igomasの部屋

どうも、igomasです。ウルトラマンファン。ヒーローより怪獣、悪役が好き。今日も今日とて「悪役」考察♪

ウルトラマンブレーザー感想&総括記事

 皆さんこんにちは、igomasです! 今回は、2023年から2024年にかけて放送されたウルトラマン新作、『ウルトラマンブレーザー』の各話感想と総括記事です!

 Twitterの方でザックリと書いていた各話感想を纏めた上、最終話まで見た現時点の私の各話に対するコメントも多少加えてあります。

 また、各話数の横に個人的な評価も載せています。

 

◎(神回。10年後くらいに列伝系の作品で見返したい話)

○(まぁまぁ良い回)

△(惜しい、微妙)

×(ダメダメ回)

 

の、基本的には4段階評価となります。各話感想と一緒に参考にしていただければと思います。

 では、さっそく各話感想、見ていきましょう!

 

〔お詫び〕

 今回、私igomas、家の録画機器の設定を間違えておりまして、途中第6話から第13話までを視聴することが出来ませんでした。大変申し訳ございません。もう、本当にショックで、数日立ち直れませんでした。今後はこのようなことがないよう、慎重に録画設定いたします。

 その関係で、今回ウルトラマンブレーザーの各話感想、総括においては、「スカード隊員の掘り下げが足りていなかった」旨の批判は一切しておりません。未視聴部分において掘り下げがあった可能性があるためです。一方、ドバシユウ関連については、後半の14話以降で展開されたストーリーなので、こちらの縦軸展開の是非については厚く語っております。ご了承くださいませ。

 それでは、各話感想をお楽しみください。

 

 

各話感想

第1話 ×
・画面が暗いので、メインキャラが誰が誰だか分からない。

・リアル路線の割に演技がリアルじゃない
・基本ぼーっと突っ立って話してるので、絵面として面白味に欠ける
ブレーザーの鳴き声がただのクリーチャー
などなど、ちょっと掴みとしては損してるなと。特撮もそんなに良くなかったかな。部位破壊シーンは好きでした。

 

〔一言コメント〕

 YouTubeで展開されている、田口監督の作品『UNFIX』でやりたかったことを、ウルトラマンでやった、という印象を受けました。正直、『UNFIX』の方でやればよかったと思います。誰が誰だか分からない(というか、今後の物語に関係ない人が多すぎる)というのは、1話の掴みとしてはだいぶ痛手。リアル路線にするならいつも以上に演技指導に力を入れ、よりリアルな演技を追求すべきなのですが、全体的な演技もあまり上手くありません。

 ブレーザーの話の中ではかなり監督のやりたいことが全面に押し出されているので、これが、演技やキャラの配置、セリフなどをもうちょっと詰め切って、その熱量で25話駆け抜けていたら、異色作としてまったく違う評価になっていたかもしれません。実際は2話以降、初代マン~メビウス期の元来のフォーマットのウルトラマンだったため、第1話だけが変に悪目立ちしてしまいました。

 自己評価×から始まるブレーザー、本当に大丈夫か?と心配したのをよく覚えています。

第2話 △
基本的に面白いんだけど、嫌だなぁというポイントが結構あって、なんとも言い難い……
いちいちコントを入れることで、テンポ感が非常に悪い
キャラの掘り下げのためにコントを入れているというより、尺が余ったからコントを入れている、というイメージ
特撮は良き


ペンがないの下り
背中に書く下り
下の名前かあだ名で呼ぶことを強制する職場
電話取った時の変な(大袈裟な)演技
この辺りはちょっと…うーんとなりました

 

〔一言コメント〕

 第1話からの揺り戻しのためか、露骨なコントが増えた第2話。少しやりすぎかなと思ったため、あまり乗れず。コントに尺を使った分、ゲードスの掘り下げも消化不良。

第3話 △
 全体的に結構楽しめたんだけど、ブレーザーの鳴き声と挙動だけが、どうしても好きになれない。ウルトラマンの挙動が好きになれないの、初めてかもしれない。
 現状、アオベ エミ隊員の“潜入“が、潜入じゃなくてただのコスプレみたくなってるのが少し気になります。

 

〔一言コメント〕

 ゲードスの釣りのシーンも含め、潜入過程が描かれず、その場でコスプレしてるだけのアオベ エミが気になりだした頃。

 最終話まで見た今では、ようやくブレーザーの鳴き声にも慣れましたが、まだ3話時点ではノイズに感じていました。

第4話 ○
 オーソドックスなマッチポンプ怪獣もの。ゲント&エミのアクションが爽やかで軽快で、でもちゃんと重みのある人間のアクションで、良かった。特撮も頑張ってましたね。
 そこまで気を衒った回ではないので、どっぷりハマるような回ではないけれど、まぁまぁ好きな回。社長の聞いてた曲とか、社長の大袈裟な演技はあんまり好きじゃないけれど、あれを「瞑想」と言い張るセンスは結構好き。
 まぁ多少好みじゃない部分はあれ、特撮もアクションもいいし、なにより新怪獣がバンバン出てくるので、正直気にならないです。来年もこうなってほしい。

 

〔一言コメント〕

 新怪獣が多いのは、ほんとブレーザーの良いところだと思います。せっかくの新作なんですから、クタクタのスーツを倉庫から引っ張り出すのでなく、正直なところ、全話新規スーツで見たいくらい、新規怪獣を欲していました。新怪獣が沢山出て、ウキウキです。正直、新怪獣が多いというただそれだけでブレーザーの評価はだいぶ上がっています。それくらい、怪獣って大事です。

 人間のアクションがしっかり描かれたのも良かったですね。ブレーザーは動ける人が多いので、人間大アクションもかなり見ていて楽しいです。

第5話 △
 真剣にならなきゃいけないところでギャグを持ってくるのがあまり好きではないので、御神体突き刺す時のノリは微妙でした。
 新怪獣ドルゴ、デザインいいですね。
 前作に引き続き、ウルトラマンあるあるな1話でした。こうなると斬新なストーリーもそろそろ欲しくなってくる。
 今のところ、味はしないけどずっと食べてられるガムを食べてる感じなので、ブレーザーの色を出してもらえればなぁと思いますね。

 

〔一言コメント〕

 第2話から第5話まで、良くも悪くもオーソドックスなストーリーが展開され、もう少し捻った回も見たいな、とやや見る気がなくなってしまった頃。結局、気付いたときには録画が出来ておらず、後の祭りでした。本当に悔やまれます。それでも再視聴に至ったのは、やはり新怪獣の多さが大きかったですね。

第14話 △
オーソドックスな怪獣もの
というかだいぶ怪獣はおまけでしたね笑
エミが父の死の真相を追うお話。
接写し過ぎて戦闘がよく分からなくなる、田口監督あるある。

 

〔一言コメント〕

 デルタンダル回はだいぶ評価低いです。縦軸展開を始めたことで、デルタンダルが「高速で飛ぶ怪獣」ってだけのあまり個性のない怪獣になってしまいました。特撮面も、接写しすぎる田口監督の撮り方は、何が起こっているかよく分からず私はあまり乗れません。

 結果、褒めるところがほぼなく、あってもなくてもいい、そんなお話でした。

第15話 ○
初代ウルトラマン以上にオーソドックスなガヴァドン回してる回。
ガヴァドンAだけで十分話を作れるのでは?
・子供が想像を膨らませて強い怪獣をイメージしてガヴァドンBの見た目になるか?
というのは前から思ってたので納得の展開

〔一言コメント〕

 初代ぶりにガヴァドンが登場。子供達の書いた絵の大きさで実体化する、という設定も非常に説得力があって好きですね。次にガヴァドンが出るときは、せっかくなので、ガヴァドンCを作って欲しいと思っています。


第16話 ○
モグージョン、令和版モグルドンって感じの怪獣でしたね。
怪獣の強さも示しつつ、巨大エミもやってブレーザーの活躍も描く。辻本監督の安心感、かなりありますね。

それはそうとアースガロンの声石田彰なの全然信用ならん(笑)

〔一言コメント〕

 まさかまさかの、石田彰が最終回まで裏切らない珍しい作品でした(笑)

 ブレーザーで唯一◎にしようか悩んだ回。見た人の恐怖を映す怪獣、モグージョンですが、見せる恐怖のレパートリーが、もう少しあっても良かったかなと思います。怪獣、傷ついたアースガロン、エミ隊員、あとおはぎとかもあったかな、それ以外にも、もっと色々見たかったです。モグージョンもあと1,2特性くらいあればな、というところで、あと少しはっちゃけって欲しかったので○止まりとなりました。


第17話 ○
ブレーザー、新怪獣多めなだけあって、再生怪獣(幽霊怪獣)回も豪華
会話劇が少し長めで好み分かれそうだけど、私はこういう話結構好きです
ニジカガチと戦うだけでなく、ちゃんと新怪獣ザンギルとの戦闘シーンもあるのいいよね

〔一言コメント〕

 ブレーザー、静止した状態での会話シーンがほんと多いんですよね~。第17話は喫茶店という場所の性質も相まってまぁ耐えてましたけど、基本的に動きのないただの会話シーンというのは絵的にアウトです。

 会話ひとつ取っても、絵として魅力的に見せる工夫が、ブレーザーには足りない印象ですね。MCUのドラマ『ロキ』はその点、会話劇でありながら動きがあり、視覚的にも良い作品なので参考になるかと。

 それはそれとして、ザンギル回自体は良かったです。ブレーザーだけの新怪獣がわんさか出てきて、さらに新怪獣ザンギルとの戦闘もある。こういう采配の上手い回は好きですね。会話劇がもっと面白くなっていたら神回になっていたやも。


第18話 ○
 毎回人型のスーツを作らずとも、こういう簡易的な新怪獣もたまにはいいと思います。操演系の怪獣って好きなんですよね〜♪ 飛んでくる車のカットも良き。
 ドバシユウ関連は、正直今のところあんまりワクワクしてないので、面白い展開になってくれることを期待してます。

 

〔一言コメント〕

 操演怪獣は全身を作らずとも新怪獣を一体作ることが出来るので、かなりコストパフォーマンスが良いと思います。どんどん作っていって欲しいですね。同じく、宇宙人の乗る宇宙船も、CGではなく操演用に作って欲しいなとも。

第19話 △
ブルードゲバルガとブレーザーが同じ画角の中で戦うシーンがほとんどなくて、なんかガッカリ……
「説明なんていらないよね」って雰囲気で進むけど、説明欲しいシーンが結構ありましたね
エミとファードラン、もうちょっと交流しても良かったのでは

 

〔一言コメント〕

 ファードランは最後まで掘り下げなしでしたね。新形態登場回にしては、あまり盛り上がりもなく終わってしまった回でした。

 アオベエミ隊員の父親がなぜ現れたのか、そもそも2人で一緒にレバーを押す意味があったのか。突っ込み始めたら止まりません。とりあえず雰囲気だけ良い感じにまとめました感はあるけれど……という回でした。

第20話 ○
ウルトラシリーズ、田舎系のお話は当たりが多いイメージ
怪獣の尻尾を掴んで投げ飛ばすシーンなど、特撮面もかなり良い
隊員対ミニズグガン、ブレーザー対ズグガンが同時並行で進むのも良い
怪獣も防衛隊もウルトラマンも活躍する、シンプルに良い回

住民たちが避難してきた隣で作戦会議してるって構図がお見事。ただ、エミが避難所にスピーカー置いちゃうのは、ズグガンを引き寄せかねないし普通にダメ。
テルアキの父が昔どんな人だったのか結局分からずイマイチ入り込めないとか、テルアキのお見合いの話どうなったのとか、細かい所のノイズは結構ある。

〔一言コメント〕

 どうしてもノイズが多いと◎にはできないのですけれど、それでも結構楽しめた回。ウルトラマン、怪獣、防衛隊、満遍なく全キャラが活躍する回が好きなので、こういうのもっとやって欲しいですね。


第21話 △
まぁ、良くも悪くも「防衛隊の日常」回だったなぁと。それぞれが防衛隊員としてちょっとだけ強くなる、そんなお話
それぞれのキャラづけがちゃんとしてるのいいですよね、ブレーザー

〔一言コメント〕

 デルタンダル回は、縦軸横軸ともに弱くなんとも評価しがたいですね。それぞれの防衛隊員が自分の限界に挑戦して、肉体的に成長するという、いわば訓練回のようなお話。デルタンダルBは、もう少しデルタンダルからデザインを大きく変えても良いのかなとは思いました。


第22話 ○
 ニュージェネが始まって以来どこかでやりそうだなと思っていた、怪獣損害保険のお話。手際は悪いが実直な会社員が、おばあさんとの交流の中で成長していく様子をしっかり描いていました。
 嫌味な社員もあまり落としすぎず、お話としても綺麗な着地をみせてくれました。
 特撮としては、レッドキングとギガスにもう少しキャラ付けがあるか、あともうひと展開くらいあってもいいかなとは思いましたね。

おばあさんを背負って怪獣から逃げるシーンは良かったです。

全体的にお話の完成度が高く、デッカーの時はそこまで評価高くなかった中川監督の株がだいぶ上がりました。

〔一言コメント〕

 人間ドラマに焦点を当てるため、既存怪獣を使うというのは分かるのですが、レッドキングとギガスではちょっとコメディ色が強すぎて、「一保険会社がお婆さんを背負いながら逃げなければならない脅威」としては、あまり適任ではなかった気もします。

 とはいえ、こういう話は大好きですね。嫌味な社員についても、やり過ぎるくらい制裁を加えるよりかは、劇中の展開の方が断然良かったと思います。


第23話 △
 あの時のタガヌラーの光線には、実はこんな意味があった!というお話。何気ない単発回の一件に裏の設定を持たせる感じは好きですね。
 まぁ、それだけと言えばそれだけの回で、もう少し縦軸の物語を動かせていればもっとワクワクできたのかな、と少し惜しい回。

 

〔一言コメント〕

 Twitter等をあさっていると、「第3話のタガヌラー戦はウルトラマンが無理矢理タガヌラーの光線の方向を変えたんであって、タガヌラーがヴァラロンを狙ってたというのはさすがに後付けが過ぎるのでは?」というコメントを見ました。たしかに。

 見返してみると、ブレーザーが光線の方向を変えたように見えますが、ブレーザーにかかわらずタガヌラーが自分で調節したと好意的に解釈することもできなくはない、そんな感じでした。

第24話 △
 月に爆弾を設置して、月の軌道を変え、地球にぶつけるという、面白い特性の怪獣、ヴァラロン。デザインはミミズに似ており地味なので、あまり好みには合わず
 ドバシユウ関連が全くといっていいほど掘り下げられてないので、ちょっと乗り切れない、最終回1話前。

