igomasの部屋

どうも、igomasです。ウルトラマンファン。ヒーローより怪獣、悪役が好き。今日も今日とて「悪役」考察♪

ドラマ『エコー』プチ感想

 先日、ディズニープラスにて、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)最新作、ドラマ『エコー』が配信されました。
 ドラマ『ホークアイ』に登場した、エコーことマヤ・ロペスを主人公とした作品で、ニューヨークの犯罪王キングピンとの歪んだ師弟関係を描いた作品となっています。
 以前フェーズ4作品ランキングの記事にも書きましたが、私はこのエコーというキャラは『ホークアイ』において全くもっていらないキャラだと思っていて、正直何の思い入れもないキャラクターでした。エコーを主人公としたドラマを作る、という発表があった時も、特段嬉しくはなかったですし、あまり期待もしていませんでした。
 が、見てみると期待していなかった割にはそこそこ悪くないドラマに仕上がっていました。まぁ、「そこそこ悪くない」程度であり、決して手放しで褒められるような作品ではなかったのですが、それにしても期待よりかは良いドラマでした。
 そこで、賛否両論の火種となっているとある問題だけピックアップして、記事にしたためてみようという次第です。
 当然本作やドラマ『ホークアイ』のネタバレを含みますし、コンパクトさを重視したため、本作を見ていないとちょっと分かりづらい部分も多いかと思います。未視聴の方は、今すぐディズニープラスにgo!

 

 

 本作は、一般的な評価でいえば、賛否両論、その中でも少し否寄りといったところでしょうか。本作で不評を買ったのは、主人公マヤ・ロペスが、先祖から伝わる不思議なパワーを発現する、というくだりです。
 本作は、マヤ・ロペスとニューヨークの犯罪王キングピンの戦いを描いたものですが、ニューヨークはまったくと言っていいほど出てきません。その舞台の9割以上が、マヤ・ロペスの故郷であるオクラホマでした。
 幼少期に母を亡くし、祖母にオクラホマから追い出されて以来、ニューヨークで暮らしていたマヤ・ロペス。犯罪王キングピンのもとで修行を積んでいましたが、父がキングピンに殺されたことで決裂。負傷したマヤ・ロペスは久方ぶりに故郷のオクラホマへと帰ってきます。
 マヤ・ロペスはチョクトー族のルーツを持ち、オクラホマに帰ると祖先との繋がりが生まれます。最初に地球に生まれた遠い遠い祖先、西暦1200年の祖先、1800年代後半の祖先、と順に、祖先と繋がります。最終的には、その先祖たちのパワーを引き継いだマヤ・ロペスが、キングピンを倒すという展開です。
 エコーは、原作コミックではそのような「先祖とのルーツ」が押し出されるような作品ではなく、またマヤ・ロペスの能力も、祖先のルーツを辿ってパワーを得るといったものではありません。そのため、「余計なことをしている」「そんなのが見たいんじゃない」と批判されているわけです。
 まぁ、この批判も分からないではないのですが(そもそも私はエコーを主人公にしたこのドラマの存在自体「そんなのが見たいんじゃない」状態なのですが)、ただ、このドラマに限っていえば、祖先のルーツを辿るという展開はむしろ正解だったとさえ思えるのです。


