トニースタークの更生の物語であると同時に、ロバートダウニーJr.の更生の物語でもあるのです。

 そんなトニースタークも、劇中では時には償いきれない過去の負の遺産が首をもたげてきて、自分の悪しき過去が生んだヴィランと戦うこともあります。彼は自己中心的で、女癖が悪く、人の尊厳を平気で踏みにじるようなそんな人間でしたから、多くの人から反感を買い、敵をたくさん作った人物でもありました。いつだって敵と戦うときは自分のやって来たことの尻拭い。人のため世のために自己犠牲を払うことなど、当初は考えられないような人物でありました。そんな彼が、最後にはサノスとの決戦にて、自己の命と引き換えに地球を救うのです。自己中心的で独善的だった彼が、最後には世界の平和のため自らの命を落とす。先のロバートダウニーJr.とトニースタークとの重ね合わせも相まって、最後のこのシーンは「トニーそしてロバートダウニーJr.の成長譚の集大成」といった様相をていしており、アイアンマンは最期に「真のヒーロー」になった、とも言える感動的なシーンでありました。

 しかし本作は、この感動のラストを、22作品を締めくくる壮大な物語を、その根底から覆したのです。ミステリオことクエンティン・ベックは、先述の通りトニースタークの元部下であり、彼によって尊厳を否定された被害者の一人。しかもベックがトニースタークの被害に遭ったのは、トニースタークがアイアンマンとして、ヒーローとしてバリバリに活躍している時期。アイアンマンのヒーロー性というMCUのテーマを根底からひっくり返す一撃。アイアンマンのヒーロー性を描いたアベンジャーズエンドゲームと、真っ向から否定したスパイダーマンファーフロムホーム。この対比が見事で、試みが実に大胆。あくまでアイアンマンを「最高のヒーロー」として描くことなく、最後まで「人間くさいヒーロー」として描くMCUの危ない綱渡りが功を奏した例と言えましょう。この大胆さには、単純に賛辞を送りたい気分。

 アイアンマン関連で言えば、劇団ミステリオの一員、ウィリアム。彼はMCU第一作アイアンマンのヴィラン、オバディアの部下として登場し、その後一切登場していないモブキャラのような存在でしたが、まさかの再登場。オバディアに加担したことであっさり解雇されたということなのかもしれませんね。彼はいわば、オバディアに叱られていたダメダメな部下。アベンジャーズエンドゲームが、ヒーローヴィランともに洗練されたビッグネームによる総集編とすれば、司令官であるところのフューリーやヒル、タロス、ハッピーやそして敵ならばウィルソンといった、最前線から一歩退いた者たちによる裏総集編といった趣を呈している印象。エンドゲームでは描ききれなかった23作品分の厚みが込められていた配役は、嬉しいものでした。ウィリアムはほんとなんの活躍もしないモブ中のモブでしたが、オバディアに叱られているシーンは印象に残りやすく、不意打ちの登場にもかかわらず皆が覚えているような、そんな絶妙な役どころを持ってきたのは名采配だったと思われます。

 インフィニティーウォーのラスト、サノスのスナップによって宇宙の半分の生命が死滅し、ヒーローもまた半分になってしまったアベンジャーズ。彼らがいかにしてヒーローらを復活させ、サノスを打ち倒すのかについては様々な憶測がなされていました。マーベルスタジオは、作品の情報を一切漏らさず、映画のタイトルすら公開しないという徹底ぶりでありました。パパラッチを通して撮影現場の状況がリークされ、これまでMCUに登場したキャラクターたちが再登場するということが明かされるとともに、これまで「死んだ」はずのキャラクターまでもが出演するという情報が流れてきました。ここから様々な考察がなされていったのですが、その中でも最有力だった二つの説が、「アントマンの量子世界の技術を使い過去にタイムトラベルし、どうにかする中で過去キャラが登場する」という説と、「シビルウォーに登場したホログラムマシンで過去キャラが映し出される、という形で再登場する」という説。どちらも真実味がある説でしたが実際の答えは、前者でありました。そう、クエンティン・ベックのホログラム技術というのは、アベンジャーズエンドゲーム予想にて非常に話題に挙がった技術だったんですよね。エンドゲーム公開によって答えが明らかになると、「ホログラムマシン」の存在は観客の頭から一瞬なりを潜め、もう再登場することはないのかなと忘れられかけていたところで、本作の再登場。あれだけ話題に挙がっていただけに、ミステリオと関係がありそうと予想できなくもなかったのに、まんまと騙された、というのがまた、面白かったですね。本作は裏エンドゲームの様相を呈しているというのは先程も話したとおりですが、エンドゲーム予想で槍玉に挙がった技術がここで登場する、なんて上記の話を加味しても、実に裏エンドゲームな作品と言えるのではないでしょうか。