 

〔一言コメント〕

 縦軸展開の要であるドバシユウがほとんどここまで掘り下げなし、というのは、縦軸の惜しいところ。最終話感想は、多少総括も含め長めに書きます。

第25話 △
伏線回収の仕方が、あんまり綺麗じゃない。
 その一言に尽きると思います。う〜ん、いや、最終回に回収し切れるのか?と思っていたV99周りの伏線は一応は回収したし、ヴァラロンも倒してめでたしめでたし、ではあるのだけれど、心で楽しめてない感じが凄くある。
 V99が地球に敵対する存在なのか、ドバシユウは何をしたのか、など、最終回でこの伏線を回収する、というのは改めて決めた上で最終3部作を作ってたのでしょうけれども、どうも淡々とした流れ作業感が強く、ただ伏線回収のタスクをこなしただけ、という印象を受けました。
 単純に若かりし頃のドバシユウとか、V99の見た目とか、視覚情報で見せてくれればまだ良かったものの、エミのセリフで全部語っちゃうところが、映像作品として単純に物足りないと思ってしまいました。
 アースガロンがV99の部品から出来ていた→V99と対話できる、という展開があまりにも急すぎて、もうちょっと2,3話前から伏線貼るとか、対話できるようにヤスノブが調整するシーンを入れるとか、何かクッションを挟んでくれればいいものの、この急さもちょっとタスク感がありました。
 ウルトラマンという作品はフィクション、虚構であるということを視聴者は一旦受け止めて作品を見ています。そこに、登場人物の気持ちや設定を丁寧に描くことなく、「タスクで伏線回収してます」感を出されると、もう一つ虚構が差し挟まってしまい、これではあまり乗れませんでした。
 これだけ足早に最終回で回収していくなら、最終3部作にする必要が果たしてあったのだろうかと首を傾げます。いやまぁ、田口監督が最終回を前後編や3部作にして怪獣に形態変化を持たせるのが好きかつ得意とか、円谷側がそういう構成にしたいとか、そういう気持ちも分からなくはないんですけど。でもこのヴァラロン編、果たして3話も使う必要性あったんでしょうか。
 縦軸展開にするならもっと縦軸を上手く掘り下げられたでしょうし、そもそもブレーザーは横軸展開なんですから、無理に縦軸を入れようとしなくても良かったんじゃないでしょうか。これくらい淡々と伏線回収するなら、もう1話横軸の話を増やしてヴァラロン編は前後編にするとか、むしろヴァラロン編は最終回だけにするとか、その方が良かった気がします。
 対話に成功して地球への攻撃をやめたV99が、ヴァラロンだけ放ったらかして消えていくのも凄くモヤモヤします。交戦するつもりはない、と武器を手放した地球軍が、ヴァラロンだけ放置されると途端にさぁ遠慮しないぞと武器を取り始めるのも、流れが急すぎて凄くモヤモヤ。前回変身しただけでカラータイマー点滅でフラフラだったブレーザーが、今回長期戦をかなり普通に戦い抜いているのもご都合展開が過ぎますし、まぁ、プロット先行というかなんというか。
 ブレーザーが唯一放った地球語が、「俺も行く」だったり、妻との婚約指輪、子供の腕輪が光って最後光線で締める、地球怪獣が爆弾を処理する、この辺りはすごくいい。でもこれらって基本的に横軸回の副産物であって、最終回、縦軸展開で良かったところは全くなかったです。
 感想としては、最低限回収すべきところは回収して、取り敢えず終わったな、というただそれだけ。ウルトラマンといえば、最終回付近で正体がバレて隊員達が葛藤する展開が定番ですが、それがないことで、単純に心動かされる展開が一個消えてるわけです。その分、他でもっと保管して欲しかったな、と。
 あと、ヒルマゲント隊長にお世話になった航空機部隊が集まってくるシーンがあるのですが、航空機部隊も参戦して最後の総力戦の対ヴァラロン戦、という展開にもならず、あんまり魅せ方が上手くないなと。
 ブレーザーがどこから来たのか、ブレーザーとV99の関係は、ファードランとは何者なのか、エミの父は結局どういう状態なのか、こういった点は全く触れられることなく終わり、製作陣からすれば余韻としてあえて残したのでしょうが、ただのご都合展開としか思えず、余韻にもなりきれていない感じがあります。
 まぁ別に特段悪いわけではないんだけど、良いわけでもない、なんともいえない最終回でした。

*解決していないテーマを残して作品が終わる、というのは、大地の両親の問題が片付いてないウルトラマンXから続く、田口監督メイン作品の永遠の欠点。ウルトラマンXは、グリーザというド派手な怪獣と、全部乗せのハイブリッドアーマー、主人公正体バレからのヒロインが主人公を助けに行く展開など、ワクワクする展開の数々でうやむやになった所があります。ブレーザーの最終回には、うやむやに出来るレベルのパワーが全然なかったと感じました。人によってはうやむやになって気にならないのかもしれませんが。

 

全体総括


 全体として、うーん、横軸展開のウルトラマンを作る、というテーマなら、もっと縦軸展開を廃して横軸重視で、もっとエミを他の隊員と絡ませた方が良かったんじゃないかなぁとも。

 ブレーザーに限らず、ニュージェネレージョン全体(特にルーブ以降)にいえることなんですけども、縦軸展開が縦軸にするにはあまりに内容が薄いんですよね。単発回で済むようなことを薄く引き延ばして、ちまちま進めている感じ。一度縦軸諦めてみませんか、円谷さん。
 デルタンダル回は2回とも、隊員達の成長が感じられて悪くない回ではあるのですが、全体として見た時に横軸としても縦軸としても微妙な回なので、そこで損してる感じはします。
 製作陣も、本作を作る際、ガイアは強く意識したことと思います。ただ、ウルトラマンガイアの良さである「横軸展開ばかりなのに、全体として見ると縦軸にもなっている」というのを再現しきれなかった点では、やはり力不足感は否めません。
 一方、新怪獣をたくさん出して、画面の華やかさをニュージェネ1にしようという努力はかなり成功していて、怪獣のレパートリーと新怪獣登場のワクワク感は誇っていい作品だと思います。ゴジラガメラが新怪獣を出さない中、よく健闘したなと思います。
 今後ウルトラマンがどうなっていくのか、非常に楽しみです。

 

 最後に、以前出したニュージェネランキングを更新しておこうと思います。Z、トリガー、デッカーについては記事を書ききってから追加にしようと思います。少々お待ちくださいませ。

<igomasニュージェネランキング>

1位:ウルトラマンエックス

2位:ウルトラマンオーブ

3位:ウルトラマンギンガ

4位:ウルトラマンジー

5位:ウルトラマンブレーザー ←NEW!!

6位:ウルトラマンタイガ

7位:ウルトラマンギンガS

8位:ウルトラマンルーブ

 

 新怪獣の多さや時折挟まれる横軸の良回がプラス要素となり、タイガよりは上、縦軸が弱すぎるので、ジードよりは下、ということで5位となりました。

 それでは、また次の記事でお会いしましょう。igomasでした!

 

↓ニュージェネランキングはこちらから

igomas.hatenablog.com

 

ドラマ『エコー』プチ感想

 先日、ディズニープラスにて、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)最新作、ドラマ『エコー』が配信されました。
 ドラマ『ホークアイ』に登場した、エコーことマヤ・ロペスを主人公とした作品で、ニューヨークの犯罪王キングピンとの歪んだ師弟関係を描いた作品となっています。
 以前フェーズ4作品ランキングの記事にも書きましたが、私はこのエコーというキャラは『ホークアイ』において全くもっていらないキャラだと思っていて、正直何の思い入れもないキャラクターでした。エコーを主人公としたドラマを作る、という発表があった時も、特段嬉しくはなかったですし、あまり期待もしていませんでした。
 が、見てみると期待していなかった割にはそこそこ悪くないドラマに仕上がっていました。まぁ、「そこそこ悪くない」程度であり、決して手放しで褒められるような作品ではなかったのですが、それにしても期待よりかは良いドラマでした。
 そこで、賛否両論の火種となっているとある問題だけピックアップして、記事にしたためてみようという次第です。
 当然本作やドラマ『ホークアイ』のネタバレを含みますし、コンパクトさを重視したため、本作を見ていないとちょっと分かりづらい部分も多いかと思います。未視聴の方は、今すぐディズニープラスにgo!

 

 

 本作は、一般的な評価でいえば、賛否両論、その中でも少し否寄りといったところでしょうか。本作で不評を買ったのは、主人公マヤ・ロペスが、先祖から伝わる不思議なパワーを発現する、というくだりです。
 本作は、マヤ・ロペスとニューヨークの犯罪王キングピンの戦いを描いたものですが、ニューヨークはまったくと言っていいほど出てきません。その舞台の9割以上が、マヤ・ロペスの故郷であるオクラホマでした。
 幼少期に母を亡くし、祖母にオクラホマから追い出されて以来、ニューヨークで暮らしていたマヤ・ロペス。犯罪王キングピンのもとで修行を積んでいましたが、父がキングピンに殺されたことで決裂。負傷したマヤ・ロペスは久方ぶりに故郷のオクラホマへと帰ってきます。
 マヤ・ロペスはチョクトー族のルーツを持ち、オクラホマに帰ると祖先との繋がりが生まれます。最初に地球に生まれた遠い遠い祖先、西暦1200年の祖先、1800年代後半の祖先、と順に、祖先と繋がります。最終的には、その先祖たちのパワーを引き継いだマヤ・ロペスが、キングピンを倒すという展開です。
 エコーは、原作コミックではそのような「先祖とのルーツ」が押し出されるような作品ではなく、またマヤ・ロペスの能力も、祖先のルーツを辿ってパワーを得るといったものではありません。そのため、「余計なことをしている」「そんなのが見たいんじゃない」と批判されているわけです。
 まぁ、この批判も分からないではないのですが(そもそも私はエコーを主人公にしたこのドラマの存在自体「そんなのが見たいんじゃない」状態なのですが)、ただ、このドラマに限っていえば、祖先のルーツを辿るという展開はむしろ正解だったとさえ思えるのです。


 話は変わりますが、親の愛、というのはとても重要です。幼少期に親の愛を受けて育ったかということは、その人物の人生においてとても重要なファクターであり、親の愛を受けなかった人間は、親の愛を受けた人間を一生恨み続ける、ということはよくあります。
 マヤ・ロペスは、幼少期に母を亡くし、祖母に家を追い出され父と2人に。大人になってからその父も失い、命を奪ったのは師匠であるキングピン。家族もいない、友人もいない、自分にあるのはキングピンから教わった暴力だけ。
 無論、マヤ・ロペスは決して親の愛を受けていなかったわけではありません。幼少期には母から愛され、ニューヨークに来てからも、ずっと父親の愛のもとで暮らしていました。ただ、もう頼れる人が誰もいないという無力感によって、幼少期に祖母に家を追い出されたという思い出と相まって、マヤ・ロペスは自分自身が「親に愛されてこなかった」と思うに至ったのでしょう。
 たとえ親の愛を受けなかったとしても、そのことだけでその人の人生が決定されるわけではありません。人はいつだって変われるし、いつだって成長することができます。大きくなってもそのことに気づかず、周りを忌避していたのはマヤ自身であり、マヤにも少なからず原因はあったのですが、そのことにマヤ自身は気付けずにいました。
 いや、ほんとマヤ、ヤバい奴だなと思いながらずっと見てました。基本的に考え方が「暴力、暴力、暴力」ですし、幼少期からキングピンと一緒になってアイスクリーム屋のおじさんを蹴る始末。誰に対しても不貞腐れた表情で当たりが強く、周りを危険に巻き込むことも厭わない。中盤までほんと、ヘイトしかたまらないレベルのキャラでした。言うならば、「ただ体が大きいだけの子供」状態。
 マヤは久方ぶりに故郷に帰り、故郷の人々と交流を深めますが、心の溝は埋まりません。マヤ・ロペスが真に欲していたのは、結局のところ、「親の愛」でした。ここに来てようやく「祖先のルーツ」という設定が活きるわけです。
 祖先のルーツを辿れるということは、つまり、親にも会えるのです。本作において、マヤにとって最も重要だったのは、他ならぬ「母親に会う」ことだったのです。本作はいうなれば、「母親に会う」物語であり、祖先のルーツを遡れる、というのはあくまで、「母親に会う」ためのオマケにすぎません。「母親に会う」という展開をできるだけ読ませず、視聴者に対し、チョクトー族の不思議なパワーというところで考察させるための、いわば目くらましだったのです。
 亡くなった母に会い、最後に親の愛を感じ、祖先のルーツを辿る衣装(母との繋がりを持てる衣装)を身にまとう、それがなにより、マヤの心を癒すセラピーだったのです。


 母の愛を受けたマヤは、自分を見つめ直します。マヤに暴力の世界を教え、マヤを犯罪の道具としか思っていない"自称父"たるキングピンに「あんたは父親じゃない」と言い、祖母や、友人こそが愛すべき家族なのだと気づくのです。
 キングピンが去った後、マヤはかつては強く当たっていた祖母や友人と、今度は当たることなく、仲良く過ごすのでした。かくしてマヤは、「大きな子供」から、「ちょっぴり成長した大きな子供」になるのでした、というお話。
 本作は、エコーが自称父であるキングピンの呪縛から逃れるというお話であり、だからこそ、自分の本当の家族を見つける物語として、然るべき展開だったと思います。なにも無理にニューヨークを出す必要はないのです。
 また、こうして見てみると、親の愛を一身に受け、愛してると言いながら母親を逮捕したケイトビショップと、本作は綺麗な対比構造になっているのが伺えます。本作を見た後再度ドラマ『ホークアイ』を見返しましたが、あらためて、ケイトビショップ良いキャラだなぁと思いましたね。
 ドラマ『ホークアイ』の続編であるということも含めて、本作の物語の構造自体は、なるべくしてなったものではないかなと感じました。


 そんなわけで、ドラマ『エコー』プチ感想でした。まぁ、スパイダーマンやロキといった、ヒーロー然としたキャラが出てきたMCUにおいて、今更「大きな子供」から「ちょっぴり成長した大きな子供」になった話を出されても、あまり乗れませんし、中盤までとにかくヘイトを集めてたマヤを特段好きになることもできず、キングピンも役不足……本作の評価は決して高いものではありません。
 しかし、監督や製作陣のやりたいことは、一応しっかりできていますし、誰かの人生の助けにはきっとなるであろう、そんなに悪くはない、ドラマ『エコー』でした。

 それでは、また次の記事でお会いしましょう、igomasでした!