 話は変わりますが、親の愛、というのはとても重要です。幼少期に親の愛を受けて育ったかということは、その人物の人生においてとても重要なファクターであり、親の愛を受けなかった人間は、親の愛を受けた人間を一生恨み続ける、ということはよくあります。
 マヤ・ロペスは、幼少期に母を亡くし、祖母に家を追い出され父と2人に。大人になってからその父も失い、命を奪ったのは師匠であるキングピン。家族もいない、友人もいない、自分にあるのはキングピンから教わった暴力だけ。
 無論、マヤ・ロペスは決して親の愛を受けていなかったわけではありません。幼少期には母から愛され、ニューヨークに来てからも、ずっと父親の愛のもとで暮らしていました。ただ、もう頼れる人が誰もいないという無力感によって、幼少期に祖母に家を追い出されたという思い出と相まって、マヤ・ロペスは自分自身が「親に愛されてこなかった」と思うに至ったのでしょう。
 たとえ親の愛を受けなかったとしても、そのことだけでその人の人生が決定されるわけではありません。人はいつだって変われるし、いつだって成長することができます。大きくなってもそのことに気づかず、周りを忌避していたのはマヤ自身であり、マヤにも少なからず原因はあったのですが、そのことにマヤ自身は気付けずにいました。
 いや、ほんとマヤ、ヤバい奴だなと思いながらずっと見てました。基本的に考え方が「暴力、暴力、暴力」ですし、幼少期からキングピンと一緒になってアイスクリーム屋のおじさんを蹴る始末。誰に対しても不貞腐れた表情で当たりが強く、周りを危険に巻き込むことも厭わない。中盤までほんと、ヘイトしかたまらないレベルのキャラでした。言うならば、「ただ体が大きいだけの子供」状態。
 マヤは久方ぶりに故郷に帰り、故郷の人々と交流を深めますが、心の溝は埋まりません。マヤ・ロペスが真に欲していたのは、結局のところ、「親の愛」でした。ここに来てようやく「祖先のルーツ」という設定が活きるわけです。
 祖先のルーツを辿れるということは、つまり、親にも会えるのです。本作において、マヤにとって最も重要だったのは、他ならぬ「母親に会う」ことだったのです。本作はいうなれば、「母親に会う」物語であり、祖先のルーツを遡れる、というのはあくまで、「母親に会う」ためのオマケにすぎません。「母親に会う」という展開をできるだけ読ませず、視聴者に対し、チョクトー族の不思議なパワーというところで考察させるための、いわば目くらましだったのです。
 亡くなった母に会い、最後に親の愛を感じ、祖先のルーツを辿る衣装(母との繋がりを持てる衣装)を身にまとう、それがなにより、マヤの心を癒すセラピーだったのです。


 母の愛を受けたマヤは、自分を見つめ直します。マヤに暴力の世界を教え、マヤを犯罪の道具としか思っていない"自称父"たるキングピンに「あんたは父親じゃない」と言い、祖母や、友人こそが愛すべき家族なのだと気づくのです。
 キングピンが去った後、マヤはかつては強く当たっていた祖母や友人と、今度は当たることなく、仲良く過ごすのでした。かくしてマヤは、「大きな子供」から、「ちょっぴり成長した大きな子供」になるのでした、というお話。
 本作は、エコーが自称父であるキングピンの呪縛から逃れるというお話であり、だからこそ、自分の本当の家族を見つける物語として、然るべき展開だったと思います。なにも無理にニューヨークを出す必要はないのです。
 また、こうして見てみると、親の愛を一身に受け、愛してると言いながら母親を逮捕したケイトビショップと、本作は綺麗な対比構造になっているのが伺えます。本作を見た後再度ドラマ『ホークアイ』を見返しましたが、あらためて、ケイトビショップ良いキャラだなぁと思いましたね。
 ドラマ『ホークアイ』の続編であるということも含めて、本作の物語の構造自体は、なるべくしてなったものではないかなと感じました。


 そんなわけで、ドラマ『エコー』プチ感想でした。まぁ、スパイダーマンやロキといった、ヒーロー然としたキャラが出てきたMCUにおいて、今更「大きな子供」から「ちょっぴり成長した大きな子供」になった話を出されても、あまり乗れませんし、中盤までとにかくヘイトを集めてたマヤを特段好きになることもできず、キングピンも役不足……本作の評価は決して高いものではありません。
 しかし、監督や製作陣のやりたいことは、一応しっかりできていますし、誰かの人生の助けにはきっとなるであろう、そんなに悪くはない、ドラマ『エコー』でした。

 それでは、また次の記事でお会いしましょう、igomasでした!

 

↓ドラマホークアイを含めた、MCUフェーズ4ランキングはこちらから

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