 ミステリオこと、クエンティン・ベックを演じたジェイク・ギレンホール氏は、こんな言葉を残しています。「ヒーローたちに教訓を与えるのが、いつもオビ=ワン・ケノービのようなキャラクターである必要はない」( https://theriver.jp/ffh-jake-last/2/ )と。スパイダーマンは、誰にでも優しく、敵をも憎まず助けようとするそんな清らかな心を持ったヒーローです。そんな彼が、人を騙し、殺し、惑わせ、それを悪いことだとも思わないような残忍な、それでいて人間味のある悪役に出会ったとき、スパイダーマンは新たな一歩を踏み出すのだと思います。そういう意味で、ミステリオは他でもない「スパイダーマンに教訓を与える存在」であり、またそれが師匠弟子としての関係でなくてもいいのだ、というのは、納得。そして、主人公を成長させる、それこそが悪役の存在理由にほかならず、「悪役」学の基本となる考えを、改めて思い出す機会ともなりました。

 いやぁ今年はとにかくミステリオの年でしたね。夏にこの映画が公開されてからは、ネットでミステリオのイラストを探したり、ミステリオのBGMを常に聞いていたり、ミステリオのデフォルメお絵かきをしたり、映画館に再び赴いたりブルーレイを見返すなどしてミステリオの魅力に何度も触れたりと、実にミステリオにのめり込んだ一年でありました。また今年は、ミステリオというキャラそのものだけでなく、演者であるジェイク・ギレンホールにハマった年でもあり、彼が出演した映画を幾つもあさっては見ていましたね。先に紹介した「ナイトクローラー」もその一つで、今作でミステリオにハマった方には特におすすめです。

 とにかく、スパイダーマンファーフロムホームをまだ見たことがない方には絶対に見てほしいですし、ミステリオを既に楽しんだ方も、またもう一度、その魅力に触れてほしいなと思う、素敵な作品、素敵な悪役でありました。来年もまた、素敵な悪役に出会えることを、楽しみにしています。

 それでは、最後にこのセリフでお別れしましょう!igomasでした!

 

   Mysterio is the truth!

 

・悪役グランプリ、ノミネート悪役リスト

電光超人グリッドマン」より、カーンデジファー&藤堂武史、怪獣

「劇場版ウルトラマンジード つなぐぜ!願い!」より、ギャラクトロンMK2、ギルバリス、バリスレイダー

「スパイダーバース」より、キングピン、プロウラー、ドクターオクトパス、スコーピオン、トゥームストーン、グリーンゴブリン等

ブギーポップは笑わない」(初回三話で断念)より、マンティコア、早乙女正美

インフェルノ」より、『犯人』その他悪役(ネタバレのため名は明かしません)