 

↓ドラマホークアイを含めた、MCUフェーズ4ランキングはこちらから

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MCUマルチバース解説Ver.1.0

 皆さんこんにちは!igomasです。

 ロキシーズン2、ザ・マーベルズが公開され、更なる盛り上がりを見せるマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)。フェーズ4以降、マルチバースの概念が導入され、様々な宇宙のお話が展開されています。本日は、そんなマルチバースについて解説・考察していきます。どんな人でも、これだけ読めば全部わかる、そういう記事にしたつもりです。

 なお、今後MCU作品が新たに公開されていくたび、本記事はブラッシュアップされていくかと思われます。そのため、まずはVer.1.0としてお送りしたいと思います。

 それでは、さっそくはじめていきましょう!!

 

注) 本記事には、MCU作品のうち、『ロキシーズン2』までの作品についてのネタバレを含みます。また、映画スパイダーバースシリーズについてのネタバレも含みます。ご注意ください。

 

 

序章:マルチバースサーガとは

 まず、MCUというものについての大枠をザクッと纏めておきたいと思います。基本的なことはもう分かっているよ、という方は、第1章まで飛ばして大丈夫です。

・マーベル(MARVEL)とは

 MARVELとは、海外の漫画出版社、マーベルコミックスのことです。マーベルコミックスは、アイアンマン、スパイダーマンキャプテンアメリカ等のヒーローを主人公としたコミックを出版しています。日本でいう、週刊少年ジャンプを想像して貰えれば分かりやすいでしょう。ジャンプは、ワンピースやナルトなど、様々な主人公の漫画を出版していますよね。それと同じく、アイアンマンが主役のコミック、スパイダーマンが主役のコミック、などなど色々な作品を出版しているというわけです。

 MARVELがジャンプと異なるのは、それぞれのコミックが同じ世界観の中で起こっているということです。たとえば、ワンピースの舞台とナルトの舞台が同じ地球上にあって、ルフィとナルトが街でばったり会う、なんてことはないわけですよね。しかし、MARVELではそれが起こりえます。MARVELでは、我々の生きているこの地球とほぼ同じ地球が舞台になっています。スパイダーマンがニューヨークの街で敵と戦っている最中、ばったりアイアンマンと遭遇して助けてもらう、なんてこともあるわけです。

 我々の生きているこの地球とほぼ同じ地球、と言ったように、MARVEL世界では、我々の地球とほぼ同じ事象が起きています。スパイダーマンオバマ大統領と共演していますし、9.11同時多発テロの際にはヒーローが市民の救助にあたりました。キャプテンアメリカ第二次世界大戦の頃出版されたコミックのヒーローですが、実際コミック内で日本兵やドイツ兵と戦っています。だいたいのイメージは掴めたでしょうか。

 なお、スーパーマンバットマンといったヒーローは、MARVELではなく、DCというコミック出版社が出しているキャラクターです。ジャンプにコナンが登場しないのと同じように、MARVELにスーパーマンが登場することは基本ありません。

MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)とは

 MCUとは、そんなMARVELの出版するコミックを、実写映画化した作品群です。具体的には、2008年に公開された『アイアンマン』を第1作目として、2023年現在まで続く作品シリーズです。MCUの特徴として、コミックの世界観をそのまま映画化している、という点が挙げられます。つまり、色んなヒーローを主人公とした映画があって、そのすべてが同じ世界観の中で起こっているということです。

 たとえば、アイアンマンが主人公の『アイアンマン』、キャプテンアメリカが主人公の『キャプテンアメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』、スパイダーマンが主人公の『スパイダーマン:ホームカミング』など様々な作品があって、その世界観はすべて同じということです。実際、『スパイダーマン:ホームカミング』には、アイアンマンやキャプテンアメリカがひょっこり登場します。

 なお、MARVELのコミックを実写映画化した作品は、なにもMCUに限られません。X-MENシリーズや、ファンタスティック・フォーなど、MCUとは別の作品シリーズです。

 ポイントはひとつだけ。MCUは、同じ世界観の中で起こっている』ということです。

 MCUX-MENシリーズの関係は、いわばワンピースとナルトの関係だと思ってください。まったく別の世界のお話なので、たとえばX-MENのキャラ、ウルヴァリンなどがアイアンマンに出たり、アイアンマンがX-MENの映画に出たりということはありません。X-MENの世界で地球が滅んでも、MCUの世界の地球が滅ぶことはありません。まったく別の世界観のお話なのですから。

 ちなみに、スパイダーマンは映画が3,4種類くらいあります。すべてスパイダーマンというコミックを実写化した作品ですが、MCUの世界観の中で起こっているのは、MCUスパイダーマンのお話だけということになります。ややこしい~

・フェーズとは

 MCUは、あまりに作品数が多いので、作品群ごとに一定の区切りが設けられています。

 2008年公開の『アイアンマン』から2012年公開の『アベンジャーズ』までの6作品を、フェーズ1と呼びます。その後、2013年の『アイアンマン2』から2015年の『アントマン』までがフェーズ2、2016年の『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』から2019年の『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』までがフェーズ3、2021年の『ワンダヴィジョン』から2022年の『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』までがフェーズ4。現在はフェーズ5となります。

 いくつかの作品をまとめた区切りがあるんだな~、くらいに思って貰えれば十分です。

マルチバースサーガとは

 フェーズ1からフェーズ3までが、インフィニティサーガ。フェーズ4からフェーズ6までがマルチバースサーガと呼ばれています。

 インフィニティサーガとは、6つの強力な石、インフィニティストーンを巡るお話で、最終的には6つの石すべてを集め、宇宙の生命の半分を消滅させようとするサノスと、アベンジャーズの死闘が描かれました。本記事では、ほぼこのインフィニティサーガの話は出てきません。ぜーんぶ忘れてオッケーです。

 さて、ようやくマルチバースサーガのお話です。

 マルチバースサーガとは、別々の世界観をもった世界が衝突する、というお話です。つまり、上で言った『MCUは、すべて同じ世界観の中で起こっている』という前提が崩れます。以下、詳しく解説しますね。

 読者のあなたの人生には、これまでも、そしてこれからも、様々な選択がついてきます。もしあなたが別の高校に通っていたら、もしあなたが教師になることを選んでいたら、もしあなたが別の人と結婚していたら。人生においてもし、別の選択をしていたら、そんな『もしもの世界』『可能性の世界』を、パラレルワールドと呼びます。マルチバースは、この、パラレルワールドのことだと思ってください。

 もしもアイアンマンが誕生していなかったら、もしも悪者なサノスがいいやつになったら。ドクターストレンジが闇の魔術に魅了されてしまったら、可能性の世界は無限に広がります。

 そして、想像を膨らませてください。もしもアイアンマンが存在せず、代わりに地球を守るヒーローとして、X-MENが存在する世界だったら……そう、そんな世界がもうあるじゃないですか。MCUとはこれまで世界観を共有してこなかった、もしもの世界、X-MENの映画シリーズが。

 想像してください。もしもMCUとはまったく別の、スパイダーマンが存在する世界だったら……あるじゃないですか、他のスパイダーマン作品が。

 このように、これまでMCUと世界観を共有してこなかったありとあらゆる実写映画を、MCUとは異なる世界、可能性の世界、パラレルワールドとして位置づけたのが、マルチバースサーガなのです。

 さらに、もっと想像を膨らませてみてください。そもそもその世界が3次元の『実写』世界じゃなくて、2次元の『コミック』の世界だったら?『アニメ』『ゲーム』の世界だったら?こう考えていくと、原作コミックやアニメ、ゲームですら、可能性の世界、マルチバースとして数えられてしまうのです。

 そして、もう一つ大事なことがあります。それぞれの世界で、必ずしも時代が同じわけではないということです。想像してみてください、もしも地球が誕生するのがもっと早かったら? その宇宙では、人間が早くに誕生し、早くに進化を遂げ、今は2099年かもしれません。他の地球は、今より未来の地球かもしれないのです。

 地球が誕生するかどうか、それもまた”選択”のひとつなのです。選択の数だけ無数に世界がある。そう考えていただければと思います。宇宙によって時間の流れが違う、というのは、今後の話を理解する上でかなり重要ですので、覚えておいてくださいね。

・アースとは

 マルチバースサーガでは、様々な世界観をもった宇宙が登場します。あまりにもたくさん宇宙が出てくるものですから、ややこしくて仕方がありません。

 そこで、それぞれの宇宙ごとに、通し番号というのがあります。それがアース番号です。MCUでこれまで語られてきた世界は、アース616と呼ばれています。他に、『ドクターストレンジ:マルチバースオブマッドネス』で出てきた宇宙は、アース838です。

 MCUスパイダーマン、トムホランドが演じているあのスパイダーマンは、アース616のスパイダーマンと呼ぶわけです。

・インフィニティサーガは忘れてください

 インフィニティサーガでも、別世界のようなものが出てきました。ドクターストレンジに登場したミラーディメンションやダークディメンション、アントマンに登場した量子世界などです。

 しかしこれらは、マルチバースではありません。すべて同じ世界観(アース616)の中にある場所です。混乱しないようにしましょう。

 まとめると、インフィニティサーガまでに登場した『別世界っぽいもの』は全部マルチバースではありません。忘れてください。

・変異体(ヴァリアント)とは

 マルチバースに存在する、同一人物のことです。今この記事を読んでいるあなたにとって、もしも教師になった世界のあなたは変異体ということになります。同様に、アース616のスパイダーマン(役者:トムホランド)にとって、それ以外の実写映画化のスパイダーマン(役者:トビーマグワイア、アンドリューガーフィールド)は、変異体ということになります。

・序章のまとめに代えて

 マルチバース(多元宇宙)とは、ユニバース(単一宇宙)の対義語です。

 マーベル・シネマティック・ユニバースMCUは、これまで世界観を共有したただひとつの世界でした。しかしこれからは、世界観を共有していない、別の宇宙が絡んでくるのです。それが、マルチバースサーガなのです。

 

第1章マルチバースの誕生(ロキシーズン2)

 マルチバースがいかにして誕生したのか、ロキシーズン2最終話を紐解きながら、考察していきたいと思います。この章は、かなりロキシーズン2を好意的に解釈したものになります。今後のMCUの作品次第では、記事に変更が入るかもしれませんが、今のところかなり納得感のある考察なのではないかと思います。

・在り続ける者(He Who Remains)とアライオス

 昔々、宇宙は単一宇宙ではなく、多次元宇宙でした。それぞれの宇宙は、別の宇宙があるなどつゆ知らず、それぞれ独自に暮らしていました。いわば、交わることのない平行な世界が複数ある、そんなイメージ。

 アース616にて、31世紀。ある男が、マルチバースの存在に気付き、マルチバース間を移動する装置を発明しました。後の在り続ける者、He Who Remainsです。それとまったく同じ時期、複数のアースの彼の変異体が、マルチバースの存在に気付き、同様の装置を作りました。ちなみに、先程も言ったように、マルチバースによって時間の流れは異なります。ですから、『同じ時期』の別の宇宙が、どれも31世紀とは限りません。ともかく、同じ時期に、彼らは交流を開始したのです。

 最初は友好的に接していた彼ら。それぞれの宇宙の知識や技術を共有し合い、協力していました。しかし、彼らの中には邪悪な心を持ったものが大勢いました。邪悪な変異体らは、新たに見つけた宇宙を自ら征服しようとしはじめたのです。

 邪悪な変異体が、積極的にあらゆる宇宙に攻め込んだのは言うまでもありません。しかしそれだけでなく、友好的な変異体すらも、自らの宇宙を守るため、防衛のために仕方なく、他の宇宙を消し去ることだってあったでしょう。そうなれば、友好的な変異体も邪悪な変異体も関係ありません。宇宙間の全面戦争が勃発しました。

 選択の数だけ宇宙がある。可能性の宇宙、マルチバースは無限に広がり続ける、と言いました。しかし、彼ら変異体の脅威はその増え続けるマルチバースをも上回っていました。マルチバースの数だけ彼らの変異体がいる。つまり、新しいマルチバースが生まれてもすぐ、彼ら自身の手によって、その宇宙は終わりを告げるのです。

 彼ら変異体により、新たな宇宙が増えるスピードより、減るスピードの方が格段に速くなっていきます。こうして、全てが破壊されそうになったのです。

 彼らこそが、後のマルチバースサーガのラスボス、征服者カーンです。

 その頃には、それぞれの宇宙が、カーンの作った装置によって結びつき、無数のマルチバースが、まるでもつれあった糸のように、ぐちゃぐちゃに絡み合っていました。もはやこれをほどいて元に戻すのは不可能にも思えました。

 さて、カーンの最初の変異体、在り続ける者(He Who Remains)は、ある生き物と遭遇しました。時空を食い尽くす怪物、アライオスです。在り続ける者はアライオスを操り、すべてのマルチバースを喰らい尽くし、その宇宙が初めからなかったことにします。残ったのは綺麗な一本の糸、アース616でした。こうして、多元宇宙間の戦争は終わりを告げるのです。その一本の糸こそが、神聖時間軸であり、マーベル・シネマティック・ユニバースなのです。

・TVA

 在り続ける者はこの戦争で、自らアライオスを使って戦っていただけではありません。あらゆる多元宇宙のメンバーを集め、TVAという軍隊を作り上げていました。共に軍を指揮していたのは、ラヴォーナ・レンスレイヤーでした。在り続ける者はTVAの職員に、アライオスの欠片を小型デバイスに閉じ込め、TVA職員に武器として配っていました。これが、砂時計のような小型デバイス、リセットチャージです。これを別の次元に配置すると、爆弾のようにその次元を喰らい尽くしてくれます。また、TVAに与えられていたもう一つの武器が、剪定棒、タイムスティックです。この棒により剪定されると、アライオスのいる虚無空間に送られ、あとはアライオスが食べてくれるという算段です。

 TVAの職員は、タイムドアを通って、時間軸のあらゆるポイントに現れ、様々な宇宙を滅ぼして回りました。

 また、在り続ける者は、TVAの支援AIとして、ミスミニッツを作成します。在り続ける者はこのAIに意思を与え、自分で自分をアップデートできるようにします。こうしてミスミニッツはどんどん人間味を増していき、最終的には在り続ける者に恋心を抱くのでした。

 かくして在り続ける者はアライオスとTVAを用い、戦争に勝利します。戦争終結の直前、在り続ける者はプロトコル42を発動。TVAの全職員の記憶を消し、自らは時間と隔絶された場所、時の終わりの城にて、誰にも知られることなく、一人で暮らすこととなります。彼にはまだ大仕事が残っていました。

