igomasの部屋

どうも、igomasです。ウルトラマンファン。ヒーローより怪獣、悪役が好き。今日も今日とて「悪役」考察♪

ウルトラマンネクサスにおける「カタルシス」論

 皆さんこんにちは、igomasと申します! 普段はウルトラマン考察や、ジャンル問わず悪役考察をしております。今回は、ウルトラマン系の記事です。

 ウルトラマンネクサス。2004年10月に放送開始され、15年以上が経過した今でも一部オカルト的な人気を保ち続ける、数あるウルトラマン作品の中でも伝説の異色作。主人公がウルトラマンに変身しない、防衛隊や怪獣の存在が一般市民に認知されていない、ウルトラマンの変身者(デュナミスト)が途中で変わる、やたら暗い(画面も、話も)などなど、他のウルトラマンにはない要素が沢山あります。

 ネクサスは、この記事だけでなく今後幾つか記事を書いていく中で少しずつ掘り下げたい作品でありますが、取り敢えず今回は手始めに、ずっと前から思っていたネクサスファンに対する指摘を一つご紹介。

 

 ウルトラマンネクサスは、基本的に悲しく、辛く、暗い作風が続きます。後半の千樹 憐編では幾分か作風も明るくなるものの、前半に当たる姫矢 准編は、かーなーり話が暗く、作品の完走にとってかなりの鬼門となっています。ネクサスファンの皆さんも、新規視聴者に魅力を伝え勧誘する際には難儀するのではないでしょうか。

 特に前半では、当時は予算が枯渇していた事もあり、一体の怪獣に4話かけるというスロースタートっぷりで、基本的に、ウルトラマンは怪獣(スペースビースト)に苦戦し続けます。変身者(デュナミスト)もどんどんボロボロになっていきます。ただでさえ戦闘シーンも見ていて辛いのに、日常パートも苦しい展開。主人公の彼女に関するトラウマ的エピソードをクリスマスに放送したり、残酷かつ辛い描写がわんさか出てきたりと、見ていて重いシーンが色々と出てきます。

 しかし、辛いシーンが多い分、より一層、そこからの逆転劇、主人公らが乗り越えていく姿は輝かしく映ります。辛くても、絶望的でも、諦めず立ち向かい、勝つ。辛い思いをした分だけ、勝利の爽快感は凄まじいものです。

 

 それはそうに違いないのですが、ネクサス感想を見ていると時折、この件に関して「ムムッ!?」と思ってしまう記事が多数散見されます。それが、「ウルトラマンネクサスは辛いシーンが多いけれど、そこからの逆転劇は本当に見ていて気持ちがいい。カタルシスがあるから、ネクサスは面白い」という意見。こういったコメントは、ネクサスはシリアスな作風だ、だの、姫矢 准編は暗いが千樹 憐は明るい、だの、そういう類いの記事、ブログ、スレで必ず見ると言っていいほど、良く目にする文言です。

 ここでいう「カタルシス」とはすなわち、辛い状況から脱却した際の爽快感、例えるならば嫌な上司を言い負かしてやったときの「スカッとする感じ」の意味で使っているのだろうと思います。

 

 結論から言いますと、「カタルシス」という言葉の使い方、間違ってるよ、と。

 広辞苑第六版によれば、カタルシスとは、「悲劇を見て涙をながしたり、恐怖を味わったりすることで心の中のしこりを浄化する」ことだそうです。悲劇を見たときの、悲しいなと共感したり、心が締め付けられたりするような思い。その辛い気持ちがそのまま心の中のマイナスの感情を押し流してくれるような心の動き、それが、カタルシスなのです。すなわちカタルシスとは、悲劇そのものを見たときの情動から来るものであり、その悲劇を克服した後の「スカッ」とから来るものではない、ということなんですね。

 というわけで、「超暗い展開からスペースビーストを倒す爽快感! これぞカタルシス! ネクサス最高!」という意見は、残念ながら間違い、ということになってしまいます。かくいう私も、つい最近までカタルシスの言葉の意味をよく知らないまま使っており、危うく誤った用法で使うところでした。皆さんも、特にウルトラマンネクサスを応援するときは、念のため使い方にお気をつけ下さい、という記事でありました。

 皆様も、言葉の正しい用法に注意しながら、楽しい批評・感想ライフを! それでは、また次の記事でお会いしましょう、igomasでした!