スターウォーズ・ローグワン」より、オーソン=クレニック

ソードアートオンライン=アリシゼーション」より、整合騎士、チュデルキン、アドミニストレータ、ソードゴーレム

「エージェントオブシールドシーズン5」より、クリー人 カサイアス、シナラ、ルビーヘイル、ヘイル准将他

「UNFIX」より、特外

モブサイコ100 II」より、組織「ツメ」、悪霊たち

ウルトラマンガイア」より、アグル、根源的破滅招来体、怪獣

「キャプテンマーベル」より、ヨンロッグ、スプリームインテリジェンス、ミンエルヴァ、タロス、スクラル人他

ジーニーのマジックシアター」より、シャバーン

レイトン ミステリー探偵社~カトリーのナゾトキファイル~」より、アリアドネ、ルーファス=アルデバラン

仮面ライダージオウ」より、タイムジャッカー、アナザーライダー、白ウォズ、オーマジオウ他

ルパン三世(TVスペシャル)ハリマオの財宝を追え!!」より、ラッセル、ゲーリング
アベンジャーズエンドゲーム」より、サノス
文豪ストレイドッグス(第三期)」より、フョードルD、蘭堂、イワンG、プシュキンA他
「ドクターストレンジ」より、カエシリウスドルマムゥ
「劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生!」より、ガオウ
「劇場版 超・仮面ライダー電王&ディケイド NEOジェネレーションズ 鬼ヶ島の戦艦」より、クチヒコ、ミミヒコ
「ペット」より、スノーボール、リッパー、タトゥ
スパイダーマンファーフロムホーム」より、ミステリオ、エレメンタルズ
ウルトラマンタイガ」より、霧崎、ウルトラマントレギア、ヴィラン・ギルド、怪獣
「ジョーカー」より、ジョーカー
仮面ライダー01」より、滅亡迅雷ネット、怪人(マギア)
ナイトクローラー」より、ルイス・ブルーム
ダークナイト」より、ジョーカー、トゥーフェイス

「映画 傷だらけの悪魔」より、小田切 詩乃

バーフバリ 伝説誕生」「バーフバリ 王の凱旋」より、バラーラデーヴァ他

ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀 Chapter1 感想

 皆さんこんにちは、igomasです。普段はウルトラマンZの感想記事、悪役考察記事などを投稿しています。さて、先日方、YouTubeで展開されるウルトラマンの最新作、ウルトラギャラクシーファイト大いなる陰謀Chapter1が更新されましたね。

 ウルトラマン界隈でもかなりの話題を呼んだシリーズということもあり、本ブログでも取り上げていきたいと思います。ウルトラギャラクシーファイトは、様々なウルトラマンが一堂に会して、宇宙のあちこちで戦いを繰り広げる群像劇で、前作ではニュージェネレーションウルトラマンに加え、マレーシア展開のウルトラマン、リブットの参戦が話題を呼びましたね。今回はさらに登場人物を増やし、中にはウルトラマンとはある種異種族のアンドロメロスなど、個性的な面々が登場します。グレートやパワード、コスモスやジャスティス、ネオスやセブン21といった、今まであまりフォーカスされてこなかったキャラクターが登場したことは、ウルトラ界隈でも大きく話題を呼びましたが、一方で各キャラへ描き方が雑になってしまわないだろうかという懸念の声も各所で挙がりましたね。この辺りの議論については、以下の記事に詳しく書いてあります。

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  さて今作のメイン監督を務めるのは、かの坂本浩一監督。前作のウルトラギャラクシーファイトからの続投ですね。彼は、ウルトラマン監督の中でも抜きん出て、過去作品のオマージュを多く手がけており、「過去作品のオマージュならこの人」と、ある種神格化されるにまで至っていますよね。だからこそ、数々のウルトラマンが登場する今回の作品でも、監督として起用されたのでしょう。

 しかしながら、私igomasの坂本浩一監督に関する評価は世間のそれとは真逆。「坂本浩一監督は、オリジナル作品が得意で、オマージュが苦手」というのが、ブログ開設以降一貫した私の意見であります。まぁ、苦手というだけで、時にはよく見えるカットも撮られるのですが(事実ウル銀や、Zの第6話で第5話の辻本監督の大ポカを修正したりとか、所々素晴らしい仕事もしていたりしますが)、基本的には、オマージュが苦手なのだろうと見て取れます。一方で、まったくなにもないところから、一から物語を積み上げていく力はありそう、というのが現状の私の見解です。

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  そんな私だからこそ、今回の新作は、幾分か温かい目で見られましたね。どうせ坂本浩一監督がオマージュ下手なのは分かっていますから、多少の粗はやむなしですからね。ある程度本記事でも、オマージュ不足の問題には触れていきますが、少なくともChapter1に関しては、さほど怒っているわけではないのでご理解くださいませ。

 それでは、Chapter1感想記事、始めて参りましょう!