 多元宇宙をすべて喰らい尽くせば、それでもう安全というわけではありません。選択の数だけ、可能性の数だけマルチバースは生み出される。新たな選択により、アース616から新たなマルチバースが生まれるのです。まるで枝のように伸びるそれは、放っておくとそのうちまた絡み合い、各宇宙で再びカーンが生まれ、全面戦争に突入です。だから、その枝を、剪定する必要があるのです。

 そこで、記憶を消されたTVAは、新たな役割を担うことになります。アース616に生きる者の新たな選択により、新たな分岐が発生することを止めるのです。リセットチャージと剪定棒を手に、分岐を剪定していくのです。

 何を神聖時間軸(アース616)として、守り続けていくのか。その選択はすべて、在り続ける者の手にかかっています。在り続ける者は、自分の存在が知られ、時の終わりの城に何者かが乗り込んで来て殺され、守るべき神聖時間軸を定める者がいなくなり、再び全面戦争がはじまることを恐れたのかもしれません。あるいは、自らの保身のためだったのかもしれません。ともかく、何か理由があって、在り続ける者はTVA職員の記憶を消したのだと思います。以降TVA職員には、タイムキーパーという名のロボットを通じて、命令を下していきます。

 なお、TVA職員は記憶が消される前の自分のことは何も覚えていません。ですから、TVA職員は、自分たちがはじめからTVA職員として生み出された存在だと思い込んでいます。そして、タイムキーパーを神と崇め、その指示通りに動いているのです。

 ミスミニッツだけは記憶が消されることなく、在り続ける者と共にTVAを陰ながら運営していました。そうしてどんどん恋がつのっていったようです。

・TVAの時間の流れ

 TVAの時間の流れは、現実世界の時間の流れとはまったく異なります。たとえばあなたが全11話の連続ドラマのDVDを買ったとしましょう。その連続ドラマは回想シーンなどが一切無い、時系列順で進んでいくドラマだと思ってください。あなたはそのドラマのDVDを、再生したり巻き戻したりして、どのシーンもいつでも見ることができます。

 ドラマの中では、第1話から第11話になるにつれ、時間が過ぎていきます。しかしリモコンを握るあなたは、どの話数を見ても良い。10月1日に第11話を見て、10月2日に第5話を見たとしても、ドラマの話数とは関係なく、10月1日の方が過去です。

 全11話のドラマの時間の流れ方が、MCUでいうアース616の時間の流れ、ドラマを見ているあなたの時間の流れが、TVAの時間の流れだと思ってください。

アース616の中では、紀元前1000万年が過去、31世紀が未来です。しかし、TVA職員が、10月1日に31世紀の分岐を剪定し、10月2日に紀元前1000万年の分岐を剪定したとしても、アース616の年代とは関係なく、10月1日の方が過去です。

 これ以降、前者をMCU時間、後者をTVA時間と呼び統一することにします。TVAの時間の流れの考え方は、今後に向けてここで抑えておいてくださいね。

メビウスとラヴォーナ

 TVAのハンターとして働いていたメビウスとラヴォーナ。ある日、変異体を剪定するため現場に向かったメビウスは、無邪気に遊ぶ8歳の少年を殺すことを躊躇し、剪定をとどまります。時間軸が分岐し変異体が増殖、ハンターが2人死亡します。

 最終的に変異体を代わりに剪定したのは、メビウスの同僚、ラヴォーナでした。ラヴォー名は大出世して判事になり、メビウスは捜査官になります。メビウスはこの剪定という重荷を背負うことを、心に決めるのでした。

アベンジャーズエンドゲーム

 さて、時が経ち(TVA時間)、新たな分岐が発生します。それは、アベンジャーズエンドゲームのお話でのこと。

アベンジャーズエンドゲームでは、サノスに消された宇宙の半分の生命を取り戻すため、アベンジャーズがタイム泥棒作戦により様々な時代に赴き、インフィニティストーンを集め始めます。

 2012年、『アベンジャーズ』のニューヨーク決戦にて、スペースストーンの入った立方体のテッセラクト、マインドストーンの入ったロキのセプター、このふたつを手に入れようとするアベンジャーズ。しかし階段を降りるハルクの妨害により、アイアンマンがテッセラクトを落としてしまい、回収できなくなる。ここまでは神聖時間軸で予定されていました。

 しかし、そのテッセラクトを使ってロキが逃げることは、予定されていませんでした。ロキは新たな分岐を発生させたとして、TVAに捕まる事になってしまうのです。

ロキシーズン1

 在り続ける者は、長きにわたり神聖時間軸の管理をしてきましたが、彼もかなりの老体。時間の管理をし続けることに疲れてきます。そこで、自身の後釜として分岐を剪定し、神聖時間軸を守り続けてくれる人物を探します。

 選ばれたのは2人。エンドゲームの一件で逃げ出したロキ(変異体L1130)と、女性版ロキことシルヴィでした。シーズン1で、ロキはTVA職員のメビウスと協力し、シルヴィの事件を追い、その中でシルヴィに恋心を抱きます。そして、TVAのタイムキーパーがただのロボットであることを看破した2人は、剪定棒によって虚無へと向かい、他のロキ変異体の助けを借りつつ、アライオスを沈め、時の終わりの塔へたどり着きます。そこで、在り続ける者と初対峙するのでした。

 在り続ける者にとっては、彼らのうち、どちらが欠けても駄目でした。2人揃ってこそ、任せられたのです。実際、シルヴィはTVAを深く研究し、TVA壊滅の糸口を掴みましたが、それを実行に移せたのはロキがいたからです。また、シルヴィの生命を操る力がなければアライオスを操ることは出来なかったでしょうが、そのトリガーとなる恋心を抱かせるのはロキにしかできませんでした。そして何より、神聖時間軸を任せるには、個人的なことにとらわれず常に大局を見ることのできるロキが必要でした。

 在り続ける者はこれまでの経緯を2人に聞かせ、神聖時間軸の管理を任せようとします。在り続ける者(カーン)は、簡単に言えば「未来が見える能力」を持っています。時間を自由自在に操ることができる、それがカーンの力です。その力を使って、在り続ける者はこれまで神聖時間軸を決めてきました。しかし、ある「境界線」を越えてからは、その先の未来を見通すことが出来なくなってしまいます。「境界線」を越えたとき、無数の分岐が一挙に発生し始めます。いち早く剪定しなければ再び無数のカーンが生まれ、全面戦争に突入してしまいます。在り続ける者は2人に、自らのタイムパッドを渡すのでした。

 しかしシルヴィは、これまでTVAから逃げ隠れて生き続けなければならなかったその復讐として、在り続ける者を殺害しようとします。これに対しロキは、神聖時間軸の管理を諦めれば、カーンの変異体が解き放たれ全面戦争に突入し、宇宙が消滅することを恐れます。二人は対立し、戦闘に。シルヴィは在り続ける者のタイムドアを使ってロキをTVAに送り返した後、在り続ける者を刃で殺害。在り続ける者は「近いうちに会おう」と言い残し、まるで死ぬことが大したことではないかのように振る舞い、死んでゆくのでした。

 時間軸は無数の分岐を繰り返し、もはや収集のつかない状態になるのでした。

・ワンダ&ヴィジョン最終話

 これまでは、神聖時間軸という、在り続ける者がしいたレールの上でしか、人は行動することが出来ませんでした。無数の選択によって「もしもの世界」「可能性の世界」が生まれることはなかったのです。選択をすること、つまり「自由意志」が認められていなかったのです。

 境界線を越えた後、無数の分岐が発生しました。自由意志が発生したのです。では、この「境界線」を越えた後、最初に自由意志を発現したのは誰だったのでしょうか。

 それは、ワンダ&ヴィジョン最終話のワンダと考えられています。ワンダは最終話にて、アガサハークネスと魔女対決をします。アガサハークネスは、他の人の魔力を吸収する力を持っており、ワンダはその力のすべてを吸い取られそうになります。

 しかしワンダは逆転。ルーン文字を用いてアガサハークネスの魔術を封じ、逆にアガサハークネスの魔力を全て吸収してしまいます。そしてワンダはついに、スカーレットウィッチとして覚醒するのでした。

 この、ワンダがスカーレットウィッチになった瞬間、天気は晴れなのに、雷の音が鳴っていることに気付いたでしょうか。そしてこの雷の音は、ロキシーズン1で「境界線」を越えたシーンでも鳴っているのです。

 「あなたはとんでもないことをした」「あなたは何を解き放ったのかわかってない」アガサハークネスの反応からは、本来起こってはならないことが起きた、そんな恐怖感がうかがえます。ワンダが、境界線を越えた直後、最初に自由意志を発現した人物なのかもしれません。いやむしろ、ワンダこそが、この「境界線」を破り無数の分岐を生み出し、混沌をまねく原因となった人物なのかもしれません。だからこそ、ワンダ&ヴィジョンが、マルチバースサーガの最初の作品になっているのかも、しれませんね。

・在り続ける者と時間織り機

 ロキシーズン1の最後で、在り続ける者は、シルヴィに刺されて死にました。もちろん、これで終わるわけはありません。彼は、自分が生き残るための計画を既に立てていました。その鍵となるのが、TVAの中枢を担う巨大な装置、その名も「時間織り機」です。

 時間織り機は、分岐して無数に広がったマルチバースの糸をたぐり寄せ、編み上げ、一本の糸にして安定させる装置です。表向きの役割は、あらゆるマルチバースの調和を保ち、平穏を守る、そんな装置でした。しかし実際の役割はその真逆。時間織り機は、実は神聖時間軸を守るためのただの安全装置でした。

 無限に増え続けるマルチバースの糸は、いずれ織り機では処理できないほど膨大な量に増えます。そうなると織り機は過負荷状態になり、強制的に神聖時間軸以外の時間軸を消し去る「フェイルセーフ・モード」へと移行するのです。

 簡単に言えば、時間織り機は、マルチバースが増えたことを感知して、マルチバースを一斉消去するための巨大爆弾だったのです。

 残念ながら、この織り機の爆発を止めることはできません。たとえロキシーズン2第4話のように、織り機の処理速度を上げようとしても、マルチバースの無限に増える速度にはかないません。どうあがいても、織り機は過負荷状態になり、過負荷状態を検知すれば、織り機は爆発します。マルチバースが解放された時点で、神聖時間軸以外の時間が消し飛ぶことが決まっているのです。ちなみに、このフェイルセーフ・モードは神聖時間軸(アース616)以外の空間はすべて神聖時間軸の脅威と見なし、強制的に消し去ります。ですから、アース616を外部から管理するTVAもその例に漏れず、消去されることになります。在り続ける者は、自らが作ったTVAすらも犠牲にして、神聖時間軸を守る装置を作ったわけです。

 時間織り機は、様々なマルチバースのうち、神聖時間軸(アース616)を主軸として編み上げています。時間織り機は、常に神聖時間軸を固定し、他のマルチバースから守り続けていたのです。時間織り機がなくなれば、いずれマルチバースの糸同士が衝突して、先述のマルチバース戦争が起こり、アース616が消えてしまいかねないのです。

 在り続ける者は、ロキにこの時間織り機の重要性を分かってもらい、ロキが自らの意思で、在り続ける者に代わって神聖時間軸の守護者になることを望んでいました。だからあえて自分が殺されて、その後の世界をロキに見せたのです。

 在り続ける者の作戦はこうです。①ロキに時間移動の力を与える。②自分が死んだ後の世界を見せ、織り機の重要性をロキに理解してもらうとともに、在り続ける者を殺したのは失敗だったと悟らせる。③ロキが時間移動の力を使って、在り続ける者が殺されるのを阻止しに過去にやってくる。④自分は生き残って神聖時間軸も守られる。

 特に②は作戦の根幹です。織り機の重要性をロキに理解してもらうためには、「織り機の処理速度を上げても織り機は爆発する」ことを実演して、ロキに「結局他の時間軸を剪定する他ない」と絶望させなければなりません。つまり、織り機の処理速度を上げられるだけの技術者が必要になります。

 ロキシーズン2は、この在り続ける者の作戦にそって物語が進んでいます。さっそく第1話から振り返ってみましょう。

・1度目の時間移動

 第1話は、作戦の①、在り続ける者がロキに時間移動の力を与えるための計画です。

 在り続ける者のタイムパッドを使ってシルヴィが作ったタイムドアを通って、ロキはTVAにもどされます。そして、そこがTVA時間でいう”過去”のTVAであることに気付きます。同時に彼の身には、時間移動(タイムスリップ)現象が起こっていました。

 思うに、在り続ける者が、自分のタイムパッドに細工して、”過去”のTVAにロキが移動するように仕掛けていたのでしょう。そしてロキが過去に移動すれば、タイムスリップ現象が起こるということまで計算ずくだったのでしょう。

 ロキはメビウスを頼り、TVAの機械系を管理する、O.B.(ウロボロス)を尋ねます。ウロボロスは「TVAでは時間移動は不可能」と言います。時間の概念の外にあるTVAで、普通タムスリップは起こりません。ここでいう「時間」とは、MCU時間のことを表します。先程の「ドラマとリモコン」の例えで説明してみましょう。たとえば皆さんがテレビドラマを見ているとき、バックトゥーザフューチャーのように、ドラマの中のキャラがタイムスリップをすることがありますよね。でも、だからといってそれを見ている我々が、現実世界でタイムスリップをすることは不可能ですよね? 同様に、TVAはMCU時間を外部からコントロールすることはできるけれど、TVA時間の中でタイムスリップをすることはできないのです。

 しかし、現実にロキは時間移動を繰り返しています。解決策としてO.B.が提案したのは、ロキが自分を剪定して、一度時間と空間の糸から自分を引き剥がした後、メビウスが時間織り機にセットした時間オーラ抽出機を使って、(TVA時間の)”今”にロキを引っ張ってくるというもの。メビウスは皮膚が剥がれそうになり、ロキはスパゲッティ化の危険がありましたが、2人とも無事作戦を成功させ、ロキの時間移動は元に戻ります。

 この時点で既にロキは時間と空間の糸から引き剥がされた特異な存在になっていたのだろうと思います。だから、ロキは後に2度目の時間移動をすることができたのでしょう。

・ビクタータイムリ

 在り続ける者の作戦の②を実行するためには、織り機の処理速度を上げるための技師が必要でした。そこで在り続ける者がウロボロスと合わせて用意したのが、カーンの変異体の一人、ビクタータイムリーでした。

 ここで、公式からあがっているひとつのショート動画を見ていただきたいと思います。

Marvel Studios’ Loki Season 2 | Butterfly Effect - YouTube

 簡単に言えば、ちょっとの分岐イベントを加えるだけで、蝶が怪獣に進化してしまうほど歴史に影響が出る、という動画です。わずかな変化を加えるだけで、その先の世界がまったく別の世界になってしまうという、バタフライ効果の説明ですね。重要なのは、分岐イベントによって、「蝶が怪獣になった」ということです。

 在り続ける者はこの現象を応用したのです。つまり、適切な時間に、適切な分岐イベントを生じさせることで、「カーンでない者がカーンになる」のです。彼は、神聖時間軸の1868年にいたビクタータイムリーという青年を、「窓からTVAガイドブックを投げ入れる」というごく簡単な分岐イベントによって、カーンの変異体へと変化させたのです。

 こういうカーンの増やし方もあるのか、とかなり驚かされたシーンでしたね。

 さて、紆余曲折あって無事ビクタータイムリーを仲間に引き入れたロキたちは、ビクタータイムリーとウロボロスを協力させ、時間織り機の処理速度を上げてもらいます。

・2度目の時間移動

 しかし、ビクタータイムリーとウロボロスが処理機倍増装置を作ったときには、時既に遅し。織り機が過負荷状態になり、爆発してしまいます。TVAは消滅しますが、1度目の時間移動で時間と空間の糸から引き剥がされたロキだけは消滅せず、再び時間移動の力を手にします。

 ロキはなんとか時間移動を制御して、時間織り機の爆発をなかったことにできないか、と考えます。ロキは別アースの、在り続ける者によってTVAに引き抜かれる以前のウロボロスに出会い、彼からヒントを得ます。簡単にいえば、織り機が爆発したときにいたメンバーをダウジングマシン代わりにして、ロキが時間移動することで、織り機爆発の時点にピンポイントで移動することができるのではないか、という作戦です。

 ロキはあらゆるアースを駆け巡り、在り続ける者に引き抜かれる前のTVA職員たちを探し回ります。織り機爆発によってあらゆるアースは消滅中なので、残された時間はほとんどありません。すべてのアースが消滅し、すべての変異体である元TVA職員たちが消滅しかける最後の瞬間、ロキはシルヴィから言われた言葉を思い出します。ロキが本当に守りたいのは宇宙ではなく、TVAの仲間達との思い出だったのです。ロキは仲間のことを思い、ついに時間移動の制御に成功します。

・ロキの過去移動

 時間移動の力を制御したロキは、織り機の処理速度を上げる作戦を成功させようと尽力します。何世紀にもわたる時間移動の努力の結果、織り機の処理速度を上げる作戦は成功します。しかし、先述の通り、織り機の処理速度を上げたところで、織り機の過負荷状態は避けられず、結局織り機は爆発してしまいます。

 ロキは絶望し、在り続ける者の作戦通り、在り続ける者の死の直前まで、タイムスリップすることになるのでした。そうしてロキは、在り続ける者のしいた道を歩かされただけだったと気付きます。

 在り続ける者を殺し、マルチバースが広がるのを放置すれば、織り機が過負荷状態になり爆発。結局神聖時間軸以外のマルチバースは消滅し、その上ロキの大事な仲間であるTVA職員も消滅してしまいます。

 TVA職員を守るために、在り続ける者を生かし、マルチバースを剪定し続けるか、それとも在り続ける者を殺し、TVAも失い、マルチバースも消滅するか。どちらを選んでもマルチバースは滅びます。それならTVAを救うため、ロキはマルチバースを剪定するしかない。これが、在り続ける者の計画でした。

 ここで、ロキは第3の選択肢を提示します。時間織り機を破壊してはどうかと。たしかに、時間織り機を破壊すれば時間織り機が爆発することはなくなり、TVAは消滅せず、マルチバースも消滅しません。考え得る限り最高の手段にも思えます。

 しかし、時間織り機を壊すというのは、そう簡単な話ではありません。先程言ったように、時間織り機は主軸として神聖時間軸(アース616)を編み上げ、神聖時間軸を常に見張っている、そういう装置です。時間織り機が破壊されれば、神聖時間軸がもはや特定できなくなり、マルチバース間の衝突により消えてしまうおそれがあります。そうなれば、我々が見てきたMCUのあの宇宙、すなわち、アイアンマンから始まり、アベンジャーズが結成され、サノスを打ち倒したあの宇宙そのものの存在が消えてしまいかねないのです。当然、ロキの生まれ故郷たるアスガルドや、兄のソーの存在すら抹消されることになります。

 また、当然ロキシーズン1で言ったように、マルチバースが解放されるということは、無数のカーンが誕生するということです。そして、最悪の場合、マルチバース間戦争が起き、すべての宇宙が滅ぶ可能性があります。時間織り機の爆発は、マルチバースを消滅させるとはいえ、神聖時間軸だけは残る、そういう機能がありました。しかし、マルチバース間戦争が起これば、もはやひとつの宇宙も残らない、もっと酷い事態になりかねないのです。

 ロキは悩み、時間移動を使って、シルヴィやメビウスに助言を求めます。彼らの口から出た言葉はロキには意外な言葉ばかりでしたが、しかしとても納得のいく言葉ばかりでした。「安らぎなんてない。どの重荷を選ぶかだ」「時には破壊することも必要、もし破壊したものよりもっといいものを作り出せるなら」。ロキはついに、時間織り機を破壊し、神聖時間軸の平穏に区切りをつけることを決心します。

ロキシーズン2最終話

 時間移動を完全にものにし、時間織り機の放射線にも耐えるロキ。彼は時間織り機を破壊し、マルチバースを解放します。しかし、解放されたマルチバースの糸は、時間織り機によってまったく編み上げられていない、実に虚弱な状態。糸がほころんで今にも消えてしまいそうになります。

 ロキは、自らの魔力をマルチバースの一本一本の糸に送り込み、マルチバースが消滅するのを防ぎます。そうしてロキは、時空の裂け目から、時の終わりの城へと消えてゆくのでした。

 マルチバースの糸は、実に弱々しく、一度ロキが手を離してしまえば、すぐほころんで消滅してしまいます。だからこそ、ロキはありとあるマルチバースを片時も手放すことなく、魔力を送り続ける人柱とならざるを得ませんでした。

 時の終わりの玉座で、独り寂しくたたずむ彼は、しかしどこか満足げな表情で、マルチバースを守り続けるのでした。その様子はさながら、世界樹ユグドラシルのように、綺麗なものでした。

 こうしてMCUの世界に、ついにマルチバースが誕生したのです。

・ロキのその後の課題

 時間織り機が壊れ、マルチバースの糸が虚弱になった今、ロキが魔力を流し続けなければ、マルチバースは存続することができません。しかし、時間織り機に代わる、何かマルチバースの糸を編み上げる装置が作られたならば、マルチバースの糸は補強され、ロキを解放することができるでしょう。

 シルヴィがマルチバースをたぐり寄せるロキを見て、「チャンスをくれてる」と言います。これはもしかしたら、「時間織り機が壊れ、次の装置が作られるまでの間、ロキが人柱となってマルチバースをつなぎ止め、マルチバース宇宙に自由選択をさせるチャンスをくれてる」という意味なのかもしれません。シルヴィは時間織り機にかわる、新たな装置を作る旅に出るのかもしれません。

 TVAは、これまでマルチバースを消滅させるため、変異体を剪定していましたが、これからはまったく別の仕事が待っています。あらゆるマルチバースを消滅させんとする征服者カーンを、倒す任務です。

 

第2章 To be continued…

 

いったんのまとめに代えて

 さて、アントマン&ワスプ クアントマニアや、ドクターストレンジマルチバースオブマッドネスなどなど、マルチバースのお話はまだまだ語りきれませんが、いったんここでペンを置きたいと思います。ここから先はMCUマルチバース解説Ver.1.1で追記していこうと思います。

 

 ドラマロキについては、全体を通して、かなり辻褄の合う考察になったのではないかと思います。ドラマロキの部分についても、今後情報が解禁され次第、修正が入っていくかもしれません。こういう考察も考えられるんじゃないか、こういう考察を見つけた、などなどコメントしていただけると、有り難いです。

 それでは、また次の記事でお会いしましょう、igomasでした!

 

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ウルトラマンデッカー21~23話感想 スフィア、またスフィア

 皆さんこんにちは、igomasです!ついに最終盤に迫りました、デッカー感想です! 今回は21~23話。スフィア怪獣がわんさか出てきて、メインヴィランであるアガムスの過去も掘り下げられ、いよいよ物語も大詰めといったところでしょうか。

 最終章を目前にしたデッカー、さっそく見ていきましょう!

↓前回のデッカー感想はこちら

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【21話感想】

 スフィアの死骸を用いたプラズマ増殖炉を作る研究所が登場。研究所を止められないことにむしゃくしゃするカナタに対して、政治的なアプローチのため上官に報告するという堅実なアプローチをとり、研究員の一部賛同しながらも、カナタの意見にも賛成するという、リュウモンらしいカットでした。もうだいぶリュウモンのキャラ造形がしっかりしているので、もはやまったくもって嫌味なキャラには見えません(思い返すと、リュウモンが嫌味っぽかったのは第1話だけだったデッカー)。

 研究員のヒヤマさん、死骸のはずのスフィアが暴走して焦ります。どうしてなんだぁ〜と叫ぶシーンはあまりに滑稽、ちょっと露骨すぎる演技で、単純にノイズでした。スペースゴジラか何かのオマージュらしいですけど、だとしても、ね。

 さて、スフィアジオモス登場です。光速をも超えるプラズマ増速炉の力を応用して、未来からスフィアザウルスを呼び寄せます。ガッツセレクトが応戦するも、圧倒的な力でねじ伏せ、防衛隊は大打撃を受け、ナースデッセイ号が沈みます(この船いっつも沈んでるな)。

 ムラホシ隊長主導のもと、スフィアジオモスとスフィアザウルスの討伐作戦が計画されます。基地で怪獣を模した折り紙を用いて作戦を説明しているのですが、この折り紙凄く欲しいです。円谷公式YouTubeチャンネル、折り方解説動画とかあげてくれないかな。
 プラズマナースキャノンの線上に2体の怪獣を誘導する、という作戦も良いですね。ただ強力な光線兵器をぶっ放して終わり、とするのではなく、2体同時に倒すために誘導する、という作戦にすることで、作戦遂行自体にドラマが生まれます。

 さて作戦がはじまり、防衛隊がしっかりと活躍しており、大変好感が持てます。スフィアジオモスは逃してしまいましたが、スフィアザウルスを防衛隊だけの力でしっかり倒している、というのもポイントが高い。

 アガムス登場。地球人がスフィアをバズド星に連れてきたと明かします。そうこうしているうちにスフィアジオモスは、さらにスフィアザウルスを召喚。未来に絶望して変身できないカナタ。

 そこへ、ウルトラマンダイナが登場です。ぐんぐんカットやタイプチェンジの描写、技の打ち方など、かなりしっかりとしたオマージュをしてくれており、さすがは田口監督といったところですね。

 ダイナやリュウモン、副隊長にイチカの戦う姿に心を打たれ、再び立ち上がるカナタ。「何もしないで開ける未来なんてあるか!!」うじうじ悩んでいても仕方ない、今できることを最大限にやる、カナタらしいセリフです。

 ダイナとの共闘、いいですね。さすが大ベテランのダイナとの共闘ということもあり、かなり有利に戦闘を進めています。デッカーはダイナから、ティガとダイナのカードを託され、それを使ってスフィアジオモスに勝利するのでした。

 ダイナは、未来を信じられず一度はデッカーになれなかったカナタに、「未来は誰にもわからない」と告げ去って行きます(ダイナ20話「少年宇宙人」を参照)。さすがにつるの剛士さんの声は使えなかったのか、声は伏せられていましたね。まぁ、つるの剛士さん以外の声で喋られたらそれはそれでかなりげんなりするので、まだ喋らない方が良かったのかな。喋らないことで、背中で語る男感も出ていますし。

 ということで21話でした。ウルトラマンの客演も最近かなり多くなってきて、なんら珍しくなくなってきたからか、ダイナが出てきたくらいではなにも驚かなくなってきた自分がいます。田口監督はちゃんと防衛隊が作戦を立ててしっかり活躍してくれるので、安心感がありますね。

 

【22話感想】

 久しぶりの、辻本監督回。アガムスの過去が明かされます。

 今までのお話では、アガムスによると「地球が宇宙に進出したせいでバズド星は滅んだ」「地球人がスフィアを連れてきた」「あてのない善意というものは、逆に人を傷つける結果になることもある」などなど、色々な情報が提示されていました。

 これが凡作であれば、たとえば「地球は文明を発展させ、他の宇宙の生命体にも自信の技術を供与したいと考え宇宙進出した。地球はその過程でバズド星の文明を急激に発展させた。それで文明を喰らうスフィアの攻撃を受けレリアが死んだ。別にバズド星は地球に文明を急速に進化させられる必要はなかったのにそれをあえてした地球人の責任だおのれ地球人め」みたいなキャラになるんですけれど、アガムスはそれとはひと味違うといいますか、しっかり一捻りあるキャラになっていましたね。

 むしろ真相はその逆で、地球とスフィアの戦いに、バズド星の科学者であったアガムスが自ら参与したことで、スフィアをバズド星に招く結果となってしまった、ということでした。困っている人がいたら、力の限り助けようとする、そんな善性しかないキャラにしては、あり得ないほど救いのない展開です。ウルトラマン、こういうキャラはしっかりいい人生を歩みがちなのに、だいぶ悲惨な人生です。

 アガムスのセリフ、「バズドにスフィアを連れてきた地球人の罪、科学を過信した私の罪、全てを精算するために私はこの時代に来た」というのが滅茶苦茶いいセリフ。バズドにスフィアを連れてきた地球人の罪、って言っているけど、恐らくこれは副次的なものであって、やはりアガムスにとって一番大きいのは「科学を過信した私の罪」ってところなんですよね。

 アガムスの考えとしてはおそらく、スフィアを使って早々に地球を完全に滅ぼしてしまえば、未来で地球人がバズド星に来ることもなく、つまり自分が「スフィアの戦いに身を投じる」という愚かな決断をすることがないだろう、って事なんじゃないですかね。言い換えれば地球人がバズド星にやって来た時点で、どんな世界線でも、自分は地球を助ける選択をするだろうと考えているんじゃないかな。自分に愚かな選択をさせないために地球を滅ぼす、その行為を正当化するために「地球人の罪」って言葉も付け足している、そんなイメージ。