 

 

Episode1

 惑星ミカリトの急激な衰え、その原因を探るため派遣された、文明監視員マックスとリブット。マガオロチの卵を発見するも、マックスは「マガオロチは既に封印されたはず」と言及します。ところで私igomas、今作がいつ頃の時間軸なのか、イマイチ把握できていないのですが、マガオロチは既に封印された、というこの発言からオーブ後と捉えてよいのでしょうか。それともこの台詞はオーブ以前に封印されたマガオロチのことを指しているのでしょうか。なにせ、Chapter1の時代設定が、「ウルトラマンリブットが文明監視員だった時代の物語」としか説明されていないので、物語の根幹そのもの(いつの時代か)があやふやで、見ていてストレス。劇中でなにかしら時代背景を示してほしいものです。

 一応、時代考察の鍵として、いろいろ考察要素はありますね。グレートの動きがテレビ当時と比べやや上達しているように見えなくもないことから、グレート後ではあるのだろう、とか、惑星カノンに木が生えていることからオーブオリジンサーガ前だろう、とか。とはいえそういった考察要素も、坂本監督がオマージュ不足なだけなのかちゃんとした考察要素なのか判別がつかないので、なんともいえません。というかそれ以前に、やはり「いつ」の情報が明示されないのは作品の作り手としてまずかろうとは思いますね。作り手として時代背景を明記することは、あまりに基本中の基本です。

 ヘルベロスが登場し、マックスとリブットは応戦しますが、そこへスラン星人が現れ、戦いのさなかマックスの体内に、ゴーデス細胞が打ち込まれてしまいます。ここでゴーデス細胞と来ましたか。これを意識してのYouTube配信だったということでしょうか。なるほど過去作の要素の使い方が豪快。

 ところで、ゴーデス細胞がなぜそんなにもナチュラルに存在しているのでしょうか。ゴーデスってすでに倒されているはずで、ゴーデス細胞自体どこからも収集できないはずなんですよね。のちに、スラン星人は実はアブソリュートタルタロスからゴーデス細胞を得ていたとわかるわけですが、それにしてもタルタロスさんはどこから調達したのか。過去に戻って回収した、なら分からなくはありませんがそれだったら過去でそのまま暗躍していればいいわけで。マガオロチの調達も同じくですね。ここらの描写がしっかり描けるようになると、物語に臨場感が増してより面白くなると思うのですが。過去要素をただ出してみた、感が強く、まぁいつもの坂本監督。

 一方惑星カノンでは、ユリアンとソラがイザナ女王と面会していました。ソラ、というのはウルトラマンフェスティバル2018のライブステージにて登場したキャラクターですね。仲睦まじく話す二人に、突如ルーゴサイトの攻撃が。ソラがバリアーを張りユリアンを守ります。ソラ、ルーゴサイトくらいの攻撃ならかろうじて防ぐことができるということで、そこそこ強いことが判明しましたね。結局、ルーゴサイトは駆け付けた80によって撃退され、彼方へと逃げ去っていきます。ルーゴサイト、R/B本編ではロッソとブル2体のウルトラマンを圧倒したわけですが、まぁロッソとブルはあくまで新米ウルトラマンですから、熟練の80一人で対応できる、というパワーバランスは悪くないように思えます。ちなみに当の80の動きは、正直言って微妙でしたね。80といえばスピーディーな戦いのイメージがあるのですが、全体的にもっさりしていましたし、動きも本編のそれとはやや違いのっぺりしていた印象です。このあたりも坂本オマージュの限界が見えます。
 ウルトラの星光の国に戻った一同は、スラン星人の計画、ルーゴサイトの暴走を報告。それぞれに対策部隊を編成することが決まり、ゾフィーはヒカリに、マックスの状況を尋ねます。ヒカリはマックスがいくら対抗したとしても、ゴーデス細胞の浸食を考えれば、もってあと三日だろう、と報告。ヒカリは3日以内に必ずや抗体を開発すると言い、とここでひとつ疑問なのですが、なぜマックスは3日くらい放置してゴーデス細胞に犯され続けてもいい、と皆が納得しているのか
 せめてリブットが若気の至りから今すぐにでもマックスを助けないと!と言って、タロウが、いまの君では到底太刀打ちできない、しかし君の才能なら、あの2人のウルトラマンに鍛えてもらえれば…とパワード、グレートの展開に持っていくとか、何かしらの会話は欲しかったところ。妙にマックスを3日放置することに皆が冷静なのが、どうも乗れず。抗体云々は仕方がないとしても、救出くらい早めに行ってもいいのでは、と誰も思わないのは、ちょっと。