 とまぁ色々と好意的に解釈しましたけど、上記のようなことはやはり、しっかり劇中描写として描かないと視聴者には伝わらないです。それが映像作品というものです。

 それに、そもそもアガムスの行動は「地球と協力してスフィアを倒すぞ→妻が死んだ→スフィアと組んで地球滅ぼすぞ」とあまりに飛躍しすぎています。このあたりも、もう少し描写をしっかり入れなければ、アガムスの魅力には繋がりません。

 また、そもそもアガムスがスフィアを使って過去の地球を滅ぼしたとしても、地球を喰らい尽くしたスフィアが次にバズド星を狙う可能性も十分あるわけで、アガムスの作戦自体、欠陥だらけと言うほかありません。ちょっとそのあたりもアガムスに感情移入しづらく、視聴者を置いてきぼりにしてしまっている点かな、と。

 さて、テレビシリーズでは実に56年ぶりとなるチャンドラーが登場。基本的にペギラに耳つけるだけでできるお手軽怪獣なので、そろそろ出るだろうなとは思っていました。チャンドラー自体、あまり強い怪獣の部類には入らない印象ですが、それなりに活躍していたんじゃないでしょうか。アガムスはもっとチャンドラーが活躍することを望んでいたようですが。後半戦になって、防衛隊だけで怪獣を撃退するケースが増えてきて、新生ガッツセレクトの隊員達の成長が見て取れます。

 さて、アガムスはテラフェイザーに搭乗。デッカーとの戦いが始まります。スフィアとの融合により、どんどんおかしくなっていくアガムス。記憶も微かになっていきます。

 激しい戦いの末、デッカーとテラフェイザーの光線がぶつかり合い、街がひとつ丸ごと地盤沈下して崩壊します。いやいやいや、さすがに破壊の範囲広すぎです。

 似たような描写で、たとえば6話の辻本監督回の地下戦闘があるのですが、あれは地上の街にはそれほど被害を出さず、巨大な地下空洞でだけ戦闘が完結しているからこそ、絶妙なバランスの上で成り立っていた演出です。今回のようにウルトラマンの光線とテラフェイザーの光線がぶつかって街ごと地盤沈下完全崩壊って、さすがにやり過ぎです。

 テラフェイザーが出現してから一瞬で、街丸ごと避難完了とかまずあり得ないですし、そんなの、戦ってる防衛隊も街の人間も全員死ぬじゃないですか。街が崩壊した映像とその後の倒れるカナタとアガムスのカット、全然繋がりません。破壊の規模間違えすぎでしょ。少しくらいリアリティってものを考えて貰いたいものです。

 これだけの被害が出ておきながら、街ひとつなくなったことになんの言及もないあたり、あまり考えなしに大破壊をしてしまったのではないでしょうか。もうちょっと規模を考えてくれよ、と思いましたね。

 辻本監督、所々の特撮の演出自体はかなりいい監督ではあるのですが、こういうのがひとつあるだけで全部帳消しになってしまいます。さすがにやり過ぎなシーンでした。

 アガムスのキャラづけに一捻りあるのはいいなとは思いますが、結構作劇に粗も目立つ、そんな回でした。

 

【23話感想】

 スフィアとの融合により一時的に記憶障害を受けたアガムス。リュウモンはカナタの正体を知り、アガムスとの面会をカナタに任せます。正体を知ったリュウモンが、それを誰かに話すでもなく、カナタ本人に問うでもなく、カナタをただそっと陰ながらサポートする、というのが良いキャラしています。

 その時その時の感情に押し流されることなく、起こっている状況を的確に判断し、自分のなすべき役割をこなす。リュウモンは作品を通してそういうキャラで、23話のこの行動も、実にリュウモンらしいなと思いましたね。じっくりと時間をかけて登場人物の描写に力を入れたデッカーだからこそ、アツくなるシーンです。

 面会では、レリアの死を忘れ、元の温和なアガムスを見ることが出来ます。カナタとアガムスが、腹を割って話すことが出来るという、貴重なシーンではあるのですが、結局の所、22話で触れた、レリアの死→スフィアと組んで地球滅ぼすぞ、の飛躍が説明されることは特になく、アガムスの元々の善性が強調されるだけのシーンで終わってしまいましたね。

 もちろん、このシーン自体は結構重要で、カナタが「アガムスはやはり、元々良い人間だった」と確信し、24話へと繋ぐシーンです。なのでまぁ、シーン自体は良いのだけれど、もう少し要素を盛り込めた面会シーンだったのかな、と。アガムスのキャラをどんどん深掘りするより先に、スフィアの登場であっさり記憶が戻ってしまいましたからね。少し惜しいシーンではありました。

 いよいよ決戦。避難の遅れた人を救助しようとするカナタ。そこへリュウモンが駆けつけ、救助を請け負います。正体を知っているリュウモンが、お前はお前のやるべきことをやれとカナタを送り出す様子が、本当に素晴らしい。カナタとリュウモンが目だけで会話しているというこの構図が、かなり胸熱なシーンでしたね。しっかりと人物描写をしてきたからこそできる演出です。

 スフィアゴモラ、スフィアレッドキング、スフィアネオメガスが登場。スフィア怪獣、てんこ盛りですね(笑) カナタもダイナミックモードで応戦します。さすがに3対1ということもあり苦戦。

 スフィアの放つ強力な電磁波によって、新生ガッツセレクトの戦闘機も皆、墜落。

 ピンチに陥りますが、デッカーはデュアルソードとシールドカリバーの二つの武器を使って大逆転。3体の怪獣を倒すも、テラフェイザーの光線を浴びて消滅してしまいます。辻本監督らしい、小道具を使った特撮シーンは、とても楽しませていただきました。

 

 ということでデッカー21~23話でした。

 21~23話はアガムスの掘り下げということもあって、毎話テラフェイザーが出てきて、正直もうだいぶ絵面が似通ってしまっている節はあるのですが、しかしなんだかんだで、新規怪獣や新規改造の怪獣がそれと同じくらいわんさか出てくるので、以外にもそこそこ楽しめましたね。

 ニュージェネ後半あるあるな終盤での失速は特になく、順調にバトンを渡しているデッカー。残る2話、はたしてどうなるのでしょうか。次回、デッカー感想最終回を、お楽しみに!!!!!

ウルトラマンデッカー18~20話感想 秀作凡作わんさかと

 皆さんこんにちは、igomasです!今日も今日とて、デッカー感想です! 今回は18~20話です。18,19話では、アガムスが再来し、ヤプール登場にトリガー登場。また色々とやっている2話ですね。20話は、久しぶりの田口監督回。ラゴンを扱った一作です。それではさっそく、見ていきましょう!

↓前回のデッカー感想はこちら

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【18話感想】

 今回は、監督が坂本浩一監督、脚本がハヤシナオキ氏と、いわく付きのコンビ。というのも最近、トリガー本編やデッカー7,8話など、結構やらかしているコンビであります。該当記事を見返していただければ分かるかと思いますが、セリフがいちいち引っかかるというか、違和感のあるものになっています。

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 作中でのノイズがあまりに多いために、戦闘シーンもどこかもやもやとした気持ちで見なければならず、結果ヒーローが格好良く見えないという悪循環に陥っていました。そんなわけで、最近のお二方の仕事を見ていると、天地がひっくり返りでもしない限りあまり面白い回は見込めないかな、不穏だな、と思って見たのですが、

 天地がひっくり返りました。普通に面白い回でした。

 やっていることは結構シンプルなんですけれど、特に気になる箇所がなかったので、すんなり楽しめる、そういう回になっていました。所々小技も効いていて、いいなと思う部分の多い回でした。以下書いていきますね。

 冒頭、アガムスが再び登場、TPU隊員としてスーツアクターの岩田栄慶さんも登場。歴代の数々のウルトラマンスーツアクターを務めた上、最近ではジードのゼナ先輩としても有名ですよね。こういうカメオ出演、結構好きですね。前回記事のナイゲルの回にも、監督がカメオ出演していたみたいです。

 さて、そこへ現れたのは、なんと昔の見た目のヤプール。最近登場するヤプールは、お馴染み巨大ヤプールばかりだったので、こういう昔の姿で登場するのは、結構好きですね。ペダン星人も、大怪獣バトルの見た目も良いけど、たまにセブン版の見た目のも見たくなる、そんな感覚に近いです。

 そしてそんなヤプールに使役される形で、ニュージェネで出るのもう何回目だよってレベルでかなり出てる超獣アリブンタ、またも登場です。正直超獣の中でも、アリブンタはかなり見飽きた節があります。さてアガムスとヤプールは、協力関係に立ちます。

 今回、ちょっといつもに比べてセリフは聞きづらい印象があります。最近の坂本浩一監督回あるあるな気がしますね。

 任務中、悩ましげな顔をするカナタに、声をかけるリュウモンとイチカ。カナタは未来人デッカー=アスミに、アガムスを救ってくれと言われたことをずっと気にかけており、「自分たちのことを心底憎んでる相手を救うって、戦うより大変だなって」と発言します。

 そうだね、と2人が納得するのですが、このシーンは少し首をかしげてしまいました。そもそも2人とも、あまりにあっさり、何の引っ掛かりもなくアガムスを救うことを受け入れてるのは何故なんでしょう? 一応、スフィアを地球に連れてきた、一連の騒動の大元凶なんですけども。地球が今まさに滅びようとしている、直接の原因なんですけれども……
 事件の根幹をなしてる元凶は救って、元凶のせいで呼び出された怪獣(デスドラゴとか、ライバッサーとか)は滅却、がなんの説明もなく当たり前の大前提として話が進んでいくのは、少し心に引っ掛かります。ケンゴを引き合いに出してカルミラの件を正当化するのも、そういうところ気にしてないから出る描写なのかなと。やや説得力に欠けるシーンになってしまいました。
 アリブンタに襲われて、「私、狙われてる!?」と発言するキリノそりゃ怪獣なんだから目の前に銃持った人間がいたら狙うでしょ。わざわざ入れる必要のないセリフを入れてしまうあたり、坂本ハヤシコンビって感じです……まぁこれくらいの違和感ならまだいいですけれど。
 アガムスを追いかけるカナタを静止してビンタしてまで本物か確認するイチカ「よかった本物だ」じゃないよアガムス逃して何やってるんだか……完全にイチカ、戦犯です。あの、何度も言うようですけど、曲がりなりにも本作の元凶ですからね? 元凶追いかけてる仲間の前に立ち塞がって、逃がしてしまうなんて、防衛隊員としてどうなんだって話です。
 さてここから特撮パート。戦闘滅茶苦茶いいですね。

 CGの使い方も見事ですし、アリブンタも結構多彩に技を使っていました。格闘戦もしっかりやってくれていますし、ちゃんとウルトラマン格好良かったです。
 デッカー基本3モードとダイナミックモード、全モードにちゃんと見せ場を作っていました。後半戦は取り敢えずなんでも新形態に頼りがちなので、3モードにも活躍の場を設けているのは素直に嬉しいです。テラフェイザーを、基本3モードで倒せるようになっているのも、成長を感じ微笑ましかったです。
 今回、一番小技が効いているなと感じたのは、超獣とアガムスが共闘関係にある、という点。10話、11話あたりで言及されていたように、野良怪獣はスフィアとテラフェイザーを同族とみなしているわけで、これが「野良怪獣とテラフェイザーが何故か共闘してる」みたいな展開だと、矛盾してしまいます。

 もちろん、テラフェイザーとスフィア合成獣を共闘させる、というのも一つの案ではありますが、その一つの案だけでやっていると、アガムス回は全部スフィア合成獣が出るという事になってしまい、絵面が似たものになってだんだんと見る側が飽きてしまいます(実際デッカーの15,21,23話とかはそんな感じで絵面が似通っています)。

 また、アガムス自身がなにか、スフィア合成獣ではない一般怪獣を使役する、という展開にするとしても、それは今までのニュージェネヴィランと全く変わりなく、これも絵面が似たようなものになってしまいます(まぁ22話でこの展開やってるんですけどね)。

 そこで登場するのがヤプールと超獣です。超獣を使役するヤプール、という別の勢力を登場させ、アガムスと共闘させる。バリエーションの一つとして上手く機能しています。

 ということで、18話感想でした。良い回という割には結構ツッコミを入れているじゃないか、と皆さん思われたかもしれませんが、逆に言えば上に挙げた点以外は、あまり気になるところはありませんでした。今回ばかりは、結構厳正に、すべてのセリフを一つ一つ丁寧に吟味させていただきました。その中でも上記くらいしかツッコミどころがないというのは、坂本・ハヤシコンビにしては、というかデッカーの諸監督の中では、上手くやっている方ではないでしょうか。まぁそんなわけで、普通に良い回でした。

 

【19話感想】

 18話の最後で、ヤプールに欺されたカナタは、宇宙へ飛ばされます。スフィアに襲われていたところを、トリガーに助けられます。またもトリガー回ということで、早くも不穏な空気が立ちこめている、坂本・ハヤシコンビ回です。

 えっと、冒頭から結構気になっているのですが、何故TPU月面基地にルディアン、レギオノイド、キングジョー、ギャラクトロンMK2がいるのでしょう? キングジョーはともかくとして、他は全部、出自が色々と面倒なロボットばかりです。なぜよりにもよってこの選出なのか。まぁ、円谷としてはもうこの4体以外に倉庫にロボット怪獣のスーツが残っていないということなのかもしれませんけれど、それにしたってこんなに出自の面倒なロボットばかりにしなくたっていいでしょうに。

 本編では語られないものの、制作段階では納得にたり得るしっかりした裏設定があるんでしょうね、制作陣の皆さん? 特にルディアンなんて、どうしてデッカー宇宙の月にいるのか、どれくらい裏設定を練ったのか小一時間ほど問い詰めたい気分です。こういう一つ一つがノイズです。

 アキトの定番セリフ”ウザい”から、ガッツセレクトのシーンに繋げて、隊員たちがカナタのことを怪しむみたいなシーンを入れています。7話のトリガー編でもありましたが、蛇足コメディパートだったかな、と思います。少し助長に感じました。そもそも7話の記事でも触れましたが、ウザいというセリフ自体、良くないので、それと絡める展開もあまり好みではありません。

 カナタとケンゴが現状について語り合うのですけれど、カルミラまわりというか、7,8話が全体的にダメダメなせいで、それを引き合いに出す今回にもあまり説得力がありません。

 月の警備ロボット「ゾンボーグ兵」との戦闘シーン。それ自体はまぁ、いいと思います。それはそれとして臨戦態勢にあって親のビデオメッセージを見る無神経な展開はどうにかならんのか。

 特にビデオメッセージの内容で、何かカナタが成長する要素があったわけでもなく、作品構造的な視点から見ても、ただのカナタの精神安定剤的な役割をするだけのビデオでした。全くいらないシーンです。あんたがそんなビデオ見てる間に、ケンゴが結構大変なことになってるんですけど。さすがにタイミングってものがあるでしょうに。どう考えてもここの展開は、脚本が酷すぎると感じました。
 再びゾンボーグ兵との戦闘シーン。カナタのセリフ「俺は、どんな時でも諦めない」これもちょっと的外れなセリフでした。いや、今この場面、何か諦めるような要素ありましたっけ? セリフがいちいち、引っかかります。
 スフィアソルジャーは、ギャラクトロンMK2の残骸を使って暴れます。ギャラクトロンMK2、最近は結構序盤で倒されることもあり、ちょっとだけ強い怪獣、程度の認識。なのでトリガーとデッカーの2人がかりで戦うような強敵感は、正直感じられませんでした。デッカーも既にダイナミックタイプを取得していますし、やはり敵としては格落ち感が否めませんでした。見ていてあまりワクワクしませんでした。

 ウルトラマンZでのゼット、ジード、ゼロの3大ウルトラマンが並び立つ回では、セレブロがスカルゴモラ、サンダーキラー、ペダニウムゼットンを乗り回していました。それぞれの怪獣自体はそれほど強くはないものの、属性や能力を変えながら戦うというセレブロの戦闘スタイルがチートじみていたからこそ、3大ウルトラマンの共闘が燃えたわけで、今回の怪獣にも、そういう工夫があればいいな、と思いましたね。

↓該当記事はこちら

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 ケンゴは、もうこれしか言うことないのかなってくらいまたも「皆を笑顔にしたい!」の一辺倒なかたわら、カナタはデッカー=アスミとの約束やアガムスとの戦いを踏まえてのセリフなので、セリフの重みがだいぶ違います。ケンゴももう少し、他のセリフも言ったらいいのに。ほぼbotみたいになっていて、嘆かわしいです。

 まぁそんなわけで19話でした。今回、カナタがケンゴに会って何か特段成長したということもなく、まったくもっていらない話だったと思います。前回のラストで普通に幕引きにせず、ヤプールがデッカーを宇宙空間に連れ出したのは、完全に蛇足でしかありませんでした。

 一応、のちのちリュウモンがカナタを訝しがるエピソードの一つとして拾われはするのですが、まぁ別にないならないで良かった回でしたね。わざわざ先輩ウルトラマンを出したにもかかわらず、なにも学ぶことがなかったという、意味不明な回でした。

 

【20話感想】

 さて、久方ぶりの、田口清隆監督回。デッカーは20話以降の最終盤で、田口監督、辻本監督、武居監督と、実に盤石な布陣で臨んでおり、制作陣の本気度が伺えます。

 冒頭、ラゴンに遭遇して叫ぶおばさんの絶叫を背景にOPが始まります。OPが始まっても悲鳴が聞こえてるの、いいですね。こういう演出好きです。

 今回、びっくりするくらいセリフが聞きやすいですね。

 場面転換する時の画角もどれも良いです。レジが開いて振り子時計が揺れる、これだけでいい画になっています。さすがは田口監督。正直、デッカーにて武居・根元コンビが誕生し、他にも幾人か良い監督が出始めており、田口一強時代ではなくなってきている状況で、少し心配して見ていたのですが、杞憂でした。しっかり田口監督らしさの詰まった一話になっています。

 横軸展開の物語でありながら、イチカの入隊前の人物像をさらに掘り下げています。イチカは世界中を旅する少女だったのだそう。どんな人ともすぐ打ち解け、色んな世界に興味を持つイチカらしい過去で、キャラに深みが増しています。ルーブのグエバッサー回の時に、田口監督、「単体作としてはいいけどキャラの掘り下げが一切ないのがネック」とよく言われていたのですが、かなりキャラ描写良くなったなぁと思いますね。

 今回登場する怪獣は、ラゴン。浦澤老人の語り口調や民家内の雰囲気も相まって、魅力的な怪獣に描かれていました。羅権衆の不思議な衣装や儀式、封印のための場所である海女の岩戸、荒神としての立ち位置など、デッカー独自の新設定ももりだくさん。副隊長は古代の伝説などを引き合いに出し、ラゴンの生態を深掘りしていきます。ラゴンは、かなりニュージェネ作品にはよく登場している怪獣で、正直ラゴンはもう見飽きていたのですが、こうも新怪獣の如く生態分析をしっかりやり始めると、見入ってしまいます。

 ラゴンの粘液らしきものから生態サンプルをとったり、成分を分析したり、伝説を調査したり、実に堅実に怪獣ものを進めており、面白い回でした。

 さて、街に現れたラゴンは浦澤老人の変装に過ぎなかったのですが、そこへ本物のラゴンが登場。デッカーとの戦闘が始まります。ラゴンは別に強い怪獣ってわけでもないのですけれど、デッカーがぬめぬめした粘液に苦戦することで絶妙に良いパワーバランスにしているのも、田口監督らしい小技が効いているなと思いますね。

 ここからの展開なのですが、イチカが海女の岩戸に封印されそうになる浦澤老人を止めるカットは、少しムムッ?と首を傾げてしまいました。ここまでの流れを見ていると、浦澤老人はずっと、「子供の頃に会ったラゴンと、また会いたい」と願い続けており、浦澤老人にとってはラゴンと過ごすことが何よりの望みなのでは?と思ってしまいました。だからイチカが浦澤老人に、あそこは人間が行くような所ではない、ラゴンと一緒に行ってはいけない、と止めるのですが、それってスフィアによって仲間と分断された自分の境遇を勝手に重ねているイチカの、個人的な願望に過ぎないのでは?と思ってしまい、ここが見ていて少し引っかかりました。

 が、ラストシーンで、その後もイチカが浦澤老人のもとを尋ね、和気藹々と話している様子が描かれ、このシーンでそういった疑問もすべて払拭され丸く収まります。

 浦澤老人は結局のところ、別にラゴンと過ごしたかったのではなく、ただ単に独りで生きることが辛かっただけなのでした。イチカという友達を得た浦澤老人は、生き生きとした表情で映っており、イチカの存在こそが鍵であったのだ、ということが示されて物語が幕を閉じます。最後のシーンがあるのとないのとで、本作の説得力はかなり変わっていたでしょう。こういう押さえのシーンを入れてくるのも、さすが田口監督だなと感じました。

 まぁ逆に言えば、最後のシーンを見るまでは、上記のように、イチカのひとりよがりなんじゃない?と疑問に思わせノイズを作ってしまう点は、本作の唯一の欠点でありましょうか。

 田口監督で感動回というと、ウルトラマンギンガSの「ガンQの涙」が筆頭に上がりがちですが、あの話より、今回の話の方がはるかに良く作っていたと思います。セリフの一つ一つや描写が非常に丁寧で、お見事でした。

 

 ということで、18,19,20話でした。18,20話は、どちらも次回予告を見たときに、あんまり良い回にはならないかもなぁと懸念していたのですが、いやはや、杞憂でした。ここからデッカーはさらに終盤戦に向けてギアを上げていきます。私も制作陣の熱量に負けないよう、記事をバンバン更新していければと思います。

 それでは、また次の記事でお会いしましょう、igomasでした!

ウルトラマンデッカー16~17話感想 おふざけデッカー

 皆さんこんにちは、igomasです! 今回もサクサクサクと、デッカー感想進めて参りましょう。今回は16~17話です。前回のアガムス・テラフェイザー編を受けての防衛隊の様子を描いた2作品。これまでの展開を受けて少し縦軸を入れつつも、いつもの横軸展開も進めていく。こういうスタイル自体は結構好きですね。

それでは、さっそく中身を見ていきましょう!

↓前回のデッカー感想はこちら

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【16話感想】

 ちょっとおふざけが過ぎる冒頭。TPU系列と思われる隊員と、ご近所の主婦たちがミニパンドン、スピニーを捕獲するというシーン。ある程度のユーモアはあってもいいけれど、ちょっと隊員が腑抜け過ぎるシーンでした。カナタたち3人が加わってからも、ちょっと腑抜けが過ぎる。この監督とはちょっと合わなさそうと感じる冒頭でしたね。

 今回、ずっと「フォーメーションデルタ」なんてかっこつけて言っているけれど、やってることは3方向から囲ってるだけですからね、そんなにかっこつけて何回も言わなくても……と思ってしまいました。
 監督は、中川和博監督。ウルトラマンZでは、バロッサ星人やキングジョーの回を担当してらっしゃった方ですね。Zの時も、結構作品に粗が多くてかなり突っ込んだ覚えのある監督です。

ウルトラマンZ該当記事はこちら

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 今回もまぁ、2話続けて、ところどころ引っかかるところが幾つかありました。特に書き残しておきたいものだけここで書くことにします。

 カナタ、リュウモン、イチカの3人は、ミニパンドンことスピニーの捕獲ミッションとして今回駆り出されるのですが、カナタはアガムスの事が気になって、どこか上の空。リュウモンは隊長に、カナタを任務から外すことを進言します。

 それに対し、作戦の最初に隊長が言った、「3人で対処するのが確実」というのを引っ張り出して、カナタを任務から外すことに反対するイチカ。いや、そりゃ作戦の最初はそうだったかもしれないけど、もはや今となっては関係ないでしょ、と思わず突っ込んでしまいました。

 リュウモンは、カナタがあまりに上の空で、イチカも負傷する可能性があり、このままでは任務が続けられないからカナタを任務から外すように進言したわけです。もはや「3人で対処するのが確実」ではなくなった、仲間に被害が及ぶ可能性だってある。そこまでいったにも関わらず、まぁいいかとはならんでしょ、普通。なんというか、イチカの論点が凄くズレており、2話の口論を思い出してしまいました。

 応援を要請されているのに、悠長なことを言っている場合ではないと拒否する副隊長。あんた曲がりなりにも”怪獣博士”でしょうに。怪獣の危険性は十分知っているはずだし、怪獣とは、一歩対策を間違えれば大災害にも繋がる存在です。隊員に実際に被害が出るであろう状況にもかかわらず、隊員の提案を拒否って。前々回の10話あたりから、かなりの無能っぷりを発揮しています、大丈夫かなこの防衛隊。

 実際この3人、ミニパンドンことスピニーを何度も逃がし、最後には巨大化させてしまっているわけで。まったくもって「確実」でもなんでもありませんでした。

 正直、口論のシーン全くいらなかったんじゃないでしょうか。単純に、カナタが悩んでいる様子→リュウモンが「1人じゃどうにもならないなら、誰かに助けを求めたっていい」と言いカナタの心が少し晴れる→任務開始→パンドン巨大化、とかで良かったんじゃないでしょうか。変に口論のシーンを差し込むから、防衛隊がなんだかダメダメ組織に映ってしまっているわけで、このシーンの必要性をあまり感じませんでした。
 ちなみにこの、リュウモンのセリフ「1人じゃどうにもならないなら、誰かに助けを求めたっていい」っていうのは、良かったですね。前回の15話で、デッカー=アスミがカナタに対し、「我が家の家訓」を次々と言っていくシーンがありました。どれも聞きなじみのあるセリフばかりだったのですが、その中に「1人じゃどうにもならないなら、誰かに助けを求めたっていい」という旨の家訓もありました。

 今までデッカー劇中で聞いたことのない家訓だったので、恐らくはこれからそういう展開になっていく示唆なのだろう、とは思っていました。なにかと1人で抱え込みがちだったカナタに、「助けを求めたっていいんだぞ」と語るリュウモン。今後の展開に響いて来そうで、楽しみです。

 そんなわけで、16話でした。お話としては結構シンプルなので、他に何か触れる点は特にはないですね。つづけて17話も、見ていきましょう。

【17話感想】

こういうのを悪手と言うのだよ、みたいな回。

 16話の時点で若干危うげではあったのですが、17話に来てちょっとやらかしてしまったなぁ、という印象を受けました。今回は先のアガムス事件を受けて、ムラホシ隊長が敵のスパイではないかと、内部調査局局長、メトロン星人ナイゲルが登場。宇宙人が人間を取り調べしている、というのを面白く撮ろうとした監督の狙いはまぁ、分かると言えば分かるのですが、結果から言うと全然上手くハマっていない、そんな印象を受けました。

 以前、デッカー5話で、辻本監督が結構自分のやりたいように作劇した結果、防衛隊の評価を著しく落としかねない危ない橋を渡ったことがありました。5話は、辻本監督らによる類い希なる手腕によって、見事なV字回復を見せてくれていましたね。

↓デッカー5話感想はこちら

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 一方で今回、それが殆ど出来ていませんでした。ダメダメ回に両膝まで浸かっている、そんな回でしたね。

 怪獣ゴメスが現れ、市街地に向けて進行しているのですが、局長のナイゲルは、ムラホシ隊長の嫌疑が晴れない以上、出撃は許可できないと拒否。”怪獣博士”こと副隊長が、今回のゴメスは今までのものとは大きさが異なり、放っておいてよいものではないと言うものの、ナイゲルは大丈夫だと自信満々。街に配置した防衛システムを信用しきって、優雅な音楽をと注文する始末。結果ゴメスは易々と防衛システムを突破してしまいました。

 最終的に、死傷者は出なかったようですが、明らかゴメスは市街地に侵入していますし、なんならビル一棟が崩れ落ちる被害が出ています。

 いや、駄目でしょ

 こればかりはさすがに擁護しかねます。というか普通にダメダメ演出でしょ、これは。再三言っていますが怪獣というのは50m級の巨大な怪物、いるだけで甚大な被害を及ぼす大災害なのです。少しのミスで街がひとつ滅びるんです。それくらいの脅威なんです。

 データ通りにいかなかったとかなんとか言っている場合じゃないんです。そのひとつのミスで街に甚大な被害が出ていたらどうするんだって話です。防衛隊の局長として冗談じゃ済まされません。

 百歩譲って、仮にたとえば舞台となるデッカーの地球では、ガッツセレクトが対処しきれないくらいのレベルで四六時中怪獣が出現しており、ガッツセレクト以外の部署が怪獣に対処することもある、だからガッツセレクトのあずかり知らないところで勝手に怪獣退治が完了していることもしょっちゅう、なんて背景事情があったとしましょう(まぁそんな描写どこを探してもないのであり得ないんですけど)。たとえそうだとしても、副隊長から今までのゴメスとは違うと言われた以上、ガッツセレクトを出動させないとしても、何かしら部隊を追加で早急に派遣するなりすべきでしょうに。

 当然、上記のような背景事情はなく、おそらくは怪獣のような巨大生物に対処する部署はTPUにはガッツセレクトだけだと思われ、そうなるとますます、多少の疑惑はあれ出動許可を出さなければならないでしょう。