 というかゴーデス細胞の抗体くらい、感染者が出る前から作っておけよと。一度は地球を滅ぼしかけた怪獣細胞ですから、こんな事件が起こる前からあらかじめ抗体は作っておくべきでは?なんて思ったりしますが。このあたりにもご都合主義が見え隠れして、まったく乗れず。

 さてリブットは、マックスを助けるための力を得るため、K76星に向かいます。そこで待っていたのは、グレートとパワード。二人がかりで、リブットを鍛えることに。

 

Episode2

 グレートとパワードの特訓からスタート。両者色々な技を決めるのですが、パワード批評はより詳しい方に任せるとして、グレートの動きが元と違うのが気になりましたね。一見ものすごく脇が甘く、体幹も悪いのに、なぜか隙が無くて必殺技が強力で芸達者、なところが一種グレートの良さというか味になっていると思うのですが、そういうオマージュは一切なし。今回全編を通して思うのは、「スーツアクターが当時の映像を確認していないんじゃなかろうか」と思えるようなカットが多々あるということ。坂本監督いわく、「グレートには空手の有段者がスーツアクターを務めていたこともあって、空手が動きの基本となっています」ということで、空手の動きを入れればある程度再現できると考えていらっしゃるのかもしれませんが、なんというか現場で、「当時のスーツアクター吉田沙保里レスリングの動きを使っているから浜口京子を使えば大丈夫」みたいな安直さがなければいいな、と思っています。同じ競技内であっても、人によって動きは全く異なりますし、その細かな差を再現するのがスーツアクターの仕事だと思っているのですが。今回はグレートがグレートに見えませんでしたね。コアなファンであればあるほど、こういった、「なんだか動きが違う」ところにいちいち引っかかってしまって、安心して見られないのではないか、とも思えます。まぁ坂本オマージュの限界というのはこういうところで出てくるのだな、と納得。

 一応、「ゴーデスとの戦いの後だから、前よりグレートの動きが上達しているのだ」なんて言い訳もできるかもしれませんが、それにしてもあまりに動きが似ていないように思えます。またそもそもこの戦いが「テレビ本編のグレート後」であるという説明もない上に、今作がテレビ本編後なら先述の議論、ゴーデス細胞をどこで手に入れたのか、なぜゴーデス細胞の抗体を作っておかなかったのか、などの問題も浮上してきますから、問題が山積み。

 場面は変わり、ルーゴサイト迎撃。ネオスとセブン21が、怪獣ルーゴサイトに自己紹介しますうん、なぜ? まぁ、自己紹介しないと視聴者がわかりませんからね、見せ方云々の話は置いておきましょうか。ネオスとセブン21、80の三人が、ルーゴサイトと戦います。そこへアブソリュートタルタロスとレイバトスが現れ、レイバトス、太った? さすがにこれは擁護しがたいレベルでダサくなっており、思わず失笑しました。レイバトス、もう少し大悪党かと思っていたのですが、「やれ」と言われて従うレベルの小悪党だったようです(笑) 残念。

 舞台はK76星へと戻り、とそういえば今作は監督曰くスペースオペラとのことですが、星から星へ移った時のワクワク感とか、皆無ですね。うむむ、どの惑星もただの平地で代わり映えがしないってのも、考え物。

 さてグレートとパワードの特訓シーン。リブット覚醒、一瞬。文字で「リブットが覚醒しました」と言われても大差ないくらいの淡白さ。しかもリブットのある種象徴ともいえるような武器でさえ、グレートパワード両人からもらったものだったという。なんの盛り上がりもなければワクワクもない強化。一応、リブットって主人公だった覚えがあるのですが、この扱いの雑さはなんなのか。

 場面が変わり、80先生、ギマイラに苦戦。80先生、まさかの弱体化。80ファン悲しむだろうなぁ。そこへ助けに来たのが、コスモスとジャスティス。80は、「君が慈愛の戦士か」と感心し、出た、「慈愛の戦士」だから戦士じゃないんだって笑 コスモスは、怪獣を退治しない、共存を目指す作風が特徴的で、そのスタンスから、「慈愛の勇者」の二つ名をもつウルトラマンです。それが、なぜか坂本監督がオマージュするといつも「慈愛の戦士」呼び。二つ名を間違えてどうする坂本監督。
 コスモスとジャスティスはルーゴサイトと交戦。二人はフォームチェンジし、コスモスはなんとフューチャーモードに変身します。スペースコロナモードとフューチャーモードは、なぜか本編終わって以降まったく姿を現していなかったので、久しぶりに見られたのは良かったですね。コスモスとジャスティス、二人が並び立つカットが入り、ちょっと待ってフューチャーモード待って体勢前のめりすぎないか

 分からない方にもわかりやすく書きますと、コスモスって基本太極拳の動きがもとになっていて、太極拳のもっとも基本的な要素の一つに、体幹がしっかりしている、というのがあるんですよね。常に体は地面と垂直まっすぐでなければならなくて、試しにインターネットでコスモスのフィギュアを調べてみてください、そのほとんどが、面白いくらい背筋がピンと張ってまっすぐなはずです。太極拳スタイルのコスモスにとって、体幹がしっかりしているのは基本中の基本。それが、コスモスを紹介するこの象徴的なカットで全くできていない。体勢は前のめり。こぶしを突き出しすぎてやや姿勢が右に傾いている。これは、さすがに素人の私でもわかります、ひどい。自分はオマージュができませんと大声で言っているようなものです。さすがにこのシーンは看過できませんでした。
 コスモスって全体的に戦闘シーンを撮った後、その映像をスローにしてコスモスの独特の動きを作っている、というのをメイキングで見たことがあるのですが、そういったオマージュも一切なく、とにかくウルトラマンがショーのようにわちゃわちゃしているだけ。いうまでもありませんが、戦闘中のコスモスの体幹は、実にひどいものでした。

 まぁ、この程度のオマージュだということは始まる前から分かっていたことなので、別に私は怒ってはいませんが、それにしてももう少しやり方はあったのでは、と言いたい。

 

Episode3

 ルーゴサイトは合体光線で倒れ、アブソリュートタルタロスが現れます。

 一方リブットはマックスに抗体を打ち込み、マックスは回復しますが、マガオロチが復活してしまいます。マックスのもとへゼノンが駆け付け、マックスにマックスギャラクシーと光の力を与え全回復。マックスとゼノンが、ともにマガオロチに立ち向かいます。

 ここからいつものごとく、主題歌、光線打ち、怪獣がたいした応戦もせず的状態、怪獣倒れる、というお決まりのパターンなわけですが、マックスの戦闘で主題歌が流れたことってありましたっけ。なにぶん記憶にないため、ものすごく違和感。テレビ本編全話通してみても、マックス戦闘中にマックスの主題歌が流れたことって結構少ないんじゃないでしょうか。ゆえに主題歌を流してもどこか疎外感があるという、オマージュをしようとしてオマージュできてないというか、なんというか。