 あんまりにもナイゲルが悠長にした結果、ビル一棟が崩れたことについてはまったくもって言い逃れできません。できる限り努力してこれなら分かりますが、余裕ぶっこいて音楽聴いているうちにこの事態に陥るって、おふざけが過ぎます。

 16,17話を見るに、中川和博監督はこの辺り、あまり分かってらっしゃらないんじゃないかなぁと思いますね。怪獣に対する危機感というものがないので、気付かないうちに沢山やってはいけない地雷を踏みまくっている節があります。

 まぁ色々と書いては来ましたが、「防衛隊が宇宙人とのプロレス(?)を優先して怪獣退治を放棄する回」や「怪獣博士が制御装置を壊して怪獣を暴走させる回」に比べればまだマシな方ではある上、ナイゲルも役人としてやるべきことを全く何らやっていないわけでもなく、死傷者は出ていないことが強調されているので、ダメダメ回とまでは言わないけれど、限りなくダメダメ回に近い回であることは確かですね。もう少し見せ方を工夫すれば、一転して普通に面白い回になっていたでしょうから、惜しいなぁと思いました。

 まぁそもそも、メトロン星人みたいな異星人が局長を務めているのがどうなんだって話です。いくらその実力を買って重役に就かせるとしても、地球の命運をかけた防衛隊の出撃許可の権利を宇宙人に握らせるのは、どう考えても駄目でしょう。いざ地球を守りたい時に出撃止められたら困るじゃないですか、今回みたいに。

 また、今回の主軸となるのが、リュウモンとムラホシ隊長の過去です。実はリュウモンが防衛隊に入るきっかけとなった隊員こそが、かつてのムラホシ隊長だった、という素材は良いのですが、どうも調理の仕方に粗が目立って上手くハマりませんでした。

 まずもってこの展開をやるなら、第3話でその話が出たときに、この映像使った方が効果的だったんじゃないですかね。こちらに関してはムラホシ隊長の声が視聴者に割れているので、ムラホシ隊長は後ろ姿だけで映して、声も(それこそ1話のデッカーみたいに)消して描写するとか。そうやってリュウモン少年の過去を映像で見せて、ここで伏線回収、とした方が幾分か綺麗に纏まるじゃないですか。

 で、更に言うとリュウモンとムラホシを襲ったのがヒュドラムって、デッカー8話の展開を踏まえた上でなおヒュドラム下げをしてどうするんだって話です。これじゃあどう頑張ったってヒュドラムにヘイトが向くじゃないですか。より8話展開への不満が増すじゃないですか。これは少し悪手だったのではないかな、と思います。

 とまぁ、この展開をやるなら監督間でもっと連携を取っていたら良かったんじゃないかな、と思う部分が結構あって、それゆえあまり今回の展開自体、刺さりませんでしたね。

 もっと細かいことを言うならば、ムラホシ隊長の取調室にそんなにあっさりリュウモンが入れていいのかって話です。防衛隊を出撃させないくらい疑惑の目を向けているナイゲルさん、そういうところは甘いんだ、とちょっと仕事の腕を疑います。

 まぁそんなわけで17話でした。不満点は上記の通り結構あるのですが、まぁ全体として見てみれば、よくある通常回って感じの回ではありました。特撮は良かったですし、ゴメスも魅力的でした。

 

 ということで以上、デッカー16,17話感想でした。やはり、怪獣という存在について、今一度きちんと考え直す必要があるのではないか、と強く思った回でしたね。おふざけも、やり過ぎると粗が目立ってしまいます。何事も、バランスが大事ということでしょうね。

 それでは、また次の記事でお会いしましょう、igomasでした!

ウルトラマンデッカー14~15話感想 メインヴィラン登場

 皆さんこんにちは、igomasです! だいぶ記事を書き溜めしております。少しずつ、良いペースで公開していけそうです。今回からデッカーも後半戦。OPも2番に差し替わり、新展開が始まります。デッカーの物語が大きく動く14,15話、見て参りましょう!

↓前回のデッカー感想はこちら

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【14話感想】

 うん、いいね。

 メイン監督の武居監督と、メイン脚本の根元氏のコンビ、安定の面白さです。こういうのを求めてました。めちゃくちゃワクワクして見させていただきました。

 前回記事で扱った10話~12話あたりは、メイン監督でない越監督が、デッカー本編のテラフェイザー誕生という流れに、「ウルトラマンに頼らず人類がどのように怪獣に対処していくか」というテーマを加えて、結構好き勝手やっていました。が、好き勝手やっていた割に本編にあまり響いてこない演出で、少し残念でした。上記テーマには、結局何ら答えのようなものが示されず、道標のようなものすら示されず、テーマだけ置いて去って行くという、「それだったら物語に組み込む意味ないじゃん」案件でありました。

 一方今回はしっかりメイン路線を大きく動かしてくれたので、かなり見応えがありました。話自体が動いて、キャラの位置づけが二転三転と移り変わっていくので、先が見えないハラハラドキドキ感があり、こういう本軸を大きく動かすの、ずっと待っていたんですよね。ウルトラマンの先任者が現れて勝手に変身して主人公置いてきぼり。こういう、今までのウルトラマンにはない展開をやるチャレンジングな精神、これが見たかった。とても満足です。

 それでは、冒頭から見ていきましょう。

 いきなり、あっさり倒れるノイズラー。ギャラファイ2に出ていましたが、テレビ本編に登場するのは久しぶり。せっかくスーツ作ったのにテレビ本編に出さないのあまりにもったいなさ過ぎるでしょと思っていたので(クラウドファンディングで作ったスーツなんでなおさら出さなきゃならんでしょと思っていたので)、登場は素直にとても嬉しかったですね。再登場怪獣もストックが尽きてきて最近似た絵面ばかりなので、再来年あたり、ノイズラーで一話作ってくれるとなおさら嬉しいです。
 怪獣の出現頻度が高くなっていることを懸念するリュウモン。第11話での、怪獣がテラフェイザーとスフィアを同視して排除しようとしている説を想起させ、不穏な雰囲気を出しています。
 TPUにて、アサカゲ博士と話すカナタの演技、ちょっと大袈裟すぎませんかね? 演技指導下手になったかってくらい大袈裟でした(笑) まぁ、後のシーンとの対比でそうしたんでしょうけど、やや露骨。
 宇宙港を狙うスフィアザウルス。前回に引き続き、執拗に宇宙港を襲っており、かなり計画的な一面が見えるスフィア。正直このシーン、スフィアゴモラとかスフィアレッドキングとか、なんで今まで宇宙港狙ってなかったんだ?とは少し思いましたね。スフィアの狙いが宇宙港なら、ずっと狙ってればいいのに……まぁ、好意的に見れば、スフィアゴモラとかスフィアレッドキングは敵(ガッツセレクト)のデータ取るための捨て駒扱いで、しっかり対策して強化したところで狙いの宇宙港に攻め込んだ、ってことなのかな?
 強化されたスフィアザウルスは、スフィアを飛ばして攻撃するという、新技を獲得。CGをかなり使いまくっています。いいですね。この、スフィアを飛ばす攻撃があることで、デッカーはスフィアザウルスを、防衛隊はスフィアソルジャーを、と役割分担できるのも良い采配。最近の防衛隊は、ウルトラマン戦っているとき棒立ちになりがちですからね。ちゃんと防衛隊の役割作りをしているのはグッド。こういう細かな配慮に、武居・根元コンビの安定感を感じますね。

 そして、いよいよメインヴィラン登場です。アサカゲ博士がまさかの悪役、名をバズド星人アガムス。この展開はそこそこ驚きましたね。ほとんど伏線という伏線を張っていない上、正直あんまり、アサカゲ博士というキャラ自体、あんまり深掘りされないキャラだったので、てっきりそういうちょい役ポジションかと思っていました。
 メインヴィランが初期からでなく、中盤に登場するという、登場タイミングも良いですね。最初から出ずっぱりだと、基本的に毎話の登場怪獣、全部使役怪獣になってしまいがちですからね。怪獣に魅力を持たせるという意味でも、中盤からのメインヴィラン登場は良い采配であったといえましょう。まぁ、それはそれとして今後怪獣が使役怪獣になっていったら魅力が半減していきそうで不安ではあるのですが、まぁ、今は制作陣を信じるとしましょう。

↓メインヴィランの是非について論じた記事はこちら

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 さて、テラフェイザーはアガムスが地球を滅ぼすために作った破壊兵器であることが明かされます。原典となるダイナのデスフェイザーも、地球を滅ぼすために、宇宙人が地球の防衛隊に化けて作っていたものです。テラフェイザーも、この流れを汲んでおり、なるほどダイナオマージュとしても妥当なストーリーラインに思えます。

 そして、アガムスの前に現れるもう一つの光。デッカー前任者の登場です。正直アガムスの登場はまぁ、ふーん面白いねくらいのテンションで見ていたのですが、デッカー前任者の登場、これはかなりアツくなりましたね。登場して言ったセリフが「ここからは俺の仕事だ」カッコいい。
 先述したとおり、デッカー前任者が戦っているのを蚊帳の外で主人公が見ている、という絵面が面白く、次の15話での展開がよりアツくなるよう設計されています。

 前任者デッカーの戦い方は、かなりの手練れと見え、リュウモンも今までのデッカーとは違う、と発言します。各タイプの使い方や、カプセル怪獣の使い方がかなり上手くて、カナタのデッカーとの違いをもたせた戦闘をしていましたね。

 以前、デッカー9話でカナタの戦い方があまりに下手すぎる、描写が悪すぎる、という話をしました。あれはもしかしたら、あえてカナダの戦いを下手に見せて、前任者デッカーとの差別化を図る狙いがあったのかもしれません。もしそうなら、坂本浩一監督は「ヒーローを格好良く撮りたい監督」なのに、あえて下手なヒーローの戦い方を意図的に撮らされるという、大変損な役回りだった可能性がありますね。まぁどちらにせよ、デッカー9話は戦闘以外の描写が結構悪かったので、そうだとしても擁護してあげません(笑)
↓デッカー9話の感想はこちら

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 ということで、デッカー14話でした。どんな風にデッカーの物語が動いていくのだろう、とワクワクして見られる、良い回だったと思います。引き続き、15話感想に参りましょう!

 

【15話感想】

 あー、第1話のデッカーの声、あえて消してたのか。なんで?

 正直、別に消さなくて良かった気がします。え、前任者デッカーの声がすでに第1話で出ていて、あのときの声はデッカー本人じゃなくて変身者の声だったのか~ってなった方が普通に展開として面白くないですか? なんであえて隠した?

 まぁ、未来の前任者デッカーがカナタに力を託すとき、前任者もかなり焦っていたと思われ、それをデッカーの声として当てるとウルトラマンの神聖なイメージがなくなり、できない、となったのかもしれません。どのみち今回の15話を受けて1話のシーンを勝手に視聴者が脳内補完するので意味ないんですけどね。

 前任者デッカーの声とか、多少エコーかけたり、かすれるような声にしたら焦っている感じも多少緩和されると思いますし、「1話の声、あのときは気がつかなかったけど確かに聞き直したら焦りが少し見えるかも」と、見返したときに気づけるようにすることはいくらでも出来た気がします。なによりデッカーの声が聞こえないことにしたデメリットが大きすぎて、ちょっと悪手だったのかな、と思います。1話のカナタがデッカーの力を得るシーン、もう一度セリフを見返してみてください、結構ひどいです。単純に視聴者への配慮が足りないシーンでしたし、やはり1話のデッカーの声は、聞こえて欲しかったな、と思います。

↓1話感想はこちら

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 どうしても気になったことだったので、少し文章が長くなってしまいました。場面を進めましょう。

 前任者デッカーの、「宇宙煎餅を火星で食べたことがある」というセリフで、勘のいい視聴者にはちゃんと、彼が未来人でカナタの子孫であることが伝わるのも、良い展開ですね。2人を繋ぐものが宇宙煎餅っていうチョイスも、良い。宇宙煎餅というアイテムが、しっかり作品の中で上手く機能しています。
 続いて、アガムスまわりの過去や、スフィアの出自が明かされます。このあたりの情報を、後までグダグダ引っ張らないのも良い采配。武居・根元コンビ、やはり安定しています。

 ウルトラマンの力、および強化カードは、未来から送られてきたものでした。なんて便利なシステムw

 地球のせいで他の星が滅ぶ、というのは新しい切り口ですね。まぁ、アガムスが勝手にそう言っているだけで、実際に地球が他の星を滅ぼしにかかったわけでもないでしょうし、そもそもまだ滅んでいないとのこと。こういう、復讐の対象が地味にズレてる悪役、いいですよね。
 前任者デッカーは、未来の戦いにカナタ達を巻き込んでしまったことを謝罪し、負傷した身体でなおも立ち上がります。けじめとして、大人として、アガムスを命に代えてでも止めると宣言する前任者デッカー。カナタはそれを制止します。

 目の前にある命を救いたい、その一心で1話からここまで駆け抜けたカナタにとって、「簡単に命を捨てるな、何がなんでも生き延びろ」という言葉は、今言える最大限の言葉。これ以上でもこれ以下でもない、まさに15話に持ってくるのに相応しいセリフだったんじゃないでしょうか。

 「巻き込まれたからじゃない、俺は今俺の世界を守りたいんだ。こっちは俺に任せて、さっさと未来へ帰りやがれ!」この世界を今守れるのは、他でもないカナタ自身。心配されずとも、この地球はなんとか守ってみせると豪語するカナタのこのセリフは、滅茶苦茶格好いいです。

 カナタはアガムスと対峙し、前任者デッカーの支えもあり、その強い思いが新たな姿へと覚醒。ダイナミップタイプが誕生します。新武器のデッカーシールドカリバーは、盾にもなれば刃にもなる、ウルトラマンらしい良い武器ですね。必殺技もシンプルながら格好いい。無事テラフェイザーを打ち破り、アガムスとの戦いは一端の幕引きを迎えます。
 未来の前任者デッカーの本名、それはデッカー=アスミ。苗字と名前のバランスが悪すぎますが(笑)、なるほど本作のタイトル、ウルトラマンデッカーの「デッカー」とは未来人の名前そのものだったのですね。

 ということでデッカー15話でした。こちらもかなり満足度の高い話でしたね。14話で蚊帳の外に飛ばされてから、いやいや今作の主人公は自分だぞと言わんばかりにしっかり活躍するカナタ。これぞ主人公じゃないですか。ヒーローとしての魅力が存分に溢れた、良い回でしたね。安定の武居・根元コンビということもあって、あまり細かい部分が気になることもなく、順当に楽しませていただきました。

 それでは、また次の記事でお会いしましょう、igomasでした!