 コスモスサイド。アブソリュートタルタロスの攻撃を防いだコスモスとジャスティス。二人が合体しウルトラマンレジェンドに。光線技を放つや否や、これでは分が悪いと思ったのかタルタロス。早々に逃げていきます。が、そもそもタルタロス、わざわざレジェンドが出るほどの脅威なんでしょうか

 アブソリュートタルタロス登場からレジェンド変身までの流れがあまりに走り気味で、実は80先生らがもうちょっとじっくりしっかりがっつり戦っていたら結構善戦していたんじゃなかろうかとか、そういう余地がかなり残っており、レジェンド登場のインパクトが薄れてしまった感はありますよね。80先生らがギリギリまで頑張って、ギリギリまで踏ん張って、それでもどうにもこうにもならないそんな時にウルトラマンレジェンドが出てきたら、見てる側は純粋におぉ〜と楽しめるのですが、アブソリュートタルタロスがどれほどの脅威なのかというのがいまいち不鮮明なままレジェンドが出て来てしまったがために、どちらかと言えば伝説の安売りに見えてしまった感は否めません。

 マガオロチ方面のウルトラマンたちも、各種光線技で怪獣らを殲滅し、無事作戦は終了。光の国に戻ってきた一同。リブットとソラはギャラクシーレスキューフォースに入隊を命じられ、そこでイザナ女王、アンドロメロス、グクルシーサーと出会い、Chapter1終了。

 グクルシーサーは、地球の、日本の、沖縄の守り神なわけですが、なぜギャラクシーレスキューフォースに入っているのか、なども描かれるとよいですね。

 

〈まとめ〉 

 ということで、Chapter1でした。見返してみると結構粗も目立ち、オマージュもところどころひどいものでしたが、まぁこんなものでしょう。コスモス、グレート、パワードあたりの、どうも動きに癖の強いウルトラマンは、だからこそこれまで他の監督人が手を付けてこなかったわけで、それを率先して無理に描こうとすると、どこかで破綻が生じてしまうのも致し方ないことなのかもしれません。オマージュができないなら、そっとしておいてあげましょう。

 とはいえ、過去怪獣のスーツの状況などを知ることができたのはありがたかったですね。一時期ホロボロスはグクルシーサーの改造ではないかなんて言われていた時期もありましたが、グクルシーサー、しっかり残っていましたね。それからイザナ女王も残っていて、良い。ギャラクシーレスキューフォースとして、いろいろ今後の作品でも展開できそうですよね。アンドロメロスなどのマイナーヒーローはほんと、焦点が当たることすらなかったので、今後どう描かれていくか楽しみです。今回ほとんど盛り上がりもなかったリブットも、次回作以降主人公としてまともに描かれてくれると嬉しいです。

 本編と思わず遊園地のヒーローショーとしてみてみれば、結構しっかりした出来で、とにかくマイナーヒーローの活躍が見られたのも微笑ましい。80とギマイラの画はぜひとも見てみたかったので、これが見られたのもうれしいポイント。それから、思いのほかソラが魅力的に描かれていたように思えます。まったくの戦闘民でないにも関わらず、あのルーゴサイトの攻撃をしのいだわけで、結構おいしいところ持っていきましたね。ヘルベロスは、いかにも番犬といった出で立ちなので、今後も雑に用心棒として使えるいいポジションを確立しています。レイバトス、太ったのが少し気になりましたが、過去編などには今後も出しやすいのかなと思いますね。

 さて次回、いよいよ本番Chapter2。今回のように甘くはいきません。良いところはいい、悪いところは悪いとはっきり言わせてもらう所存です。ご覚悟を。

 とりあえず現状、坂本浩一監督に最も送りたい言葉は、

歴代ウルトラマンたちの魅力を再発見してほしい

参照:『ウルトラギャラクシーファイト』最新作、坂本浩一監督が語る大いなる陰謀「歴代ウルトラマンたちの魅力を再発見してほしい」 (1) | マイナビニュース (mynavi.jp)